邪法のおかげ。(紅葉旅行記その2)   

2005年11月11日



☆郡上八幡紅葉見物   
二日目は親孝行も兼ねて郡上八幡の紅葉見物である。

郡上八幡はNHKの新日本紀行ふたたび「まちの水音〜岐阜県郡上八幡町」 でも紹介された日本情緒溢れる城下町。 郡上八幡は郡上踊りで有名だが、ほかにも2006年のNHK大河ドラマに決まった 「功名が辻」の主人公、山内一豊の妻千代の生誕地としても、 良質の湧き水が溢れる湧水の町としても知られている。

紅葉の名所として知られる郡上八幡城
今年は1週間ほど紅葉が遅く、残念ながら紅葉はまだ5部位。

今年は紅葉が遅くこの日も5部位のできであったが、 紅葉が無くてもお城や町並みだけで楽しめる。 早速、郡上八幡城に登ってみた。お城からは城下町が一望できる。

また、郡上八幡は湧水の町としても知られ、 有名な宋祗水や、いがわ小径、やなか水の小径などがある。 新興住宅街で生まれた自分としては、 こんな歴史と情緒のある町で生まれたかったものだと思ったりする。

城下町一望
お城からは郡上八幡市街が一望できる。
日本百名水の一つ、宋祗水。
紀行番組でも必ず取り上げられる名水。

当サイト一番のお好みは、いがわ小径であった。 日本情緒たっぷりで、富田勲の新日本紀行のテーマ曲が聞こえてきそうな雰囲気。 清流の中には鮎、イワナ、アマゴ、鯉が泳ぐ。

この小径、一見観光用に見えるが、平日はちゃんと日常生活空間として使われていて、 ここで野菜を洗ったりしているという。(近所の人が組合を作って当番制で管理しているらしい。) 鮎やイワナの泳ぐ清流が自宅のすぐ脇にあって、清流の水音を聞きながら生活できるなんて、 お金では買えない贅沢ってもんでしょうね。

小さな小径に風情ある清流の流れ...いがわ小径
NHKの新日本紀行ふたたびでも取り上げられた日本情緒たっぷりの空間。写真の通り水路には鮎やイワナが住んでいる。
富田勲の新日本紀行のテーマ曲がぴったりの雰囲気。(本当はもっと美しいんだけど、写真が下手ですみません。)

やなか水の小径(左)と自由に汲める湧水(右)
水音溢れる町並みだけに、自由に天然水を汲んで持ち帰ることができる。

郡上八幡は食品サンプルの町としても知られている。 全国の食品サンプルの6割はここで作られたものだとか...

食品サンプル創作館さんぷる工房では各種の食品サンプルとその製造工程を見学できる。 下記の写真は全部サンプルであるが、ものすごく精巧で本当に本物そっくりである。 (特にパフェのサンプルが気に入りました。) 我々以外にもいろいろな観光客が来ていたのだが、 特に子供たちが大喜びであった。

バームクーヘン型のマグネットを売っていたのだが、 これを懐紙の上にのせて会社の机の上にでも置いておけば、 なにげに口に入れてしまう同僚が続出すること請け合いである。

郡上八幡の地場産業の一つに食品サンプル製造業がある。
これ全部食べられませんが、パフェなんて果汁によるつやまで再現されている。

☆明智&大正村見物   
道すがら、明智町にも寄ってみた。 明智町はその名前の通り明智光秀ゆかりの町である。 近くのお寺には明智光秀の供養碑があるが、それが下の写真。

この供養碑であるが、光秀の無念の思いによって何度作り替えても 写真の通り石碑にヒビが入って裂けてしまうのだという。 この石碑も中央上部から横に裂けてしまっている。

明智光秀の供養碑
光秀無念の思いから何度作り替えても石碑が裂けるのだという。

大正村は明治から大正にかけての昔の家が残っている町並み。 たとえば、下の写真の通りの感じ。

町並み保存の老舗である馬籠や妻籠に比べると町並みの保存状態は完全ではなく、 町並みの中に一部普通の近代住宅も混じっている。 だが明治から大正期の感じは出ており、結構いける雰囲気である。 なんか、懐かしい感じ。

大正村旧村役場。
当時の建物そのままである。
往事の面影をしのばせる町並み。
古っぽい町並みが見直されており、若い人にも旧家に人気があるという。

☆処女の生き血を塗った切支丹ばてれんの邪法   
そんな中で、当サイト的なネタになりそうなのは通信資料館(旧郵便局)かな?

