一般公開見聞録(後編:KEK)   

2008年9月15日



前回J-PARCの話を前回書いたあとで、ヨーロッパで世界最大の加速器が稼働を始めたというニュースが報道されていた。 (たとえば、 世界最大「円形加速器」が欧州で試験稼働、新発見に期待等をご参照ください。) その加速器であるがLHCというのだそうで、更新が予定よりちょっと遅れたおかげで当サイトも今回はちょっとタイムリーな内容となった。

素粒子物理学は多くのノーベル賞物理学者を輩出してきた物理学の王道である。今回の加速器ではどんな発見がなされるのだろうか?  個人的には「ニュートリノ質量発見」の時のように主流派の理論では予想されていなかった現象が見つかるとおもしろいのだけど。 野次馬根性と言われればそれまでだけどね。

ところで、このLHCという加速器、マイクロブラックホールを造り出す実験をするとかで、 地球が飲み込まれる危険性があるとして訴訟を起こされているのだとか。 このニュース、 あまりのバカバカしさに見つけたときには久々にバカ受けでした。 これで地球が飲み込まれるんだったら、宇宙線との相互作用によって地球はとうの昔に消滅してるって思うんだけど。 (そういえば、当サイトの専門分野である化学の世界でも、その昔 「ポリウォーター騒動。」というのがありまして...)

と言うわけで、後編の高エネルギー加速器研究機構編。

高エネルギー加速器研究機構(以下KEKと略記)については以前 一般公開見聞録(高エネルギー加速器研究機構編)で紹介したことある。 ただし、このときはBファクトリーとフォトンファクトリーのみの一般公開だったため、KEK全体の紹介にはなっていなかった。 このため、今回はBファクトリー、フォトンファクトリー以外をメインで掲載してみたい。

☆超伝導リニアック試験施設。   
まず最初に訪れたのは超伝導リニアック試験施設。 リニアックという名の通り線形加速器の一種である。 ここでの研究成果はILC(国際リニアコライダー計画)という次世代加速器に応用されていく予定なのだとか。 加速する物質が陽子系か電子系かの違いはあるが、ILCはニュースで報道されていた最新鋭加速器LHCのさらに次世代機に相当する加速器である。

この装置、通常は電極に電圧をかけて行う加速をマイクロ波によって行っている。 マイクロ波をキャビティー内に注入すると、空洞共振の原理でキャビティーの突端に強力な加速電場が発生する事を利用している。 超伝導を利用するのは、キャビティーのQ値を高めることで常伝導キャビティーよりもずっと強力な加速電場を発生させるためだそうだ。 言われてみれば、携帯電話基地局用フィルタにもQ値を高めるため超伝導を利用したものがあったっけ。 (ちなみに、加速用のマイクロ波周波数は1.3GHzなんで、周波数帯も携帯電話に似てます。)

超伝導リニアック
左図はリニアックの内部構造。右図はクライオモジュール(液体ヘリウムで装置を冷やす断熱容器)。

ちなみに、この超伝導キャビティーの製造には極めて高い表面加工精度が必要で、並の技術では作れないらしい。 たとえば、表面にわずかな凸凹があっただけで、電界放射による放電が起こったり(まるでFE-SEMだね。)、 局所磁場が高くなって臨界磁場を超えてしまいクエンチ(超伝導状態が破れてしまう現象)が発生したりする。

これを防ぐためKEKでは硫酸とフッ酸の混合液による電解研磨というリスクの高い手法をあえて用いている。 このため、この方法でも自在に研磨できる技術力および安全管理能力を磨いてきたのだそうだ。 (化学屋の当サイトには一瞬にしてその危険度の高さがわかる。 この技術が磨く物は「金属表面」だけではなく「技術者の腕前」ということだね。)

また、電解研磨だけではなく、当然その平坦度測定技術も重要だ。 ここで使われている内面検査カメラはKEKと京都大学の共同研究で生み出された装置。 その測定精度の高さを買われ、KEKでの加工検査だけではなく ドイツやアメリカの超伝導空洞においても、彼らの超伝導空洞が能力を出し切れない原因を特定してきたのだそうだ。

余談だけど、設備を見ていて個人的にちょっとおもしろかったことがある。それは、 下記のマイクロ波回路において導波管の途中にロシア製のアイソレータ1)が使われていたことである。

