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人々の網の目 - Web of People -

 たとえていえば、素焼きの陶器の素朴さ、簡潔さ。一切の装飾を排した機能美と骨太さ。ウェッブサーフィンと称して、色とりどりのサイトの森を渉猟した後に、無意識に手にする器。帰り着く原点。それが後藤斉のページだろう。
 後藤は東北大学の大学院文学研究科に籍を置く言語学の研究者。ラテン語、エスペラント等の国際語論に関心を寄せるとあって、トップページは日本語、英語、エスペラントの三語で表記されている。日本語を選択し、この巨大サイトに分け入っていこう。その先には広大なリソース群へとつながる二本の道筋がある。既に広く知られた「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」 <http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/kanren.html>と「国内人文系研究機関WWWページリスト」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/zinbun.html>がそれだ。
 だがこのサイトの「見るべきもの」は、この二本のリストだけではない。いやむしろ、この二本のリストを生み出し、維持してくるなかで培われた後藤の知見、それをまとめた幾つかのドキュメントにこそ、それは潜んでいる。「ウェブページのリンクおよびその他の利用について」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/webpolicy.html>と「よいウェブページを書こうとする人のためのヒント」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/webauthoring.html>という二つのドキュメントはその代表格だ。
 「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」 と「国内人文系研究機関WWWページリスト」は、いわゆるリンク集。いまから遡ることおよそ六年、一九九五年一〇月頃に「折角探し当てたサイトの情報を独り占めするのはもったいないと思」った後藤が東北大学文学部の共用サーバに置かれた掲示板で公開したのがその始まりという(「「学内WWWあんなページこんなページ 第3回: 国内人文系研究機関/言語学関連研究機関WWWページリスト」、『SuperTAINSニュース』第13号(1997), pp.6-9.)。
 「WWWをこの分野の学術情報の流通のためにより効果的に活用できるようにすることを目的」とする「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」は二部構成(「国内言語学関連研究機関WWWページリストについて」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/kaisetu.html>)。第一部は学会編、東日本編、西日本編に、第二部はリソースの形態別、対象とする言語別に分かれている。この分類軸のなかに、研究機関のサイトと後藤の判断で取捨選択された研究者の個人サイトがひしめき合っている。
 このリストの際立った特徴は「国内言語学関連研究機関WWWページリストについて」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/kaisetu.html>という形でこのリストの目的や収録の基準、対象、範囲が明示されていることだろう。そしてこれらの明示内容が事実これまで実践されてきたことだろう。研究者によるものだけに絞っても既に膨大なリンク集が生み出されている。だが、これだけ毅然とした目的意識と方向性を示し、かつそれを空手形に終わらせないでいるリンク集は他にはない。
 もう一つの「国内人文系研究機関WWWページリスト」は東日本編、西日本編に分かれ、主に大学の学科、講座、研究室のサイトを収録した第一部と、リンク集、資料展示といったサイトの形態別に四つに分けられた第二部からなっている。「語学、文学、歴史学、哲学、心理学、社会学、行動科学、文化人類学等を指し」て「人文系」とし、この範囲で研究機関や個人のサイトが収録されている。当然収録数も相当なものだ。特に小規模の学会、研究会のサイトが網羅されており、学会のサイトを集めた国立情報学研究所のAcademic Society HomeVillage<http://wwwsoc.nii.ac.jp/>の不足を補っている。しかし、数にのみ目を奪われるのではなく、リストの分類軸のオリジナリティーにも注目したい。たとえば第二部にある「資料展示」という項目。各地の大学図書館があくまで個別にウェッブで公開していた貴重資料に「資料展示」という一致点を見い出し、実際にリンク集としてまとめあげたのは日本では後藤が初めてだろう。
 先駆者として後進の模範となってきたこの二本のリストだが、実態は後藤があくまでも「個人的な関心で作っているもの」である。このことは両リストの冒頭に明示されている。だが個人の関心に基づくものであるだけに、逆に後藤自身のポリシーをみてとれる。たとえば、これは二つのリストがある意味不親切なものであることにもみてとれる。収録サイトに付された説明文は簡潔にまとめられ冗長ではない。そのため実際にそのサイトをどう役立てられるかの判断は利用者に委ねられている。サイトの分類においては学問分野ごとに項目が立てられているわけではない。そのため利用者は自分の求めるサイトを探して、この長大なリストを歩き回らなければいけない。いわば利用者にとっての単純な利便性から距離をおいている。ここには「インターネットを学術目的に十分に利用しようとするならば、当然のことながら利用者の側に目的意識と主体的な努力(それにかなりの時間といささかのお金の投資)が必要である」(インターネット言語学情報 第2回 ― 人文科学全般、『月刊言語』第27巻(1998)2月号, pp.98-99 掲載)という一文に示された後藤の意思の実体化をみてとれよう。
 実際、作者としてのポリシーについて、後藤自身は次のように語っている。

