旅の思い出


海外旅行が大好き!子供が生まれる前も、生まれてからもちょくちょく出かけています。自分が忘れないために書き記しました。

時期都市思い出
2004年春オーストリア・スイス・ドイツインスブルック・ルッツェルン・ハンブルグお菓子関係の本を書くという野望を達成するため5年ぶりの訪欧。(前回は仕事だった)あつかましくも友人宅を訪ね歩き、また各家庭でのベーキング(お菓子作り)セッションを開催してもらう。友達だけでなく、友達の家族、またその知り合いまで巻き込んでしまった。予定していた以上の数のケーキを焼く。連日甘いものばかり食べていたので体重増加が気がかり。前半は天気もよく、チロル、スイスアルプスの山々ののどかな風景を堪能し、各地でデパートやスーパーに行き珍しい、クッキー型、お菓子の材料を買い集め帰国。現在もらったレシピをどのように作りやすい形にするか思案中。→自分の怠慢、時間不足、から頓挫中。どうにかせねば。欧州珍道中はこちら。
2003年春台湾台北2度目の台北。お友達のUさんと義理のお姉様も一緒に。
SARS「重症急性呼吸器症候群」が流行のきざしを見せていたが決行。現地でマスクを買うことに。
食べて食べての3泊4日(香港と同じ)。泊りはなんと超デラックスの「圓山大飯店」。 台北珍道中はこちら写真は左から圓山大飯店、ショーロンポーを作っているところ、玉市の様子
2002年春中国香港中国返還後の初めての香港。
思ったほか観光客も多く活気があった。食べて食べての3泊4日。インターコンチネンタルホテルでのアフタヌーンティーも堪能しました。娘も中華料理が好きなので食べ物は堪能していた。天気が悪く残念ながら夜景は望めず。大雨の中二階建てバスのツアーに参加。楽しかった。
写真は左から夜景、二階建てバスツアーからの情景、アフタヌーンティーです。
2001年春台湾台北ここでも食べ歩き。
烏龍茶ってこんなにたくさん種類があるって知らなかった。かなり良いお値段だったが烏龍茶をたくさん買って帰った。私はあまり日頃水分を取る方ではないのだが飲茶の時には本当にすごい量のお茶を飲んでいた。お料理も○。夫は一人でいろいろ食材を買い求めて帰って来た。
2000年夏韓国ソウル会社のUさんもご一緒に。娘(当時保育園年長はソウルの町並みをみて「ここ大阪?」と一言。いわれて見れば大阪難波の風景、色合いが似ていると言えば似ている。あれやこれや食べたがどれもおいしかった。ただし、行くたびに出てくる「キムチ」には、最後はもう食べられなかった。韓国のり、キムチをお土産に。私とUさんがお買い物を楽しんでいる間、夫と娘はロッテワールドに。
2000年春ドイツハノーバー、ハンブルグ組織変更前の最後の出張。
4回もこの街を訪れることになるとは思わなかった。今まではスタッフ対象の"Motivation night"というのには参加したことはなかったが初めて出てみた。ディスコ(古い!?)ミュージックの鳴り響く中皆踊ったりしてとても楽しかった。
最後はフランクフルトで時間待ちがかなりあったのでフランクフルトに住むKarolinの家にお邪魔することにした。子供3人でてんてこ舞いだが元気そうだった。
1999年秋イタリアラーゴ・マジョーレ、ミラノイタリアでの会議事務局で出張。
昼間は近くにあるレストランでピザ、スパゲティを堪能。天気の良い日には半そでで十分過ごせた。が、ほとんど会場のホテルに缶詰。
会場の片付けが早く終わったのでミラノに住むT夫妻を訪ねる。奥さんの作るポルチーニのスパゲティは絶品。彼らもかれこれ15年近くミラノに住んでいる。