ロシアというと理論関係では天才肌の優秀な人材を多数抱えているが、 製造業としては熟練工が育っておらず品質管理面がグタグタで、製品の信頼性は低いというのが通常の民生品での常識。 ところが、旧ソビエト時代にはレーダー関連の軍事技術でアメリカに負けないようにするために、 マイクロ波技術に関しては国策で優秀な人材を全土から金に糸目を付けずにかき集めてきたらしい。 このため、ソビエト崩壊後もこの分野の技術者は優秀で、 ハイパワー用マイクロ波技術に限れば実はトップクラスの高性能品を作る高い技術力があると以前酒飲み話で聞いたことがある。

そのときは、「へぇ〜、理論分野ならばともかく製造業でねぇ。(ホントかねぇ。)」と半分疑いのまなざしだったんだけど、 今回のKEK訪問で、その話もまんざらウソではないと確認できた訳。2)

加速用の高周波源システム
ロシア製アイソレータが使われていたのが個人的におもしろかった。

☆国際リニアコライダーに向けて...   
さて、お次に訪問したのは先端加速器研究棟。 ここではATF(Accelerator Test Facility)という実験機を用いて新型加速器に向けた基礎研究を行っていた。 ATFは先ほど述べたILCの試験機であり、ILC計画成功のカギを握るという。

研究テーマはいろいろあるけれど、メインは品質と強度の高いビーム生成と、ビームの精密なコントロール技術の確立。 下記写真(左図)が電子ビームの発生装置である。 通常は電子ビームというと加熱したフィラメントから熱電子を取り出したりする方法が通例だけど、 ここの用途ではその方法はビームが低品位過ぎてダメなんだそうで、 ターゲットに強力なレーザー光を照射して光電子を取り出すという方法を用いているという。 こうすることで、熱電子とは違ってエネルギーの揃った高品位な電子ビームが得られるのだとか。

また、取り出した電子を加速するのは通常の電子銃(昔のブラウン管なんかで使われていた方法。)では 対向電極に高電圧をかける方法が一般的だけど、ここではマイクロ波空洞に強力なマイクロ波を送り込む 方法が研究されている。これにより加速電場が非常に強力になるらしい。

ILCに向けてのテストベース研究マシンATF
左図は光陰極型高周波電子銃。中央はATF本体。右図は電子・陽電子入射器のマイクロ波加速部分。

実際、写真には銅製の導波管が写っていて、この導波管から強烈なマイクロ波が送り込まれる。 ちなみにATF本体はというと、上記中央図の線形加速器部分とシンクロトロン部分から構成されている。

また、Bファクトリーに電子・陽電子を打ち込む線形加速器があるブースでは、 さらに新たな構想に基づいてカーボンナノチューブを使った電子銃が研究されていた。

先端を極限まで尖らせた電極に高電圧をかけると、FE(電界放射)という形で電子が放出される。 これ自体は電子顕微鏡などで既に使われている技術(当サイトも仕事で日常的に使っている。)だが、 分子レベルまで尖っているカーボンナノチューブを冷陰極として使うことでヒーターもレーザーも使わずに さらに小型高性能な電子銃を実現できる可能性があるそうだ。

最後に上記写真の右は、電子・陽電子線形加速器の低速加速部分である。 上の階から導波管(銅製の部分)でマイクロ波が送られてきて、3dBカプラで2系統に分配され、 キャビティーを通って電子(または陽電子)を加速する。 加速し終わったマイクロ波はエネルギーをほとんど失うので、 キャビティーを通り過ぎて残ったマイクロ波はそのあとの終端抵抗で吸収されるというわけだ。 それにしても、銅製の導波管回路がピカピカに磨いてあって、とても美しいね。機能美を感じるよ。

☆素粒子物理学を陰で支える計算機物理学。   
今回の見学で公開されていた設備の中には、当サイトの趣味であるスパコンも含まれていた。 こちらは1時間に1回ほどのペースで見学ツアーが組まれていて、 スパコンと聞けばどこでも湧いて出るどこぞのダメ人間は見学ツアーにドキドキ。

ここKEKで使われているスパコンは目的別に何機種かに分けられている。 まず最初に見たのはBファクトリー計算機システム

このシステムはBファクトリーでの実験結果を解析するシステムだが、 世界各国の研究者が自分に必要なデータを得られるように検索するデータマイニング・システムを兼ねている。 また、Bファクトリーの各種崩壊データは定常的に一定のデータ量が送られてくるわけではなく、 データ量にかなりのばらつきがあり、瞬間的に膨大な量になる場合がある。 このため、データ量が多い場合でも記録データに欠損が生じないように、高速データ転送システム(大容量バッファ装置)も装備されていた。

このシステムの計算サーバーはDELL製で、ノードはPowerEdge1855を使用。CPUは3.6GHzのXeonである。 当サイトが思うに各種核崩壊の解析は崩壊間の相関は無いと思われるのでノード間の通信性能には高性能が必要とは考えにくく、 スパコンというよりはGoogleのデータセンター的な安定性やコストといった点が重要視されるシステムと思われる。

