「身はこれどぶ川のカワセミ。」を目指す。(2010年年頭挨拶)   

2010年1月5日



☆2009年最後のぶらぶらドライブは田原市。   
皆様、新年あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、まずは今年も余談からという事で、 去年の年末はETCが\1000にならないので、静岡から下道帰省。 国道1号や257号、301号経由は既に走ったので、今回は浜松バイパスから国道23号経由で蒲郡を通って帰省。 同じ道ではおもしろくないので、今回は帰省経路としてもっとも南側を選択。 そして、ぶらぶらドライブを兼ねているので、当然各所でぶらぶらと一休み。 今回の寄り道は少し渥美半島に入った所にある田原市である。

この田原市、半島に入り込んでいるので地政学上は寒村になりがちなポジションだが、 なんせトヨタの大規模な工場があるので町は結構賑わっている様子。 その田原市には町の三河湾側に蔵王山があり、この頂上からの夜景は日本の夜景トップテンにも数えられる景勝地とのこと。 帰省がてらなので行ったのはもちろん昼間だが、それでも行かない手はない。

田原市蔵王山展望台から見下ろす田原市街(左)と工業団地(右)
他にも渥美半島側の農村風景も風情がある。夜景が絶景とのことなので、次回は是非夜景を楽しみたいね。

山に登ってみると、昼間なので夜景ほどの風情は無いが、それでも眺望の良い絶景が広がる。 東はトヨタに代表される工業団地、北は三河湾と対岸の蒲郡、西は風力発電の巨大風車、南は田原市と太平洋。

町には田原城という城跡もあって、写真の銅像の通り渡辺崋山の出身地でもある。 崋山は日本画家として有名であるが田原藩の家老でもあった。 その優れた統治により藩内では天保の大飢饉ですら一人の餓死者も出さなかったそうで、 地元の誇りとして今も慕われているそうだ。

田原城趾と渡辺崋山像。
日本画家として有名だが、田原藩の名家老でもあった。

☆新興住宅街のどぶ川に渓流の宝石を見た2010年の元旦。   
と言うわけで帰省して大晦日。 今年の初詣はどこへ行くかだが... 去年行った関の打ち初め式があまりにも良かったので、 今年もそこに行こうかと思っていた。

ところが、除夜の鐘を聞こうと思って窓を開けると、なんと大量の雪が舞っている。 愛知県は三河の山奥を除けば豪雪地帯ではないのだが、翌日(元旦)は名古屋まで雪景色。 名古屋でこれでは関なんてスタッドレス無しでは到底たどり着けない。

だが静岡出向になった当サイトは去年買ったばかりのブリザック(スタッドレスタイヤ)を装着していなかった。 なぜって、ここ静岡では雪が降っただけで新聞ネタになるくらい雪が降らない地域なのだ。 (まだ出張ベースで静岡に行っていた時にタクシーのドライバーに「ここって冬に雪が積もったことありますか?」 と聞いたら「40年の生涯でたった一度だけですよ。それも薄皮1枚程度。」と言われたことがある。)

と言うわけで関の打ち初め式は断念。元旦〜2日は期せずして引きこもり状態にならざるを得なかった。

しかし、良いこともあった。 せっかくの雪景色を楽しもうと実家の近くをぶらぶらと散歩していたら、 近くの小川(と言っても新興住宅街なのでどぶ川に近い状態)にカモの家族を発見。 「え〜、こんなどぶ川で?」と思っていたら、次の瞬間、美しい青い鳥が枝に飛んできた。 えっ、あれってまさかカワセミ?

