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"Ask not what the net can do for you-ask what you can do for the net."

ACADEMIC RESOURCE GUIDE

Science, Internet, Computer and ...


 ◆◆No.054(2000-02-05)

 ◇◇羅針盤 - Science, Internet, Computer and ...

「ネット文献の引用方法について――学術資源としてのネットの可能性――」

指宿信(鹿児島大学)
Dr. Makoto Ibusuki(Kagoshima University)

あなたの妹からロケット工学の研究者まで、誰もがインターネットで「出版」できるということを覚えておきなさい。(ウィスコンシン大学マディソン校ライティング・センターのホームページにおける注意書きより)

はじめに

 インターネットの発展に伴って、学習や研究資料としてネットワーク上の諸文献が参照、利用されることが多くなってきている。しかしながら、インターネットで発見した資料を、論文その他においてどのように引用すべきかということについては、少なくとも事実標準となる引用形式がまだ存在しない。本稿は、ネット文献の引用方式にかかわる問題を提示する。そのうえで、これまで考案されてきた方策や提案を参照しながら、解決に向けた可能性を探ろうとするものである。

 ネットワーク上には、学術論文において依拠するに足る、膨大な数の優れた資料が存在している。ところが、そうした資料については、ネットワークに置かれているデータに特有の欠点も少なくない。そうしたことから、学術情報が今後ますますオンラインに登場すると考えられる一方で、不安定なネット文献への依拠についてはその利用に消極的な見解も根強いし、インターネット上の学術出版が業績として評価されないという現実も存在している。本稿は、このような状況下でのネット文献の引用というテーマを通して、ネットワーク時代における学術資源のあり方について考察を試みる。

1. 引用とは何か

 さて、一般に、自己の著作物において資料を引用する作業を、「サイテイション(citation)」と呼んでいる。サイテイションの目的は、著者が依拠している資料のありかを読者に認識させ、発見させることを可能にすること、と要約できるだろう。したがって、サイテイションには次のような点が求められていると言える[1]。

 第一に、読者が必要とする「すべての情報」を含んでいることである。資料の情報源、発見の道筋などが示されていなければならず、それ以上でも以下でもない。第二に、一次情報が示されることである。基本的に、孫引きではなく直接資料が参照依拠されなければならない。第三に、オーソライズされた資料が示されることである。引用される資料がオーソライズされたもの(正当性のある資料)でなければ、記述に対する信頼性も失われかねない。第四に、引用個所の特定ができることである。第五に、同時表示性が求められる。サイテイションのために複数のページを参照するよう要求することは読者の時間を無駄にする。最後に、サイテイションはエレガントでなければならない。必要とされるものを、可能な限り短い情報で済むような形式で提示されるべきである[2]。

 紙媒体については、長い印刷出版の歴史と文献学の発達と共に、既に分野毎あるいは国毎に引用法が確立していると思われる。それらのいずれの標準様式も、上に示された要求を、基本的に満たしているであろう。

 本稿は、ネットに現れている諸資料が紙媒体と同様に学術的引用対象として利用可能かどうかという問題について、これを引用という視点から考察し、これまで提唱されてきたネット文献引用法を紹介しながら進むべき方向を検討するものである。

2. ネット文献の特徴

 インターネットには様々なリソース(資料)が提供されているが、本稿では、コンピュータ・ネットワーク上で読むことのできる資料を差し当たり「ネット文献」と呼んでいる。これに対応する概念として、紙媒体の資料をペーパー文献と呼ぶことにしたい。

 本稿で、ネット文献として念頭に置かれているのは次のものである。まず、第一は、今日のインターネット興隆を支えたWWWを筆頭に、サーバー上にあるコンテンツである。WWWに止まらず、FTP、TELNET、あるいはGOPHERサーバーなども含まれる。第二に、必ずしもサーバーに蓄積されない、電子メールやネットニュース、メーリングリストなどのフローなコンテンツである。

 このようなネット文献には、これまでの紙媒体の資料と比較して次のような特徴がると捉えることができるだろう。

2-1 出版・発信の簡便性

 冒頭の引用が示すとおり、情報発信の簡便さが、「印刷出版」によるペーパー文献からネット文献を区別するひとつの特徴である。誰もが情報を発信できるというメリットがもたらしたインパクトは大きい。しかし、このことがデータの信頼性や正確性に対する評価を危うくしている。ネット上に編集者はいない。したがって、誰もが資料を公開提供できるわけだが、そのクォリティやオーソリティを誰も保証していない。

2-2 資料の鮮度

 一般にインターネットでは新しい情報が流通しやすい。コストについてもペーパー文献と比べると著しく低く、迅速に資料を公開することができる。しかし、サイトによっては古い情報を更新しないまま放置する場合もあり、サイトのメンテナンスが必ずおこなわれているとは限らない。組織的に運営されている場合は別にして、運営者や担当者の交代によって意欲のない者が責任を負うことになった途端、更新が止まってしまうこともある。

 また、データの入れ替えは煩雑で、誰もがその作業を継続しておこなえるとは限らない。ネットに公開するのは容易だが、継続するには大変な根気と労力を要する。

2-3 資料の保存・公開・管理

 デジタル資料は保存が容易であり、かつ管理も一元化しやすい。また、大規模なコレクションを一般に公開・貸出することはその管理面や運用面でも困難が多いが、ネット上であればサーバーを管理するだけでマンパワーは必要ない。

 しかし、公開しやすいということは削除しやすいということとほとんど同義である。引用したい資料を収録するサイトが何時までアクセスを保証するかは利用者にはわからない。紙媒体は、頒布されれば物理的にアクセス可能な場所に置かれている限り、半永久的に保存可能であるので、読者は著者の引用した資料を同時代はもちろん、後の時代にも追跡可能となる。ヴァーチャルな資料であるネット文献は、サーバーの存在に依存しており、その資料が存在する期間について保証がない。また、フローなコンテンツについてはアーカイブが未整備であることも多く、事後的な検証ができない場合もある。

2-4 資料の形態

 紙媒体にはページという単位がある。しかし、ウェッブや電子メールにはページ概念がない。本稿もまさにその典型であるが、これはCD-ROMなども含めたデジタル出版に共通する特徴である。活版印刷に入る前の時代、文献とは巻物であった。ブラウザ上で表示画面を動かすことを「スクロール」と呼んでいるが、この用語はまさに巻物(scroll)から来ており、資料の形態がふたたび活版印刷以前の時代に戻ったわけである。リアルな世界の出版では、ページ概念によって資料が切り分けられる。ネット文献にはそのような単位が存在しない。

 また、ペーパー文献では「出版」にあたって、流通、制作コストあるいは保存といった制約のため分量(通常は頁数)に制限があるのが一般的である。これに対して、ネット文献の場合は、読者に対する便宜や読みやすさへの配慮を別にすると、分量上の制約は小さく、これが大量の資料の迅速簡便な伝達を可能にしている。

3. ネット文献の引用上の問題点

 インターネットに展開する様々なリソースを著作物で引用しようとする場合に出会う問題点は少なくない。サイテイションに当たって考慮されなければならないのは、次のようなものである[3]。

