木漏れ日のなかで、
少女の名を呼ぶ声がする。
優しく響く声は、
緑の静寂のなかで溶けていく。
は身を潜めて
恋人が近付いてくるのを待っていた。
大事そうにそっと合わせた
手の中には、小さな美しい蝶が
羽を閉じて、じっとしている――。
T
久しぶりに同じ時期に休暇を取る
と地の守護聖が、
何処へ行こうか思案していたとき。
新宇宙の補佐官と、王立研究院の主任が
とてもいい場所があると薦めてくれたのだ。
忙しい日常から遠く離れた、辺境の惑星。
美しい水の星のわずかな陸地は
一面の緑で覆われていた。
名も知られていない、小さな避暑地。
そこは古くから少数民族が森を守り、
自然と共存して暮らしている。
稀少な動植物の観察や、研究をしに
よその星からここを訪れる人間のためだけに
ひっそりと建てられたロッジ。
ルヴァと は、
ひととき翼を休める鳥のようによりそって、
束の間の、二人きりの時間を過ごしていた。
ある朝早く、独り目が覚めた彼女は
傍らに眠るルヴァを起こさないように
そっとシーツから抜け出すと
夜着のまま、テラスから降り立ち
目の前に広がる緑を眺めていた。
ロッジの建物が、森に飲み込まれていないのが
不思議なくらい、周囲にはあらゆる木々が
葉を拡げている。だが、不思議と圧迫感を
覚えないのは、何故なのだろう。
ひんやりとした朝の清浄な空気を身に纏いながら
は、自分がすっかり森の一部に
なってしまったような気がしていた。
ひらり、と眼前を横切る鮮やかな色彩に、
彼女は目を見張る。
見たこともない模様と色の小さな蝶が、
のそばで舞っていた。
「綺麗・・・」
思わず手を伸ばすと、蝶は
いったん彼女の指に止まった。
そしてすぐ離れて、誘うように
森の奥へとはばたいて行く。
は裸足のまま、
蝶を追って深い森に入っていった。
U
ルヴァはまどろみのなかで、
腕の中にいたはずの少女が消えていることに
気付いて、ぼんやりしていた。
開け放たれた窓に目が行かなければ、
しばらく彼はそうして呆けていただろう。
「 ・・・どこですか」
心の奥で、不安が頭をもたげてくる。
彼女を探さなければ。
その姿を、見なければ・・・・・・
今までのことは全て
儚い幻だったように思えてくる。
彼はベッドから起き上がり、衣服をつけると
彼女が降り立ったテラスに出る。
もう一度名を呼ぶ。
答えがない。
「近くには、いないのでしょうか」
が見つめていた緑を、
彼も見つめる。深い、森の奥を。
彼女を捉えて、招き入れたのだろうか――。
ルヴァは、 が
木々の向こうで、自分を
待っているような気がした。
四方に広がる森のどこかで。
微笑みを浮かべている少女が目に浮かぶ。
どちらに行けばいい?ルヴァの歩みは、
自然と少女が消えた方へ向かう。
この腕に、胸に。唇に。
彼女の肌の感触が、残っているうちに。
捕まえたい。
けして夢ではないことを確かめるために。
V
鮮やかな緑。
深い緑。
砂漠の民が憧れてやまない色が
溢れる中を、ルヴァはすこしだけ
早くなった足取りで抜けていく。
朝露に縁取られて、陽光を煌かせ
木の葉が揺れる。
時折、淡い色の花が姿を見せる。
そのたびにルヴァは、花の影に
の姿を重ねて立ち止まった。
この森の中の木や花々は、主星や他惑星では
あまり目にすることが出来ない種類ばかりだ。
稀少な品種の植物だと、ルヴァは思う。
普段ならば、じっくり観察しただろう。
だが今は、そんなことよりも を
見つけることが先だった。
(――私は・・・何をこんなに焦って
いるのでしょうね)
可憐な花びらを見つめているうちに
ふと、ルヴァは自分が可笑しくなった。
(この手の中に、留めておくことなど
できはしないのに)
抱きしめて独占していられるのは、
この短い休暇の間だけ。
それが終われば、また彼女は――。
そう思いながらも、彼女を探す歩みは
止まらない。
「 、どこですか」
少女を呼ぶ声は、森の中に吸い込まれていく。
彼が途方に暮れかけたとき、
すぐそばを、ひらひらと舞う蝶に気付いた。
「これは・・・」
(なんて見事な羽をしているのでしょう)
ルヴァはつい目で追ってしまった。
その先の樹木の陰に、輝く金の髪が見える。
「 ?」
返事の代わりに、クスクスと笑う声がする。
「やっと見つけましたよ。
出ていらっしゃい」
ルヴァは迎えるように手を差し伸べた。
笑いながらそーっと現れた少女は、
「綺麗でしょう?あの蝶々」
と言いながら、彼の手を取ると、
木の根の段差を飛び越えて傍らに降り立つ。
「ごめんなさい。
あの蝶を追っていったら
こんなに深く入ってきてしまったの」
微笑む少女を、ルヴァは眩しそうに見つめた。
「本当に・・・綺麗な羽を持っていましたね」
「ええ。ルヴァさまにも観て欲しくて・・・。
やっと捕まえたんですよ。
でも、いつまで手に止まっていてくれるか
わからなかったから、ここでじっとしてたの」
――ずっと手の中で可哀相だったかな?と続けながら
はルヴァの格好を改めて眺めた。
「ルヴァさま、ターバンが外れそう」
彼は自分の頭に手をやった。
「あー。あわてて巻いてきましたからね」
ちょっと笑って、ルヴァはそのまま布をほどいた。
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