お城で楽しむ静岡生活。   

2009年9月2日



さて、世間では衆議院選挙が一番の話題だろうが、当サイトでは夏休みは息抜きネタで一息が恒例となっている。 って、更新遅延してたら夏休み終わってしまいましたけど。(笑) で、前回はPCネタだったので今回は息抜きネタで一服。

という訳なのだが、実はお城ネタが前回の余談のはずだったのだが震度6弱の激震により急遽余談を差し替えた経緯がある。 なので、今回は前回の余談に付け加える形でお城ネタとしてみた。

☆戦国ブームなのだそうで...   
最近は戦国ブームなのだそうで、特に今までは縁の無かった若い女性にも戦国武将が大人気なのだとか。 当サイトなぞは愛知県出身なので、戦国ブームだと酒飲みヨタ話ではポジションがよろしい。 三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)は全員愛知県出身者だものね。

で、愛知出身である当サイトにとって、ここ静岡県は負け組武将・今川義元の国というイメージに思えていたわけ。 今川義元と言えば海道一の弓取りと言われ、旗下の武将も数多く当時日本最大の動員兵力数を誇っていた。 つまり、実態はかなり有能な武将だったわけだけど、 圧倒的な大兵力を擁しながら桶狭間の合戦で悲劇的な末路を迎えたため、 世間の平均的イメージは脳天気な公家大名。要するにバカ殿扱い。 戦国ネタの酒飲み話では静岡県民は弱い立場かと勝手に思っていたら...さにあらず!

静岡県民にとって自県は勝ち組武将の国なのである。 静岡が今川義元の国なんて誰も思っておらず、 静岡県と言えば勝ち組戦国武将・徳川家康の国だったのだ!

「え〜、徳川家康って俺の故郷の愛知県(岡崎)出身じゃないか〜。駿府にいたのは人質時代にやむなくなのに、何で静岡の戦国武将なのよ?」 (当サイトだけではなく、おそらく全愛知県民が徳川家康は自県の武将と思ってます。) と思っていたら、「徳川家康の枕詞って何?」って。 徳川家康と言えば枕詞は「駿府の大御所」でしょうと。

なるほど...確かに家康が将軍職引退後に晩年を過ごしたのは駿府(静岡)だ。 JR静岡駅前にある銅像も今川義元像ではなく徳川家康像と竹千代(家康の幼名)像。 我が静岡県は駿府の大御所・家康公の国というわけだ。

真田幸村のように悲劇のヒーローならば負け組でも戦国武将人気No.1なのもうなずける。 だが、桶狭間の合戦のおかげで今川義元の評価は実態以上にきわめて悪い。 だから、少し歴史を後に振って戦国時代を終わらせた神君・家康公の国となっているわけだね。

当サイトの故郷・愛知県だって戦国ネタだから勝ち組だけど、 明治維新ネタだったら高知県・山口県・鹿児島県には全然歯が立たない。 今は戦国ブームだから立場がよいが、偉そうなことを言っていても、 もし明治維新ブームともなればまったく目立たない一地方に過ぎないわけだ。1)

というわけで、ここ静岡では週末にお城見物などを楽しんでいる。 引っ越し先のここ静岡県は徳川・今川・武田が覇権を争った戦国時代の激戦区。 「高天神を制するものは遠州を制する。」と言われた高天神城を 以前少しだけ紹介したけど、 ぶらぶらドライブ好きな当サイトには良いところだ。 ここ静岡県には歴代城主が次々と名を上げたことから出世城として有名な浜松城とか、 山内一豊の居城・掛川城(妻のお千代がへそくりで名馬を買った内助の功の故事で有名)とか有名なお城があるけれど、 甲州流築城術で有名な諏訪原城、徳川信康自刃の地として有名な二俣城など通なお城マニアに人気のお城も多い。

当サイトはお城マニアサイトではないから本格的な紹介はお城マニアサイトに任せて、 楽しく見られるお城の様子を簡単に紹介してみたい。

☆模擬天守閣に賛否両論、遠江小山城。   
ちなみに、日を違えていくつかのお城を訪ねたけど、前回の余談で紹介し損ねたのは遠江小山城。 まずここから紹介してみたい。

この小山城、現在こそ田んぼの中にあってとても難攻不落の堅城には見えないが、 当時は大井川が城の三方を囲む形で今より西方を流れており、 攻め口が一方向しか無く、かなり堅固な守りを誇っていたらしい。