いや〜、見間違いではないかとしばし見つめてみるが、あの美しい青い輝きは疑いようがない。 あれは紛れもなく渓流の宝石と言われるカワセミだ。

カワセミと言えば鮎とかが釣れる水のきれいな渓流にしか居ないと思っていただけに、 どぶ川同然のこんな新興住宅街に居るなんてまったく予想もしていなかった。

で...翌日から散歩や買い物の際にはデジカメを持ち歩くようにしたが... カモの親子はなぜか親だけ2羽いたけれど、さすがにカワセミはそうそう都合良く現れてくれるものではなかった。 撮影できれば新春ネタ絶好の掲載写真になると思ったのだけど、大自然の事だけにさすがにね〜。 (何年先になるかわからないが、いつか撮影に成功したら掲載したいと思う。)

ともあれ、元旦早々から渓流の宝石を見られるとは、今年が良い1年となる予兆であればいいんだけどね。

☆品格向上。酷評はなるべく避ける。(ただし、虚報は例外。)   
3日になるとさすがに雪も溶けて路面凍結の心配も減少。 故郷の友人と一緒に初詣に行くことに。

で、頭の悪い当サイトは学問の神様・菅原道真ゆかりの岩津天満宮辺りがよろしかろうと思っていたのだけど、 友人の希望により瀬戸市の雲興寺へ行くことになった。 ここ雲興寺は盗難除けで有名な1384年に開山の古刹である。

車が雲興寺のある赤津に近づくにつれて当サイトの実家周辺では溶けてしまった残雪があちこちに残っている。 ここは猿投山にかなり近く、濃尾平野には珍しくかなり山深い。 お寺に着いてみると、あちらこちらが雪化粧であった。 いやいや、新年らしてく風情があって良いですな。 (運転にはかなり気を遣ってましたけどね。)

今年の初詣は盗難除けで有名な瀬戸の古刹・雲興寺へ。
ここまで来ると結構雪景色が残っていた。

で...たき火に当たって考えるわけだけど、今回は元旦が雪で身動きが取れなかったので 実際はもうほとんど考えていて、実態はフレーズ用の写真ですな。 まっ、こんな感じと言うことで...

今年の「焚き火にあたって考える。」
実態はないけれど、毎年恒例のフレーズと言うことで...

今年考えたのは品格向上。要するに出来うる限り酷評は避けるという点である。

酷評...これは一種の麻薬である。 酷評すれば自分のレベルが上がったかのごとく錯覚することが出来るからだ。

ちなみに、当サイトでは以前から酷評に対して一つの自己基準を設けている。 それは、他のPCマニアサイトに直接リンクを張って酷評することを一切しないという自己基準であった。 (例外は、相手からリンクを張られた場合の反論と、お金を取って我々に情報を売っているプロが虚報を書いた場合。)

これには多くの読者の方々が意外に思われるに違いない。 当サイトではPC雑誌系の提灯記事にはかなり辛口コラムを書くことが多いからである。 しかし、この自己基準に嘘偽りが無い事は過去のコラムが証明している。 当サイトでは自分から他のアマチュアサイトにリンクを張って酷評したことはただの一度も無いのだ。

また、自分と意見が合わない場合で相手に悪意が無い場合はなるべく掲載を我慢するようにしているが、 どうしても書きたい場合はかなり下手に出る事にしている。 たとえば、かなり昔の話だけれどこんなコラムを書いたことがあった。 この時は異論があったので掲載したけれど、これは単に見解の相違であって相手の意見も尊重せねばと思ったのでかなり下手に書いている。 (PCマニアだけに0,1の2進法的対処になりがちで、時に下手に出すぎて慇懃無礼という批判を受けたこともあったが、悪意はないのでお許しを。)

しかし、時に酷評せざるを得ない場合もあった。 それは、読者からお金を取って雑誌を売っているライターが提灯記事を書いた場合である。

お金を取る...それはお金を払って買っている読者に対して対価としての正当な記事内容を与える義務を意味している。 ライターはマスメディアで記事を書いているわけだから、公正客観の立場に立ち、 決して特定業界の意向に沿った記事を書いてはならないからだ。

この場合、メディアを正しい立場に戻そうと思ったら言うべきことは言わなければならない。 そうしなければ提灯記事が跳梁跋扈してメディアが変質してしまうからである。 (お金を払ったことに対する正当な権利である。)

