産業空洞化が来た
   (八) 九六・五


 大家好(皆様お元気ですか)
日本の人に会うと台湾の好いところ悪いところを直に尋ねられます。
 一年が経ってみて大体は直に答えられるようになりました。好いところは三つあります。

 一つめは真冬でも十度の気温なので毎日シャワーを浴びられることです。こちらの正月に(二月)日本へ帰りましたが、雪が降っていてとてもシャワーでは身体が温まりません。その雪景色の中を歩いたら身体にとって本当に厳しいという気がしました。それに比べればこちらは身体がとても楽です。

 二つめは昼寝の習慣です。これは頭も身体も疲れが取れて健康にとてもよい習慣だと思います。勿論これは気温がそれほど寒くないから冬でもできるのかもしれません。

 三つめは食費が安いことでしょうか。朝食は六十元でお腹がいっぱいになります。昼は百二十元の弁当がとてもおいしいし、(四倍すれば日本円になります。最近は円が劇的に変動しています)夕食は時々利用しますが三百元で食べ放題の食堂がたくさんあります。日本式の名前のついたところは夕方から大勢の人が並んでいます。毎日の寮の食事はまあだいたいおいしく食べています。中には見ただけで手を着けない人も居ますが。

 よく考えたら四つめも五つめもありました。春と秋の季節の長いことです。結局長袖を着ているのは延べにして一月も無いでしょう。これは身体にとても良いことではないでしょうか。そして夕方五時になったら誰もが会社から帰っていく習慣はこれも健康にとてもグッドではないでしょうか。毎日遅くまで残って居るのは日本人ばかりです。その日本人達は台湾の悪口を言い合います。台湾製の電球は直に切れるけどどうなっているの、新しく搬入された窓枠の接続部は溶接部分が膨らんでいてとても他人に売れるものではないのに、良くも平気で納入してくるものだ、約束の時間をなかなか守らないけどこれでは信用できないね・・。
そして思い付く限りの悪口を言って日本の好いところを確かめ合って、しばらく時間が過ぎて、あるときはこんな話題に移っていきました。
 「ところで皆さんはいつ日本へ帰るのですか。早く帰りたいでしょう」「いや、とんでもない。日本に帰れば仕事がきついからね、そうだよ、工事現場で身体を壊した人は何人も居るし、気が狂った人だっていっぱい居るでしょ」「今は仕事が少ないだけに余計値引きが激しい中で利益を出そうとしなければならないし、工程も短くして他の仕事にまわされるし」「少しでも良い製品好い完成品を創り出すために精根つめて、がみがみ言い合って、とそうゆう日本式の生活にどっぷり漬かって。ああ、いやだね・・・できればここ台湾に残ってゆっくりとした生活でやって行きたいものだね」。
これはどういうことなんでしょうか。どっちが良いということなんでしょうか。とにかくそのようなやり方で世界一の技術と金持ちの国日本を造ってきたということでしょうか。こちらで、日本の農業や社会福祉が世界一だという話を聞かされたこともありますが。

 世界一という表現を忌み嫌う人が日本には時々居ますが、私はわざとこの言葉を最近使うようになりました。客観的に世界一でも、「我々の生活を見てみろよ」という反論があります。でもそれでもやはり世界一なのです。それはちょっと日本から外に出れば実感するのではないでしょうか。

 昔、私自身も世界一とは無限に発達した国だろうと空想したころがありました。でも「来て見れば、遥か先に道続き」と言うことで日本の到達したものはまだまだこれが人間の生きる世の中かと思うほどの問題多い所ですが、しかし二十世紀の地球とはこの程度のものであるという事実はしっかりと知っておく必要があります。

 話が飛ぶかもしれませんが六十歳ほどの、日本語がぺらぺらの人に話しを聞く機会がありました。始めは日本が居たころにはその方のおばあさんは纏足をしていたということから話が始まって、そのころはやはり男尊女卑が徹底していて女子が男子と並んで外を歩くということは全く無かったということでした。新郎新婦が結婚式の三日後に始めて明るいところで相手の顔をお互いに眺めあった話などもしてくれました。でも現在の若者はTVの影響でしょうか、ずいぶん大胆に腕を組んで外を歩くようになって、本当に変わったものですよ。これは日本が居なくなったから昔に戻ったのではなくて、まったく新しい現象ですよ。とその人は語ってくれました。

