昨日3日は母の64回目の誕生日。年取ったなって思うけど、まだまだ車で僕を送り迎えしてくれる元気なおかんです。
東京での会議のさなか、そのおかんから、携帯が鳴りました。
長年、COPD(慢性閉塞性肺疾患:肺胞が硬くなり、自発呼吸ができなくなる病気、炭坑での塵肺、タバコの吸いすぎなどが原因といわれています)で、寝たきりだった叔父が3日の朝、亡くなったとのこと。母ひとりでは、心許ないので、予定を整え、今日は通夜に行ってきました。
あまり親しかったわけではないのですが、一昨年亡くなった父とは、よく将棋をしていた叔父でした。
「おとんと、一緒に将棋してやってね、先に行って、待ってるから」と声をかけてきました。
人の命は儚い(はかない)ものです。どんな人だっていつかは死にます…今日の坊主の当たり前といえば当たり前の言葉…だからこそ、後で後悔するようなことはしたくないと思います。
そして、僕自身いつも思うこと。人の幸せは、今は分からない。その人が、死ぬ瞬間に「幸せかと思えるかどうか」だということ。
だから、今、不幸だと思いこんでる人も、この先どうなるか分からない。その逆も真。
「卑屈にならず、奢らず」
そう生きていきたいと思う。
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