June in 2006

30日(金)曇

歯を食いしばって

こんな6月は初めてでしたね。梅雨で鬱々とした気分になったりするのですが、誕生日もあり、それなりに楽しいはずの6月なのですが。

明日、明後日と仕事で、東京には行けません。Tooruは待ってるんだろうな、なんて思ってはいますが、来週の土曜日にまた上京します。

こんなときこそ、歯を食いしばって、自分を見失わないようにしなければ、と思います。

28日(水)曇りっぽい

告知

こんな仕事をしていると、本だとか、偉い先生の話だとかで、いろいろな病気のことを知ってしまったりします。目の前の患者に対して、理論的には、どうすれば良いのかはわかっているつもりなのですが実際、自分の身内のような人を目の前にすると、どうすればいいのかわかりません。

Tooruの病気のことをTooruに対して何をどう話してよいか、わからないです。病名告知、予後告知…。今は、告知の問題に関しては、元気なうちに、本人が決めるべきというのが原則なのですが、今更、意思表示はできなくなってしまっています。今のような「不治の病」に罹っていないときの感情と、罹ってしまってからの感情は違ってしまうだろうし、同じ悪性腫瘍(ガン)であっても、そのときの残っている予後によってその判断は異なってしまうかもしれません。

皮肉なもので、来週、金沢で、うちの新製品の麻薬製剤の説明をしにいかなくてはならなくなりました。治療のための薬ではなく、まさに、その人生の「終末」に使う薬剤です。

Tooruは今、NSAIDs(非ステロイド性消炎鎮痛剤、ロキソニンみたいな薬)で痛みはコントロールできるようです。しかし、さらに癌病巣が広がってしまえば、NSAIDsではコントロールできない可能性もあるようです。

まずは、全身状態が改善することを祈るばかりですが、超えていかなければならない障害がいくつもあるようです。

27日(火)晴

梅雨の中休み

今まで使っていたPowerBook、会社の後輩にあげてしまいました。…で、黒のMacBookを購入。MacBook Proの12inchくらいのがでれば買おうかと思っていたのですが、先日、名古屋に行ったとき、友達とふらっと立ち寄ったMac直営店(栄にあります)に行って、現物を触ってしまったのが、年貢のおさめ時。Apple Storeでカスタマイズして買ってしまいました。

ちょっと大きめな13inch。重さは、PowerBookと同じくらい。しかし、CPUがintelになって、動かないソフトもあったりして、ちょっと余分な出費が嵩んでしまいました。

出費といえば、東京往復&ホテル代も、正直大変だなと思ったりしますが、お金は稼げば済む訳で、お金よりも大切なものがあるはずです。

今日は、そのお礼に、焼肉をご馳走してもらいました。大阪・十三にある請来軒(ちんらいけん)という店です。おいしかったですよ。…コンディション、よければ、もっと食べられたのですが、人並み程度の量しか食べられなかったです…

最近、一人だと、ろくに食べなくなってしまってます。パンを食べたり空腹をごまかして寝ようとしてます。一人だと、いろいろ考えてしまって、夜もあまり眠れなかったりするのですが…意外とぶっ倒れずもってます(苦笑)

25日(日)曇

所在なげに…

今、梅雨の真っ最中。昨日までは晴れていたのに今日は東京も曇り空です。面会時間まですることもなく、macを立ち上げてしまいました。

もう少ししたら、新宿にある王様のアイデアに行って、Tooruの退屈しのぎになるGoodsを買ってきてあげようと思っています。動く左手を動かすことが、リハビリになりますから。

所在なげに過ごす時間。心さえ、行き場を失ってしまいそう。こんなことになって初めて人って、大切なもの、人の存在に気がつくんでしょうね。


今羽田空港です。

新宿を歩いていたらばったりSatoruに会いました。ほんの数秒、話しただけでしたけれど。
Tooruのことは、メールで知らせてあったので
「お見舞い?」
という彼の言葉。

気まずい雰囲気。会いたくなかったって感じの彼の顔。でもね、元気だったら会えるんだって、そんなことを思ってしまいました。

今日のTooruはちょっと辛そうでした。今まで人工呼吸器(補助)を装着していたのですが、完全に自発呼吸に戻していました。まだ、痰を出すのがうまくいかず、1時間おきくらいに痰をとってもらわないといけないのですが、抜管をしなければ、食事もとることはできません。(今は、経鼻栄養)