3-1 資料のオーソリティ

 紙媒体で引用される資料には、著者情報と出典情報は欠かせない。しかし、ネット文献にはしばしば匿名のものが見受けられる。これを引用することは、作成者・執筆者を不明なまま引用することとなり、オーソリティに欠けることとなる。出典情報についても、ペーパー文献であれば出版社や刊行母体が明らかにされるのが通常である。ネット文献では、URLに記載されたドメインから判定可能な場合を除いて、データの帰属先を特定することが困難である。

3-2 資料の正確性

 誰もが情報を発信することのできるネットの世界では、正確性についても疑問が生じる。匿名による文献は言うに及ばず、公的サイトにおいてすら、サービスされているデジタル資料の正確性を消極的に解しているところがある。合衆国の最高裁判例データを提供するコーネル大学のデータベースLIIには即日の判例速報である旨の断りがあり[4]、世界最大の法情報データベースであるAustLIIでは、正確性やアップ・デイトを求める場合には他の媒体を参照するよう利用者を促している[5]。

3-3 検証可能性

 著者が依拠した資料を読者が参照することができなければ、著作内容の信頼性を確認するすべがない。先に触れたように、ネット文献を収録するサイトがそのディレクトリ構成を保証しないため、特定の資料が消失しないまでもロケーションが変動することがしばしばおこる。また、ときにはサイトそのものが消失してしまうこともある[6]。これでは、著作物の内容に対する信頼が損なわれ、反論や批判、批評のための検証作業がおこなえない。わたしの書いた書物は何時までも図書館の書庫の片隅でほこりをかぶり続ける。しかし、わたしという存在がこの地上から消えれば、次の管理者が現れたとき、わたしのホームページ用のディレクトリは早晩消失してしまい、データも失われるだろう。

3-4 改訂過程の可視性

 ネット文献は、文献学的に次のような問題を抱えている。第一に、改訂過程の可視性である。これは、現在通用するヴァージョンだけではなく、以前の版も観ることができなければならないことを意味するが、古い版はインターネットでは通常消去されている。すなわち、版の進行による歴史的研究ができないのである。たとえば、以前にアップされた内容を見たい場合や、現在のものと比較したい場合、今のインターネットでは難しい。

 第二に、どの部分が、いつ改訂されたかという改訂情報に欠けている。改訂が容易である一方で、改訂情報を含むリソースは少ない。どの部分が改訂されたかを知ることも容易ではない。紙媒体であれば、ルーズリーフ・サービスなどでセクション毎にアップ・デイトされた日付がわかるようになっているのと対照的である(改訂問題)。

3-5 ロケーション情報の煩雑

 紙媒体におけるサイテイションは、エレガントである。不必要な情報は省かれ、読者が当該資料に到達するための情報に絞られている。ネット文献の場合、引用事項としてURLは欠かせないが、URLはしばしば長大になる。これは、何をどれだけ盛り込むべきかについて、紙媒体であればサイテイションのフォームにおいてコントロールできるのに対して、ネット文献の場合には、データを提供する側に全面的に委ねられているからである。たとえば、階層構造をとったデータベース系サイトの資料を引用する場合には、URLの長さは極端に長くなる。

3-6 引用個所特定の困難性

 ページという単位によって構成されているペーパー文献の引用に対して、ネット文献を引用するにはページに代わる個所特定の様式が必要になる。これがなければ、正確な引用情報を読者に与えるのが困難になる。読者に当該引用文献が知らされても、筆者がどの部分を参照するよう促しているのかを知ることができなければ、サイテイションの要件を満たさない。これは、学術情報の共有伝達という観点からは致命的な欠点である(ピンポイント問題)。

4. ネット文献引用のガイドライン

 諸種のネット文献のガイドラインが提唱されているが、形式的、様式的な部分からネット文献利用を促進するためのいくつかの工夫が試みられているのでそれを紹介しよう。

 第一には、URLの表記をどのようにおこなうかという問題である。ネット文献をハイパーテキストで引用する場合にはHTMLとして埋め込めばそれで足りるが、紙媒体にネット文献を表示させるにあたっては、単にURLを記述するか、アングルブラケット< >などで囲むかのいずれかである。既存の引用法においてアングルブラケットが使われていなかったことから、推奨されることが多い。もっとも、その利用についてはHTMLのタグと混同されることから避けるべきとの指摘もある。

 第二は、検証可能性に配慮して、WWW上の資料について参照した日付を入れるという工夫もしばしば見られる。もっとも、日付を入れたとしても当該資料が事後的に消失した場合には意味がなく、筆者がサイトを参照した日時が特定されるだけに止まる。

 第三には、ページに代わる個所特定については、法律の世界ではパラグラフ特定方式が有力に主張されてきている。カナダやオーストラリアの最高裁判所、合衆国のいくつかの州最高裁判所では、公式のホームページで提供される判例にパラグラフ番号が付されている。

 他方、オーソリティに関する問題点をクリアすることは容易でない。それについては引用方式の問題に還元できないからである。そこで、この点については次節で触れることにしたい。

 現在のところ、英語圏の学術出版でネット文献を引用する際には、つぎの四つのガイドラインが参考にされるのが一般的であるようだ。

1) The Chicago Manual of Style, 14th ed. (Chicago: University of Chicago Press, 1993). これはシカゴ大学出版会から提唱された引用法であるため、シカゴ・スタイルと呼ばれている。

2) the MLA Handbook for Writers of Research Papers (1995) by Joseph Gibaldi MLA(Modern Language Association)によって提唱されている引用法で、MLAスタイルと呼ばれる。<http://www.mla.org/style/style_index.htm>

3) The fourth edition of the Publication Manual of the American Psychological Association (1994) APA(アメリカ心理学会)によって提唱されている引用法であるので、APAスタイルと呼ばれる。

<http://www.uvm.edu/~xli/reference/apa.html>

4) the sixth edition of Scientific Style and Format: The CBE Manual for Authors, Editors, and Publishers, published by the Council of Biology

Editors in 1994 出版編集者向けでCBEスタイルと呼ばれる。

 大まかに分けると、シカゴ・スタイルとMLAスタイルは人文系のスタイルであり、APAとCBEは自然科学系のスタイルに準拠している。これらのガイドラインの比較参照については、<http://www.bedfordstmartins.com/online/shrttoc.html>が便利である。同ページは、ネット文献の引用法を論じた書物、Andrew Harnack and Eugene Kleppinger, Online! A Reference Guide to Using Internet Sources, 1998Ed.(Bedford/St. Martin's, N. Y., 1998)のホームページである。また、Janice R.Walker and Todd Taylor, The Columbia Guide to Online Style by (ColumbiaUP,1998) <http://www.columbia.edu/cu/cup/cgos/>は、上記四つのスタイルを参考にしながら、人文系、自然系に分けてネット文献の引用法を提唱する。

 ここでは、四つのガイドラインの用例から、ウェッブ文献の表示についてのみ紹介しよう。それぞれ次のような様式が求められている。

 シカゴスタイルでは、著者名・当該ページのタイトル(引用符付き)・サイト名称(任意)・発行日(もしくは改訂日)・URL(アングルブラケット)・訪問日付(丸かっこ)で表示される。

 Joseph Pellegrino, "Homepage," 24 September 1997, <http://www.english.eku.edu/pellegri/personal.htm> (7 November 1997)

 APAスタイルでは、著者名(セカンドネームが冒頭)・発行年・タイトル・URL(アングルブラケット)・訪問日付(スクエアブラケット)で表示される。

Walker, J. (1996). APA-style citations of electronic sources. <http://www.cas.usf.edu/english/walker/apa.html> [1997, April 29].

