忘れ得ぬ思い出 ・・・1
小さいころの記憶で、最年少の思い出ってなんでしょう。
僕は、3歳のころのお葬式。僕のことを実の孫のように可愛がってくれた社宅の隣の村上のおばあちゃんのお葬式。両親とお葬式に行って、見よう見まねで焼香をしようとしたとき、みんなが泣いているのに気が付きました。
おばあちゃんが亡くなったことは理解できず、それよりも、いつも笑顔の大人達が泣いているのがよほど不不思議だったのでしょう。
「ママ、どうしてみんな泣いているの?」
そのときの母の答えは覚えていません。ただ、困ったような、優しい笑顔だけが記憶にあります。

また、僕は就学前に病気がちだったせいもあって、外で遊ぶよりも家で本を読んでいる方が好きなこどもでした。(今とは正反対??)でも、好きなのは自転車に乗ること。今から思えば家の近所なんだけど、ちょっと遠くまで、自転車に乗って「探検」に行くのが大好きでした。その自転車なんですが。

補助輪(「こま」と呼んでいました)がなかなかとれなくて、小学校2年生まで確か、補助輪を着けた自転車に乗っていました。2歳年下の妹はお転婆で、僕よりも早く、小学校に上がるとまもなく、いわゆる「こまなし」(補助輪なし)で颯爽と自転車に乗っていました。兄としての沽券に関わったのでしょう。(笑)父に自転車の補助輪をはずしてもらって、一緒に練習。しかし、うまくいかない。汗まみれになって、膝小僧を擦り剥いても親子努力して乗れるように・・・というのが美談なんでしょうが、あかんたれで甘えん坊だった僕は、さっさと弱音を吐いてしまって、父親にもあきれられる始末。(笑)妹はがんがん補助輪なしを載っているのに、僕は恥ずかしながら、まだまだ、補助輪をはずせず自転車に乗っていました。

ほんと1ヶ月も経たないうちに、自転車に乗っていると補助輪が地面につかずに乗っていることに気が付きました。「こまなしで大丈夫かもしれない。」と思って、またまた、仕事から帰ってきた父に懇願。
「こまはずして!」
「ほんまに大丈夫か?また、乗れなくて、こま、つけなおさなあかんのとちゃうか?」と父の声。
「大丈夫」と言い返す自信もなく黙っていると、父は手早く補助輪をはずしてくれました。おそるおそるあこがれのこまなし自転車に乗ってみると・・
やったぁ!のれた!!と心の中でガッツポーズ。
そのときの父の反応。覚えていません(笑)喜んでいたのでしょうか?

さて、もう一つ。野球のグローブを買ってくれたこと。小学校の低学年のころだったと思います。グローブ欲しいとねだった記憶はないのですが、母親がスポーツショップに連れていってくれて、買ってくれました。5000円しなかったと思うのですが。堅くて、扱いにくいグローブ。でも、宝物でした。どこからか、父はもう一つのグローブを出してきて夕方キャッチボール。何球、投げたのでしょうか・・・。もうすぐ日が落ちる夕暮れ。ほんの数分間のキャッチボール。遊んでくれた父の顔は覚えていませんが、幼きころの忘れ得ぬ思い出。