生かされている命

生 命

metoの容態が急変して3週間。急性期の危ない状態は回避したもののまだ、どんなアクシデントがあっても不思議ではありません。それに、元々の悪性リンパ腫の状態が予想以上に悪く、余命3ヶ月の宣告を受けてしまいました。

僕にとってmetoはきっと最後の人なんでしょうね。恋人なんていう不安定な関係ではなく、お互いの幸せを心から祈り、励まし合う。一生の中で、こんな人に巡り会うことができた僕は、幸せ者なんでしょう。

でも、神様は、どうしても急いで、彼を僕から奪っていく様です。

この3週間、重い気持ちを抱え乍ら、できるだけ普通に仕事をしていました。でも、頭をよぎるのはmetoの笑顔です。

思い返せばいつも彼は僕の横で笑っていました。大阪に転勤になってからも月に1度、僕に会うのを楽しみにしていてくれたようです。羽田空港の到着ロビーには、身長160cmの彼が、大きな荷物を抱えて待ってくれていました。彼の車を運転して、助手席には彼が座っていました。きっと普段、我慢したんでしょうね。羽田空港から首都高を走らせている間中、喋りまくりでした。

毎日、当たり前のように、暮らしていると、今ある命も「当たり前のように」永遠に続くと錯覚しています。自分自身も、そして、自分の周りにいる人も、永遠に生き続けていくように思っているのかもしれません。そんなことはないのです。人はいつか、死んでしまうということを忘れてしまってます。

宗教を説くつもりもないのですが(どっちかというと、僕は、宗教嫌い)、この3週間、人の命は大きな力に生かされているような気がしています。ならば、metoの命を、なぜこんなに早く奪っていくのでしょうか。

意識が戻っていた日、彼に言いました。
「生きろ!なにがあっても生き続けろ!」
と。

しっかり彼は頷きました。なのに、どうしても彼を僕から奪っていくといくって。

生かされている生命(いのち)。そんなことを思ってしまいました。

最近、よく、おふくろと話をします。

人が幸せかどうかは、人が逝くその瞬間(とき)に「幸せと思えるかどうか」で決まるって。metoは、その瞬間、僕と出会ったことを幸せと思ってくれるのでしょうか。

2006.06.23

CORAZON