たとえば、「PC用途でマルチコアが効果的になるためには、アプリの対応が不可欠。」 という当サイトの主張は正しい意見である。 しかし、一時期メディアには「これからはコア数が性能指標だ!」と言わんばかりの論調が溢れかえった時代があった。 しかし、デュアルコアならばまだしもクアッドコア以上ではこれは全く成り立たない。

しかも問題は、ちゃんと取材すればアプリのマルチスレッド対応がいかに難しいかは簡単にわかるのに、 あえてこれをあまり報道しなかったことである。1) (今からでも遅くはない。プロとしてのプライドがあるならば公正客観の基本に立ち返って欲しい。) マルチスレッド対応の困難さはPC用CPUベンダーとPCメディア以外はすべて認めていて、 組み込み用プロセッサ企業のように困難に真正面から向き合う姿勢を売り物にしているベンダーもある位である。 PC用CPUベンダーの広報がこれを認めないのは職責上仕方ない面もあるのだろうけれど、メディアは公正客観でなければおかしい。

もちろんシングルスレッド性能向上も非常にハードルが高いから、 「マルチスレッド対応は難易度が高いけれど、ハードルの高さに怯むべきではない。 シングルスレッド性能向上はもはや困難なのだから、困難であっても今後はマルチコアで行くしかないのだ。」 という主張ならば(当サイトとは意見が合わないけれど)当サイトも正当な意見と認める。 現状の高い壁をソフトで突破するべきかハードで突破するべきかは神様にしかわからないからだ。

だが、実際にはこういった主張はほとんど無くて、「これからは爆速のクアッドコアだ。今時あえてデュアルコアを選ぶ理由はない。」 なんて論調が溢れかえったのであった。

ところが...そんな関係で提灯記事に対する反論を書かざるを得ず、 酷評系のコラムが増えた結果、知らず知らずのうちに当サイト自身が酷評依存症になりつつあったようだ。 頭を冷やして考えた結果、 酷評の魔力によってトリ頭系の当サイトがいかにも鋭い洞察力を備えたアルファブロガー(死語?)であるかのような 錯覚に陥りつつあるのではないか?という疑念を感じたのである。

繰り返すが、酷評はある種の麻薬である。 これは掲示板系の書き込みを見れば鏡に映したように誰にも簡単に見えてくる。 掲示板では相手の主張を叩くことに終始する。 叩けば相手より上であるかのような麻薬的錯覚に陥る事が出来るからである。 しかし、これは典型的な錯覚である。 なぜならば、酷評する人々が何か意見を求められても絶対に主張をする事はないからだ。

真に優秀な人材とは何かを主張したり提案したりする事が出来る人物だ。だが、 これはいくつもの反論に耐えられる洞察力が必要で、結果論による酷評とは比較にならない位難易度が高い。 だから酷評しかしない人は自分が叩かれる立場に立ちたくないし、その勇気も能力も無いのである。

要するに結果論で相手を叩くことは仮に叩くことが出来たとしてもサルレベルなのだから、 酷評を続けると言うことは当サイト自身がサルレベルであるという事を自ら証明しているのに等しいのだ。

と言うわけで、今年の目標は酷評はなるべくしないこと。 (提灯ライターが虚報を書いた場合は例外だが...) 当サイト自身の能力を考えれば無謀な目標かもしれないが、 その代わりに「この問題はおそらくこうなる。」と言う予想や、 「その問題点はこうすれば解消できる。」という提案を掲げていくことを目標としてみたい。

今年は元旦が雪景色で、コタツに入りながらこんな事を考えてみたのだけれど、どうだろうか?  仏教では「身はこれ泥中の蓮花。」なんて言葉があるけれど、 今年は「泥中の蓮花」ならぬ「どぶ川のカワセミ」を見たのだから、 どぶ板サイトの当サイトからでもカワセミ級のキラリと光る提案が出てきますように... とお祈りしてみた今年の初詣である。



1)
と言うわけで、マルチスレッド対応の難易度の高さを記事にしているかどうかは、 ライターが提灯ライターか真っ当なライターかを見抜く指標になると当サイトでは考えている。