金の曜日の夕刻。
聖地の光の執務室では、首座の守護聖・ジュリアスが難しい表情をして1枚の書類を睨んでいた。
それは女王陛下直々のある命令書なのだが、それがどうにも解せぬと、彼には思えて仕方がなかったのだ。
「陛下は、何ゆえこのようなものを私に・・・」
そこには、花束を用意して欲しいと書かれていた。それも、明日の昼までに女王執務室まで届けるようにと。
「花、ならば、マルセルの方が余程詳しいであろうに・・・」
ひとりごちて息をつく。それでも、女王の命令にジュリアスが逆らえる筈はなく、彼は少し早目に執務室を出て、聖地の公園近くにある花屋に足を運んだ。
色とりどりの、様々な花が並べられている中、ジュリアスはふと、1つの薔薇に目を止めた。ややクリーム色がかった、白い薔薇。上品な形と色合いが最愛の女性を連想させる。
女王であるアンジェリークからの命令書には、花の種類や数量に対する指定はなく、それが余計にジュリアスを困惑させていたのだが、才色兼備の恋人・ロザリアを思わせるその薔薇から目を離せなくなっていた彼は、それを買うことに決めた。
「その、白い薔薇をもらえぬか」
花屋の店員の若い女性は、声をかけられて「いらっしゃいませ」と笑顔で振り向き、そこに立っているのが首座の守護聖だと知るや否や、顔を強張らせて緊張してしまう。
「あ、あの、こ、こちらでよろしゅうございますか」
彼女の緊張振りなどには全く気づかずに、ジュリアスはいつもの厳しい表情のまま頷いた。
「そうだ。・・・それを、花束にしてもらいたい」
「花束に、でございますか。それで、いかほどの大きさにさせていただいたらよろしゅうございますか?」
店員の質問に、ジュリアスはぐっと言葉に詰まる。一体、アンジェリークはこの花束をどうするつもりなのだろう。何に使うのか、どの位の量が必要なのかなどを知らされていないだけに、どうすればよいのかを咄嗟に判断することが出来ない。
とはいえ、このまま黙っていては花束を買うことは出来ないから、思案した後にこう注文した。
「・・・では、今、そこにあるもの全部を。その薔薇以外の部分はそなたに任せる」
「し、承知致しました。暫く、お待ちいただけますか」
店員は更に緊張が増すのを感じながら、バケツに入れてある薔薇を全部抜いた。
今、店内にあるその白薔薇は、40〜50本程で、両手で抱えないと持てない程の量になる。そこに、その白薔薇の雰囲気を損なわないようなグリーンと、少し対照的な青い小花のミスティブルーを加えて、抱え持ってジュリアスに見せた。
「こんな感じで、よろしゅうございますか」
店員が見せてくれた花束は上品な印象で、色合いも雰囲気もジュリアスを納得させた。
「うむ、それで良い。すまぬが、それを明日の朝、私の屋敷まで届けてくれるか。請求書も共に届けてくれればよい」
「承知致しました。では、明日の朝、間違いなくお届けするように致します」
「頼む」
ジュリアスはそう言うと硬い表情のまま店を後にした。
女性の為に花を買うのがこんなにも緊張するものだとは・・・ジュリアスは、かつてない程の脱力感を覚えつつ、館に戻って行ったのだった。
翌朝9時頃に、花屋はきちんとラッピングされた状態の花束を届けてくれた。
ジュリアスは命令書にあった通り、私服で花束を届けるため、宮殿に赴いた。私服で、というのは、今日が土の曜日で本来執務が休みだということを考慮してのものだろう。
女王付きのメイドに用件を告げると、彼は女王執務室に案内された。アンジェリークは普段着のドレス姿でジュリアスを迎えた。
「陛下、仰せの物をお届けに上がりました」
「まあ、ステキな花を選んでくれたわね、ジュリアス。これならピッタリだわ」
アンジェリークはニコニコ笑っているが、花束を受け取ろうとしない。怪訝な表情を浮かべ、ジュリアスは彼女に問いかけた。
「陛下、この花は一体どうなさるおつもりなのですか」
「勿論、プレゼントにするのよ。・・・それから、新たな命令書をお渡しするわね。あ、花束は一旦ここへ置いてちょうだい」
アンジェリークはジュリアスが執務机の上に花束をそっと置くのを見届けてから、書類を1枚手渡し、机の引き出しから1つの封筒を取り出した。
