久しぶりのプチふるさと(2011・佐原の大祭)   

2011年7月17日



☆久しぶりのプチふるさと   
さて、今週末も資格試験勉強中なのであるが、 相変わらず頭の悪い当サイトは過去問の正答率が推定合格基準点に達しておらず、大苦戦中。 いつも苦手な法規でも苦戦なのだが、とくに今回の試験は流体分野が必須科目に入っていて、 これが当サイトにとってのくせ者。当サイト管理人は大学時代には化学が専門分野だったので流体力学は選択科目。 で...当サイトは別科目で単位を取ってしまったので、この分野の知識が全く無いのである。

そんなわけで、ナビエ・ストークス方程式とかレイノルズ数とか言われても名前位しか知らない段階からの勉強開始。 ゼロからの勉強というのは試験日までの日程が限られている資格試験では時間的に大変なのだ。 (1問解くのに習ったことがある分野の倍以上の時間がかかった。)

そんな中で、当サイトの第二の故郷・成田に帰って来たのはありがたいことで、 今回は近場のお祭りで夕刻から息抜きする事にした。 (本当は夕刻までに過去問を1年分解けたらご褒美としてお祭りに行く事にしていたのだけれど、 正直言うとまだ1科目終わってない。相変わらずのダメ人間ですなぁ。)

ともあれ、7/15〜7/17はお隣の香取市佐原で有名な「江戸まさり・佐原の大祭」の開催日。 「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり。」とまで言われた関東三大山車祭りの一つ。 当サイトも自信を持ってお勧めできるお祭りである。 お祭りからあまり間が開くのも何なので、今回は息抜きお祭りネタにしてみた。

☆昼も良いが、その風情、夜が特にお勧め。   
と言うわけで、今回は事情により自家用車が使えなかったので夕刻6時頃より電車で佐原に出かけた。 資格試験の事情もあるが、当サイトお勧めは夜の風情だからである。 (自家用車使用不可とは言っても免停喰ったわけではないので、念のため。)

夏祭りは佐原駅より少々離れた本宿側で行われるので、 忠敬橋方面へ歩いて行く。 すると、だんだんと佐原囃子が聞こえるようになってきた。 この佐原の大祭、山車の提灯風情が当サイト的に大好きで、 昼も良いが夜はさらに良い息抜きになる。 佐原囃子は山車の提灯のまったり感とよく似合うよね。

八日市場の鯉山車。
稲わらで鱗まで一つ一つ丁寧に手作りで作られた鯉は、風情があってとても癒される。

山車は忠敬橋の近くの通りに集まってくるが、 当サイト的におもしろかったのは(お祭りの話からはちょっと外れるけれど)この忠敬橋に掲げられていた橋の標識だ。 ここ佐原は伊能忠敬の故郷だから、当然「ただたかばし」と読むのかと思っていたら、 忠敬橋の道路標識の添え字が「Chukei Bri.」になっていた。 つまり、ここ佐原では忠敬を「ただたか」ではなく、親しみを込めて「ちゅうけい」と読む慣習になっているのだ。

余談だけれど、伊能忠敬と言うと日本初の精密地図を測量した人物として知られているが、 本人最大の興味は地図の作成ではなく地球の大きさを知りたかった事だとか。 地図作成は日本全国を測量するお墨付きを徳川幕府から得るためのものであり、 本人が一番知りたかったのは「地球の大きさってどれ位なの?」という極めてサイエンス的な興味。 その結果、最終的に導き出された地球の大きさはハイテク技術を駆使した現代の測量値と比べても0.1%程度の誤差しかないという、 当時の科学技術水準を考えれば信じられないほどの高精度だったのだそうだ。さすが天才というほかない素晴らしい業績である。

ちなみに、江戸時代末期に日本を植民地にしようと考えていたヨーロッパ諸国は徳川幕府の許可無く日本各地を勝手に測量していた。 だが、これを恐れた幕府が測量をやめさせるために伊能忠敬の作った地図をイギリスなどに差し出したという。 当時の日本は技術的にヨーロッパ諸国よりもずっと遅れており、ヨーロッパ諸国は日本の植民地化を狙っていた。 しかし、この伊能忠敬の地図があまりにも正確だったため日本は見た目以上に高い技術水準を持っていると再考し、 その結果日本が植民地化を免れた要因の一つとなったという説もあるそうだ。

夕刻からの観光なので、だんだんと暗くなってきた。
そして、最後には天鈿女命の山車の後ろにお月様が...

