ズーペン (日本人)
   (六) 九六・一
 
 台湾へ来てもうすぐ一年になろうとしています。
昨年末に十度近くまで温度が下がりましたが、三日程で再び半袖の毎日に戻っています。そのときは学校へ行く子供達は頭をすっぽりとずきんで覆い、厚いオーバーを着ていました。職場の少姐はスキーコートのようなものを着ている人がいました。
 このごろは台北市内なら大体一人でタクシーに乗れるようになりました。
そして右へ曲がってくださいとか真っ直ぐとか中文で言います。すると直ぐにあなたは日本人ですねと運転手に見破られます。時には自分の家族のことや昔アメリカへ渡って働いたことが有るなどと英語と日本語などを交えて話しかけて来る運転手もいます。
 先日は台北駅のそばの囲碁店に行きました。現住所のそばにもあるのですが、たまには新しい相手としてみたくなったのです。市内には四店ほどしか有りません。電話帳で探して訪ねた所に入ってみると、三十人ほどの人がいますが、誰も囲碁をしていません。店を間違ったかなと思っていると、やがて店の人に中へ入れと腕を引かんばかりに引き込まれました。殆どの人はトランプをやっています。中国将棋をしている人もいます。私が躊躇していると、誰かが「ズーペン」だと言ってこちらを珍しそうに見ています。すると店内のあちこちで「ズーペン」(日本のこと。中文式発音で、舌を巻いて発音すると「ルーペン」に近くなります。)だと言い合っているのが聞こえてきます。
 みんなに見られても顔も形も大体同じ、別に殺されることもあるまいと、腹を据えて囲碁の相手を探してもらって楽しんできました。東京では私は初段で指していますが、こちらでは五級です。段級の数え方が違うだけです。お茶代として百元払いました。常時行くところは百五十元です。ついでに言いますと中国式と日本では勝ち負けの計算の仕方が違います。日本では相手から捕った石を貯めて置いて最後に相手の地を埋めますが、こちらでは捕った相手の石は机の周りに捨ててしまいます。それなのに計算の結果は常に同じだということで、今だにその理由が解りません。
 話を元に戻して中文のことですが、年末から中文講座に通っています。「あん」に相当する発音記号が四つもあります。「ち」も四つ有ります。毎回そこの所は繰り返し注意されます。それから「BA」と記号が振って有るのに「ぱ」と発音したり、まあとにかく半分以上の日本人には正しい発音は無理と自分自身を納得させています。だけどあきらめないのは、むちゃくちゃな発音で結構世間を渡っている日本人が大勢いることを知っているからです。しかし日本人の場合その発音を日本の漢字に当てはめれば大体は想像がつくので取っつきやすい言語ではないかと思います。
 ところが西洋の人達は漢字を見ても解らないので発音だけを懸命に聞いて覚えていくそうです。だから西洋人は発音が正確で、日本人は発音が駄目だといつも言われます。その台湾人の先生も日本語を覚えるときは中文に置き換えて一生懸命に覚えたそうです。
 でも言語というのは頭ではなく身体で覚えるものだということを切実に感じています。例えば真っ直ぐと言うことを「ツッツォウ」と言いますが、その音を聞いたときは身体が拒否反応を起こして、実際にタクシーに乗って、運転手に言えるようになるまで三月程掛かりました。他にも拒否反応を起こしそうな言葉がいっぱいあります。後一年でどれほど成果が出るものでしょうか。 

