PCは期待感が命綱。   

2010年5月15日



☆知立まつりは笑いあり涙あり。   
まずはいつもの余談から。

このGWはあまり余裕のないスケジュールの帰省だったので、 GWとは言っても遊びに行ったのは1日だけ。 帰省先の地元愛知県で知立まつりを見物しに出かけた。

この知立まつり、1年おきに本祭と間祭が行われるのだが今年は本祭。 しかも、からくり山車の演目に約90年ぶりに「平治合戦」が復活するのだそうで、 ちょっと無理をして行ってきた。

山車は5台で、午後2時に知立神社にすべてが集まる。 到着した時間帯にはラストの2台が神社に集合中だった。

山車が知立神社に集まる。
神社の前には自動車道の高架があるが、高架下の道は高さが低くて山車が横断できないので
一度高架に上ってからUターンして反対車線側に入って下りる。

山車が5台全部集合すると、それぞれ文楽やからくり人形劇を演じて奉納する。 まず最初の演目は本町の「二人三番叟」

この演目の見所はユーモア。 黒子が操る人形が舞いを奉納するわけだが、激しい舞いに疲れた舞手(写真では左側の舞手)が 時々舞いをサボってしまうのだ。

本町の演目は二人三番叟。ユーモアたっぷりの笑える内容。
最初は一生懸命舞って舞いを奉納しているのだけれど...(左図)
途中、疲れた舞手はパタパタと扇で顔を煽りながらこっそり舞いをサボっている。(右図)

この文楽、人形の表情の表現が絶妙で、特に眉毛の動きが卓越している。 左図の左の人形をみると眉毛が立っていてやる気満々の表情なのだけれど、 右図だと眉毛が寝ていてサボっている気合いの無さが表情に見事に表現されている。 「ふ〜、疲れたね〜。ちょっとサボっちゃえ。」という感じが 顔の表情の変化と扇を自分の顔に向かってあおぐ仕草で絶妙に表現されていて、 ユーモアたっぷりなのだ。

で...鈴だけ鳴らして音でごまかしながら舞いをサボっているわけだが、最後はバレて大慌て。 ラストには真面目な表情をした右側の人形もちょっぴり舞いをサボってしまうと言うオチまであって、 ストーリーとしてもよく練られている。

飛び去ったり、ぶん投げたり...
天狗が牛若丸を連れて飛び去る。(左図) 喜平次が清盛の部下を投げ捨てる。(右図)

で二番手はからくり山車。90年ぶりに復活の演目は西町の「平治合戦」

教養のない当サイトは古語が一部不明なのでストーリーが間違っている可能性があるけれど、 このからくり山車の演目は平清盛率いる追っ手から牛若丸が 天狗の助けを借りて逃れるというものらしい。

強力家臣(たしか喜平次だったと思う。)の助けを借りて追っ手から逃げていた牛若丸。 けれど、平清盛配下の隠し目付に見つけられてしまう。 で...牛若丸が死を覚悟すると...(浄瑠璃調で)「不思議や、一天にわかにかき曇り〜」 突如天狗が現れ虚空の彼方へ助け去ってしまう。 「さすがの清盛、びっくり仰天〜。」

見所は天狗が牛若丸の人形をからくり動作で本当にキャッチしてつり上げてしまうシーン (牛若丸の人形が本当に取り付けられている棒から外れて天狗の人形に吊り上げられる。) とか、強力家臣が清盛の部下をつかみ上げて振り回したあげくにぶん投げるシーン。 (からくり操作で本当に悪役の人形がつかみ上げられたあげくに投げ捨てられる。)

からくり山車は90年ぶりの演目「平治合戦」
最後はからくり人形が一瞬にして...

最後は牛若丸の家臣と平清盛の人形が写真の通り一瞬にして変形して終わりとなった。

凄いなと思ったのは、天狗が棒に付けられておらず糸で吊されて操作されていたこと。 空を飛ぶ天狗を表現しているのだから棒に取り付ける訳にはいかないのだろうけれど、 これによりからくり操作はかなり難しくなるハズ。 糸を介したからくり操作で牛若丸を吊り上げたりするのは、 操作に失敗する可能性も高く大変だと思う。

3つ目の演目は宝町の「傾城阿波鳴門」
山車は全部で5台なので、演目は全部で5種類。

で...三つ目の演目は宝町の「傾城阿波鳴門」。 もうこれはまさに日本文化を凝縮しているみたいな感じで、涙ものの...