☆東日本大震災復興に向けての力強い意思表明。   
閑話休題。 到着後30分ほどで周囲は完全に夜景。 しかし、お祭り客はかなり多くて山車のメインストリートは震災後とは思えないかなりの混雑。 もちろん例年よりは若干少ない人数ではあろうが、 震災の影響で東日本の観光地はガラガラという状況が多い中、嬉しい事に佐原は結構健闘している様子である。

もちろん、一部地震の被害はまだ残っていて、原発事故があまりにも酷い状況なのであまり報道されていないが 佐原の場合は液状化現象の被害がかなり大きかった。 復旧はある程度進んではいるようだが、未だに石組みの階段にギャップがあったり屋根瓦が落下して修理待ちだったり。 一番被害の酷かったところは祭りのメイン会場ではないので行っていないが、 記録を見る限りでは小野川下流の利根川との合流点近くが特に酷く100戸以上が全半壊。 当日は液状化で側方流動が発生し、小野川がほとんど埋まってしまったそうである。 このため、小野川周囲の河岸を巡る山車は佐原の大祭の見せ所ではあるが、 今回は小野川周囲は安全性確保の意味で残念ながら山車が巡れなかった。

そんなわけで、震災当初は今年の祭り開催は「中止もやむを得ない。」と言われていたそうである。 だが、ここまで盛り上がるまでの復帰を成し遂げたのも震災復興の熱意の表れに他ならない。 各地のお祭りが震災の関係で中止になる中で、あえて震災復興への強い意志を込めて開催したわけだ。 山車にも「東日本大震災復興祈願祇園祭」の札が掲げられていて、震災復興の意味でもお祭りの盛り上がりは必須項目であろう。 当サイトでもここはあえて震災関係の写真は一切掲載しないで、お祭りの風情のみを掲載したいと思う。

佐原は石岡と並ぶ山車文化圏の中心地。
夜は派手な動きの写真撮影が難いから「のの字回し」の写真がうまく撮影できなかったのが残念。

ちなみに、佐原の山車祭りは北総地方では山車文化圏の2大拠点の一つになっていて、 石岡系と並ぶ本流である。 成田は歌舞伎界や相撲界との縁が深いため佐原系と江戸系の複合になっているが、 それ以外の佐原周囲のお祭りは佐原と同系列の山車である場合がほとんど。

当サイトは過去に潮来や下総神崎、行方の山車も見に行ったが確かにほとんどが佐原系の山車であった。 これが、鉾田や江戸崎といった石岡との中間地点になると石岡系の山車やお囃子も入ったりしてきて、 地理的要因が如実に感じられる。 つまり、江戸時代には佐原は石岡と並ぶ地域文化圏の中心地になっていたのだ。 復興への力強い意志も、これならば納得である。

佐原の山車祭り最大の見所は?
いろいろな意見がありますが、当サイトの感覚では「夜景の美しさ」ですね。

と言うわけで、久々の佐原の大祭見物。 当サイトは北総地域の居住が実家での居住とほぼ同程度になって来ており、 第二の故郷と言っても良い状況。 秋葉原が遠くPCパーツの買い物が若干不便という問題はあるが、田んぼにも雑木林にも、そしてもちろんお祭りにも ゆったりした癒しが感じられて住みやすい。

仕事の研究がなかなか進捗しなくても、資格試験の勉強が遅れに遅れても、 この癒しがあれば何とかなりそうな前向きな気分になれるのであった。 (あれほどの液状化現象を克服してお祭りを開催しているわけだし、癒し効果だけではなくこの不屈の精神に学べるところもある。)

佐原の大祭は10/7〜10/9に秋祭りも実施される予定。 お祭り見物は東日本大震災復興への「応援たび」にもなる。 (当サイトも佐原で夕食を食べたりお土産買ったりして、少しだけ復興支援に加わっているはず。)

佐原の大祭は秋祭りも何度か行っており、当サイトも自信を持ってお勧めできる良いお祭りである。 興味のある方は秋祭りにもご期待頂きたい。 震災復興の意味も込めて、当サイトは秋にも行く予定である。