きざはし
夢追えば

今、僕は普通の会社に勤め、普通のサラリーマンをしています。そんな僕にも人並みに夢があった時期があったかもしれません。学校の先生だったかな?お医者さんかな?歌手だったけ?バレーボールの選手?そんなことを考えていた時期もあったような気がします。

大きくなったら何になりたい?

一番わかりやすいのはプロ野球選手でしょうか?プロ野球選手は、子供の頃のその夢をひたすら追いかけていたひとが多いのでしょうか?金に目が眩んだ人もいるかな(笑)しかし、お金の魅力だけでは、高校の野球部のときの、あの砂を噛むような練習を耐えることは出来ないのだろうと思います。

僕はどうして、夢を追わなかったのでしょう?そうでもないのです。好きなことをやっているのです。今の仕事。今の薬業界に身を置くきっかけになったのは、高校のときに習った化学(有機化学)と生物が面白かったため。当時、兎角、憶えることが多い有機化学は嫌われましたが、理論通りに反応が進む化学と生物の不思議が楽しく、もう少しこの有機化学を勉強してみたいと思ったのが始まりでした。大学の志望を理学部か薬学部という選択があったのですが、
「将来、きっと薬学部の方がつぶしが利く」
という現実的な思考から薬学部を選択しました。企業に入り、高い志望とは別に始めた仕事はMRといっても、営業職。何だか自分に向いていないと思いながら10年間。しかし、この10年間の経験は宝物のような10年でした。そしてその経験は無駄ではなく、今はそのMRを教育する学術職。MRは、年齢や入社年次こそ様々ですが、今の仕事は、天職だとさえ思います。とすると、子供の頃に夢見ていた学校の先生と通じるところもあり、遠回りもしたし、かなり範疇も違うのですが。教育職という意味では同じ。今の仕事が好きという点では、僕は幸せなのかもしれません。

スポーツや芸術で生業(なりわい)をたてている人はプロ野球選手で例えたとおり、夢を追っている人なのかもしれません。そういう風に成功する人はごく一握りなのかもしれませんが、そんな大きい夢ならずとも、夢を追い続ける人、そんなひとが僕は大好きです。少し遠くを見ながら、夢を語っている男の人の姿は素敵だと思います。

どうしてだろう?そこにはやはり自分自身の後悔が有るのだと思います。

子供の頃は絶えず親(特に母親)の顔色を伺い、彼女の悲しむ顔を見たくないそんなずるい子供でした。彼女は、長男の教育だけが生き甲斐のような人でした。僕もそんなことは十分わかっていましたから、その妨げになる選択は本能的に棄却していたのかもしれません。もう少し勇気を持って夢を追ったら、僕の人生が違っていたかもしれない、ってそう思うのです。でも、そんな僕の今までの生き様ですが、別にいやでもなく、好きですよ。当たり前ですから。

夢は叶うか?

叶うものは夢ではないと言った人がいます。まさにその通り。叶わないから夢なのです。野球の選手になりたいと思って、プロの選手になったことで夢が叶った(と思う)と思う人はそれで進歩が終わりなのでしょう。一流になりたい、という夢。大リーグでやりたい、という夢。
前へ、前へ。そう、夢は果てしないのです。

夢追い人へ

「夢を捨てることは、いつでも出来る。が、きっといつか後悔する。」
例え、何が起ころうとも、君が強い気持ちを持ち続け、ひとみが燃ゆる限り自ずと道はひらける。そして、僕は、階(きざはし)となる。