Bファクトリー計算機システム
計算ノードはPowerEdge1855

PowerEdge1855の中身はこんな感じ。
高信頼性確保のため、ファンレス自然空冷構造でした。

お次に紹介されたのは当サイトお目当てのスパコンシステム。 KEKでは2機種のスパコンを用途に応じて使い分けるというシステム構成となっている。

まず最初はSysytem BIBM製BlueGene/L。このシステムは57.3TFLOPSの性能を誇っている。

IBM製BlueGene/L
理論ピーク性能57.3TFLOPSを誇り、格子量子色力学を計算している。

このスパコンは使用目的がはっきりしていて、 基本的には格子量子色力学シミュレーションという単一の目的をメインとしている。 このBlueGene/L、もともとの起源が格子量子色力学専用計算機をベースに開発されているので、 この分野の計算は得意中の得意。KEKでの用途にはうってつけである。 (格子量子色力学は格子分割の演算アルゴリズムなので、 そのままBlueGene/Lのネットワークトポロジに上手く合致しているのも都合が良いらしい。)

格子量子色力学と言っても素粒子物理学の専門教育を受けたことがない当サイトには なんの事やらさっぱりではあるが、この格子量子色力学は解析的な解を得るのが非常に難しく、 紙と鉛筆での計算では解析解どころか近似解も計算困難なのだという。 (近似解を得る代表的手法である摂動法がこの分野では用をなさないのが大きなハンデとなっているらしい。)

と言うわけで、加速器による実験値と理論値を比較検討するためにはスパコンによる数値解析が必須とのこと。 数学的な上手い近似方法が見つからないので、コンピュータでゴリゴリと丸ごと全部計算するのが結局のところ現状での最短コースらしい。

具体的な成果はKEKのWebサイトに スパコンが明らかにした陽子・中性子の「芯」 という紹介記事があるので、興味のある方はご一読いただきたい。 遠距離ではノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生の中間子論による引力が支配的で、 近距離では中間子論だけでは説明できない強い斥力が格子量子色力学計算から求められている。 (...と言われても、トリ頭の当サイトには内容は正直よくわからないが...)

おもしろかったのは、BuleGene/Lのノード内部が公開されていたこと。 BuleGene/Lはほぼすべての回路をワンチップ化している関係でノード構成が非常にシンプルなのが特徴である。 下左写真の通りDIMMをちょっと大きくしたようなボード1枚で2CPUのノードであり、製造原価はかなり安いと思われる。

これが結線用のボードに右下写真のように搭載され、これが上左写真の通りに積み重ねられたものが1つの筐体となっている。 BuleGene/Lはネットワークトポロジが3Dトーラスで遠隔ノード間はTree結合なので、遠隔ノード間の配線は少ない。 従って、上右写真の通り床下のネットワーク配線は地球シミュレータなどと比べると極めてシンプルであった。 (これは、低コストというメリットと、ネットワークバンド幅が狭いというデメリットがある。どちらが重要かは用途次第。)

BlueGene/Lの内部構造
このシンプルなDIMM状のボード1枚でデュアルコアCPUを2個搭載したノードとなっている。

お次はSysytem A日立製SR11000 model K1。 このシステムの演算性能は2.15TFLOPS。 こちらは単一目的で設置されたマシンではなく、広範な用途を受け持っている。

理論ピーク性能から見るとSysytem BのBlueGene/Lに比べて1桁以上小さいので、 なぜこのシステムが併設される必要性があるのか?、 全部の処理をBlueGene/Lでやってしまえば良いのではないか?という疑問が生じるが、 その理由は汎用性とコンパイラの能力にあるそうだ。

SR11000はコンパイラの能力がBlueGene/Lよりずっと高いのだそうで、 すべてのアプリを無理にBlueGene/Lに移植しようとするとかなりの手間と時間を要し、不適なアプリもあって現実的ではないそうだ。

つまり、格子量子色力学計算のように演算量が大きくて処理時間が長く、 アプリの最適化に優秀なプログラマを動員して手間暇とソフト開発予算をかけることが許される処理はBlueGene/Lで行い、 処理の実行時間よりもプログラミングや移植などで手間を取られる複雑なアプリなどは、 演算速度の遅さを勘案してもコンパイラが優秀でプログラミングしやすいSR11000で行った方が ソフト開発の時間も予算も少なくてすみ結局お得と言うことらしい。3)