また、この城は遠江攻略のため武田氏が築城したもので、 甲州流築城術の典型例である三日月堀や丸馬出しがきれいに復元されている。 お城マニアのサイトで勉強したところによれば丸馬出しは敵に気づかれないように兵馬を出入りさせ反撃するためのものだそうで、 敵からは攻めにくく、たとえ敵に奪われても内側からは奪還しやすい構造になっている。 三日月堀はその名の通り丸馬出しを防護する三日月状の堀で、 半円状に防護されているため城の目として死角なく敵情を把握しながら戦う事ができるそうだ。 (堀を3つ並べた堅固な作りの三重堀なんてのもあります。)

遠江小山城天守閣と三日月堀・丸馬出し
いかにもお城っぽい風景ですけど、天守閣は模造建築で実際には存在しなかった。(左)
しかし、武田(甲州)流築城術の代表例である丸馬出しと三日月堀は史実通り復元されたもの。(右)

ちなみに、このお城は写真の通り天守閣が美しいが、 内部は鉄筋コンクリート製で味も素っ気もない。 その上、実際には戦国時代には天守閣は一度も建築されなかったのだそうだ。 さらに、仮に模造で天守閣を作るとしても、天守閣が丸馬出しの外側にあるというのは全然論外。 天守閣のある本丸は馬出しの内側でなきゃ理屈に合わないよね。

というわけで、この天守閣は我々素人にはいかにもお城らしくて景色が良くて楽しいが、 史実や築城術にこだわるお城マニアからは総スカン。 本来無かった天守閣の模造復元には賛否両論があるというわけだね。

賛否両論ある模造天守閣(史実では一度も天守閣は造られていない。)
ちなみに、先日前を通ったら震度6弱の地震で屋根が一部壊れて修理中でした。天罰かも。

☆我々一般人にはマニアックな城郭、諏訪原城。   
お次は同じく甲州流築城術で作られた名城・諏訪原城。 このお城は、遺構は残っているがマニアックなものばかり。 目立つ天守閣などは一切無く、一般人が喜んで行くタイプの城跡ではない。 当サイトはお城マニアのサイトで勉強したから城郭の様子わかったが、 無学のままいきなり行ったら城趾であることすら気づかなかったに違いない。 ただ、お城マニアには相当に知られた名城らしくて、我々一般人とお城マニアの感覚の違いが見えておもしろい。

このお城、武田信玄が高天神城を攻める拠点として、 また先ほど掲載した小山城とともに徳川の遠江進出を抑える目的で作られたそうだ。

場所はJR金谷駅に近く、周囲は広大なお茶畑。 余談だけど、静岡に移動してから最初の内はお茶畑が珍しくて、 お茶畑が見えるたびに風情ある田園風景に視界を奪われがちだった。 だが、最近になってようやく慣れてお茶畑を珍しい風景と思わなくなった。 当サイトもいよいよ本格的な静岡県民だね。

マニアックな遺構が多い諏訪原城。
我々一般人には地味な堀。とても名城には見えないが...
だがしかし、お城マニアには垂涎ものの逸品らしい。

このお城、堀には石垣が無く土塁である。しかも水も無い空堀。 つまり、我々一般人には単なる溝にしか見えない。 しかし、この溝がお城マニアには垂涎ものの逸品だそうだ。

石垣が大規模に造られたお城は戦国時代終了後の見栄えを重視したお城が多く含まれていて、 実戦的なお城ではない場合もある。 一方、土塁は石がないので一般人には目立たない存在であるが、 戦国時代の実戦的な城郭ではよく用いられていたという。

特にこの諏訪原城は大規模な丸馬出しや三日月堀が残されていて、 典型的な甲州流築城術を見ることができる。 堀は石垣で固められている訳ではないが、とにかく深さが深い。 右写真の土橋もいかにも実戦的で、一騎で通り抜けるのがやっとの狭さ。 しかも、通常の木橋と違って堀の中を敵が移動するのを妨げる 城壁の役割も果たしている。土橋で堀に入った敵を分断して各個撃破するというわけだ。

それにしても目立つものは何もないお城だが、マニアックな楽しみがあるのもうなずける。 この城を見ると、深さと奥行きがあれば土塀の堅固さは石垣で作った堀に匹敵するというのが実感できる。 当時の時代にコストパフォーマンスなんて概念があったかどうかはわからないけれど、 石垣で作った堀のような見た目の派手さは無いが、同じ工事期間、同じ工事費用ならば土塀の方が深く堅固に作れるハズである。

