前進するスリランカの労働者・民衆の闘い


12・21第四回大統領選挙を左翼統一候補で闘う!

サマン・プリヤンカラ(人民解放戦線JVP−スリランカ・日本委員会)

 スリランカでは年末の12月21日に第四回大統領選挙が行なわれようとしています。二大資本家勢力である人民連合PAと統一国民党UNPに対抗し、人民解放戦線JVPは左翼統一候補(JVPのNANDANA GUNATILAKE)を押し立てて闘いに立ちあがっています。
 前回の1994年第三回大統領選挙では、それまでの統一国民党UNPにかわって、自由党のチャンドリカ・バンダラナイケ・クマラトゥンガが大統領となり、共産党や社会党を含む人民連合PA政府が誕生し、現在に至っています。
 現大統領と人民連合PA政府は、それまでの執政大統領制などの悪法を95年6月15日までに廃止すると公約したにもかかわらず、公約を反故にし、いまだに独裁的な制度にしがみつき、労働者民衆に対する弾圧を継続しています。また、87−89年における10万人大虐殺の責任者の処罰・行方不明者の調査などの公約もまともに何一つ実行していません。
 今回の大統領選挙でもまた執政大統領制の廃止が最大の争点となり、この点をめぐって二分する闘いの場となっています。再びチャンドリカの再選を狙う人民連合PAも、ラニール・ウィックラマシンハ議長を擁立する統一国民党UNPも、共に執政大統領制の存続を願っています。こうした二大保守勢力に対して、人民解放戦線JVPや新左翼戦線NLFなどは労働組合・市民団体と共に、左翼統一候補を擁立し、執政大統領制の廃止を求めて選挙戦に打って出ています。
 また、チャンドリカ大統領と人民連合PA政府は今年中にやるべき総選挙(国会議員選挙)をできるだけ延期し、出来れば5年後に先延ばしすることを企んでいます。前回の総選挙は、94年の大統領選挙と同じ年に行なわれました。大統領選挙も、総選挙も5年以内にやらないといけないはずなのに、執政大統領制という独裁的制度のために、勝手に選挙を延期することができ、それが問題となっているのです。
 本来ならチャンドリカ大統領と人民連合政府PAも統一国民党UNPの側も、総選挙をやって単独多数を得たいはずです。現在は、225人の国会議員中、人民解放戦線JVP一人、タミール人団体一人、以外は、PAとUNPがほぼ議席を二分し、拮抗した状態なのですから。
 では、なぜ独裁的な執政大統領制を利用して総選挙を無理やりやろうとしないのでしょうか?今総選挙をやれば人民解放戦線JVPの革命的国会議員が議会のキャスティングボードを握るようになるからです。今年の1月から6月にかけての州議会選挙で大躍進したJVPの得票率からいって、国会議員選挙でもJVPが大躍進するのは間違いない予測となっています。スリランカの秘密警察NIBが、今総選挙をやれば20人のJVP議員が誕生し、ほぼ国会の1割ほどがJVPに占められると予測している事実が暴露されています。
 最近では、大資本の利害を代表するUNPの4人の国会議員と30人のUNP幹部がPAと手を組んで国民政府を作ろうという動きが表面化しています。これは、まさにJVPの躍進を恐れての反JVPの策動です。これまでスリランカでは、UNPとPAの二大資本化勢力が交代に政権をたらい回しする歴史経過がありましたが、JVPの躍進によりそうした構造が脅かされていることに対する危機感の現われです。
 11・13集会、コロンボのタウン・ホールにおける集会を皮切りに、人民解放戦線JVP、新左翼戦線NLF、ムスリム統一戦線MUFをはじめとする広範な左翼統一候補を押し立て大統領選挙戦を活発に展開しています。また、16日の選挙キャンペーン集会には、コロンボの市会議員S.E.マノハラムが登壇し、彼が属するタミール統一会議TUCも左翼統一候補支持に合流しました。されに北部のムスリム組織(インディペンデント・グループ)も参加しました。
 人民連合政府はテレビや新聞への検閲を強化し、政府側の一方的な宣伝のみを流布するという反動的な姿勢を固持していますが、それにもかかわらず左翼統一候補の陣営が拡大していることにおそれをなしています。JVPと左翼統一候補にたいする暴力的な脅迫・襲撃・選挙妨害の増加をはねのけ、意気揚揚と選挙戦を闘っています。
 日本の労働者・市民のみなさんが、スリランカの政治動向に注目され、ともに国際主義的な友好と連帯の絆を切り結んでいくことを願っています。(1999・11・21)