...って、もう余談だけで結構な文量になってしまった。 それならもういっそのこと息抜きネタで一息にしようかとも思ったのだけれど、 思い出してみれば前回も息抜きネタだったからね。 (それに、前回のネタは息抜きネタにしては珍しく結構好評だったし...) お祭りマニアサイトならばいざ知らず、 さすがにPCマニアサイトで2回連続息抜きネタはどうかな?と言うわけで...

☆まずはWindows7の簡単な感想から。   
...というわけで本来のPCネタへ。

当サイトはPCマニアサイトだけれど、ソフトの話はほとんど出てこない。 これはマニアといってもいろいろ種類があって、 当サイトは自作系の特にアーキテクチャ系のマニアだから。 内容がアプリやOSの話ならば、仮にコラムが書いてあったとしても わざわざ程度の低い当サイトの内容を見る必要はないだろう。 (ほかに良いサイトがたくさんある。)

事実、OSは結局Windowsをずっと使っている。 ソフト系のマニアならばWindows以外にもいろいろなOSやアプリを試しているハズであるが、 その手間と予算はハードウエア系の方に注いでいるわけだ。

ただ、同じWindows系列でも世代間の違いによって時代の流れを読み取ることも少々できるようだ。

たとえば、当サイトがOSをVistaから7に乗り換えて思ったことが一つある。 それはマイクロソフトがユーザーからの視点に乗り換えつつあるという事である。 自分の進みたい方向性へと強引に引っ張るという手法がVistaの失敗により崩壊し、 これを痛い教訓として学んだのだろう。

どこでそう感じたかというと、それは電源ボタンの初期設定。 Vistaでは初期設定がスリープになっていて、 何も知らないと電源を落としたつもりでもスリープモードになっているだけだったりした。 (起動を早いと感じさせたかったのだと思う。) しかも、当時最大の問題点は初期のVistaではスリープモードの復帰安定性に問題がありながら ゴリ押し状態でスリープを推奨し続けていた事である。

当サイトもVista導入の初期にはスリープからの復帰後に動作が安定せずに多いに苦労した。 これはサービスパックの導入で最終的には問題ない状態になったのであるが、 一度悪評を得てしまうと評価を取り戻すのは難しい。 (当サイト自身は全部パッチを当てた状態のVistaならば 世間で言われているほどには酷くはないと思っているのだけれど... でも、我々PCマニア間でVistaの評価は未だに全然悪いのだよね。)

で...7を導入してみると電源ボタンの初期設定がシャットダウンになっている。 最初は旧PCのアップデートだったから旧OSの設定を引き継いでいるのかと思ったが、 i7-920マシンをゼロから作ってもシャットダウンだったから、そう初期設定されているのだろう。

つまり、これはマイクロソフトが自分の都合でユーザーを誘導するのをやめて、 ユーザーの意見に耳を傾け始めた証拠ではないかと考えているのである。

同様にOSの象徴も変わっている。Vistaの場合は「高機能」であり、7の場合は「軽さ」である。 ビジネスモデルの継続という意味では高機能OSの方が軽いOSよりも高収入を得やすい。 つまり、高機能OSの方がビジネスモデルとしてはありがたいはずであるが、 7では機能よりも軽さに重点を置いている。 個人的には7も思ったよりも軽くないような気もするが、これはおそらく当サイトがVista時代に 頻繁なHDDアクセスを阻止するようにVistaの設定を変えて使っていたからだろう。 (初期設定でのVistaのHDDアクセスは本当に酷かった。)

当サイト自身の意見としては、OS自身はVistaと7で大きく違っている訳ではなく、 7はVistaのマイナーチェンジみたいなものである。だからVistaの段階で 7と同等の状態にアレンジすることはできたのだろうと思う。 だが、一度悪評を受けてしまうと評価を取り戻すのは難しい。 だったらVistaは悪評のままで捨て置いて7で方針を切り替えて評判を取り戻すというのは ビジネスモデルとしては正しい方向性だと思う。

