一般公開見聞録(分子科学研究所編)   

2009年11月3日



☆間を開けすぎないように...   
さて、前回は息抜きネタで一息入れたわけだが、申し訳ないけれど今回もCorei?+Windows7ネタではない。 なぜかというと、前回お祭りに行った際に別の目的で帰省していたから。 それは愛知県岡崎にある分子科学研究所の一般公開見学である。 一般公開ネタは公開日からあまり遅れないように書きたいので、今回はこちらとさせていただいた。

当サイトが静岡勤務となった後に、ここ静岡は一般公開のある研究所が関東よりも大幅に減ったことが気がかりだった。 一般公開ネタが激減してしまうからである。 当サイトはPCマニアサイトであるが、PCの話はアマチュアが趣味で書いている関係上、 話題性は高いが正確度には欠ける欠点がある。 その弱点を補うのが一般公開ネタであり、シロウトながら世界の頂点に近い話を書くことができたのだった。 話題性はあっても正確度に欠ける点を、一般公開ネタで補っていたわけだね。

そこで、一般公開ネタの減少を補うために今回は実家に帰省した際に地元の一般公開を訪ねてみることにした。 その第一陣が分子科学研究所、通称「分子研」である。

分子研は基礎生物学研究所、生理学研究所、国立天文台、核融合科学研究所とともにNINS(自然科学研究機構) の一員であり、このうち分子研と基礎生物学研究所、生理学研究所の3つが愛知県岡崎市にまとまって建てられている。 岡崎の施設はこの3研究所が毎年交代で一般公開を行っており、今年は分子研の順番。

分子研は埼玉県の理化学研究所と並んで化学分野の研究施設としては日本の東西横綱クラスであり、 この分野では東に「理研」あれば西に「分子研」ありと言われたものである。

☆分子化学研究所(岡崎コンファレンスセンター)   
最初に到着したのは岡崎コンファレンスセンター。 まずはポスターセッション的な説明会場へ行ってみたのだが、 時代の流れというのか理論分野ではコンピュータシミュレーションが大きな役割を担っていた。 水やガラスの分子運動に関するシミュレーションなどがそれである。 一般常識で考えればガラスは固体であるが、化学的に見ればむしろ粘性が極限まで高まった液体と考えるべきものである。 ただ、熱力学的にはそうであっても実際の細かい挙動は未解明な部分も多い。 その挙動をコンピュータでシミュレーションすることでガラスの化学的な性質を解明しようとしているわけだ。

当サイト的に興味のあるスパコンについてはコンピュータ自身は一般公開されていなかったのであるが、 化学系のシミュレーションはHPC用途としてはB/F比が低くデータ局所性が比較的効きやすいアルゴリズムを使うことが多いので スカラ型のHPCが使われていた。設備的には富士通製の超高速分子シミュレータが4.1TFLOPS+4.1TFLOPS、 日立製の高性能分子シミュレータが5.4TLOPSの2台体制である。

また、当サイト的におもしろかったのは水の挙動をシミュレーションする事の重要性であった。 水というのは液体としてはもっとも当たり前の存在であるが、じつはその強い水素結合のおかげで 液体としてはかなり特異な挙動を示す。(高校の化学で習いますよね。) そのため、液体としての水の本質というものは意外にも現代科学をもってしても じつはあまりよくわかっていない分野なのである。

そして水単体でも挙動の理論的解明が完全ではないのに、 これをバイオなどに応用しようとすると水とタンパク質の相互作用を考えなくてはならない。 タンパク質は分子が同じでも立体構造で性質がガラリと変わる。 この立体構造を決める要因として溶媒としての水の性質が最重要である。 つまり、研究の難易度は格段に上がるわけだ。

水と言えば過冷却水の実演も行われていた。 過冷却水というのは0℃以下の水。 水は0℃で凍るけれど、水から氷への相転移にはある種の「きっかけ」が必要であり、 意図的にこれを抑制して精製した水をゆっくりひっそりと冷却すると0℃以下の水ができあがる。

もちろんこれは準安定相なので、ちょっとしたきっかけで氷に戻ってしまう。 たとえば器に氷を乗せてそこに過冷却水を上から注ぐと、 氷に触れたとたんに一気に凍っていくという摩訶不思議な現象を見ることができる。 (過冷却水に衝撃を与えても同様な事が起こる。わずかでもいったん氷ができればそれが核となるので次々に凍っていく。)

過冷却水は水としての粘度も極端に高いので、純粋な水であるにもかかわらずまるで 薄めの水飴のような粘りを示すのも興味深い。 一般公開ではお子様連れの家族も参加することが多いので、子供でも楽しめるなかなか上手い実演展示だね。