 ついでに私の経験も紹介しておきますと、私の家族が正月に遊びにこちらへ来ました。台湾人と一緒に食事をした時、台湾人の三十代の夫婦が仲良くて、男が時々テーブルの料理を取り寄せて妻の料理に乗せていました。私の妻が目ざとくそれを見つけて「日本に帰ったらあなたもああゆう風に親切にしてくれるのでしょうね」と念を押したものです。同席した他の日本人がそれに対して「日本でなら、”二人だけで見えない所へ行ってくれば”、と言われるよ」と話していました。
と、まあそこまでは日本も台湾も大体同じような文化の移り変わりを経験しているようですが。
 ところで日本では男の定年が近づいてくると、妻から退職金の額を尋ねられて、そこから離婚とか「ぬれ落ち葉」とか言われる厄介な存在になっていくことに話題が移りました。するとその六十歳ほどの人は、台湾では五十歳以降に離婚する人はほとんど居ませんとのことでした。そのころになると孫ができたりして、孫におじいちゃんといわれるのが、これはまた人生の新たな喜びではないでしょうか、というご意見でした。では日本と台湾と人生の後半において何故違う現象が起こってくるのでしょうか。
その方と私の意見が合ったのは、日本人は毎日会社に遅くまで残って家のことは妻に任せきりで妻の相談にもほとんど乗らない。日曜日まで会社の人と付き合ってゴルフに行ったりする。つまり妻は無関係です。そんなふうに定年まで人生を送れば、人生八十年と言われるこのごろですから離婚を考えて残りの人生を違うものにしたいというのも当然だということに落ち着きました。
一体何故こんなにがむしゃらな方法で世界一の地位を目指してきたのでしょうか。


 最近は中国語の塾に行っているおかげで少し話せるようになったのと、もっと話したいという意欲が強くなって台湾人と二人で食事に行ったりします。辞書も引けるようになりました。私にとっては夢のようなことでうれしい限りです。
 昨日は高雄の人と話しをしました。高雄は神戸が地震で破壊されてからは世界で五番目の大きな貿易港です。
今高雄では五千人規模の工場が閉鎖されることで話題が一杯です。閉鎖してどうなるかといいますと、中国大陸へ行って生産開始です。新聞発表では失業率二.二パーセントですが実際はその二倍以上はあるそうです。したがってどんどん職場を変えていく台湾人にとっても今失業することは大変深刻です。この半年ほどの間に毎日の新聞にカナダとオーストラリアへの移民の募集が載っています。これは中国大陸から弾道弾発射の威嚇から逃げるためです。でもそれを出来るのは約千万の台湾ドルを出せる裕福な人だけです。
半導体関連の情報産業の生産高は世界三番目の台湾ですが、それ以外の産業は非常に深刻な不況が続いています。そうして金持ちが海外に逃げていけば一層金回りが減少して行きます。そんなことを反映してでしょうか犯罪率がこの二年の間に倍増したといいます。台北市の周辺で女性目当ての首切り狼が昨年暮れから出没していてもう死者だけで二人出ています。

 ではこんな時に何故大陸へ工場移転をするのでしょうか。勿論答えは誰でも知っているように人件費が安いからです。大体大陸と台湾では十倍の賃金格差があるとのことです。もしあなたが商売をしていて十分の一の人件費の土地が近くにあればどうしますか。
 そして言葉も大体は通じるわけです。学校教育を受けた人がほとんど居なくても大丈夫な産業なら飛びつかない方が可笑しいくらいでしょう。
 と言うわけでその日一緒に食事をした彼はいいます。「産業の空洞化」ですよと。実は彼の兄がその工場の解雇表に入っているのでちょっと深刻な表情でした。

 世界の観光地には日本の若い女性が必ずたむろしていると言われたのはもう二十五年以上の前のことだと思います。しかし台湾人が世界の観光地に団体でたむろしていると言われてまだ数年のことだそうです
 ちょっと傲慢な言い方かもしれませんが台湾は八年前の戒厳令廃止以降爆発的に経済成長をしてきた国です。交通機関さえまだ整備されていないし、街の空気は悪く、民主主義だって問題点が一杯あります。昨年の夏に燃えた円山大飯店の検査が先日行われましたが、(官庁検査を受けたのは始めてです!)これまで未納の税金を台北市に払ってから全ての問題解決に当たることを陳市長が新聞で語っていました。つまりそれまでホテルが使えない。これまで税金を納めないことが出来たのは、その飯店が蒋介石の妻宗美麗のもので、国民党天下が続いたからです。今その天下が壊れようとしています。ニューヨークに居る蒋介石の妻宗美齢は激怒しているかもしれません。

 でそんな国がどうしてもう産業の空洞化に見舞われなければならないのでしょうか。もう少しゆっくり台湾式に「没関係」が通じる時代が悠々と続いて行って欲しい気が私にはするのですが、いかがなものでしょうか。

五月二十日の総統就任式で「独立は目指さず、しかし統一は長期で」という目標が発表されました。国民党総裁としてはこれしか言う事はないと思われる内容です。これほど世界中と取り引きをしていて、旅行者が税関を通っていてもその扱いは各国間の特別契約のような扱いです。万国共通のパスポートの様なものは発行できません。国際的には台湾省なのです。また国際的なスポーツのようなものも開催立候補の資格がありません。それなのに独立をはっきりと要求しないのは私にはちょっと理解できません。
 百年先には統一と言う考えは私も同じなので、まあここは仕方ないとあきらめておきましょう。(直に独立を求めるという人は二十パーセントだそうす)