 前回習って面白いと思ったのは、日本では「衣食住」と言いますが、こちらでは「食衣住行」といいます。多分大切な順番に並んでいると思いますが、その考え方の違いが出ているのではないかと想像します。(行は現代では車のことだそうです)
 「食」で日本と違うなと思うのは、全てに油を使うことです。そして肉料理が多いことです。毎日の弁当は三十人程の内、日本式と台湾式と半分づつ注文しますが、台湾弁当はいつもご飯の上にどっさりと肉を油で揚げたものが乗っています。でも外の料亭で見る限り種類も多く実に贅沢なものを食べていると感心します。
 餃子を注文すると餃子だけで、その他にスープや青菜や果物などを注文します。どれも一皿で二人分以上有りそうな量です。
 先日も台湾人ばかりと食事をした時、出てきた料理の中に豚の血のスープがありました。(豆腐の形をしています)誰もがこれはおいしいからと言うので少し目をつぶって飲み込みました。ぬるぬるしているだけで別に味つけも殆どありません。「食」も身体に染みついた文化で、小さな子供の頃親と一緒に食べたものが何時までもおいしく感じるのでしょうか。
タクシーに乗れるようになったのに、中国料理は一人ではまだ注文出来ません。採単(メニュウ)を見てもさっぱり解りません。特に海岸縁の海鮮料理店は殆どお手上げです。時々現地の人に連れてもらいますが、店頭で泳ぐ魚を見てその魚の種類と料理の仕方を注文します。
 私の住んでいる近辺は日本人が多いこともあって、自助餐(バイキング方式)が多く、又安いので時々利用して、何とか生きています。

 どの街角にも「びんろう」と大きな看板を付けて売っているのに出会うでしょう。あめ玉のような大きさの果物に石灰と赤い色のものを混ぜて箱に入れて売っています。
工事現場で先日「これはうまいぞ」と言われて食べました。最初は鉱物的な味ばかりです 。良くかんでその赤いところを捨てます。やがて甘さが出てきて、体がほかほかしてきて、そして陶酔したような気分になると言うことですが、途中で私は全部吐き出しました。トラックの運転手などには愛好者が多いということで、自動車道路には必ず看板が有ります。そして道路の端々にその赤い汁が吐き出して有ります。それは女性はあまり食べないようです。
 お菓子にも動物の肉の干したものなどがいろいろと有ります。空港の土産物店にもあります。でも日本人の好みにはちょっと合わないのではと言う気がします。

 話を中文に戻しましょう。
 花蓮と言うところへ行ったときでした。そこは大理石が採れることで有名ですが、その駅で二人の二十歳代のタイ人に鉄道の切符を買ってくれと頼まれました。その内の一人は少し英語が話せました。しかし漢字は全く解らないようです。その二人は採石現場で働いていて、兄さんが台湾のどこかで又働いているようでした。その行き先が英語とドジョウのような文字で書いて有ります。それは六月のことで、五分も陽射しにいれば日射病にかかりそうな強烈な太陽が照っている頃でした。 周囲には人影もなく、目にはいるのは目を痛くするような日光ばかりで、彼らが頼れるのは外国人の私だけでした。(彼らはその陽射しの下で石切の仕事をしています)
 とにかく駅員に向かって漢字と片言の英語とで話合って切符を買ったのですが、行き先名を「音」を頼りに漢字に変えることが正しかったのかどうか今だに不安が残っています。

 「ズーペン」に戻りますが、その発音記号をもっとも正確に西洋の国に訳したのが「ジパング」で最後の「NG」を切り捨てたのが「ジャパン」だと言うことは皆さんご存じだったでしょうか。(スペインの場合は「ハポン」と呼んでいます。やがて日本も「ミャンマー」のように現地の発音で世界に紹介され直す時日がいつか来るのでしょうか。「香港」(ほんこん)も不思議なことに現地の発音ではありません。中文では「シァンカン」です。

 この花蓮は地震が多い所で、日本の大学と共同で地震予知の研究がされています。時々その予報がTVなどでされていて、かなりの確率で当たります。 ここは観光地としても有名な場所なので観光客も世界から大勢来ます。そのため地元では地震予報があると客が減るということで公表に反対の意見が多いとのことです。