☆分子化学研究所(明大寺キャンパス)   
ここから明大時キャンパスへ向かうと、今度はビッグサイエンス系の設備を見学する事ができる。 見所はUVSORである。つまり、放射光を利用した極端紫外光研究施設。 放射光利用施設とは、以前ここ でフォトンファクトリーを紹介したことがあるけれど、 これらは要するにシンクロトロンと同じ原理で電子を円周上に加速しながら軌道を曲げるときに接線方向に放射される 光を利用する施設である。

UVSORはUVの名に象徴されるように紫外線領域の波長を主に使うために作られたものである。 放射光施設としてはSPring-8やフォトンファクトリーもあるが、 SPing-8やフォトンファクトリーがX線領域を得意とするのに対し、 より長波長側の紫外光領域を主目的としているのが特徴だ。

放射光利用施設UVSOR
左図は電子ビーム打ち込み用の加速器。左図は蓄積リング用施設。

まず最初に見学したのは電子ビームの打ち込み用加速器。 電子ビームは蓄積リング上で放射光を放射しながら巡回する訳だけど、 放射によって失ったエネルギーは蓄積リング上にも加速器部分があるのでその意味ではエネルギーの補充は蓄積リング上でも可能。 しかし、真空ライン中を巡回するとは言ってもビームを形成する電子の数は徐々に低下していく。 これを蓄積リング上で増やす事はできないので、ビーム強度が一定レベルまで落ちた場合には ここからバンチ(電子の固まり)を打ち出して蓄積リングに送り込むわけである。 要するに電子ビーム打ち込み専用の小型シンクロトロンである。

UVSORの周囲には各種の測定装置が設置されている。
蓄積リングとビームラインの間にある白い壁は遮蔽シールド。

電子ビームが蓄積リングに入ったら後は磁力で電子ビームを曲げて放射光を取り出す。 単に偏向磁石で曲げるだけではなく、アンジュレータといってN極とS極の磁石を交互に並べた装置で 効率的に放射光を取り出す事もできるようになっている。 写真の白い壁の内部に蓄積リングがあり、壁の外側に放射光を取り出す部分がビームライン。 ビームラインは蓄積リングの接線方向に走っている。

両者の境目には写真の通り白い壁がある。これは遮蔽シールドの一種。 UVSORは極端紫外光をメインに利用する設備とは言え、稼働中は弱いながらもX線の類も放射される。 しかし、原子炉等の設備とは違ってビームを止めれば放射も止まるし、 放射光施設では電子ビームの接線方向にしか光が放射されないので天井部分には原理上シールドが必要ない。 つまり、接線方向であるビームライン周囲に張り巡らせれば十分に役に立つわけだね。 (ちなみに、これは中で仕事をする研究者の防護のための設備。 全設備は念のため地下に設置されているので、この防護壁の話に関係なく外部への影響は無い。)

というわけで、蓄積リングは円形に見えるけれど正確には8角形である。 磁石で磁力をかけて電子ビームを曲げる部分以外では電子ビームは直進するわけだからね。

このUVSOR、一般公開では一般人にわかりやすく説明するのにいろいろと苦労があるようだ。 おもしろかったのは、安全性の説明においておもしろい都市伝説の話が語られていたこと。 こういう設備だとレベルの高い研究員の世界でも都市伝説があるのだそうで、 たとえばUVSORの利用者には子供が女の子しか生まれないという噂があるそうだ。

もちろん、これにはまったく科学的根拠があるわけではなく事実でもないのだけれど、 データだけでは人間の不安感というのは取り除けないという心理学的な安心感への理解の重要性を説いているのだろう。

たとえば世界最大の加速器LHCでは「加速器で作られたブラックホールが地球を飲み込む可能性がある。」と 稼働中止を求めて訴訟を起こされている。 この話などは当サイトから見ればジョークでしかないのだけれど、信じがたいことだが訴えている側は本気。 つまり、荒唐無稽な都市伝説も放置すれば風評被害の元になりかねない。 ならばそれを逆用してネタとして笑いを取りながら わかりやすく正しい理解へと導くのは上手い啓蒙方法だと思った。

ちなみに、分子研の方々に当サイトから一つお話をさせていただくと、 同様な都市伝説はマイクロ波工学の世界でもあるんだよね。 強いマイクロ波を扱う研究をしている人には、子供がみんな女の子という都市伝説がある。 これも同様に何の科学的根拠もないのだけれど、その筋の研究者の間では有名な都市伝説である。

