江戸千家、ってなに?
ここでは、初心者でも親しみ易く感じていただけるように、簡単に説明します。
(詳しくは、公式ページをご覧下さい)
江戸千家は、表千家から出た、流儀の1つで、
江戸時代の8代将軍吉宗の頃、表千家は7代家元の時代です。
流祖は川上不白(かわかみ ふはく)といい、
紀州(今の和歌山県、新宮市)の、サムライの家の出で、
一時期、藩に籍はあったようですが、
表千家の内弟子として家元を支える1人としての業績が残っています。
その頃のお茶は京都で落ち着いていたようですが、
江戸が町として発展してきたことに伴い、
家元が江戸で茶道を広めることを思い立ったといいます。
そこで、上京するように命令されたのが、始まりです。
吉宗も、江戸幕府始まって以来、初の紀州徳川家出身の将軍ですから、
家元と、不白には、「今、この時。」と定めた勝算があった・・・かもしれません。
上京にあたり、不白は表千家から”破門”されたと言われています。
これは、今でいう、発展的解消で、
以後不白は江戸千家の”家元”を名乗ることが許されたことでもあります。
その理由は、京都風が江戸っ子に受け入れられないであろうとの考えから、
新天地で、新しい流儀を研究して旗揚げすることが許されたのだそうです。
本を読むと、落ち着くまでには・・・いろいろあったようですが、
今、一つ一つの所作を、他流のそれと比べる時、
私は、流祖と対話している気になれます。