 MLAスタイルでは、著者名(セカンドネーム冒頭)・タイトル・訪問日付・URL(アングルブラケット)で表示される。

Simons, Mark. Thomas Hardy Resource Library. 6 Sept. 1998 <http://pages.ripco.com:8080/~mws/hardy.html>.

 CBEスタイルでは、著者名(セカンドネームとファーストネームのイニシャル)・タイトル・URL(アングルブラケット)・訪問日付(Accessed year/mo/date)で表示される。

Tardent P. 1995 Nov. Cell biology, annual report 1994. <http://www.unizh.ch/~zool/depts/cell/report94.html> Accessed 1996 Jun 18.

 このように、主要なスタイルを見ても、URLをアングルブラケットで囲む点が共通する他は、すべて様式を異にしていることがわかる。サイテイションのいずれのコンポーネント、すなわち、著者名の表示方法、発行日の様式、訪問日付の様式、タイトルの囲みなどについて、どのスタイルもユニークな引用法を有しており一様ではない。

5. ネット文献引用問題の展望

 ネット文献を学術的な引用対象とするためには、先に3章で指摘されたような問題点を解消しなければならない。そこで本稿では、四つの基本的な方向を示しておきたい。

 第一は、サイテイションの標準化作業である。

 既に始まっているサイテイションのガイドラインを標準化させることが必要である。それぞれの言語には特性があり、それぞれの国の文化や出版事情からの影響は避けられないが、盛り込むべき情報項目を共有し、記述方式を共通化する道が模索されるべきである。前章で紹介されたように、あるべきネット文献の様式をめぐって様々なサイテイション方法が提案され、統一性が求められつつ、他方で、ガイドの数だけバリエーションが生まれて統一が図れないという矛盾した状況となっている。今後は、分野や系による淘汰や統一がおこなわれていくべきである。

 第二は、ネット上での文献スタイルの開発と利用普及である。

 すべての文献に共通のスタイルが開発されれば、あらゆるネット上の文献を特定して入手することを可能とさせ、更に前述のピンポイント問題や改訂問題に対応できる。パラグラフ特定はその一例である。メタタグに書物の奥付けのような改訂情報を記載するのもひとつの対処法である。デザインの自由度を保証しつつネット文献に固有の問題を回避でき、そしてサイテイト可能な標準スタイルが提示されれば、ネット文献は更に有用かつ価値の高いものとなるだろう。判例であるとか法令といった公共性の高い一次情報は、スタイルが特定されているべきである[7]。

 第三は、ネット文献の共同のストック場所を設けることである。それは単なるアーカイビングではない。アーカイブ化はネット文献を収集、保存するために貴重な作業であるが、更に進めて、認証機関や電子図書館などに電子納本するシステムを開発すべきである[8]。公的サイトがネット文献のストックをおこない、公表時の確定や発信者の認証ならびにデータの永続的参照を請け負うことによって、オーソリティや保存の問題は回避されうる。公的サイトからの発信ではない場合に、こうしたシステムは威力を発揮するだろう[9]。

 第四は、資料の保存場所の変動に左右されるネット文献の所在情報の流動性を解消するような仕組みを導入することである。これは、新たなインターネット・ロケーションの開発であり、Uniform Resource Name(URN)と呼ばれるアイディアがこれに該当する。インターネット上に展開されるリソースのアドレッシング(場所特定)機能に関する次世代ツールである。現在のURLに代わり、リソースの移動にかかわらず、アクセス可能な場所を保証する仕組みである[10]。

 これらの方向を実現可能性によって眺めた場合、第一と第二については、それぞれの学問領域において探求されれば事実標準が確定される可能性も少なくないと考える。第三と第四については相当程度の資本の投入がなければ実現できないし、そうしたプラットフォームをネット文献の基底に据えることの了解が学術世界に存在しなければ難しい。けれども、特定の分野において先行することは十分可能と思われるので、研究者数が少なく、合意形成のしやすい領域であれば、そうした方法が実現する日も遠くないかもしれない。

おわりに

 もちろん、これらの方策を採ることが、インターネットのもたらしたインパクト、あるいはメリットを減殺する可能性があることも否定できない。たとえば、誰もが自由に発信できるという情報市場の自由性という見地からみれば、スタイルの強制はなじまないし中央集権的なオーソリティの集約方式に反発も予想されよう。また、ネット文献の「献本作業」の煩雑性や、新たな文書管理方式の出現は、ネットにおける発信コストを押し上げることになって適当でないという考えもあるだろう。

 もっとも、ネット文献を一元的に捉えるのではなく、電子納本をおこなうような固定的な資料と、個々のサーバーに蓄積される流動的な資料との住みわけがあっていいと考えることもできよう。その場合にも、学術情報の蓄積という観点、あるいは、インターネットが果たしてきた学術情報流通の促進という観点から、果たしてそのような二元化が適当かどうかという疑問がおこると予想される。

 いずれにせよ、引用(サイテイション)の問題は、被引用資料の存在を明示するという機能的な面あるいは様式的な面だけから考察されるものではない。学術論文における引用は、当該著作物以前の成果を批判的に継承する作業であり、その連続こそ学問の発展に欠くことのできない知的営為である[11]。インターネットのこれだけの普及を見た、言わばオンラインの時代に、学術資源がオフラインにおいてのみ存在するというのではネットの真価は発揮しえない。オンラインにおける知的営為を可能とする枠組みを構築していく作業が、学術共同体全体に突きつけられていると言えるだろう。

(2000/1/30脱稿)

【本文で紹介されたもの以外のネット文献引用に関する資料】

KAIROS: A Journal for Teachers of Writing in Webbed Environment <http://english.ttu.edu/kairos/>
Yahoo Directory <http://dir.yahoo.com/Social_Science/Linguistics_and_Human_Languages/ Languages/Specific_Languages/English/Grammar__Usage__and_Style/Citation/Internet_Citation/>
Sample Bibliography Style Guide for Electronic Sources <http://www.unc.edu/courses/jomc050/cites.html>
Maurice Crouse, Citing Electronic Information in History Papers (Department of History, The University of Memphis) <http://www.people.memphis.edu/~mcrouse/elcite.html>
R. Bohill, Electronic Citation Guide for Legal Materials, 8 Journal of Law and Information Science 210(1997) <http://law.anu.edu.au/nglrw/lr3.htm>

* 鹿児島大学法文学部法政策学科助教授(専門:刑事訴訟法)
ibusuki@leh.kagoshima-u.ac.jp
<http://law.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/ibusuki/ibusuki.html>

 本稿は、1999年11月27日に大阪大学で開催された、法情報学研究会・サイバー法研究会第二回合同シンポジウムにおける著者の報告(“流れ星に名前を付けられるか?:ネット文献の引用法”)が元になっており、当初の内容はネット上の法律資料の引用法に関するものであった。これを今回、広く他分野にも共通するトピックとなるよう、ネット上の学術情報の引用という観点から書き改めたものである。筆者の考察ならびに執筆の契機となったメーリングリスト上での議論の参加者、夏井高人氏(明治大学)、町村泰貴氏(亜細亜大学)、平野晋氏(NTTインターナショナル)、藤田康幸氏(弁護士)、白田秀彰氏(山梨学院大)、日高和明氏(弁護士)、小松弘氏(弁護士)に謝意を捧げたい。さらに、貴重な情報をご提供いただいた、田中規久雄氏(大阪大学)、松浦康彦氏(朝日新聞)にも御礼申し上げる次第である。