少しずつ、少しずつ良くなっていっていますが、彼に残された時間はそう長くないという現実があります。


で、帰ってきました。大阪は小雨。

今度の東京行きは、7月8日。今日、病室を出るとき、いつものように手を振るTooru。そして、まだ声は出ないけど、バイバイと口を動かしていました。

24日(土)晴

がんばってますよ

さっき、metoに会ってきました。先週忘れていた自分の誕生日を言えるようになっていました。でも、僕の誕生日は忘れてる(汗)来週までの宿題にしておきました。

熱も下がって、少しずつ良くなっていく反面、骨盤まで広がっているリンパ腫の方は、辛そうです。…ずっと、前から腰が痛いって言ってた。一度でいいから、精密検査を受けていたら、もっと早期に発見できたのに…

meto…恥ずかしがりなので、名前は出さなかったけれど、今日からは、名前を出しますね、「Tooru」っていいます。

夕方、病室を出るとき、先週よりははっきりとした笑顔で、動く左手を大きく振って、“バイバイ”してました。彼は、生きる意思を強く持ってます。奇跡よ起きて欲しい。

23日(金)
雨は上がったけど

残された時間

朝方少し降っていた雨は、お昼にはあがり、梅雨も一休みでしょうか。

雨ならいつかは上がります。

今日、metoのおばさんから電話がありました。今回の肺・脳塞栓症の元になったリンパ腫瘍…悪性だったようです…悪性リンパ腫瘍。

余命3ヶ月。

最初にICUに行ったとき悪性だとは聞いていたのですが、残された時間はあと3ヶ月。体中の力が抜けてしまいました。仕事なんて放り出して、毎日、metoのところに駆けつけたい衝動に駆られるものの、そうすることもできません。

悲しすぎる。神様は、どうしても僕の一番大切な人を連れて行く様です。

21日(水)晴

42歳

明日、22日は42回目の誕生日…法律上は、今日で満42歳。

今日は、おふくろと二人で、ケーキを食べたりしてます。よく食べるんですよ、おふくろ@64歳。でも太っていなくて、血圧も血糖値も正常。きっと僕が生活習慣病に無縁なのは彼女の遺伝なのかなと思います。

ご馳走って訳ではないんだけど、岩手県から夏の「岩牡蠣」を取り寄せて(←これは、おふくろの奢り)、ケーキを買って(←僕が仕事帰りに購入)、思い切り食べました。今月初め、なかった食欲も回復し、体重も回復しています(苦笑)

実家に帰ってくると、まずは仏壇に手を合わせるのが僕の習慣になっています。そして、metoが回復していること、そして、早くご飯が食べれるように…とお願いしてます。

20日(火)晴

久しぶりの出張

四国に出張中。

行きのバスの中、突然の眠気が襲ってきました。到着まで2時間。ちょうど良いかなって思っていたのですが、突然、近くのおじさんの携帯電話の着信音。

安眠を妨げられた怒りから
「携帯(電話)、切らんかい!」
と、怒鳴ってしまいました。

おっさん、逆ギレしてなにか言ってましたが、やっぱり眠くて(笑)しっかり眠ってしまいました。…その後、そのおっさんから寝息が聞こえてきたので、耳元で、着信音鳴らしたろか!なんて思ったけど(笑)

マナーは守りましょう…今日に限って、携帯電話をジャミングする機械を忘れてしまいました…。

19日(月)晴

元彼には適わない

ずっと前からこんな僕のことを慕ってくれていた23歳の子がいました。僕にとってはmetoは恋愛の対象にはならず、家族のようなひと…なのですが、彼にはそれは理解できなかったようです。

「元彼さんを超えることは、僕にはできないから…」

ずっと前から、先週末には久しぶりに会いましょうと言う約束をしていたのですが、metoのことを伝えたあと届いたメールでした。

「またやっちゃった(汗)」という反省。普段からあんまりこういうシチュエーションはなれていないので、どうも歯切れが悪くなってしまいます。metoを超える人なんて、きっと現れないと思います。恋人の関係は終わってしまったから、その別れはもう二度とあり得ません。恋人などという不安定な関係ではないのです。

僕とmetoのそんな関係を理解してくれるような奇特な人って、現れないんでしょうね(苦笑)

18日(日)雨

羽田空港にて

都内で研修があり、上京しました。

昨日と、今日も研修が終わってからmetoの顔を見てきました。

確実には回復しています。僕のくだらない親父ギャグに反応して、笑っていますから(笑)今日はちょっとしんどそうだったけど、昨日は、動く方の足を一生懸命動かして、
「ほら、こっちは大丈夫だよ!」
と言いたそうでしたから…子供みたいでしょ…でも40歳。

今日は、ちょっとしんどそうだったので、寝ていましたが、それでも僕が帰るとき、まだたくさんつながっている点滴の管が抜けないように、手首だけで、バイバイをしていました。

かわいくてたまらないですよ。ほんとうに…いつかまた一緒に歩ける日が来ることを祈ってます。

16日(金)晴

来週は誕生日

来週22日は、42回目の僕の誕生日です。当たり前のように祝ってくれる人がいて、それが永遠に続くような錯覚をしていたことを今更乍ら感じてしまいます。

今年は、京都への出張です。毎年、意地でも誕生日は出張とか入れなかったのですが、そうもいきません。それでも前日は、おふくろが、夏の岩牡蠣をご馳走してくれます。

metoの入院は、全くの「想定外」でした。しかし、いろいろ…本当にいろいろなことを考えます。意外にも、よく思い出すのは、春にさよならしてしまったTakanoriのこと。元気なのかなとか…。