 先日職場の人達に誘われてKTV(カラオケ)に行きました。十三人ほど入れる部屋を借り切って、食事は食べ放題で三時間で一人当たり五百元少しでした。男女各六人ずつだったのですが、その内日本人は三人でした。台湾人達は実に快活に食べては飲んだり大声で話し合ったりと、それはにぎやかなものでした。そして歌について言えば、各人が知っている限りどんどんと注文していきます。一方の壁には映像が投影されていて下の方に歌詞が出てきます。その歌詞と言ったら全て漢字で、それも難しい漢字が次々と流れていくのを追いかけて彼らはすらすらと歌います。台湾語の場合は本来文字がないために中文の漢字を音だけが適しているように当てているため私達日本人には余計難しく感じます。
 もう一つ驚いたのは三分の一程が日本の歌でした。歌詞は漢文のこともあり、日本人向けのもあります。若い人達は私の知らない日本の歌をいっぱい歌ってくれました。そしてなんと言うことか、そのときまで日本語は全く通じないと思っていた少姐達が、実はかなり話せるのを知ってこれも又びっくりしました。そういえば机の上には日本語入門のような本が飾って有るのを思い出しました。夜学へ行っている人もいました。それまでは毎朝の挨拶に「早」(ザオ)というだけで、あとは必要が有れば通訳の人を仲介していたのになんと言うことでしょうか。
 もう一つ同じような経験をしました。一月も末になると、二月がこちらの正月(過年)ということで、尾牙(忘年会)が行われ、街もそれらしい雰囲気になります。床屋もタクシーも値上げします。
 私の居る職場でもホテルで尾牙をやるということでタクシーに乗って行きました。そのとき日本人二人と少姐二人で同じタクシーに乗りました。二人の少姐は台湾語で、私達は日本語で別々に会話をしていました。勿論本来は四人で会話するべきでしょうが、彼女達は日本語が分からず、こちらは中文が出来なかったから仕方ないと思っていました。
 私が「最近あなたの仕事は忙しいですか」とまだ独身の彼に訪ねたら彼は「ええ少し」と言うので「仕事、それとも」と言ったところで突然横にいた少姐二人が声を揃えて同時に「デート」と声を出したのです。 
 彼女達もそれぞれどこかで日本語を勉強していたようです。本当に驚きました。

 そのことが有ってからは、他の少姐達の机も注意してみることにしました。そしたらなんと言うことか私の横に座っている少姐も机の上に日本語入門が置いて有って「それ難しいですか」と日本語で訪ねたら、「少し」と日本語で返ってきたのにはさらに驚きました。その女性は人見知りが強いのでしょうか、初めの頃はかなりつっけんどんに他人に応対をする人でした。私と仲の良い台湾の男性もその女性にはあまり近寄らないようにしていました。でも私の必死の取りなしの成果が半年ほどの間に現れてきて最近は少し笑顔を見せるようになっていました。だけどそれまでにはその少姐の前で日本語で悪口を言っていたかも知れません。今更どうしようもありませんが。
 但し日本語の本があるからと言って早合点してもいけません。「のんの」という雑誌をご存じでしょうか。この日本の雑誌は台湾全土の若い少姐達に広く読まれています。その目的は日本語の勉強ではなくて「ファッション雑誌」としてで、殆どの本屋に置いて有ります。現在日本の若い女性の服装が世界のトップを行くセンスで飾られているということでしょうか。

 台湾語についても少しふれておきましょう。このごろは現地の話を聞けばこれは台湾語だと直ぐに解るようになりました。意味は全然駄目ですが。職場では中文を中心に台湾語と日本語と時々は英語などが混ざり合って使われています。英語が出てくるのは日本の材料が高いためにアメリカ製品に振り替えることが有るためです。
現地の人は私の前では日常会話でも中文と台湾語と混ぜて話しています。
 ところが先日近くの公園をしばらく歩き回りました。そしたらなんと言うことでしょう。年寄りも若い人も、公園中が台湾語で満ちているのを聞いて、「ぎょっと」しました。「あれ、どこか違う国の公園に来たのかな」と言う気持ちになりました。台湾語はぱぴぷぺぽが多く、明らかに中文とは違います。一つの国の人が二カ国語を話すというのは、私達日本人にとっては異常ではないでしょうか。でも国民党が大陸から突然渡ってきて、台湾人に中文を押しつけてからもう五十年になります。それでもくつろいだ場所では台湾語が表面に出てしまうものですね。