[1] サイテイションの意味については、Harvard Law Review Association, The Bluebook: A Uniform System of Citation(Cambridge: HLRA, 1996, 16th Ed),p4.
[2] Rozenberg P, Developing a Standard for Legal Citation of Electronic Information E Law - Murdoch University Electronic Journal of Law, Vol 4, No 4 (December 1997) <http://www.murdoch.edu.au/elaw/issues/v4n4/rozenb44.html>
[3] Ron Vetter(宍戸博訳)「ホームページは文献として引用できるか?」情報処理(IPSJ Magazine) Vol. 39 No. 7(1998) p. 663-5は、Computer誌に寄せられた様々な見解を紹介したものであり、示唆に富む。
[4] <http://supct.law.cornell.edu/supct/details.html>
[5] <http://www.austlii.edu.au/austlii/disclaimers.html>
[6] 筆者は、1996年に『法律学のためのインターネット』(日本評論社)という書物を出版した。本年1月に改訂版を出版したが、旧版に収録された412個のURLのうち、約32%が消失しており、約10%が変動などのため修正を要した。約3年のうちで4割という数値が高いか低いかは筆者には判断つきかねるが、ひとつの参考とはなるだろう。
[7] See, Walker, J and Taylor, T, The Columbia Guide to Online Style (New York: Columbia University Press, 1998) p.151, Chapter 5 "Network Format".
[8] たとえば、国立国会図書館ではネットワーク型出版物についての納本制度を検討している。朝日新聞1997年5月29日「電子図書館の実現へ、利用費用負担の議論必要」、1999年3月22日「国会図書館、関西に 電子出版の情報拠点に」などを参照。また、田屋裕之「国立国会図書館の電子図書館」情報の科学と技術49巻6号(1999)P. 290-295他の、同号の「特集=電子図書館」の諸論考を参照。
[9] このアイディアについては、園田寿「サイバースペースの学術情報」指宿信編『インターネットで外国法』(1998、日本評論社)p.58参照。
[10] URNについては<http://www.w3.org/Addressing/>、<http://www.ics.uci.edu/pub/ietf/uri/>などを参照されたい。また、OCLC(Online Computer Library Center, Inc.)は、登録されたURLの移動を永続的にフォローする、PURL(Persistent URLs)という方式を提案する。<http://purl.oclc.org/OCLC/PURL/INET96> を参照。
[11] 村主千賀「情報の系譜学:引用に見る情報の関連性」情報の科学と技術48巻12号(1998)699頁。

Copyright (C) IBUSUKI Makoto 2000- All Rights Reserved.

 オンラインリソースの引用方法に関して、これまでノートに綴っておいた事柄や参考になると思われる資料を幾つか書き出しておこう。

 やや古いが、紙のものでは、甲斐靖幸「電子文献を参照した場合の参照文献の書き方」『情報管理』39-5(科学技術振興事業団)がある。
 また、本誌第024号(1999-03-25発行)で再録させていただいた「サイバー空間のサパティスタ」の筆者山崎カヲルさんのサイトには「インターネットからの引用」<http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Moss/Citation.html>と題した紹介文がある。
 一部の学術誌では、オンラインリソースの引用方法が投稿規定等に明記されている。たとえば、「図書館界」投稿規定(日本図書館研究会)<http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/nal/kai/kitei.html>、「社会学評論」スタイルガイド(日本社会学会編集委員会)<http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/JSRstyle(4).html>、「英語コーパス研究」スタイルシート(「英語コーパス研究」編集委員会)<http://lexis.edu.shimane-u.ac.jp/inoue/jaecs/style.html>等がその具体例だ。
 また逆に電子版と紙版を合わせ持つ「現代文明学研究」のように、掲載論文の引用方法について指示しているものもある<http://wwwhs.cias.osakafu-u.ac.jp/~morioka/civil/kitei.htm>。
 最近は人文・社会科学の各分野でも、医学の領域における学術雑誌投稿規定集(サンメディア)<http://www.sunmedia.co.jp/kitei.html>に近いものが登場しつつある。それ自体喜ばしいことなのだが、更に一工夫して、オンラインリソースの引用方法の有無等を明示してみればより魅力的なリソースになるだろう。


 ◇◇Web発信再録 - Science, Internet, Computer and ...

 以下は、「大阪大学情報処理教育センター広報」第13号(大阪大学情報処理教育センター<http://www.rd.ecip.osaka-u.ac.jp/>、1996年)に掲載されたものを、執筆者と大阪大学情報処理教育センターのご厚意により、本誌上に再録するものです。服部典之さん、並びに大阪大学情報処理教育センター関係者の方々に御礼申し上げます。

「文科系大学教師とインターネット」

服部典之(大阪大学言語文化部英語教育講座

1. 文科系の学者がインターネットに「住む」と言うこと

私は大阪大学言語文化部の教師として、教育としては外国語(英語)と言語文化学(主にイギリス文化)を教える仕事に携わり、研究としてはイギリス文化、文学を対象にしている。昔からのカテゴリーに当てはめて有り体に言ってしまえば、英文学者+英語教師という人種である。かつ、私は日常的にインターネットを利用しており、仕事をする際に必ず目の前に専用線につながった(もしくはモデムで大学のUnixにログインできる状態にある)コンピューターを置いている。恒常的にインターネットを利用したこの状態を表現するには「住む」といったほうが適切ゥもしれない。文学研究者がインターネットに「住む」、という状態を客観的にどう記述すればよいのか、本人にしてから悩ましい。ましてやコンピューターを専門と密接に絡ませて実際に「計算」させて使っている理系の教師や技術者にとってはまことに不可思議な現象に見えることであろう。

研究机の上にコンピューターがあって文学研究者がそれに向かって仕事らしきものをしている、そのコンピューターがどのような使われ方をしているのか、また、同時に語学教育者でもある彼が語学教育にインターネットをどう活用しようとしているのか、取りあえず、そこに話を絞って書いてみたい。

1.1 バーチュアル・リアリティー

私は文部省在外研修員として今イギリスのオックスフォード大学に滞在中である。周囲に日本人がほとんどいないイギリス文化のただなかでイギリス風の生活を送っている。ところが、私の今行っているコンピュータ上での仕事のほとんどは日本語によるものだ。この原稿の依頼を受けてから、私の仕事は一時的にほぼ完全に日本語モードに切り替わってしまったのだ。このような日本語漬けの仕事を続けている途中で食事をしに外に出た。あれこれ日本語で思考を巡らせながら歩いていて、公園への狭いゲートをくぐり抜けた後で、向こうから来て立ち止まった女性が怪訝そうな顔をしているのに気がついた。『しまった』。イギリスでは当然止まって女性に道を譲るべきであることを忘れていたのだ。

コンピューター上で日本語で考えていて、私の身体は日本に帰っているのと事実上同じになり、早いもの勝ち的発想をしていたようだ。イギリスに居ながら、インターネットによって日本文化に浸かっている私は、現実ではないが日本という仮想現実を生きていると言えよう。