ともあれ、間違った方向性でも強引に誘導すればユーザーはついてくるという 覇者のおごりみたいな状態から脱却したのは素晴らしいことで、素直に誉めておきたい。

☆現在の主流コア数はムーアの法則とは完全に矛盾している。   
同様な方針転換はCPU業界でも起こっている。 GPU混載が新たなトレンドとなり、単純なマルチコア化の進行から脱却しコア数はもはや強調されない。 典型例はネーミングにコア数が使われなくなる事である。

これもきわめて賢明な措置である。 なぜならば、現状アプリのマルチスレッド対応状況ではクアッドコアが 一般PCユーザー向けに普及する可能性はほぼ皆無だからだ。

当サイトの予想にはいろいろな自信度がある。 あんまり自信はないけれど多分そうじゃないかな?というレベルも少なからずある。 だが、「何らかのキラーアプリが出現しない限り、PC用途でのマルチコア化は必ず失敗する。」 という予想は絶対の信頼度を誇る予想である。

というか...マルチコア化はPentium4時代に「3つのウォール」により シングルスレッド性能の向上がストップして、消去法でやむなく行われたものである。 だから、その時代からのムーアの法則の進捗を考えれば現段階ではすべてのPCが クアッドコアになっていてもまだ足りない位である。 「トランジスタ密度は18〜24か月ごとに倍になる。」訳だからね。

つまり、マルチコア化の停滞はすでに予想の段階を通り過ぎて、 事実として確定していると言っても言い過ぎではないだろう。 2010年の段階でも数量的な主流がデュアルコアというのはムーアの法則とは完全に矛盾している。 (メモリコントローラなどCPU以外の部分を取り込むことで何とか吸収しているわけだ。)

ビジネスモデルとして見た場合はコア数を強調しないというのは収益面からはやりたくない方向性である。 いろいろ複雑なコアを作るよりもコアは単純な改良に留めてコア数を増やしていく方が 開発経費は安く開発ボトルネック発生までの持続性もある。

しかし、この方向性から脱却するというのは、ユーザーが単純なマルチコア化の進行を 望んでいるわけではないという市場の意見に耳を傾け始めた証拠でもある。 当サイトは酷評はできればやるべきではないと思っているので、 これも素直に誉めるべき賢明な方針転換だと思う。

☆PCは期待感が命綱。   
といったことを書くのはいつものネタだし、聞き飽きたという読者様も多いだろう。1) だが、勘違いしてもらいたくないのであるが、当サイトはこの流れを誉めているのだ。 そこをご理解いただきたいとして...

実は、マルチコア化の進行の遅れ以上に懸念すべき状況が潜在的に発生し始めているのではないか? というのが今回の本題。 それは、「PCへの期待感の喪失。」である。

考えても見てほしい。マイクロソフトやintelやAMDにとって一番困る状況とは何だろう?  OSの高機能化が進まないことや、マルチコア化の進捗がムーアの法則に全然届かない事ではない。 それは、製品が全く売れなくなることである。 そして、その転換点への潜在的ポテンシャルが高まりつつあるのではないか?と思えるのだ。 なぜならば、最近の注目話題がiPadに象徴されているように、 PCそのものが注目される頻度が相対的に減ってきているからだ。

この問題は我々がなぜx86やWindowsを使うのか?を考えてみればわかる。 それは、それらが優れているからではない。 それらが主流だからである。

主流であることが最大の効能であって、主流であればハードもソフトも まずそれらから適用が始まるという期待感がある。 マイナー製品群だと欲しいアプリが入手できない可能性は高い。

ではWindowsやx86は永遠の主流なのであろうか?

もちろん、ここ数年でこれが逆転してしまう可能性はきわめて低い。 だが、困った兆候もある。 たとえば、「PCなんてWebやメールができれば十分。」という意見が徐々に主流になりつつあることである。 「...ができれば十分。」という意見の背後には、新たな機能に期待しないというネガティブな背景がある。

そして、機能が一定レベルで良いとなると、そもそもOSがWindowsで無ければならないという 最大のメリットが一つ失われてしまう事になる。 さらに、OSがWindows以外でも良いとなると、CPUもx86で無ければまずいという背景も無くなっていく。

そうなると、コストダウンの観点から最終製品を作っているメーカーは、 高収益企業からのパーツやOSの購入を抑えて、廉価(またはフリー)OSや組み込み用の廉価CPUの購入に走ろうとする。