説明員の方に聞いたことの中で当サイト的に新たな発見だったことは、 スパコンではアプリの開発が占める重要性がハードウエア開発に占める重要性になんらひけを取らないという事実。 つまり、プログラミングが容易ということは理論ピーク性能が高いという事と同等に重要だという点である。 (コンライラの能力だけではなく、ライブラリが充実している事も重要らしい。) 「コンピュータ、ソフト無ければただの箱。」という名文句があるけれど、これはスパコンの世界でも真理である。

ちなみに、SR11000での研究成果はKEKのWebサイトに ブラックホールの内部構造、解明へ − 超弦理論の予測をスパコンで検証 − という紹介記事があるので、興味のある方はご一読いただきたい。 これにより、ブラックホールの内部構造を世界で初めて明らかにしたのだそうだ。

余談だけど、これを見るまではブラックホールなんてひたすら重力で内部に落ち込むだけで内部構造なんて無いんじゃないかと想像してた。 仮に内部構造があっても強大な重力でただちに潰れてしまい、ブラックホールでは内部構造という概念自体が自己矛盾ではないかとね。 いやいや、そんなシンプルな話ではなかったわけで、ブラックホールも奥が深いね。

日立製SR11000 model K1
コンパイラの能力が高いのが特徴とのこと。

と言うわけでBlueGene/LとSR11000にはそれぞれに特徴があって、2機種を導入している事にはちゃんと意味があるそうだ。 性能あたりのコストは高いがコンパイラが優秀で汎用性が高いSR11000と、低コスト・高理論ピーク性能だがコンパイラの能力で相対的に劣るBlueGene/Lの どちらが優秀かと聞かれれば、要するに実行するアプリによってまちまちということだね。4)

あと、お子様連れの見学客のためにこんな紙模型も無料配布されてましたよ。

お子様向けのスパコン紙模型
左がBlueGene/Lで、右がSR11000。
いい歳した大人がもらって帰るのは、ちょっと恥ずかしかったけど。(^^;)

最後に見学させていただいたのは大容量ストレージシステム。 KEKで得られるシミュレーションデータや実験データは膨大な量であり、 Bファクトリーからのデータだけでも年間1PBにもなるという。 これを扱うストレージシステムも当然のごとくかなりの高性能が必要になる。

おもしろかったのは写真撮影においてフラッシュの利用がここだけ禁止されていたこと。 テープライブラリシステムにおいてテープの識別をバーコードで行っているのだそうで、 バーコード識別センサーにフラッシュが直射するとエラーが発生する可能性があるためだそうだ。

テープライブラリシステム(左)と磁気ディスク装置システム(右)
テープライブラリシステムはSONY製でした。

と言うわけでKEKの一般公開見学も終了。 他、放射線科学センターや超伝導低温工学センターなんてのもあったけど、 時間の関係で全部見られなかったのが残念だった。

一般公開は夏休み最終日という事もあって子供連れの方々がたくさん来ていた。 これをネタに夏休みの自由研究を最後の追い込みという小学生も多かったんではないのかな?

当サイトも素粒子論というものの片鱗さえもよくわからない状態での一般公開見学ではあったが、 世界の根源とは何?という疑問にチャレンジする人々の熱意と根性が伝わってきて、 頭の足らない当サイトももうちょっと勉強してみようかという気分になれたのでした。 (夏休みの宿題じゃないけど、挫折本の再読開始。)



1)
アイソレータとは、ポートAからポートBへは電波が進行するが、BからAへは進めないという、 いわば一方通行の道路標識みたいな特性を持つ電子部品である。 反射波との干渉で電子回路の挙動が不安定になるのを防ぐため等に使われる。 レーダー用ではなく、携帯電話用などの民生品では日本製アイソレータが世界市場を席捲している。

2)
ロシアの技術者さん、偏見持っててすみません。m(_ _)m

3)
説明員の方は「SR11000の方がコンパイラが優秀。」とは言っていたが、その原因については言及されなかった。 だが、当サイトが考えるにIBMのコンパイラ技術が日立に大幅に劣っているとは考えにくく、 これは要するにBlueGene/Lが演算性能1点集中でハードウエア資源を投入し、メモリのバンド幅やネットワークのバンド幅に ハードウエア資源を投入していないという性質からくる汎用性の低下、 および低性能ノードを物量でカーバーするという作戦から来る並列度の高さ等がコンパイラ開発者の負担となっている事が原因と推測される。

4)
当サイトは、「すべての面で万能なスパコンは存在しない。」つまり、 ××さえあればあとは何もいらないといった考え方は大間違いであると以前から主張しているが、 図らずもその正しさはKEK訪問で明らかになったわけだ。 最適なスパコンとは各分野各様なのである。