The Best Birthday

実家は、狭い団地に親子4人だから、自分の部屋もなく、廊下の端っこに作られた1.5畳ほどの勉強スペースでいつも過ごしていました。プライバシーなんてあるわけがなく、ふすま一枚向こうには、いつも家族の声がするという家でした。それでも、陽気な母の声がいつも聞こえていたあのころの実家は大好きでした。

そして、高校を卒業し、大学進学。そこで始めた生まれて初めての一人暮らし。実家にいた頃から家庭料理は得意だったので、当然、一人暮らしを始めても自炊を始めたのですが、一人暮らしを始めたとき、その部屋にはテレビもなく、静寂に包まれてしまいました。一人で食べる食事は、果てしなく寂しく、最初の食事の日は、泣きながら食べたのを覚えています。そんな寂しさから始まった大学生活だったのですが…。

それでも部活動(コーラス部だったんですよ)を始めて、人並みの学生生活を送り、女の子ともつきあったりして…でも、自分がゲイであるということに気づいて、その子とも別れ、迎えた22回目の誕生日。

高校までは、家族と過ごし、大学に入ってからも、恋人(女の子とでしたが)と過ごしていたのですが、その22回目の誕生日は、運悪く、日曜日。友達も、捕まらなければ、部活もない。テレビをみていてもつまらなく、所在なげに何もせず、電気もつけずに、ふて寝をしながら、下宿(アパート)にいたのを覚えています。

とすると、ドアを叩く音と
「先輩!何してるんですか?部屋の電気もつけずに!」
という聞き慣れた後輩の声。そして、示し合わせたのでしょうか、順番に、クラブの後輩達が、三々五々、飲み物とか、ケーキとか、お菓子とか。

アパートの僕の部屋は、荷物がいっぱいあって、そこに万年出しっぱなしのテーブル代わりのコタツ。そんなところに10人以上の人が集まったと思います。近所迷惑を顧みず、翌日、朝から講義があるのも、顧みず(笑)朝まで、うだうだと話したのだと思います。

残ったのは、食べ散らかした残骸と、ゴミ。そして、とても素敵な22回目の誕生日の思い出でした。

2003年6月23日