日付が変わろうとしていたころ外は冬の嵐。Kenjiとも大嵐(苦笑)
他愛のない痴話げんかといえば痴話喧嘩。犬も食わない夫婦喧嘩(照)とはいっても、本人同士は未来をかけての一大事であるのは間違いない。
"真実"と"事実"。同じように思いがちだけと本当は全く違う。きっとこの違いが分かる人は僕と同じくらい屁理屈が好きな人なんでしょうね(笑)
"事実"は二人の間に認知しているできごと。知らなくてもいい"真実"もある。そこが"真実"と"事実"の違いだと思う。"真実"と"事実"が一致していれば、なんの問題は生じることはない。知らないことを知らないままに済ますことできるのであれば、なんの問題はない。また、知っていても一切気にしないほど心の広さがあれば別だのだが、それほど僕の心は広くないので多いに困る。
そんな嵐が起きる予感のある29日の夜、東京からKenjiがやってきた。
僕の頭の中には、今知り得ている"事実"を"真実"との照合をすべきかどうか、迷っていた。そして、その夜、照合してしまった。当然のことながらKenjiは "No" その言葉を発するときのKenjiの目。"真実"を語る目をしていて欲しかったが、残念ながらそうではなかった。
僕の様な仕事をしていると、相手が発する言葉の表面ではなく、いつも「本当は何を言いたいんだろう?"真意"は?"真実"はきちんと表現されているか?」などと思いながら聞いてしまう。目は口ほどにものを言うとはいうが、まさにその瞬間だった。彼の口から"真実"は語られなかった。
結局、29日の夜の問題は一夜明けた昨日まで引きずってしまっていた。
テンションがあがらない、昼過ぎに起きて、ご飯をつくる。本当なら昼過ぎから動き出して買い物行って夕方からはUSJもありかななんて思っていたんだけど。大きな予定変更。
本当なら、こう考えるべき。つまり、"真実"がどうであれ、もう済んだこと。Tooruがそうしていたように、気にしなくていいんだ、Kenjiは僕のところに帰ってくるんだって思うように頑張ったけど、僕はTooruみたいな広い心は持ち得ていない。Tooruと僕との大きな違いがそこにある。僕は何があってもTooruのところにしか戻るところはなかった。それをTooruはそれを確信していた。だから何があっても泰然自若にいつも僕の帰りを待っていた。
じゃ、「何があってもKenjiは僕のところに戻ってきてくれるのだろうか?」
確信が持てない、そう不安。その不安が知らない方がよい"真実"を無理矢理引き出させてしまう。そして"事実"と照合し、その違いを指摘してしまったたときに彼は帰ってこなくなってしまうのではないかという不安がさらに募ってしまう。止めておけばいいのに・・・と心はつぶやく。それでも怒りがその言葉に耳を貸さない。元はといえば僕の器の小ささ。度量のなさがそれをさせる。
ただ一つだけ確実なことがある。それは。"真実"はいつか白日の下にさらされるということである。
そして今日いよいよ日付が変わってしまった。
結局、二人の思いをぶつけ、すべてではないが"真実"を白日の下に晒し"事実"とすることになった。激しく魂がぶつかってしまって、きっと二人とも傷ついてしまった。
それでも今はそのエネルギーがプラスに転じて、事なきをえた。
その後、お互いの肌を重ね、その傷をお互い癒しながら・・やっと仲直り。
今は、僕の大好きなKenjiが真横にいる。そんなことをしていると今は大晦日の午前4時になろうとしている…そろそろ寝ないと、Kenjiの明日が大変になってしまう。
今は、大好きな優しいKenjiに戻ってほっと一安心ってところです。横でこの日記を書くのを眺めています。
Kenjiは明日の正午便で帰京して夕方からは年越しの仕事。その頃僕は父の形見の和服を着て初詣に行っているのでしょう。外食産業に勤める彼。みんなが遊んでいるときは忙しいのが常。彼にしてみたら「せっかく大阪に来たのに…なんだよたけちゃんのむすっとした大人げない態度は!」理不尽さや怒りすら感じていたかもしれない。
この2泊3日の出来事が単につまらん痴話喧嘩で終わるのではなく、これからの僕らの未来に生かされ、そして、Kenjiの心に留まってくれたらいいんだけどとただただ思う。
喧嘩しても「大好きだよ、たけちゃん。」なんだかいつもこの言葉で火を消されてしまうんだけどね(笑)そのときに触れ合う唇が今までの緊張を解いてくれる。
さて、2007年、最後の日記となります。皆さんにとってどんな一年でしたか?絶望の2006年が終わり、そして、2007年。ちょっとした偶然と、ちょっとした勇気と多いなるスケベ心のおかげで、Kenjiと知り合うことができました。
年の割に大人だなという側面と、歳の通り若いな子供だなって思うことが混在するちょっと難易度高めの恋人なんだけど、時折来る嵐をかわしつつ、うまくやっていけるような気が少しだけしてきました。それはKenjiは、単なる恋人じゃないからです。大げさな書き方をすれば、Tooruが逝った後、ただ生きていればいいという心から、また「どきどきする心」を思い出させてくれたのがKenjiです。悩んだり、泣いたり、笑ったり、怒ったりするのも動く心があるから。Kenjiと出会えなければ、心は凍てついたまま、きっと動くことはなかったんだろうな…Kenjiに出会えさせてくれた神様に感謝。そして、偶然と勇気とスケベ心に大きな讃辞を・・・(笑)
2008年がこの「小さな空 〜CORAZONと愉快な仲間たち〜」ご覧頂いている皆さんにとってよい一年でありますことを
Thank you for your everything.
I wish you have a happy new year.
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