このような仮想現実はいかなる手順によって可能になっているのか、インターネットを使っている人間にとっては常識ではあるが、簡単に以下に書くことにしよう。

今この文章はオリエルコレッジのコンピュータールームで書かれている。渡英した際私は自分のpcを持参した。こちらのコンピューターセンターの管理者に折衝し、そのpcをインターネット接続することに成功した。その結果、日常的にインターネットを利用し、日本語で電子メールを交わし、WWWをブラウズし、日本の言語文化部のコンピューターにログインしてネットワーク管理の一端を担ったりしている。

情報処理教育センターの中西先生は私が英国に在住していることをご存じなかったが、日本の電子メールアドレスあてにメールを送ってこられ、そのアドレスからイギリスのアドレスにメールが転送されるよう設定していたために、幸か不幸か原稿依頼が私の知るところになり、それを快諾して今原稿を書いているというわけである。できあがった原稿は再び電子メールで情報処理教育センターに送るはずである。

原稿執筆の形態だが、日本語ワードプロセッサーを広げ、電子メールの多くは日本語でやりとりされ、NetScapeも日本語のホームページを広げており、資料のファイルのかなり多くは日本語のもの、といった中での作業である。昨年私が情報処理教育センターで行った授業の資料ファイルは日本のコンピューターの自分のホームディレクトリからインターネットのファイル転送で取ってきた。

ということで、殊この文章を書いているという事実に関しては、私の情況は日本にいるのとさして変わりないと言えよう。逆にもし私が仕事にインターネットを使っていなければ私は依頼を知る由もなかったであろうし、仮に手紙で受け取ったとしても片道1週間かかる蝸牛便では実用的でなく、依頼に応じることはできなかったと考えられる。日本でしかできないはずであった仕事がイギリスでできる、もしくはできてしまう。これがインターネットの作り上げた仮想空間のなせる技である。これは文系であろうと理系であろうと関係なく生じる事実である。

1.2 マルチ・タスク

1.1 で述べたような仕事形態を文系の教師で取っている者はまだまだ少数派にすぎない。文系の組織でインターネットを研究室や外国語教育に取り入れるべきだと主張すると必ず強烈な拒否反応を示す教師が現れる。曰く、訳の分からない新しいものに飛びついて本当に効果があるのか、学生は遊ぶだけで外国語の勉強などするわけがない、インターネットなんてポルノを見るだけのものなのではないか、等々。そんなとき、取りあえず私がいうのは、メディアの進歩の不可逆性である。メディアは絶えず進歩している。30年前はドーナツ版レコード、その次はカセット、CD、様々なメディアを通して日本人は外国語を学んできた。LL教室で当時最新鋭の機器を使って授業をしたこともあった。しかし、このようなメディアを通過して、学生が今関心を示すのはコンピューターなのだ。現に言語文化部の視聴覚教室は閑古鳥が鳴き、情報処理教育センターは空き端末を待つ学生が列を作っている(私は外国語教育にふさわしい環境を持った言語文化部独自のインターネット室が作られるべきだという考えを持っている)。メディアが進化し、時代があるメディアを希求している時に、止まったまま改革しようとしない、もしくはもっと悪いのは改革を推進しようとする者を阻害するのは、みすみす延びる可能性のある学生の語学学習にストップをかけていることになり、語学教師としては怠惰のそしりを受けることを免れないのだ。インターネットは外国語教育の将来にとって、唯一の選択肢ではないが、真面目に議論すべき一つの選択肢であることは疑いようがない。というようなことを主張する(このような話題はnet-langというMLで盛んに議論されている。インターネットのリソースは刻々変化するのであえて本稿ではあげていない。私のホームページでまとめる予定であるのでそちらを参照されたい。)

しかし正確に言うなら、インターネットはメディア以上のものだ。語学を教える教師と教わる学生がいて、その補助手段として2者をつなぐメディアとしてカセットテープレコーダーや、視聴覚教室がある。コンピューターも同じくこの2者の間のインターフェースであることも事実だ。

だが単なるインターフェースという以上に、インターネットはそれを用いる人間の日常生活のあり方を根幹から変えている。インターネットの文化になじみ、そこで仕事を行う文系の学者の仕事の形態、生活のあり方そのものもドラスティックに変化しつつある。その一つがマルチタスクということだと考える。

複数の作業を同時に行う、文科系の人間に取ってはこれまで考えられなかったこのことをコンピューターは可能にした。モニターの中でワープロ、電子メール、インターネットニュース、プログラムのコンパイル、小説などのウィンドウを複数開いて、時間のかかるコンパイルを行いながら、電子テキストになった小説のテキストを読み、それに関する情報をWWWで検索しながら、電子メールが届けばそれに返事を書く、仕事に疲れたら気晴らしにオンラインの新聞を読む、といった仕事がコンピューター上だけでできるようになった。

確かにこれは、これまでの文系の学者の仕事のやりかたが単にコンピューターのモニター上に移行したと考えることもできるであろう。つまり、例えば文学の研究者が書斎で文学作品を読み、辞書を引き、その作品が取り入れた文学伝統を調べるために他の本を調べ、当時の様々な文化との関わりが分からないと図書館に行って調べ、それについてノートをとったりカードを作り、その際に手紙が来たら一時中断して返事を書き、ある話題について他の人の意見を聞きたいときは人を訪問したりする、こういった作業が全てモニター(screen)といった物理的インターフェースの上で行われるわけだ。

ただ能率は格段に向上した。辞書をわざわざ書架から出して広げて引く手間はもうないし、インターネットで検索可能な情報なら調べるためにわざわざ図書館に行く手間は省ける。ある人の意見を聞くために電話をかけてもその人はいないかもしれない。電子メールなら質問をこちらの時間のあるときに出しておいて、相手が暇のあるときに答えることができるので能率的である。

このようなマルチタスク型の生活は従来の、自分の専門に没頭してひたすら研究を続ける学者タイプより、複数の仕事を同時にてきぱきとこなすビジネスマン的メンタリティーにより適しているかも知れない。適しているからインターネットを使うという場合である。

逆にインターネットは、良きにせよ悪しきにせよ、これからこの後者のタイプの文科系学者を生産していくのではないだろうか。インターネットが仕事の形態を性格付けるというわけである。私自身、注意力分散(散漫)型の人間であるような気がするが、そのためにインターネットを使っているのか、使っているうちにそうなったのかは不明である。Unixが実現しているマルチタスクは、正確に言うと同時に複数の仕事をコンピューターが行っているわけではなく、複数のジョブにCPUが順番に振り分けられている。ただその速度が極めて速いためマルチタスクを実現しているかに見えるだけである。このコンピューターと同じ様な器用さが文科系の学者にも求められる時代は近いかも知れない。

しかし、もちろんインターネットは全てに取って変わるわけではない。電子化しようのない古い貴重な書物などの文献はやはり図書館に行って読むしかない。電子メールは便利だが、その相手と実際に会って文字以外の情報を交換し、その人となりに触れ、いっしょに酒を飲むことも大事である。インターネットに「住む」人間の陥りやすい過ちは、全てをコンピューター上で片づけようとすることだ。仮想現実は現実に取って変わることはできないし、逆に古い現実に固執して新たな時代の仮想世界が自分に無縁だと信じ続けることも許されない。もっとも重要なことは仮想現実と現実を上手に住み分けることなのであろう。