血の海を越えて飛翔する人民解放戦線JVP

 日本におけるスリランカに関する報道はじつに貧困です。政府軍とLTTE(タミール・イーラム解放の虎)による分離・独立の戦争がときたま報道される程度です。たとえば、中村尚司「スリランカ 多民族社会から学ぶこと」(AERA Mook『アジア学のみかた。』朝日新聞社1998)は、歴史的な経過については参考になりますが、通俗的な新聞報道と同じレベルにとどまっています。しかし体制を根本的に変革しようとする息吹という点で、この国は現在、世界で最も赤く、熱く燃える島なのです。

イギリスの植民地支配から2大保守政権のたらいまわしへ

 スリランカは、インドの南に位置し、人口およそ1800万人の北海道より少し小さな島国です。多数派のシンハラ人(敬虔な仏教徒が多い)と少数派のタミール人(人口の約2割、北東部に集中、ヒンズー教徒)、そしてタミール語を話すイスラムで主要に構成されています。かつてイギリスの植民地であった時代には、少数派であるタミール人エリートを使ってスリランカ全土を分割統治する政策がとられました。
 第二次大戦後、イギリスは多数派のシンハラ人勢力に権力をわたし、スリランカ(旧セイロン)は1848年に独立し、統一国民党UNPが政権につきました。そのためイギリスの銀行、貿易、プランテーションそして軍事基地など旧支配が温存されました。
 1953年には、UNP政権の内相で、5大地主の一人であるバンダラナイケが党内の反対派を引き連れて脱党し、自由党を結成しました。56年には総選挙で自由党が勝利し、共産党など左翼も入閣したバンダラナイケを首相とする政権が誕生しました。しかし、この政権がかかげる社会主義はまったくの空文句で、実際はシンハラ民族主義を体現するものでした。
 1960年には、前年に暗殺されたバンダラナイケの意を受けてその夫人が政権につき、世界初の女性首相が誕生します。しかし、自由党の支配、つまり自由党・共産党・平等社会党などによる統一戦線政府は、根本的な社会変革に手をつけず、発展する労働組合統一行動委員会の大闘争を弾圧しました。

革命勢力に対する二度の根絶やし的な弾圧=大虐殺

 65年に統一国民党が政権に復帰した後、1970年には再び自由党・共産党・平等社会党による「民主連合政府」が誕生しました。この政権に反対する大規模な反乱・蜂起が発展しましたが、そのとき最も革命的な勢力であった人民解放戦線JVPをはじめ反対勢力に対する大弾圧が凶行され数万の人々が虐殺されました。
 77年の総選挙では、三度UNP政権が誕生し、78年には憲法修正(大統領制導入と大統領特権)、79年にはテロ防止法PTAや非常事態法などを制定し、JVPとみなされた人々への迫害・虐殺が継続しました。
 また、70年代以降、シンハラ民族主義(シンハラ人優遇政策)に反対するタミール人の闘いが高揚しました。が、タミル・イーラム解放のトラLTTEによるタミール人民主派・左翼的諸組織に対するせん滅戦が強行され、タミール人社会におけるLTTEの主導権が独裁的に確立されていくかたちで分離独立運動が展開されていきました。
 1987年には、北東部の分離独立派と政府間の停戦やインド平和維持軍の北部駐留を認める「インド・スリランカ協定」が締結されました。この協定には、インドの力を借りて、LTTEの動きを抑制し、JVPの拠点である南部の民衆弾圧に集中する狙いがありました。この時期、統一国民党政府は途中からLTTEと和解・協力し、そうすることで再びJVPと民衆に対する10万人におよぶ大虐殺を凶行しました。

不死鳥のごとく甦り躍進するJVP

 スリランカにおける政治の経過、左翼の歴史は、日本におけるそれとはかなり異なった感があります。
 もともと第四インターの影響を受けた社会党の勢力があり、それが時の政権に荷担し、革命勢力を弾圧する側にまわりました。60年代には共産党も中ソ対立に引き裂かれました。スリランカの人民解放戦線JVPは、ソ連派はもちろんのこと、中国派の誤りにも自覚する中で、1965年にその産声をあげました。1960年代後半から70年にかけての、全世界的に高揚した激動期に、いわゆるゲバラ・カストロ路線の影響を受けながら、独自の革命勢力へと脱皮する努力が続けられていきました。
 上述のように、二度にわたる、文字通りの「キリング・フィールド」、一名を除く政治局員の虐殺、一世代の活動家の抹殺という試練を越えてJVPは生き延びただけではありません。世界中に亡命したJVPは世界十数カ国に国際組織を建設し、スリランカ本国でもおおいなる反転攻勢を実現しているのです。