これは確かに実戦的な名城だ。

☆武田と徳川の違い? 横須賀城。   
で、対照的に徳川方の築城で作られたのが、ここ横須賀城。 武田勝頼に奪われた高天神城を奪還するため築かれた付け城2)の一つであり、 緩やかな丘に築かれた平山城だ。

この石垣は天竜川から持ち込んだ丸い川石を積み上げて作られたもので、玉石垣と言うそうだ。 甲州流築城術では土塀が多くて石垣はあまり無いわけだけど、 徳川支配下の横須賀城には頻繁に石垣が現れる。 川石を使うわけだから石を加工する手間は省けるだろうが、 現物を見てみたのだけど、この石垣は石の間の隙間が多くて その気になれば簡単に登れるぞ。 甲州流築城術の土塀と比べると見た目は堅固そうだけど、実戦的には土塀の方が勝るような気も少々。

また、大手門が二つあるという珍しい縄張りが特徴で、堅固さよりも 兵站確保としての補給基地的役割や政治的な運用性も重視したお城のようだ。 とにかく落城しない防御力の確保を重視した甲州流築城術とは設計思想の差が見えるような気がするね。 (一応、三日月堀っぽい堀がありますけど。)

甲州流築城術とは対照的な設計思想の横須賀城。
丸い川石を使った玉石垣で有名。

いやまぁ、お城なんて皆同様かと思っていたら、 戦国大名によってかなり設計思想に違いがあるのがわかっておもしろかった。 後日、徳川家康は滅びた武田家の旧臣を雇い入れて甲州流の軍学・築城術等を取り入れていく訳だけど、 山城で輸送に不便な場所にある諏訪原城などは兵站確保の用途としては横須賀城には劣るだろうし、 一言でお城と言っても様々なあり方がある。

☆天竜二俣城と、その付け城の鳥羽山城。   
お次は天竜二俣城と、その付け城の鳥羽山城である。 このお城、自分の母親が天然100%の蜂蜜好きなので三ヶ日ミカンの花でできた天然蜂蜜を 買いに行って、ついでに見てきたというもの。

ここ天竜二俣は浜松につながる平野部と山間部のまさに分岐点。 信州から南進する武田勢が最短経路で徳川勢の当時の本拠地・浜松に迫る場合、 ここはまさに遠州確保の要衝と言える。 (ちなみに、駿河から西進する場合には高天神城が要衝であった。)

城は天竜川の急流を事実上の堀として用いた難攻不落の堅城であったが、 城に井戸が無かったため井戸代わりの井戸櫓から天竜川の水を汲み上げていた。 武田軍は堅城に攻めあぐねたが、このことに気づき多数の筏を上流から流して井戸櫓を破壊し、 水の手を絶って落城させたという。(飲料水が無くては城は三日と保たない。)

また、この二俣城は、織田信長に謀反の疑いをかけられ 父親である家康にやむなく切腹を命じられた徳川信康自刃の地でもある。 このとき、介錯3)には伊賀忍軍の頭領として有名な服部半蔵が選ばれたが、 涙をこらえきれずついに刀を振り下ろすことができなかったという逸話が残っている。 後日「鬼と言われた半蔵も、主君には刀を振り下ろせなかったか...」と家康が半蔵を称えたそうだ。

天竜二俣城と鳥羽山城。
左は二俣城の天守閣跡。右は鳥羽山城跡から見渡す山間部の風景。

鳥羽山城は徳川家康が二俣城奪還のために築いた付け城で、 頂上からは周囲の風景がよく見える。 先に書いたとおりここ天竜二俣は山間部と平野部の分岐点であり、 ここを境に山と平野がきっぱり別れる。 北側には美しい山間部が、南側には見晴らしの良い風景を浜松まで見渡すことができ、 そして周囲からは蝉の鳴き声がよく聞こえて直下には天竜川の美しい風景が...