1999年夏マレーシアチェラティン地中海クラブのリゾート地。ここは日本人のOGもいるし、キッズクラブに預けることも可。泣いたりはしなかったがそんなに楽しくもなかったようだ。食べ物はビュッフェで和・洋・中となんでもあるので食べ物の好き嫌いがある人にはとてもいいと思う。村にたどり着くまでが遠く、疲れた。行きは成田→クアラルンプール→コタキナバル→クアンタン 帰りはクアンタン→クアラルンプール→成田で乗り継ぎも、待ち時間も結構長かった。近いようで遠いアジアだった。
1999年春ドイツハノーバー、ハンブルグ3回目の出張。ハノーバーに宿泊していたが一日会議でハンブルグへ。この日にはペンフレンドのBabetteが会いにきてくれアルスター湖畔を散策した。暖冬だったのか一部桜が咲いていた。毎日ブースの中にいて空を見ることがなかったので本当にリフレッシュした。
1998年春ドイツハノーバー、ハンブルグ今回はずっとハンブルグに泊まり毎日ハンブルグ⇔ハノーバーをインターシティにのって通勤した。日本のようにすぐに列車がくるわけではなく1本遅れると1時間列車がないということはざら。何度か乗り過ごして寒いホームで待っていたことがあった。
1997年春ドイツツェレ、ハノーバー、ハンブルグハノーバーのホテルは取れずツェレ⇔ハノーバーを往復。ツェレは昔来たことがあったのを思い出した。小さな小さな美しい町だった。
小さい子を置いての海外出張だったので皆心配してくれた。ホテルに子供からのファックスが来た時はうれしかった。かえってくるとやはり母親のいないストレスか、手に湿疹ができていた。夫が散髪して「どんぐり頭」になっていた。可愛い。
1996年春アメリカサイパン子連れで初の海外旅行。近いところを優先して選ぶ。成田から3時間。ホテルにプールもあり、またビーチも近かったので子供は喜んでいた。
ガイドさんが年配の方で太平洋戦争の時の話などもしてくれた。美しい青い海でおこったとても悲しい話だった。来てよかった。
1993年秋香港香港会社のUさん、Kさんとご一緒に。半日観光であやしいみやげ物屋にあちこち連れていかれた。ガイドも怪しい兄ちゃんだった。まあそれはそれで良かった。GIORDANOというBENETONみたいなラインナップの店でたくさん服を買った。
1993年春ネパールカトマンドゥ、ポカラ会社の同僚Yさんも一緒にヒマラヤトレッキングツアーに。
カトマンドゥは今までに体験したことのない環境。誇りっぽい街を車、バイク、牛も一緒に走る(歩く)。寺院、王宮など写真の被写体には困らない。山もポーターがつき荷物も持ってくれるがもともと山向きではない私には本当につらい旅であった。ほぼ最終に近いポカラで突然腹痛に見舞われ下痢に襲われる。長い間トイレにすんでいた。幸運にも同じツアーに神戸薬科大の医局のTさんがおられおなかに効く薬をくださった。それでどうにか帰ってきたようなものだ。
ツアーの参加者のほとんどが下痢に見舞われていて中には赤痢の人もいた。東京に戻ってきてから、保健所から電話があり、赤痢の人がでたので「検便」提出とのこと。私は無事であった。
夫の友達のバサンタ、フォスターチャイルド(月々一定の金額をフォスタープランという団体を通じて援助し、養子という形になっている)にも会った。
1992年夏インドネシアバリ島(ウブドゥ、ヌサドゥア、クタ)初めて接するヒンディー文化。原色の鮮やかさが今も目に焼きついている。2002年秋のテロの標的になるとは。この美しい島には何の罪もない。
1992年春タイ、シンガポール、マレーシアマレー半島縦断鉄道の旅。バンコック〜ペナン〜クアラルンプール〜シンガポールを列車内もしくはホテルで宿泊し、途中下車で観光もしながら旅する楽しいものだった。外は暑く、列車内・ホテルは寒く体温調節が大変だった。この旅でお知り合いになった方々は今も年賀状の交換をしている。最終のシンガポールでシンディと再会。残念ながらその後音信不通。
