発信者は教育行政に深く関わる研究者。一般にはなじみの薄い立場であるだけに、このような発信の存在をまず評価すべきだろう。公開されているのは、言葉でのコミュニケーションにこだわった取り組みの一端。「いじめ問題はコミュニケーションの問題だ」と言い切るように問題意識は鮮明だ。そうした意識があればこそだろうか、いじめの存在を直視しようとする姿勢も確固としている。
それだけに公開が部分的であることが惜しまれる。たとえば、ここで言われているコミュニケーションによる相互理解とは可能なのか、そもそもなぜコミュニケーションなのかという疑問を持っても、発信者の真意を読み取りにくい。いきおい疑問は深まらない。せっかくの発信である。また既に述べたように存在そのものが貴重な発信でもある。発信者の考えを全体的に把握できるように、さらなる公開を望みたい。(2002-03-18記)