ここは、お城自体としてよりも風情や風景を楽しむにもってこいのお城ですな。

☆お城らしいお城。掛川城。   
というわけで、天守閣もないマニアックなお城が多かったので、最後はちゃんと天守閣のあるお城である掛川城を紹介。 このお城はへそくりで名馬を買った山内一豊の妻の故事で有名なお城である。

お城自体は、天守閣もあるし石垣や大手門もそれらしくて、我々一般人には楽しめる。 また、JR掛川駅から歩いて行ける距離なので交通の便もよろしい。 ただし、お城系のマニアにはちょっと観光地化しすぎていて物足りない点もあるようだ。

天守閣は復元だが、よくある鉄筋コンクリート製のいい加減な模造天守閣ではなく、 当時の絵図通りに建築工法的にもできる限り忠実に復元された本格的な木造建造物。 天守閣自体はそれほど大きくないのであるが、地形による強調効果と櫓を付属させることにより 大きな天守閣に見せているのが特徴だそうである。 (写真の通り結構大きな天守閣に見えるでしょ。でも、実際には意外に小さいのですよ。)

掛川城天守閣と二の丸御殿。
天守閣は復元だが、御殿は当時からそのままの本物。

天守閣を大きく見せる工夫は殿様の権威を高めるのが目的だそうだ。 つまり防御力より政治的統治力を優先したお城というわけだね。 (ちなみに同じ掛川城とは言ってもこの城は安土桃山時代に山内一豊が造った城。 少し前の今川時代は現存とは異なるお城だったのだそうで... そちらはおそらく実戦的なお城だったのでは?と想像してます。)

二の丸御殿は実際に殿様の住居として使われていた事があるのだそうで、 殿様の居室に連なる応接室には相手の石高に応じて部屋割りが区分されていたのが印象的。 石高が高いお客だと殿様の居室に近くて高級な作りの部屋になる。 また、公務としての部屋のすぐ奥が殿様のプライベートルームなのがおもしろかった。 当時のお殿様には通勤という概念は無かったわけだね。 (ただし、個人的には職場とプライベート空間がこんなにも近いのはちょっと嫌だけど。)

このお城、見た目はいかにもお城らしくて、しかも当時の絵図から再現された物であるから インチキな模造天守でもない。諏訪原城レベルだとマニアックな渋さはあっても派手さは無いし、 史実と観光のトータルバランスがとれた当サイト的にちょうど良い感じのお城であった。 (ちなみに、このお城から車で北に数kmほど行くといい温泉があります。)

静岡だと息抜きネタとしては、あとは富士山ネタ(登山しようかどうか迷ってます。)とか、 旨い物ネタ(桜エビ・生しらす・浜松のウナギ・富士宮焼きそば等々)なんてのがあるね。 ちなみに、当サイト的に一番旨かったのは鰹茶(鰹の刺身がのったお茶漬け)。この旨さは忘れられない。

逆に一般公開ネタなどは激減の様相。 いつまでここに居られるかはわからないが、一般公開ネタを書こうと思ったら やはり東京・大阪近辺でないと苦しそうだ。

というわけで、戦国ネタには困らないここ静岡でお城見物を楽しんでいる週末だ。 次回は息抜き終わったので本来のPCネタで行きます。 では。



1)
と思っていたら、NHKのハイビジョン番組で幕末の尾張藩主・徳川慶勝の特集番組を放映していた。 尾張藩は御三家筆頭の立場にもかかわらず倒幕を決断。明治維新に大きな役割を果たしたそうだ。 歴史マニアではない当サイトには初めて知った事実。意外な一面ですな。

2)
敵城の効力を無効化するために作られる出城の一種。 敵城の補給路を絶ち、味方の兵站を敵城の驚異から守るのが目的。

3)
そう言えば学生時代に居合いで順刀(介錯)の技を習ったのを思いだしましたね。 抜刀術だけでなく、打ち首と介錯の重要な違い等を勉強しましたよ。 (たとえば一例を挙げるとすれば、打ち首は刑罰であるので首をばっさり切り落とす。 介錯は頸椎(理想的には首の皮一枚)で刃を止めて首を落とさず、決して見苦しい死に様にしてはならない。)

余談だけど、この順刀という技、昇段試験の自由演武課目で古流を演武する際に、 不文律として絶対に演武してはならない技となっていた。 師範に「自由演武だからといって絶対に順刀を抜いてはいけない。」と強く言われたのが印象的。 (ちなみに、当サイトは古流では陰陽進退、制定居合では柄当てという技が好きで、昇段試験ではよくこれをやっていた。 好きこそ物の上手なれというけど、やはり好きな技がミスも一番少ない。)