1990年春ニュージーランドクライストチャーチ、マウントクック、クィーンズランド新婚旅行だった。季節は逆で晩秋。天気が本当に悪く3泊もしたマウントクックでは何もすることがなく、私は本当にふてくされていた。クィーンズランドは紅葉が美しい町だった。
1989年夏ベルギー、フランス、スイスブラッセル、ブルージュ、
パリ、ロワール川ツアー、
ジュネーブ、モントルー、インターラーケン、ユングフラウ、ルッツェルン、チューリッヒ
会社の同僚と旅行。少しフランス語を勉強していたので、ほんの少しだけれど食事のときなど通じるのがとてもうれしかった。(今は忘れてしまってるが。)スイスは天気も良く山歩きも楽しかった。
1988年秋ベルギーブラッセル、ブルージュ、ゲント初の海外出張。当時女性の海外出張というのは本当にめずらしく、ありがたいことに多くの方々に世話をやいていただいた。現地採用の女性のOさんには仕事がらみだけでなくその後空き時間なども本当にお世話になった。毎日おいしい物を食べていた。
1988年夏イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、カナダロンドン、イートン、
パリ、
ミラノ、フィレンツェ、ベネツィア、
ニューヨーク、
ナイアガラ
会社の同僚と旅行。ロンドンでは会社に研修に来ていたイギリス人女性に会う。パリは少しだけフランス語を勉強していたので一度は行ってみたかった。ミラノではTさん宅に泊めていただきフィレンツェ往復、ベネツィア往復と連日忙しく観光していた。夏のヨーロッパはいつまでも遊べて素敵だった。このときはアメリカン航空の世界一周というチケットで行きも帰りもダラス経由だった。
1988年春アメリカニューヨーク、ワシントン会社の同僚と旅行。友人が担当するアメリカの支店も訪問。駐在員のお宅でいろいろご馳走になる。(本当にあつかましい。)ワシントンでは大阪で教えてもらっていた英語の先生に再開。ニューヨークでミュージカルを初体験。"42nd street" "Cats"
1987年秋アメリカハワイ会社の同僚と旅行。この旅行以来一度も行っていないが、素直に楽しかった。もう一度行きたい。
1986年夏フィリピンマニラ、パグサンハン、セブ友人夫婦が駐在していたのでずっと家に泊めてもらった。当時貧富の差が激しく、ストリートチルドレン、町並みを始め色んなものにショックを受けた。みやげ物やがしつこいのに辟易。
1. セブ島の税関の中にもマンドリン売りが入って来ていて「酒か涙かため息か」「荒城の月」などを演奏していた。
2. セブ島のプライベートビーチにいたら海からネックレス売りが入ってきた。
1985年春ドイツ、スイス、オーストリアフランクフルト、ローテンブルグ、ミュンヘン、オッフェンバッハ、ハイデルベルグ、ツェレ、ハンブルグ、リューベック、
ルッツェルン、チューリッヒ、インターラーケン、
インスブルック、ザルツブルグ、ウィーン
会社の同僚と旅行。ペンフレンドの家、海外の駐在員のお宅に泊めてもらい何からなにまでお世話になった。(思い起こせばあつかましい話だ。)
1984年春シンガポールシンガポール、セントーサ島会社の同僚と旅行。ペンフレンドのシンディと会う。とても親切だった。
1981年冬ドイツ、スイス、オーストリアフランクフルト、ローテンブルグ、フュッセン、ミュンヘン、ケルン、オッフェンバッハ、ハイデルベルグ、
ヴィンタードゥーア、
インスブルック
初の海外旅行。ユーレイルパスをフルに使いペンフレンドの家、ユースホステルを泊まり歩いた。豪雪の冬で移動が大変だった。友人宅での暖かいもてなしは今でも忘れられない