 1994年8月の総選挙で自由党・共産党・平等社会党などで構成された人民連合PAが勝利し、同12月には大統領選で自由党のチャンドリカ大統領が誕生しました。しかし、PA政府は、執政大統領制の廃止という公約を反故にし、検閲制度を復活させ、現在にいたるまで労働者民衆への過酷な弾圧を継続しています。
 しかし、94年以降合法化されたJVPは、一連の根絶やし攻撃をはねのけ、急速に勢力を拡大しています。94年の総選挙では、獄中から立候補したJVPメンバーが国会議員に当選し、97年の統一地方選挙では101名の市会議員を、99年の州議会選挙では25名の革命的議員を誕生させ、今現在12・21大統領選挙に左翼統一候補をおしたてて大胆に打って出ています。

 89−91年以降の世界の共産主義・左翼勢力の困難な状況をかんがみれば、スリランカにおけるJVPの躍進は画期的なことです。JVPの国際主義的な活動や民族問題への対処などにおいて、とりわけ日本の左翼勢力がJVPに着目し、学び、教訓化し、連帯することが決定的に問われていると思います。

(津村 洋)


11月の英雄たちを記念する10周年集会

入管・警察の弾圧に抗しJVPへの支持拡大

 11月21日(日)人民解放戦線JVP日本委員会は、東京近辺で「11月の英雄たちを記念する10周年集会」を成功のうちに開催しました。
 この秋、10、11月にさらに強化された在日スリランカ人労働者たちに対する入管・警察による弾圧にもかかわらず、集会には100名近い人々が結集しました。11月だけでもおよそ50名の在日スリランカ労働者・JVPメンバーが拘束・送還=追放されています。そのため集会には初めての参加者の顔が目立ちました。在日スリランカ人2000人のうち100名近い結集を実現しているのですからまさに凄いの一言です。
 午前10時からスリランカでの89年大虐殺下で英雄的に闘った歴史、現在にいたるJVPの闘いの息吹を伝えるパネル写真展が行なわれ、正午過ぎから5時前まで集会が開催されました。会場正面には、集会タイトルの下に、(一人を除く他の政治局員とともに)虐殺された指導者ロハナ・ヴィジェヴィーラ同志の遺影が飾られ、その横には「愛する英雄たち 我々があなたたちを本当に記念できる日はそう遠くない」と記されていたのが印象的でした。
 集会は、統一国民党政権UNPによる(89年を頂点とする)大虐殺の犠牲者たちに献花をし、長い黙祷をすることから始まりました。
 司会はアヌラ・ガマヘANURA GAMAGE同志で、フランスに亡命中のソマワンサ・アマラシンハSOMAWANSA AMARASINGHA委員長からのテープによる演説、名古屋で組織化に活躍中のスダト・アラハコンSUDATH ALAHAKOON同志の演説が続き、いったん休憩。(休憩中は参加者全員にサンドイッチなどの軽食と美味しいスリランカ紅茶がふるまわれました。)
 後半の最初に、コム・未来から参加した5人がそれぞれ連帯の思いを述べ、いよいよメインの基調報告です。元クルネガラ地区の市会議員のニマル・バラスリヤNIMAL BALASURIYA同志が1時間半にわたる熱弁をふるいました。発言を聞く参加者の集中力がまたたいしたものです。
 つづいてJVP中央委員のサマン・プリヤンカラSAMAN PRIYANKARA同志が発言し、12・21大統領選に向けた左翼統一候補陣営のアピールが読み上げられ、選挙運動支援の訴えがなされました。それに応え、その場で参加者からなんと100万円以上のカンパが集まりました。ほんとうに力強い支持・支援の熱気です。
 ついで、8人のJVPメンバーが前に出てスリランカの革命歌を三曲歌い、最後に全員でインターナショナルを合唱し、集会は成功裡のうちに幕を閉じました。
 70年代初頭、80年代末の二度の大虐殺、つまり革命を志す一世代の根絶やし攻撃から不死鳥のごとく甦り、99年州議会選挙での一大躍進から12・21大統領選挙へとますます発展し、前進するJVPの熱と光を肌で感じるような集会でした。

(津村 洋)


スリランカの同志たちの集会に参加して

 われわれは、組識の内外協力して、「民族問題」についての学習を組織する事にした。その準備の過程で、スリランカの同志たちから多くの示唆を受けた。
 その内容は、次号に詳しく載せられると思うが、一口で言うと、「分離主義反対」と言うことである。この事は、誤解のないように正確に説明する必要があり、ここではこれ以上深入りしないが、わたしには、学習の前提として、なぜ、スリランカの同志たちに、このような正しいスローガン・・・・ その背景にある正しい思想が根づいたのかを知っておく責任があると考えた。それで、少しでも闘いの現場の様子が分かるようにと思い、スリランカで十年前に起こった六万とも十万ともいわれの人々の反動派による虐殺の犠牲者の追悼の集会に参加した。
 シンハラ語もタミール語も、もちろん一言も分からない。しかし、集会の会場が、話し手も聞き手もともに集中しているとき、意味の分からない言葉が飛び交う会場に五時間ちかい時間、「緊張の共有」が出来る自分を発見した。
 闘争が「路線の正しさ」を生む。そしてその路線が「闘争の発展」を生む。
 われわれの闘争に欠けているこの「法則」がそこに働いている。学ばなければならないのは、「理論」だけではなく、闘いの中で路線を発展させたというこの運動の全体である。

 以上  荒川亘


入管・警察による最新の弾圧情報

在日スリランカ人・外国人排斥を許すな!