 次は台湾の歴史について少し紹介しておきましょう。
台湾の歴史を語るにはなくてはならない人がいます。二年前に東方出版から「鄭成功」が出版されています。これの紹介です。日本語では「ていせいこう」と呼びます。日本では「国姓爺合戦」として徳川中期に近松門左衛門の芝居が大ヒットし大阪人の八十パーセントが見に来てその興行は大当たりで三年続いたそうです。芝居では「成功」は北方からきた清の国を破って、漢族国家明の再興を実現しているそうですが、現実は彼は十二万の大軍で南京攻略に失敗して以降、大陸を離れ台湾に渡りここで亡くなっています。
中国大陸の明の終りの頃、豊臣時代の頃、長崎平戸を根城にして東南アジア貿易を手広く行っていたのが父の芝竜です。(大陸出身)
 父は東南アジア近辺(カンボジア、シャムなど)の海賊を退治したりしたので崩壊寸前とはいえ明の高官として取り入れられます。日本人女性の田川氏との間に生まれたのが主人公の”成功”です。父は清と戦った後、明の時代は終わったと感じて清に下ります。(清は北方異民族なので漢人には独立の思考が強かった)そして七歳まで母と共に育った成功は大陸で勉強した後、父と反対に明の再興を生涯の信念として貫き、徳川幕府にも再三援軍を頼んだりしています。また一方では海外貿易で利益を上げながら明国再興に尽くし、現在の福県省辺りを支配しながら、規律厳しく、海軍を鍛え、遂に南京攻略までの道を進むわけです。その軍隊の中には五千の鎧を着た日本武士が居たといわれ、北京の清国も、そして勿論朝鮮国もその行く末に肝を冷やします。もし成功が一度倒れた明を再興すれば、近隣の国は清と仲良くしたことで強大な大陸軍の返礼を受ける覚悟が必要だったのです。しかしあまりにも強すぎるという噂に油断した隙をつかれ、謀略に掛かって大敗します。

 明の末裔は現在のミャンマーで捕らえられ、明は後続を断たれます。台湾に来た成功は当時ここを支配していたオランダと戦いこれを追い出し、先住民とも取り決めを行って、大陸復興を目指して頑張るわけですが、この時代が五十年前の蒋介石の姿と瓜二つなわけです。そのため大陸側は成功の話を歴史上から消したいとのことです。

当時この台湾周辺はヨーロッパの支配するところとなっていて、隣のフイリッピンはスペインに支配されていて成功はこれの奪還も狙いますが、その志半ばで倒れます。十万という大軍を率いて戦いを始めたのが二十五歳で、三十九歳で病没しています。その間の戦いは火攻めあり、水攻めありの実にスケールの大きな戦いばかりです。あまりにも規律一筋であったために、自分の長子も不義のうわさを聞いて殺そうとしたりしています。
 現在台湾の台南というところにオランダの支配した城や成功の記念像などが残っています。
 成功の日本側(母方)の遺族は昭和の半ばまで続いていてその最後の人の遺書を引き継いでこの書が書かれたと記されています。平戸には記念館があるそうです。
 成功と共に台湾に渡って来た人達の子孫が大勢居ます。彼らは家系図を大事にするので自分の祖先のことが今でも判るわけです。

 さて私が興味を持ったのは、ここ台湾の山地先住民とのやり取りです。今から百年前に日本軍が到着した頃は、先住民はまだ首狩りの習慣を残していて、男子は他所の部落の生首を持って帰らないと結婚する資格が無いという生活でした。そんな原住民も含めて日本式の教育制度、統治を全島一律に始めたのです。勿論先住民の反抗もあって、たとえば中央山地の「霧社事件」というのがあります。先住民の反乱を押さえつけるために軍隊を投入し、毒ガスを使い陸路からは大砲を持ち込み、空からは飛行隊が森の中に向かって爆弾投下を続けるというやり方で押さえつけました。このことは「現代書館」というところから漫画で内用が紹介されています。(日本語です)
 しかし鄭成功の父が台湾にきた頃は先住民と契約をして土地を使用しました。オランダは一頭の牛の皮で囲える部分の土地を借りるということを約束して、まるで「一休さん」のように皮をこよりにして広大な土地を囲んでそこを使用しました。
 それぞれの話し合いがどんな言語を使ったのかは解りませんが、相手の納得を取り付けてから台湾に乗り込んでいます。
 鄭成功もオランダを追い出した後は先住民の利益を犯さないことを約束しています。
 しかし日本のやり方は、全て軍の力で日本国内と同じことをこの島全体に押しつける形で統治しました。
そのことによって初めてここ台湾は、日本語を使って一つに統一された行政形態を取ったわけです。歴史の恐ろしさと冷酷さみたいなものを感じ無いわけにはいきません。
 今でも先住民は日本語を話す人が多いそうです。
なおここ台湾を統治したのは海軍だそうで、現在台湾人の対日の感情が比較的良いのは朝鮮を統治したのが陸軍では無かったからだという説は、次回お話ししましょう。
         再見