お と ん と お か ん

おとん

大阪弁では、親しみを込めて、父親のことをこう呼ぶことがあります。出身は、鹿児島県南部。祖父と祖母が元気な頃は、良く夏休みには「疎開」させられました。
昭和9年9月9日。嘘みたいな誕生日でしょ?嘘らしいです(笑)なにせ、開戦間際の田舎だったから、5月頃生まれたんだけど、忙しい頃を過ぎてから、出生届を出しに行ったらしい。

仕事人間でありながら、仕事は好きではない人。何よりも家族が好きな人。お酒は全く飲まず、会社の人との付き合いも嫌いで、時計より正確に朝出勤をし、夕方帰ってくる人でした。定時だったら、5時30分±5分には帰ってくる彼が、5時40分になっても帰ってこない。家族中そわそわし始めて、6時になって帰ってこないときは、もう、大変。「どこかで交通事故でも?」「え?誘拐?」なんてことを考え出したら、ちょっと不機嫌な様相で帰ってきました。
「急に、会社の組合の集まりがあった。」と。
「電話くらいして!」と家族中のブーイングに怪訝そうな顔をしていました。

子供の頃、僕は病気がちでした。幼稚園の頃、とうとう小児結核に罹患。排菌をしない(結核菌を外にはださず、人にはうつさない)タイプだったので、入院・隔離の必要はなかったのですが、それでも、抗結核薬の注射を週に3度打ちに行く必要がありました。僕は、典型的なわがまま長男坊主。
「オムライス、食べたい〜。オムライス食べさせてくれへんかったら、病院行けへん!」とほざいたことがあるらしい。その頃、病院近くの洋食屋で、オムライスは250円くらい。父親の給料の手取りが40000円ちょっとだったらしく、親子二人で食べることはできなかったらしいです。そこで、オムライスを一つ頼み、それを僕に食べさせ、「美味しいか?それ食べたら、病院行こな。」と言っていたらしいです。今でも、オムライスが好きな僕。それも、ハイカラなデミグラソースが掛かったのではなく、ケチャップのこてこてのが、大好きなのです。

今は、妹の子供の成長だけが楽しみなのかもしれません。優しいだけが取り柄の彼。なかなか僕も照れくさくて、有り難うとも言えないのですが、大人になって、やっと彼の生き方が判る様になってきました。

おかん

同じく、母親のことです。時々、このHPにも登場する彼女は、宮崎県のえびの高原の近くが出身。(だから僕は九州人の純血なのですよ)意外にもスポーツウーマンで、県のジュニア国体の選手だったことがあるらしく、それが、彼女の自慢だったらしいです。僕が、小学校、中学校とバレーボールをやったのも、彼女の影響です。激情派で涙もろく、人情に厚く、嘘が付けない。外見も、性格も僕はどうやら、彼女に似ているらしい(笑)以前、会社の後輩が僕の家に遊びに来たとき、
「○さん、何で、女装してるんですか!!」
って部屋に飾っているおかんの写真を見て大笑いをしてしまいました。

中学の頃、春の陸上競技会で、200M走で、陸上部の連中に混じって2位になって、症状を貰ったことがあるのですが、それがひどくうれしかったらしく、今でも、賞状は実家に飾ってあります。

おかんは、生まれながらの貧乏性なのか、今でも、ちょこちょこ仕事をしています。50歳の頃、給食センターみたいなところで働いていて、調理師の資格を取ると、給料が上がるというので一念発起。見事、資格を取得したという、典型的な大阪のおばちゃんではあるのですが、普通のおばちゃんではありません。(笑)

意外と器用で、家庭菜園もやっていたり。彼女が作ったトマトは、今人気の、フルーツトマトも真っ青になるくらいに旨い。スイカも絶品だった記憶があります。実家では梅干し・漬け物・らっきょうは買ったことがありません。全て彼女の手作り。今でも、彼女には頭が上がりません。きっと、しっかり、マザコンなんでしょうね@僕(笑)

二人とも、今では、いいおじいちゃんとおばあちゃん。親不孝者の長男には早々と見切りを付けて、妹夫婦と仲良く、一粒種の孫を猫かわいがりをしています。…傍目には、そんなに猫かわいがりしちゃうと、甥っ子の性格ゆがんでしまうで、と密かに心配しているのですが(笑)

普段、言えない「ありがとう」を、ここで…

2002/12/16