これは台湾のホテルに勤める青年から聞いた話ですが、日本の観光客の中で年寄りの人が台湾語をすらすらと話すのを聞いて大変驚いたそうです。
 五十年間の日本による台湾統治の間にこちらで生活していて、まだ健在な人達が日本にはたくさんいるのでしょう。教科書だけで知っていた日本統治をその言葉から青年は実感したことでしょう。

 話は変わりますが、台湾にいる日本人達はNHKの衛星放送を見て日本のニュースに接していると思います。それが四月から台湾のTV局が聴取料を払っていないと言うことで表向きは禁止になります。台湾では政府・国民党の経営する放送局が三つ有りますが、評判が良くないのでどこの家も有線放送を契約しています。その中に有力な番組としてNHKがあります。大相撲も相当数が見ているとのことです。いろいろなドラマも野球も日本番組は十局ほど有ります。野球は台湾のものより日本のプロの方を見る人が多いという人がいます。
 昨年は一休さんが子供達に人気を博していて、現在は子供服の売場では一休さんの模様入りのものが置いて有ります。
この有線放送に特別申し込みをすれば大人専用の番組が見られます。これには抜け道があってプロテクト破りの装置を電気屋で売っています。有線放送会社が百社以上有るのでその買い物は日本人には無理ですが。困るのはその扱い方です。選局がボタン一つで一瞬に出来るのです。(当たり前ですが)
 先日も大勢で昼の食事をしているときに、顔なじみの得意客でいたずらっ気いっぱいの人がにやにやしながら入ってきました。そしてテレビのスイッチを握るやいなやそれまで見ていたニュースを変えて大人専用線を押したわけです。(日本の午後一時に当たるためそれまでの十分間は日本放送を見て後の十分は台湾のニュースを見るのが慣例になっています)押した当人は大手を振って出ていきました。画面ではタイツ姿の若い女性が逆立ちをして足を広げたり閉じたりしているところをカメラが上から写しているところでした。
 まあ大体男の野郎達は五時以降に見ている人が多いのであまり大した反応は無かったようですが、少姐達の中にはブーと叫ぶ人もいました。こんな訳ですが、日本ではどうなっているのでしょうか。

 衛星放送について言えば、四月以降の放映も絶対大丈夫だと台湾の人達は断言しています。大体有線放送会社の殆どが無登録(ライセンスなし)だそうですから。
 似たような話で、市内の中心から三十分ほど行った山間に温泉と料亭街が有ります。温泉はこちらは共同浴場方式で入浴しないので一人一人小さな個室に鍵をかけて入浴しますが、その料亭が数百店有って、しかも殆ど無許可営業だと言いますから、すごい「意欲のある」人々の国と表現すべきなのでしょうか、なんと言うべきか、私には表現の仕方が解りません。
もう一つ似たような話で、台湾第二の都市高雄でゲーム機の同業者組合から賄賂を取っているということで担当警察全体の二百五十人の半分が取り調べを受ける事件が現在もまだ解決を見づ続いています。警察の家族や奥さん達は、主人達は「無罪」だというデモを行いました。
 台湾の人達に聞くと、この事件の場合は上と逆に警察とは「ライセンス」を持った暴力団と考えているということでした。こうなるとライセンスが有るのがよいのか悪いのか解らなくなります。
 今回はこれくらいで、  再見
 (中文には「さようなら」に相当するものはこれしか有りません。両者の間には少し隔たりがありますが、これも文化の違いでしょうか)