「・・・・・!!陛下、これは、一体・・・」
書類を読んだジュリアスは目を瞠っている。そこには、今日から3日間、ロザリアを伴って下界へ行くようにと記されていたのだ。
「あら、書いてある通りだけど?」
アンジェリークはクスクスと楽しそうに笑っている。そして、彼の前に封筒を差し出した。
「はい、これは私からのプレゼントよ。リゾート地のホテルのチケットが入ってるから、2人でゆっくりしてきて」
「し、しかし陛下、何ゆえこのようなことを・・・」
「あら・・・明日が何の日か、覚えてないの?ジュリアス」
アンジェリークに言われて、ジュリアスは考えた。明日の日の曜日・・・日付は確か・・・。
そう考えてはっとした。そう、確か、明日はロザリアの・・・。
「誕生日、か・・・しまった・・・」
思わず漏れた呟きに、アンジェリークは苦笑した。
「まあ、忘れてたのね、やっぱり。良かったわ、ちゃんと用意しておいて。そして、今日はロザリアとジュリアスが思いを交わして丁度1年目でしょう?これも忘れてるでしょうけど」
ジュリアスには返す言葉がなかった。正にアンジェリークの言う通りだ。思いが通じて1年、というのはともかく、大切な女性の誕生日を忘れていたとは。自分の誕生日にはロザリアにあれこれと気遣ってもらっておいて、彼女の誕生日を忘れてしまっていては恨まれても仕方がないというところだった。
「・・・では、陛下、もしや、この花束は・・・」
「そうよ。これはロザリアの為の物なの。でも、それを言わなくても、ロザリアにピッタリの花を選ぶなんて・・・ふふ」
意味ありげに微笑まれて、ジュリアスはごほん、と咳払いをした。
確かに、ロザリアをイメージして選んだ花だ。それは事実なので否定しようがない。
「陛下・・・」
「・・・この花束をあなたからのプレゼントにして、ロザリアを休暇に誘ってあげて。彼女は私がこんな計画をしてることは知らないから。頼んだわよ、ジュリアス」
最後には悠然と微笑んだアンジェリークに、ジュリアスは軽い溜息をついて苦笑し、頭を垂れた。
「承知致しました。・・・では、陛下のご命令に沿って、3日間、聖地を留守にしますこと、お許し下さい」
「よろしくね」
ジュリアスは封筒を上着のポケットに入れ、花束を抱え直して女王執務室を後にした。
そしてそのまま、ロザリアの元へと向かう。
彼女はこれを見て何と言うだろうか。誕生日も記念日も忘れていた自分を、許してくれるだろうか・・・そんなことを考えながら、ジュリアスはロザリアの私室の扉をノックした。
「はい、どなた?」
「・・・私だ」
ジュリアスがそう告げると、間もなく扉が開かれる。
出て来たロザリアは大きな花束を抱えた彼を見て、目を丸くする。
「ジュリアス?」
「・・・これを、そなたに」
微かにテレたような表情で、ジュリアスは花束を差し出した。
「私に?嬉しいけれど・・・どうして急に?」
「・・・明日は、そなたの誕生日では、なかったか」
「まあ・・・嬉しいわ。覚えていて下さったのね」
幸福そうな微笑みを浮かべるロザリアの弾んだ声に、ジュリアスは心の隅がちくり、と痛んだが、ついさっき、アンジェリークに言われるまで忘れていたことは、この際黙っていることにする。
「・・・そなたをイメージして選んでみたのだが・・・」
「・・・こんな品の良い白薔薇にたとえて下さるなんて・・・ありがとう、ジュリアス」
感激したように薔薇に顔を埋めるロザリアに、ジュリアスの表情も綻んだ。
「そして、陛下からも贈り物を預かった。これから、それを受け取りに出かけるとしよう」
「受け取るには、出かけなければなりませんのね?」
「・・そうだ」
「では、この薔薇を生けたら、参りましょう」
ロザリアはもらった花束を丁寧に花器に生けた。そして、鏡の前で軽く身なりの点検をし、ジュリアスに艶やかに微笑みかける。
「お待たせしましたわ」
「では、行こうか」
「ええ」
2人はそれから3日間の記念日の休暇をゆっくりと楽しんだのだった。
Fin.
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