通信資料館(旧郵便局)
規模は小さいが、おもしろい展示物がある。

通信資料館は明治初期からの通信の歴史を展示したもの。 明智町は当時交通の要衝として栄えており、 当時としてはモダンなペンキ塗りの外装を持つ建物。

日本の通信の歴史は明治2年の電信から始まる。 当時、政府が「電信機は数時間で通信する至妙の機関なり。」 と必死に啓蒙したにもかかわらず、 「電信は処女の生き血を塗った切支丹ばてれんの邪法」 という根も葉もない流言飛語が広まったという。 各所で通信ケーブルが切断される被害が相次ぎ、 局員は修理に追い回されたそうだ。

ちなみに、電信は当時「天連関理府」(テレガラフ)と呼ばれた。

明治23年になると、電信に続き電話事業も始まる。 初期の電話事業で使われた手動交換機がこれ。(下図左写真) 交換機オペレータのおねえさん(とは言っても、明治なのでこんな感じ。)に 相手先の番号を言って回線を開いてもらう。

回線を開くと言っても、要するに自分の回線ケーブルを通話先につなぎ変えてもらう訳である。 今日から思えばほんのたわいのない初歩的なシステムだが、当時としては最先端技術だった。

ごく初期の電話交換機(左図中央)と交換手(右図)。
筐体が木製というところに時代を感じさせる。
右写真ではオペレーターのおねえさん(写真)が写っている。
番号を言うと、ケーブルをつなぎ変えてくれるという初歩的システム。

さすがにこれでは交換手の人件費もバカにならずコストダウンが進まないし、 待ち時間も短縮できないため、後に自動交換機の導入が行われた。初期の自動交換機がこれ。 おそらく外国製で、英語の記載が読める。高かっただろう。

このタイプはSxS(ステップバイステップ)交換機と呼ばれる交換機である。 左の交換機の内部に6つの円筒形のものがあるが、 これが自動回転機構を備えたロータリースイッチのお化けであり、 モーターによって電極がネジのように回転しながら上下に動くことで 番号通りに全自動で配線をつなぎ変えることができた。

ただし、信頼性には不安があったようで、 故障時にも緊急回線だけはつながるように手動交換機も併設されたそうだ。 (実際には故障はほとんどなく、手動交換機が動くのは訓練時だけだったという。)

初期の自動交換機(左)とバックアップ用手動交換機(右)
A形と呼ばれるタイプで、螺旋運動する多極ロータリースイッチにモーターを組み合わせたものと考えればいいだろう。

さらに時代が進むと交換機の国産化も進み、写真の通りの国産のリレー式自動交換機が出現する。 回路構成までは読み取れないが、おそらくクロスバー方式と思われる。 地球シミュレータ用高性能インターコネクト回線として知られるクロスバー方式だが、 ご先祖様をたどればこのような初期の自動電話交換機にたどり着く。

国産のリレー式自動交換機
コンピュータ用高性能インターコネクトとして知られるクロスバーだが、
原点はこのような電話用交換機までさかのぼる。

クロスバー式の後には交換機はオール電子化され、さらに現在も使われているデジタル交換機へと進化していく。 今後はIP化の流れに乗ってさらに進化していくのであろう。

現代ではもちろん交換機も電子化・デジタル化されているため、 交換機にもコンピュータの実装が欠かせない。 しかし、インターネット等で使われているパケット交換システムも、 元をたどれば電信の遠距離伝送で使われた伝言ゲーム式の 伝達手法が元祖であるし、クロスバー方式なぞは (動作原理としては)現在でもコンピュータ用インターコネクトに生かされている。 姿形は変わっても天連関理府(テレガラフ)は今も健在である。

帰り道、ついでなので地上波デジタルTV放送の名古屋圏用アンテナタワーを見物してきた。 こちらのタワーは登って上から観覧することはできない。

というわけで、遠くから眺めるだけとなったが、 電子工学・通信工学黎明期のシステムを見学した後で 最新鋭のシステムを見るというのもおつな味である。

名古屋圏地上波デジタルTV放送用送信アンテナタワー
アナログTV用のタワー(東京タワー等)は展望台に登って観覧できるが、
こいつは観覧不可。(テロ対策で展望台を設けなかったのかな?)

当サイトがこのようなWebサイトを開くことができるのもインターネットのおかげである。 そのインターネットも究極のご先祖様をたどれば電信にたどり着くわけであり、 インターネットは「天連関理府」(テレガラフ)の究極の進化形であろう。

「処女の生き血を塗った切支丹ばてれんの邪法」もここまで進化したかと思うと感慨深い。 ありがたい世の中になったものである。