宿 命 と 運 命

ずっと追いかけている谷村新司ですが、今年の秋、一時、活動を休止するようです。そんなことを今年の誕生日に行ったコンサートで、言っていました。そして、そのコンサートのMCで、
宿命(宿る命)と運命(運ぶ命)とについて、彼なりの解釈を語っていました。

細かい内容は忘れてしまったのですが、宿命は、生を受けて以来「宿っている」ものだから誰も変えることはできないが、運命はどういう風に「運ぶ」かは、変えることができるといったものだったと記憶しています。

コンサートを聴いているときは、なんとなくピンとこなかったのですが、この「宿命と運命」という言葉だけが僕の頭の中を反芻しています。

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と、ここまで書いていた矢先、飛び込んできた友達の訃報。それを聞いてから、数日たった訳なのですが、まだ、彼の死を受け入れることを僕の心は拒んでいます。
それでも、昨日までは、
「死んじゃったんだ。」
位にしか思っていなかったのですが、昨日、去年、一緒にフリーマーケットに行った時に撮った彼の写真を見つけてしまいました。
一緒に写真を撮ろうって言ったのに、恥ずかしがって、最後まで「嫌だ」って言われてしまったこととか、新横浜にあるサッカー場(ワールドカップの決勝戦があったところ)であった大声コンテストに一緒に出たことを思い出したり、そして、その時の様子がモニターに映されていたのですが、彼の写真を撮りたくて、そのモニターに映っている彼のはにかんだ笑顔の写真…。

彼が、30代半ばで、死を迎えるのは、宿命だったのでしょうか?
彼がこんなに早く逝ってしまったのは、この世での使命がなかったからでしょうか?
そんなことはありません。少なくとも、僕は、あなたを必要としていた。

見栄っ張りで、強がりで、素直になればよいのに安っぽいプライドがいつもそれを邪魔をする僕が、弱さを見せることが出来た数少ない友達の死…。

宿命だから、運命だから仕方がないことなのでしょうか。

彼だって、精一杯生きていた。僕も、精一杯生きようと思う。でも、こんなに早く、命が終わるのなら、精一杯生きても仕方がないとさえ、思う。

それでも、生きる。活き活きと僕らしく生きる。そうすれば、どれくらい先かわからないけれど、先に逝った彼と再会したときに、笑いあうことができるはずだ。

2003/10/6
CORAZON