2. インターネットを語学学習に役立てる

2.1 昨年の私の情報処理教育センターを利用した授業

昨年の前期と後期、情報処理教育センターを利用して1年生文系学生の英語の授業を行った。前期は講読の授業、後期は作文の授業であったが、使用するインターネットのサービスは電子メールとネットワークニュースに限った。WWWについては、昨年はセンターはhttpについて閉じていたため、実験的に言語文化部で学生に使用させるに留めた(センターは今年からWWWを導入している)。それ以外に使用したアプリケーションは、授業支援システムとWebster英英辞典である。

ネットニュースではsoc.culture.japanという日本の文化を議論するグループに取りあえず限定した。これは日本の文化について英語で議論するニュースグループである。この中から学生に興味のある記事を読ませ、簡単なコメントを述べさせる予定であった。授業の中だけでの議論と情報交換のために、私の授業用にセンターにお願いして、ローカルなニュースグループを作っていただいた。

前期はニュースの記事を大量に早く読み、大意を読みとることのできる読解力を養い、後期の予定は素材は同じものを用い、前期の授業を深め、自分の言葉(英語)で意見を述べ、できればニュースに投稿できるレベルぐらいの英作文能力を養成する予定であった。

前期は約40人、後期は5人、とかなりクラスサイズとしては差がある構成になった。授業の成果を簡単に採点するなら前期はどちらかというと失敗、後期はどちらかというと成功という結果になり、語学の授業というのはどのような方法をとろうとも、クラスサイズにかなり依存することが証明された形になった(この際私という教師の質は問わないことにする)。

前期の失敗はクラスのサイズが大きすぎて一人一人を把握することが困難であったことも大きいが、後述する「インターネット迷子」現象により学生個人個人が自分の道を見失い、教師がいちいち道案内をしたため、昔ながらの「独善的専制君主教師授業」に陥ってしまったことが一番の原因であると考えられる。インターネットの大きな特徴の一つは水平的人間関係である。そのような特徴を持つインターネットを使うからには、いくら英語の授業であり単位を出す教師と単位をもらう学生というハイエラーキーから逃れきれてないにせよ、形としては皆が対等にコミュニケートしながら進むべきものである。こういった疑似対等性を実現するのに失敗したようだ。あまりにすべてを指示したため、結局プリントを物理的に作ってあらかじめ当てた人間にそれを訳読させるのとあまり変わりのないことになり大いに反省させられた。

後期は学生数が少なかったためもあるが、かならず課題を授業の5、6日前に出し、あらかじめレポートの形で提出させた。もちろん提出には電子メールを使い、私が管理者の1人である言語文化部のネットワークで、メーリングリストを組んで皆にそれを配布する仕組みを取った。学生は毎回必ずあたり、それも自分の言葉で長文の英作文を強いられるために予習は極めて大変であったようだが、辛抱強く訂正を繰り返してやるうちに目に見えて作文力が向上したように思われる。

2.2 インターネット迷子

前期に授業がなかなか進まなかった理由を「インターネット迷子現象」のせいだと述べた。あえて、彼等彼女らが1年生で「コンピューター操作に慣れていないから」と言わなかったのにはそれなりの訳がある。操作だけなら、学生は短期間で慣れてしまう。もちろん情報処理基礎の授業や、センターの努力もその上達に大いに寄与しているわけだが、我々文系の教師が心配するほどのことはないと思われる。

むしろ、インターネットカルチャーが引き起こす迷子が問題なのではないか。インターネットというのは一つの文化である。地理的な意味での国境はないが、それ自体が連合国のようなものだといって間違いがないだろう。インターネットが一つの文化で、その中にネットワークニュースや電子メールやWWWの文化があり、さらにネットワークニュースの一つ一つのグループにも文化がある。そこには暗黙の了解となっているコード(decorum)があり、それを知らないか、もしくは無視する者は仲間とは見なされない。我々が別の国に行って最初に戸惑うのは生活文化の違いであり、慣れるまでは決して居心地よく思うことはないだろう。明文化されない生活コードの了解こそが一番困難だ。同じことがインターネットでも言える。私がインターネットがメディア以上の存在だといったのはこの点である。我々がインターネットの住民(インターノート)となるにはそれにふさわしい別個のアイデンティティーを獲得する必要がある。(参照 Sherry Turkle, Life on the Screen--Identity in the Age of teh Internet (New York: Simon & Schuster, 1995))

英語は話せても、英語を母国語とする国に初めて行く場合にはカルチャーショックがある。カルチャーショックを引き起こすのは文化コードの差異であり、大学の語学教育がこれまで教養という名前で教えようとしていたことは正にこのことなのであろう。インターネットでも文化教育がある程度なされるべきである。マナー教育とかのセンターの努力もあるが、さらに何か工夫をする必要があるかもしれない。教養部が解体され教養主義が批判のなかで地に落ちた今、インターネットのレベルで教養教育を主張するのは妙な話だが、現実に必要なことなのではないか。

初めてネットワークニュースを読ませたときの学生の戸惑いの原因は、このインターネット文化理解の欠如に帰せられると思われる。私の授業でどのようなことが起こったか簡単に述べよう。

インターネットニュースグループだが、言葉の点から言うと、使用される言葉の多くは英語であるにしても、その英語の質は千差万別であり読んで参考になるような立派な文章はむしろ希である。しかも膨大な量の投稿が毎日なされている。特にインターネットニュース(掲示板)というのはその性格上、大人同士の冷静な議論から、互いの誹謗中傷まで、レベルは様々だ。どなりあい、時には恫喝すらもありうる場である。soc.culture.japanは最近とみに荒れているようで、ついにmoderatedバージョンまで登場した。

授業のシラバスの概略は以下のようである。あらかじめ学生はネットニュースリーダーを開き、自分が興味を持つ記事を捜して、それに自分なりのコメントを加えて、教師と受講者すべてに電子的に配布するというものである。

しかし、様々な意見が交換されるネットニュースという場で、ある記事をおもしろいと感じるためには、まずそのネットニュースという一つのメディアに慣れる必要性があることに気がついた。ある程度メディアにさらされる(expose)する経験がない人間にはおもしろさと退屈さを区別することすらできない。しかも相手は荒海である。「殺してやる」と叫ぶ怪物が襲いかかるかも知れない広大な海である(実際そのような発言を見ることがしばしばある)。従って、教師のナビゲートはどうしても必要であった。やむなく教材は私が選んで学生に配布することになった。

初期インターネット文化教育を抜きにして、インターネットは外国語の教材の宝庫でると安易に述べるのは危険である。情報が無尽蔵にあるということは事実ではあるが、いきなり踏み入っても、迷子になる可能性は極めて高い。情報は使い方次第で宝庫になったり、単なる情報砂漠や情報嵐になったりするのだ。

ただし、ナビゲートを適切に行いさえすれば、あまり悲観的になる必要もないだろう。若い学生は我々と違って適応力も高いので、彼等彼女らがインターネットの住民になるのは早い。先程述べたようにインターネットは水平社会であり、経験の長さは社会での地位を保証するものでなく、その発言内容とプレゼンテーションのよしあしですべてが判断される。1年もたてば、学生の中からインターネットの指導者的立場に立つ者がでてくることすらある。むしろインターネット迷子になりやすいのは、大学という組織の中での肩書きを持ったもう決して若くない我々教師のほうかもしれない。