 1990年代の日本の出入国管理行政は日本に入国を希望する外国人にたいしても、在日外国人にたいしてもますます厳しく、過酷なものに変容しています。だいたいNPO法案が成立した時期以降、とくにここ数年はそのひどさを増しています。日本の労働者・市民がこの事実にたいして何も知らず、あるいは無頓着であっていいはずはありません。
 長引く不況のもとで、もっとも深刻な打撃を受けているのは在日外国人労働者たちです。様々な諸国からやってきた在日外国人労働者は、真っ先に職を失い、労働条件の悪化に苦しみ、あるいはますます頻繁になっている「不法滞在」狩りによって拘束・送還され続けています。
 在日スリランカ人およそ2000人という比較的小さな規模での最新のデータをご紹介しておきます。この11月だけをとっても、以下のような日時・場所で在日スリランカ人が拘束され、送還され、あるいは送還されようとしています。

11月02日 千葉県成田市  5人
   09日 千葉県佐原市  6人
   13日 千葉県佐原市 30人
   13日 茨城県水海道  5人
   21日 茨城県取手市  3人

 人民解放戦線JVP日本委員会の情報によると、別掲の「ランカ・ディーパ」紙の記事が出た以降、この秋からは、拘束・送還の頻度がいっきょに増大しているます。その過程で、入管だけでなく、警察当局が拘束・送還に協力することがますます露骨になされています。また、入管によって英語のビラがまかれ、2000年2月18日までに帰国しないものは、「不法滞在」の年月だけ拘禁されると恫喝しているのです。
 こうした動向は、在日外国人にたいする排外的攻撃の一環であるとともに、明らかにJVPにたいする入管・警察一体となった弾圧・組織破壊攻撃に他なりません。
 日本の労働者・市民は、こうした現実を直視し、在日外国人の無権利状態の打破・政治活動の自由を擁護し、日本政府による在日外国人排斥に反対していかねばなりません。日本政府・入管・警察は、在日スリランカ人・外国人にたいする不当な監視・拘束・送還をただちに止めよ!(国際スタッフB)


JVPに関する情報資源

【JVPに関するパンフレット・記事・新聞】

ロハナ・ヴィジェヴィーラ「たとえ我々は殺されても我々の声は生き続けるだろう」JVPのパンフレット
「われわれの過去」JVPのパンフレット
「人民解放戦線JVPの革命的政策宣言」JVPのパンフレット
サマン・プリヤンカラ「壊滅的弾圧はねのけ非暴力路線を確立」『カオスとロゴス』No.15 99年10月
サマン・プリヤンカラ「弾圧はねのけ非暴力路線に」『QUEST』No.3 99年9月
津村洋「アジアを知るBスリランカ民主社会主義共和国」『QUEST』No.3 99年9月
「JVPのアマラシンハ委員長に聞く」1〜3 「Workers」No.98〜101
阿部治正「スリランカの階級闘争の現段階について」上・中・下「Workers」No.92〜94
サマン・プリヤンカラ「スリランカの民族問題について」「Workers」No.91
(その他、「Workers」のバックナンバーに多数の関連記事あり)
細井光子「<サロマ>の叛乱−セイロン人民解放戦線の武装蜂起」『情況』71年7月
「Red Power」(JVPの英文機関紙、現在まで16号まで発行)

【JVPに関する情報が得られるホームページ】

JVPインターナショナル(日本語・英語)
http://www.bekkoame.ne.jp/i/jvp/
JVP(スリランカ)(英語)
http://members.tripod.com/~jvp_srilanka/index.html
JVP(オーストラリア)(英語)
http://www.wwwdesign.net/indexa.html
コム・未来(日本語・英語)
http://www.ne.jp/asahi/com/f/
『国際主義』編集会議(日本語・英語)
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/
ワーカーズ・ネットワーク(日本語)
http://www.ne.jp/asahi/workers/net/
人民解放戦線JVPとスリランカ情報
http://www.ne.jp/asahi/com/f/group/jvp
スリランカの労働者人民に連帯しよう!
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/struggle/japan/srilanka/srilanka.html

(以上の情報資源に関するお問い合わせはコム・未来までどうぞ)


共産主義協議会・未来(コム・未来) 新たな協議・協働へ、論争と行動の波よ起これ!