と...ここまで書いた段階で、当サイト以上のレベルのPCマニアならばすぐに気がつくと思う。 「これは過去に膨大な失敗例の山を築いた典型的な誤判断だ。」と。

主流でないものが失敗するというのは、実は勝者であるマイクロソフトやintel自体も経験している。 主流でない分野へ参入した場合のマイクロソフトやintelは意外に多くの敗戦を経験しているからだ。 上記の考えでWindows以外のOSを使った市場が(Apple製品群を例外として)生き残ったことが今まであっただろうか?  いや、存在しない。だから、今でも勝っていること自体が勝つ要因なのだと思う。 だから、少々の価格差だけでは勝てないのだ。

だが、勝っている事自体が勝つ要因ならば、このトレンド転換は一定の閾値を超えると 一気に進むこととなる。 勝つ理由が無くてさえ、閾値を超えると勝ってしまう。 今までが全敗だから今後も全敗かというとそうではない。 負けにもいろいろあって、閾値に全然届かない完敗も閾値ぎりぎりでの惜敗も、 外観上は同じ負けに見えてしまう。

ところが、閾値問題というのは臨界点を超えると津波のように一気に押し寄せるという点が問題だ。 勝っていれば常に完勝だが、負け始めれば一気に完敗となる。 今までがライバル側全敗だからと侮れない点が怖いのだ。

たとえば今注目のiPadはどうだろう?  当サイトの意見は「短期間で見ればiPadは一部のマニア市場にとどまる。 発売当日はバカ売れするだろうが後日一気に失速する。 ただし長期的には同類の製品群とセットでジリジリと普及する。」 と予想している。だから、短期的にはApple製品群はPCの驚異ではないと思っている。

だが長期的に見た場合、PCの潜在ポテンシャルは相対的にジリジリと下がっていくことになる。 そして、ある閾値を超えた段階で一気に崩壊する可能性を秘めている。 一番怖いのは「未だにPCを使っているなんて!」なんて笑われる時代の到来だ。2)

そうならないためにはどうするべきかと言えば、もはや利益率の高い製品群普及なんぞにこだわっている時代ではない。 「PCならばユーザーニーズに何でも対応できる。」とか「PCならば期待のアプリは必ず使える。」という 「主流であること自体のメリット」を生かした期待感がPCの命綱であり、 期待感が無くなれば主流から凋落する。収益逓増の世界では主流からの凋落は、即、市場の崩壊を意味する。

これを阻止する唯一の方法は「...ができれば十分。」という意見が主流にならないように、 何らかのキラーアプリを作り出すこと。 そして、それが発売されるタイミングが常にPC用が最初であることと、 PC用以外でも入手できるアプリは必ずPC用でも入手できること。 (それがマルチコアが生きるアプリであれば一番良いが、 それにこだわっているような時間的猶予は無くなりつつある。)

だから、PC業界はユーザーを自己都合で誘導する方針をやめて、ユーザーの意見を聞くようになってきたのだろう。 自己都合でユーザーの怒りを買うのではなく味方に付けることが期待感の維持には大切であり、 また、キラーアプリ出現を促進する意味でも最重要である。 PCマニアは一般ユーザーよりも売り上げに対する市場規模は小さいだろうが、 「マニアである。」という点において本来味方に付けやすいハズだ。

ユーザーを満足させつつ今後も勝者であり続けるというWIN-WINの関係を築くためには、 「PCに対する期待感。」を維持し、それに応える事こそが最重要課題だと思う。



1)
一部の提灯○○ターは、また顔を真っ赤にしているかもしれませんけどね...

2)
価値観の変化というのは突如やってくる。 たとえば、当サイトがパソコンをいじり始めた頃には、 PCユーザーと言えば「ヲタクの象徴」みたいなものであった。 キーボードを打てればヲタクとバカにされ、 PCマニアであることを隠してひっそりと趣味を楽しむ時代があったのだ。

ところが時代の流れはある日一気に逆転する。 今、PCを使えない若者がいれば、その人は間違いなく就職すらできない。 キーボードを使えなければ就職活動自体ができないわけだし、 逆に勉強不足をバカにされてしまう時代だ。

この二つの時代の狭間には、PCマニアをヲタクとバカにしていた人たちが、 こっそりとキーボードの打ち方やマウスの使い方を練習した日々がどこかに存在したハズである。