2.3 インターネットを外国語教育で利用する可能性

私が昨年センターで行った授業は、従来の英語の授業と基本的には変わるところはない。ただ次のようなメリットは体感できた。

1. コミュニケートの手段としての電子メールの卓越性

電子メールによって、教師と学生の双方向的コミュニケーションが容易、かつ迅速に行われるようになり、極めて語学学習の能率があがった。ただ、教師学生双方に課せられる努力はむしろ大きいものになっている。この努力を両者が惜しまずに継続すれば、それが学習成果をあげることにつながると思われる。

2. ネットワークニュース

ネットワークニュースの危険性は認識すべきだが、やはりこれは議論を交わす貴重な場である。学生の関心のあるグループにコミットさせることで、学生自身の問題意識を掘り起こし、議論のための手段として英語を体得させるメリットは無視できない。学生がインターネットに大いなる関心を示す今、これは一つの大きな可能性ではあろう。

3. 学生が自らの好きな教材を選択できる。

いったんインターネット文化に親しめば、自分の関心のある素材を大量に見つけることができる。関心を持つ分野の外国語であれば、それだけモティベーションを感じるはずである。関心を持った分野の膨大な量のソースと取り組むことによって、速読速解力養成が期待できる。実際、プログラミングやネットワーク技術に興味を持った理系の学生がその分野の英語の論文や文献を3、4年生時から自由に読みこなしているのを目にする。情報を得るためには英語を読まざるを得ないわけで、こういった動機付けによって英語力も飛躍的に伸びるわけだ。

ここまでは、教室という場を仲介した外国語教育を考えてきたが、もちろんインターネットは学生が独力で自ら外国語を勉強する場でもあり得る。カセットテープの代わりにCD-ROMを使って自宅や大学のパソコンで勉強するのも有益な方法であろう。しかし、今はインターネットの話である。

最初に、イギリスで日本の仕事をしている私自身の姿をご紹介した。もしこのような生活を私がここでずっと送るのなら、何のために外国に来て文化を研究しているのか分からない。しかしこのような体験を、英国在住のイギリス人の日本語学習者がするなら、それは語学学習としては極めて有効な手段なのではなかろうか。

逆に、日本にいながらイギリスのサイトから関心のある情報を得、英語で電子メールを書き、WWWでイギリスの新聞を読み、英語のニュースグループで情報を交換するならば、これは英語学習の形態としてはやはり極めて有効であろう。語学を本当に習得するにはその言葉の環境にできるだけ長い時間さらされること(expose)が効果的であると昔から言われている。皆が皆自分の習得したい言語を母国語とする国に留学できるわけではない。しかもこちらに来て痛切に感じるのは、日本はヨーロッパの言語を学ぶには絶望的に遠いということだ。ヨーロッパ内でヘ2、3カ国語が同時に聞こえるのは日常のことであり、言葉が通じない不自由を日常的に体験し、語学学習の動機付けは否が応でもできあがってしまう。このような環境のない日本でもしヨーロッパの言語を体得しようとするなら、擬似的にそのような環境を構築するしかないのではないか。しかも現実に私がイギリスで生活をしている情況を考えると、英語として情報が入ってくるのは、イギリス人と話すことは除いて、新聞、テレビ、ラジオ、コンピュータのような日本にいても導入できるメディアがほとんどである。今はテレビについても、衛星放送等を通じて英語放送を見ることは容易である。日本においても意識的に英語環境を構築して、自らをその中にさらすことはかなりのレベルまで可能である。インターネットはこの環境の重要なファクターの一つとなりうるのである。

3. 大学の将来とインターネット

2で述べたような外国語教育を行っていくために、現実にどのような将来像を考えたらよいのであろうか、簡単に触れておく。外国語運用能力は専門、職種に関係無く必要なものだと断言できよう。その意味で、言語文化部のような語学を担当する部局の意向と努力に加えて、学内の様々な他組織や、学外との協力は不可欠だと考える(すでにインターネットを使った日本国内での外国語教育関係組織の連携はそのボランティアの努力でかなり確立している)。

情報のスムーズな流通を考える際に、小回りのきくように関連組織を統合すればよいという考えもある。現実に慶応大学の藤沢キャンパスは図書館、コンピューターセンターを統合拡大したメディアセンターを実現している。ただ、すでにできあがった巨大な組織である大阪大学のような総合大学では必ずしもこれは現実的ではない。ゆるやかな連携こそが求められるのではないか。各組織にはそれぞれの特色があり、その長所は保持した上でインターネットに代表されるメディアを導入して協力していけばよいのではないか。例えば図書館は膨大な貴重な紙の文献を今後も保持し続けるであろう。情報処理教育センターにはコンピューターを使って仕事をする場であると同時に、情報処理基礎能力を教えるという役割を担い続けていただきたい。言語文化部のようなところはインターネットの利点を、例えばインターネット外国語教育教室のような所で語学教育に取り込む努力を開始する一方で、まず外国語を教えるためのこれまで蓄積されたノウハウを生かすべきなのである。

形態としては以下のようなイメージはどうだろうか。言語文化部の語学の授業や、インターネット室などを使った新たな効率的な授業によって、語学力を伸ばして情報処理センターでの勉強にその語学を役立てる。逆にセンターで教わったコンピュータの能力を言語文化部での外国語の勉強に役立てる。図書館はコンピューター検索や情報公開でセンターの能力を借り、逆にセンターやインターネットで得ることのできない紙の文献を公開する(本を貸し出す)ことでサービスを提供する。これからはインターネットでの情報交換を交えながらの、このような形の連携は不可欠になってくるのではないか。インターネットのメリットとして双方向性ということが取りざたされるが、大学の組織間でも情報の双方向的流通と協力ということが今後のかなめになるような気がする。

ここイギリスでもインターネットの導入はめざましいものがあり、小中学校等も含めて普及率はヨーロッパで1位、日本よりも進んでいるという調査結果がでている。古い伝統を重んじながらも、新しい技術が役に立つと思ったときイギリス人の行動は速い。その際重視されるのは伝統との共存である。Oxford, Cambridge等の伝統のある大学は世界有数の図書館を誇っているが、その中にはインターネットに繋がった検索システムを搭載したパソコン端末が並んでいるし、何百年もたつコレッジの歴史的建造物の中にもインターネットの専用線が縦横に走っている。伝統と新たな技術の結合という意味で、日本がイギリスに学ぶべき点はあると思われる。

外国語教育、情報処理教育に加えて、専門教育にとってもインターネットはこれまで以上に使用されるべきであろう。従来のように、各組織が個々の領分に閉じこもることはもはや許されないが、その特性をうまく生かしながら、インターネットという開かれた情報の相互交換を利用した連携によって緩やかに結合し、協力していくべきなのではなかろうか。こういった方向性の中で、専門研究そのもののあり方も変化して行くであろうし、これまでの枠組みも大きく変化するだろう。とすれば私のこの文章のタイトル、文科系大学教師というカテゴリーも旧弊な物言いになるはずなのである。そもそもそういった人物は存在しなくなるかもしれない。タグゾノミーが変われば旧来のカテゴリーに則った文章の意義はなくなるはずだ。この私の書いた文章が一刻も早く過去の遺物になることを祈って筆を置く(キーボードをたたくのをやめる)ことにしよう。

[データ]

服部典之(大阪大学言語文化部英語教育講座)
hattori@lisa.lang.osaka-u.ac.jp
<http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~hattori>

[関連データ]

本文所在 URL:<http://www.rd.ecip.osaka-u.ac.jp/kouhou96/special/hattori.html>
同広報最新版:<http://www.rd.ecip.osaka-u.ac.jp/kouhou99/>

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 ◇◇一年前の本誌から - Science, Internet, Computer and ...