明後日、東京で研修があるので、上京します。明日中に東京に行けばいいのですが、午前中に行ってmetoに会ってこようと思っています。

この日記をご覧になった方から何人か、メールをちょうだいしました。メールをいただいた方、そうでない方、ありがとうございます。僕にとって彼は、弟であり兄であり、家族のような存在です。僕の晩年は、彼と共に生きると決めています。

13日(火)曇

順調

metoのおばさんから今日連絡がありました。

経過が思った以上に順調で、ICUから出ることが出来たそうです。まだ一般病棟ではないのですが、2次治療室というところにうつったそうです。

今度は僕が戻らないと・・(苦笑)

不思議と眠らなくても平気なのですが、先週月曜日の夜から殆ど眠れない夜が続きました。さすがに、まずいと思って、金曜日、診療所へ行き、睡眠導入剤を貰って、眠るようにしていました。

しかし、おとといも昨日も、体は疲れているのに、寝付けない(逆に寝る時間になると目が冴えてきて…)のです。食欲は戻ってきました。昨日、おかんを誘って、焼き肉屋さんに行って鱈腹食べてきました。

ま、そのうち、眠れるようになるでしょ!

11日(日)曇

覚醒

土曜日、本来ならmetoが僕の誕生日を祝ってくれたはずの東京へ向かう飛行機の中、まぶたに浮かぶのは、集中治療室(ICU)のmetoの苦しそうな顔。客室乗務員に泣き顔を見られないようにするのが大変でした。

東京到着後、午後、病院に行きました。定められた面会時間が過ぎてしまっていたので「少しだけ」ということでICUに入れて貰いました…その時、看護師さんから
「少しですが意識も戻ってますよ」
って。

しかし、まだ目も半開き。僕の言うことも何となく分かる程度、それでも、僕のことを、動かない目で、必死に追いかけてきました。僕の手を握るのも弱々しい感じ…それでも、意識が戻ったことが、うれしくてうれしくて、泣きながらmetoの手を握っていました。

夕方の面会時間、もう一度、ICUへ。

そうしたら、昼間の様子とは明らかに異なっていました。僕の言うことは完全に分かるらしく、Yes/Noの意思表示はできるようになっていました。記憶の方もはっきりしていて、1月に一緒に京都に行ったときに買った宮脇賣扇庵の根付けを覚えていました。

これからのこと…リハビリ、そもそもこうなった原因の病気(リンパ腫)…を思うと、安心はできません。でも、彼は生きています。

自発呼吸も戻っていて、今装着している人工呼吸器も段階的に外れるとのこと。お医者さんも驚くほどの回復を見せていました。

神様は、僕の一番大切な人を奪いはしませんでした。

うれしくて、うれしくて…今度は、誰憚る(はばかる)ことなく、泣いてしまいました。

まだ感情が昂ぶっていて、眠りも浅かったんですが、どっと疲れが出てきました。食欲も少し戻った感じです。

命について、幸せについて、考えて考えぬいた1週間が終わり、明日からはいつもの「心」に戻れるかと思います。

9日(金)曇

ICU

metoのおばさんから連絡があり、水曜日の夕方、見舞ってきました。

血栓は肺だけでなく脳にも飛んでしまっていて脳梗塞も合併しているようです。ICU(集中治療室)で、自発呼吸ができず人工呼吸器による呼吸管理、全血輸血+血小板輸血…厳しい状況はなんら変わらず、いつ、急変してもおかしくありません。

月曜日に連絡を受け、恥ずかしながら、火曜日・水曜日は仕事をする気力も湧かず、ずる休みをしてしまったのですが、水曜日に東京に行ってきて、覚悟が出来ました。昨日から一応、普通に会社に行っています。

心から笑えず、夜も眠れないそんな時間が続いていますが、やがて来るその「時」まで、出来る限り「彼」と一緒の時間を過ごしたいと思います。

ただ、諦めたわけではありません。「奇蹟」が起きることを今でも願っています。

6日(火)晴

祈り

虫垂炎の後、お腹に腫瘤が見つかりその切除術を行い入院していたmetoが今、意識不明の重体です。

血栓が出来、それが肺に飛んで「肺塞栓症」意外と多い術後合併症で、当然、対処されていたはずなのですが、詳細は分かりません。入院していた病院から大学病院へ搬送され、今、人工呼吸器で呼吸管理を行っています。

今週がヤマらしいです。

彼のことを思うと涙が止まらないのですが、今は回復を信じて、祈って待つしかないです。

このページをいつも見てくれているみなさん、そして、偶然訪問してくれた方、すこしでよいので、彼の回復を祈って下さい。

僕は、決めて居るんです。僕の人生の最後は彼と一緒に過ごすって。だから、彼はきっと帰ってきます。