「このリンク集はWWWについての私なりのポリシーの表現でもあります。……。できるだけ広い範囲のブラウザがアクセスできるように、正しいHTMLを使うよう心がけています。また、テキストのみでのページの構成にこだわり続け、さらに、リンクはリンクする側の自由である、との立場を明確に主張しています」。(「学内WWWあんなページこんなページ 第3回: 国内人文系研究機関/言語学関連研究機関WWWページリスト」、『SuperTAINSニュース』第13号(1997), pp.6-9.)

 リストのなかに織り込まれたこれらのポリシーをより直接的に語ったのが、「ウェブページのリンクおよびその他の利用について」と「よいウェブページを書こうとする人のためのヒント」といえる。
 「ウェブページのリンクおよびその他の利用について」へは後藤のサイトのすべてのページに入り口が設けられている。ページの左上にある「リンクは自由!」がそれだ。クリックすると、「リンクは自由である!」「印刷媒体での言及も自由である!」「引用は公正な慣行に従って!」「無断複製は違法である!」という四つのメッセージが掲げられた「ウェブページの利用についての方針」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/policy.html>があり、ここを経て「ウェブページのリンクおよびその他の利用について」に辿り着く。ここで展開されるのは、ロジカルな思考と法的裏付け、そして表現者としての自覚と自負に支えられた文字通りのマニフェストの世界。議論をウェッブの世界に閉じ込めない姿勢、ウェッブから出発しつつも世界に広がっていく思考……。丁寧な議論を経て示される「表現行為一般が表現者の自由意志と良識と責任とにおいて行われることであるのと同様に、リンク行為はリンクを張る側の自由意志と良識と責任とにおいて行われるべきことである」という言葉は、我々に表現者としての自覚をこれ以上ないくらい強くうながすものだ。
 同じことは「よいウェブページを書こうとする人のためのヒント」にもいえる。

「ウェブページの作成は著作物を世界に公開する主体的な表現行為であり、大きな責任を伴う。その責任を全うする意思のない者はウェブページを公開すべきではない」。(全体的な心構え)
「自分の書いた物が一般の批評にさらされていることを常に意識する」。(コンテンツに責任を持つ)
「誰に読まれても差し支えない物だけをウェブ上に載せる」。(コンテンツに責任を持つ)
「時間の経過によって妥当でなくなった表現は変更する。ただし、古くなった物も、なるべく記録として残す」。(内容の妥当性を常に吟味する)

といった数々の指摘は、ウェッブに生きる我々の覚悟を問い直す迫力がある。言うまでもなく、このドキュメントはただそれだけ独立して存在するのではない。既にみてきたような後藤の数々の発信と一体となって、そこに実体化されて我々に提示されている。ポリシーそのものを明瞭に語ることを怠らず、同時にポリシーを実際の行動とその成果のなかに埋め込んでいく。この決して容易ではない作業を積み重ねて既に六年。我々を粛然とさせるだけ力を後藤の言葉が持つのは当然といえよう。冒頭に述べたように、後藤のサイトがウェッブサーフィンの末に無意識に手にする器であり、帰り着く原点であるというのはまさにこのためだ。
 ここで語られる過去は慎ましい。たとえば、

「むしろ特徴的なのは、理科系より遅れたということではなく、商用利用の進行とほぼ同時に進行していることであろう」。(人文学研究とインターネット、『人文学と情報処理』15(1997), pp.9-14 掲載)

無造作に飛び交う「学術利用から始まったインターネット」という表現をこれは根底からくつがえす。当時を知る者こそが語りうる過去の証言。この認識を出発点に後藤は、リンクによる有機的な結びつき、ゆるやかな結合に「学術ネットワークとしてのインターネット」の特質と可能性をみる。