一年前の本誌から ―既掲載記事の紹介(第019号

羅針盤「『KR』の試み ―議論のサイクルをつくるために」(守一雄)

Web発信再録「国内事情:インターネットは日本現象学会に世界の開けを与える」(浜渦辰二)


 ◇◇イベントカレンダー - Science, Internet, Computer and ...

2000-02-07(Mon):シンポジウム「デジタル社会の光と影」(於・霞ヶ関ビル)

2000-02-10(Thu):第2回日本統計学会研究部会「統計学におけるインターネットの利用」(於・統計数理研究所講堂)

2000-02-12(Sat):アート・ドキュメンテーション研究会関西地区部会月例研究会「美術品デジタルアーカイブのシステム開発と運用」(於・大阪樟蔭女子大学)

2000-02-19(Sat)〜2000-02-20(Sun):情報倫理と教育フォーラム(於・中国電力本社)

2000-02-21(Mon):第17回ディジタル図書館ワークショップ(於・図書館情報大学)

2000-02-25(Fri):シンポジウム「美術館と画像データベース」(於・ソフトピアジャパンセンタービル)

2000-02-26(Sat):CIEC第20回研究会「大学改革は「情報教育」をどのように変えたか」(於・大学生協会館)

2000-02-26(Sat):TCAインターネットシンポジウム「生活の中でのインターネット」(於・赤坂プリンスホテル)

2000-02-27(Sun):情報教育シンポジウム「教育とインターネット」(於・千代田公会堂)

2000-02-28(Mon)〜2000-02-29(Tue):日本図書館研究会第41回研究大会(於・阪南大学南キャンパス)


 ◇◇新刊紹介 - Science, Internet, Computer and ...

『岩波講座マルチメディア情報学 4』(岩波書店、3400円)

『文化資料と画像処理』(山田奨治著、勉誠出版、7600円)

『科学論文作成のための活用ガイド MacintoshとWindowsで作る』(祝部大輔著、じほう、4600円)

『情報メディア白書 2000』(電通総研編、電通、12000円)

『第三の社会 ビジネス・家族・社会が変わる』(奥野卓司著、岩波書店、1700円)

『日本情報の国際的流通 日本研究の基盤を考える』(国際文化会館図書室編集、国際交流基金、日本図書館協会(発売) 、1300円)

インターネットやコンピュータの学術利用に関する書籍、雑誌、論文等の新着情報を掲載します。ご希望の方は正確な書誌情報をお知らせください。ただし、お寄せいただいた情報が必ずしも掲載されるわけではありません。


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特になし。


 ◇◇編集日誌 - Science, Internet, Computer and ...

2000-02-05(Sat):"OnlinePopulationSpotlight:NetBusinessesGoBackto College"<http://www.thestandard.com/metrics/display/0,2149,1114,00.html>大学間の単位互換制度に関するリンク集<http://www.cgu.ac.jp/kyouin/yo_omura/univ.htm>大村芳昭さん(中央学院大学講師)がまとめたもの。ばらばらに公開されている情報も、このような形で集約されると、新たな魅力を持つと思う。素晴らしいお仕事だ。情報科学技術協会<http://www.infosta.or.jp/>の機関誌「情報の科学と技術」今月号の特集は「情報サービスとセキュリティ」。恐ろしくタイムリーだ。

2000-02-04(Fri):EndNotePlus+<http://www.tuat.ac.jp/~ethology/Columbo/EndNote/>廣田忠雄さん(東京農工大学大学院)作成。

2000-02-03(Thu):飯田修さん(UCLA大学院)、小林秀高さん(東海大学大学院)、斎藤淳さん(イェール大学大学院)と共に「研究ツール研究所」を設立中<http://homepage1.nifty.com/rtool/>。「パソコンやインターネットに限らず、研究のための情報収集や情報管理、論文執筆から発表に至るまでの作業を効率よく行う方法を皆で持ち寄って共に考えることを目的と」したサイトだ。私以外のお三方は皆プロの研究者への道を歩まれている方々。さて自分に何ができるかと考える。そこでとりあえずは、情報収集、情報管理、論文執筆、発表等、一連の研究活動に関する情報、ノウハウ、ティップスのうち、ウェッブで公開されているものを収集しておこうと思う。というわけで備忘録風に使っている本欄にもその種の情報が増えるかも知れない。ということでまず一つ。私家版「学会発表マニュアル」<http://members.tripod.com/~sekky/presman.html>関山健治さん作成。もちろん自薦他薦を問わず、情報提供は大歓迎。なお、研究ツール研究所では設立準備委員会会議室と名付けた話し合いの場も持っている<http://bbs2.otd.co.jp/16803/bbs_plain>。興味・関心のある方にはお気軽に訪ねていただきたい。

2000-02-02(Wed):新世代通信網実験協議会(BBCC)アプリケーション実験項目一覧<http://www.bbcc.or.jp/appl/appl2.htm>産業医学のコーナー<http://www.uoeh-u.ac.jp/OccuMed.html>

2000-02-01(Tue):甲南大学学術フロンティア第1回公開シンポジウム「トラウマ−記憶と証言」<http://frontier.lit.konan-u.ac.jp/news.htm>興味深い催し。2月19日開催。参加受付中。

2000-01-31(Mon):レファレンス・ライブラリアン格言集<http://shallot1.pine.timis.ac.jp/kakugen/kakugen-main.html>新明解図書館情報学用語辞典<http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/dic.html>

2000-01-30(Sun):大学人材データバンク<http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/gaiyou/daigaku/data/>(金沢市・大学間連絡会事務局)

2000-01-29(Sat):済賀宣昭「電子図書館の動向と課題進化する図書館」<http://www.lib.ehime-u.ac.jp/user/saiga/saiga.html>

2000-01-28(Fri):最近気がついた新創刊のメールマガジン。盆栽助教授の生活<http://www.mag2.com/m/0000024847.htm>「平凡な大学助教授のキャンパス日記」哲学への招待<http://www.mag2.com/m/0000024838.htm>「私立大学哲学教師のメルマガ。大学での「哲学概論」の書き下ろしの教科書に解説を付けたものを配信」

2000-01-27(Thu):東京大学社会情報研究所のサイトでは、新任教員の採用理由が公開されている。たとえば、姜尚中さん<http://www.isics.u-tokyo.ac.jp/staff/kan.html>山口いつ子さん<http://www.isics.u-tokyo.ac.jp/staff/yamaguchi.html>「原則として、発令日より6ヵ月間公開」とのことだが、期間を限定せずに続け、また過去にも遡って行えば素晴らしい。


 ◇◇奥付 - Science, Internet, Computer and ...

【誌名】ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG)

【発行・編集】岡本 真("ACADEMIC RESOURCE GUIDE"編集部)

【号数/部数/発行日】054号/3542部/2000-02-05

【連絡先】 zd2m-okmt@asahi-net.or.jp

【URL】<http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/>


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