さて本題に戻るが、このUVSORではたくさんのビームラインがあって、 用途に合わせて各種の実験装置が接続されている。 特徴としては、長波長側に強い事もあって紫外光だけではなく赤外光や遠赤外光のためのビームラインもあること。 もちろん光電子分光とかの用途が主流ではあるのだけれど、放射光施設で赤外分光系の設備は珍しい。 分子振動や格子振動の研究でも極めて有用な設備である。

このUVSORは稼働開始が1983年。つまりもう20年以上も前の設備なんだけど、 改良に改良を重ねる形で極端紫外光分野では現在でも世界最先端の能力を持つ。 古豪の設備で今でも最先端の研究が行われているのはなかなかだと思った。

☆分子科学研究所(山手キャンパス)   
最後に訪れたのはちょっと離れた場所にある山手キャンパス。 UVSORとは異なり展示内容は研究室毎に内容が別個。 こちらはいかにも化学らしい実験設備での一般公開がメインであった。

内容はいくつかあるけれど、去年ノーベル化学賞を受賞した下村博士の緑色蛍光タンパク質の実演などはタイミングが良い内容である。 実演ではこの緑色蛍光タンパク質に紫外線を当てて実際に緑色に光るところを見せていただいた。 これだけでもタイムリーな実演だけれど、話はこれで終わらずに蛍光を使ってタンパク質の性質の実演をしていた。

つまり、この緑色蛍光タンパク質を含んだ水溶液にお酢を加えるのである。 すると溶液のpHが変わるのでタンパク質の立体構造が変わってしまう。 こうなるとたとえタンパク質の分子は同じでも立体構造が変わるので光らなくなってしまう。 タンパク質の変性を実際に蛍光というわかりやすい形で体感できるわけだね。

ちなみに、タンパク質の立体構造はこの場合は可逆なのでアルカリ成分を加えてpHを元に戻すと 再び緑色に光るようになる。いやいや、わかりやすいですな。

ちなみに、蛍光というとビタミンCの抗酸化作用の実演も行われていた。 過酸化水素を使って活性酸素を発生させ、活性酸素で青白い蛍光を発するルミノールとの反応を見る。 このときに何も入れないと青白い光を見ることができる。

ここで一方には食塩水、一方にはビタミンCを入れる。 すると、食塩水には抗酸化作用がないので青白く光るが、ビタミンCを入れると活性酸素が阻止されて光らなくなる。 いやいや、これもわかりやすい説明ですな。

人工光合成に向けて...
UVSORと違って、こちらはいかにも化学らしい展示である。

あと、当サイト的に興味があったのは人工光合成の研究であった。 現代社会においては化石燃料をエネルギー源として用いていた関係もあって 地球温暖化問題が大きな課題となっている。

これを解決するのには化石燃料に代わる新たなエネルギー源を開発しなければならない。 これには風力発電とかバイオ燃料とかいろいろな候補があるけれど、 このもっとも有力な候補は短期では太陽電池、中長期では核融合発電だと当サイトでは考えている。

しかし、現在の半導体による太陽電池は発電効率面とコスト面でまだまだ改良の必要性がある。 この際に参考になるのが自然界での太陽利用である光合成。 光合成は半導体による太陽電池とは動作原理がまったく違うので、 その動作形態を模した人工光合成は太陽光利用のブレークスルーになる可能性が十分にあるというわけだ。

実験展示では目的となる分子の合成過程が説明されていた。 当サイト的に印象に残ったのは研究内容というよりはむしろ研究者の熱意。 最近はコンピュータの進歩で分子の物性を予測することは格段に進歩した。 しかし、コンピュータはその分子の物性を予測してくれるけれど合成方法まで提示してくれるわけではない。 その意味でまだまだ机上の空論の部分があるわけだ。

化学者はその点では実際に目標となる化学物質を合成して実測しないと納得できないそうで、 これは同じ化学系エンジニアである当サイトもまったく同感。 そこで地味ではあってもコツコツと目標物質を合成していくわけだ。

ところが、これは「言うは易し、行うは難し。」の典型例である。 実際にやってみるとなかなかに成果を出すのが難しいことは当サイトも仕事上熟知しているつもりであり、 そんな中で分子研はよく頑張っているという印象だね。

ちなみに...当サイトは化学系エンジニア。 今までの一般公開ネタは理研を除いては、素粒子物理学(KEK、J-PARC)、天文学(国立天文台、野辺山電波天文台)、気象学・海洋学(JAMSTEC)、 航空学、宇宙工学(JAXA)とかいった全然専門外の分野だった。 なので意味を理解できない事があっても恥ではなく素直に趣味として楽しめたのだけれど、 ここ分子研は説明を聞いてもわからない事があるとなんか学生時代に自分が勉強をサボっていたのが あからさまになっているようでちょっと落ち込むのでした。自分の専門分野だもんね。トホホ。