「一つのウェブサイトには研究者の自己紹介や著作のリスト、文献目録、テキストデータ、画像データ、催しの案内や記録など種々の情報が混在している。このような情報を細分化し、集積し、内容に応じて再編成することによって、それぞれの情報は何倍もの価値を持つことになる。このように再編成された情報はデータベースを構成することになるが、その作成には人間の判断、しかもそれぞれの分野の専門家による的確な判断を経ることが必要である。……。このような情報の集積と再編成は分野ごとに一種類しかあり得ないのではなく、だれでも自分なりのやり方でできる。 WWWは、単に一サイトからの一方通行の「情報発信」でなく、多くのサイトがそれぞれ連携しあるいは建設的に批評し、有機的に関連し合った情報を発することによって、全体として質の高い学術情報の流通の場になるのである。そして、このようにして形成されるゆるやかな分散型総合学術情報システムこそ最もインターネットの長所を生かした使い方だと筆者は考える」。(人文学研究とインターネット、『人文学と情報処理』15(1997), pp.9-14 掲載)

過去の事実から発し、実現されるべき未来を描く。そして現在はかく語られる。

「インターネットが提供するのはインフラストラクチャに過ぎない」。(インターネット言語学情報 第20回 ― 人文科学全般(2)、『月刊言語』第28巻(1999)8月号, pp.106-107 掲載)
「人文系の研究目的での利用のスタイルが確立していない」。(人文学研究とインターネット、『人文学と情報処理』15(1997), pp.9-14 掲載)

一見当たり前のことの指摘に過ぎないように思える。だが、後藤のいう「ゆるやかな分散型総合学術情報システム」を思えば、厳しい現実だ。当然後藤にも楽観はない。いやむしろ悲観すら感じさせる。だが、みつめる淵が深ければ深いほど、厳しい課題を発見し、それに立ち向かおうとする人間がいる。後藤はまさのその一人だ。未来を可能なものとするために我々に課されるものをこう指摘する。

「人文学の研究者にとって「ネットワーク」はケーブルのネットワークでも電子信号のネットワークでもなく、研究情報のネットワークであり、人間のネットワークであるはずである。大事なのはインフラストラクチャーではなく、その上に構築される学術情報の流通の場である。これは多くの分野でまだ十分には成立していないし、近い将来に成立するかどうかも楽観はできない。しかし、これは、それに参加しようと思う個々人が積極的・能動的に参与しなければ決して達成されるはずはないのである。その意味で、人文系のネットワーク利用の将来は、現在の利用者の利用のしかた如何にかかっている」。(人文学研究とインターネット、『人文学と情報処理』15(1997), pp.9-14 掲載)

そして、「目的意識をもった利用のスタイルを確立する必要性はかえって高まっている」(インターネット言語学情報 第20回 ― 人文科学全般(2)、『月刊言語』第28巻(1999)8月号, pp.106-107 掲載)ことを示し、未来の構築への参加に我々を導くのだ。この「目的意識をもった利用のスタイル」の実像は語られていない。いや語りようがないであろう。なぜならば、それはウェッブに臨む一人ひとりが自分自身の力で自分だけの答えをみつけることから始まるからだ。だがその出発点、最初の一歩は後藤から学べるだろう。
 たとえば、サイト冒頭で「最近の活動」として講義や論文の執筆といった研究者として一般的な活動とともに、「「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」 と「国内人文系研究機関WWWページリスト」のメンテナンス」を後藤が挙げていることに注目したい。この一行がスペースの埋め草などではないことは、

「後藤は、このリスト中の後藤が書いた文章について言語の著作物としての著作権を、URLの選択・分類・配列に関して「データベースの著作物」ないし「編集著作物」としての著作権を主張します」(「国内言語学関連研究機関WWWページリストについて」<http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/kaisetu.html>)

という強い意思表示にみてとれよう。ウェッブでの活動を従来の研究活動と併記し、その成果への権利を主張する。これはウェッブでの活動そのものを研究活動と同格・同等に扱うことを意味しよう。たとえば、ここに後藤の「目的意識をもった利用のスタイル」がうかがるのではだろうか。いや先駆者たる後藤に我々が倣えるなにものかがあるはずだ。
 ウェッブ上での営みが研究活動と同格のものとなるか、同等のものとなるか、それはまずはひとえに発信する者自身の矜持にかかっている。講義や論文の執筆と変わらぬ姿勢でウェッブに臨むこと、そしてその姿勢を明示すること。それが「目的意識をもった利用のスタイル」の確立に近づく最初の一歩であろう。(2001-11-14記、2003-02-23補)


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