大家 好 
「ターチャ ハオ」 (皆様 お元気でしょうか)
(五) 九五・十一

 台湾に来て半年が過ぎました。長い努力の結果、毎日の挨拶だけはほとんど無意識の内に出来るようになりました。
 朝は早「ツァオ」でその他は 好「ハオ」です。
これで全てです。早「ツァオ」が「お早うございます」なのか「お早う」だけなのか、あるいは又「お早うさん」と受け取っているのか解りませんが、そんなことは日本以外の国は大体語尾の方は省略して居るようですね。
 でもここまで会得するのにずいぶんと時間が掛かりました。というのは中文に日本のカタカナを当てはめて表現しょうとしていますが、似ているようで実際の発音は全く違うわけです。英語の場合も少し無理が有りますが中文の場合はカタカナではもうほとんど不可能に近いのです。
 こちらへ来て二ヶ月ほど経ったとき電話が鳴って私が取りました。
「ツァン」さんと呼んでいるらしいのでそんな人は居ませんと答えて後で怒られました。それは「陳」さんのことでした。

 陳や劉さんは掃いて捨てるほど居ます。例えば有る陳さんの場合、葬式で二百人を越す同姓が集まったそうです。
いつも顔を合わせている人達は日本人に対しては日本語で呼び描けてくれます。でも勿論台湾人同士の間では、私達のことを中文で発音しています。ツェンシャン(川上)とかチャントン(江藤)とかのようです。この一つ一つの発音が日本人には本当に掴みにくい複合音なのです。で自分のことをなんと呼んでいるのか解るまでに、ずいぶんと月日が経つものです。文字の意味はだいたい解ることが多いのですが、読み方はさっぱり解りません
 こちらでは台湾人同士は名前だけで呼び合っていますが、日本の「さん」に相当するものに「シェンション」(先生)が有ります(但し男だけ)。女性には「少姐」(シャオジェ)を付けます。かなり年を取っていても「少姐」をつけないとけっ飛ばされることもあると聞いています。日本で相手の機嫌を取るときには「社長」と言えばかなり効果があるとここで教わりました。  

 さて発音のことに戻りますが、「日本」は(ルーベン)に近い発音ですが、ここで買った教科書にはズーベンとひらがなが振って有ります。台湾人に聞くと舌の巻き方が同じなのでどちらも正しいと言っています。こんな訳でこちらの発音は日本のあいうえおでは表現できないことがわかりました。
 日本の歴史上何時の時代かに、誰かが日本の言葉を五十一の発音にまとめたのは途方もなく大胆かつ思い切った選択と言うか切り捨てだったのではないでしょうか。切り上げもあったかも知れません。おそらくあいうえおでは表現しきれない複雑な音がまだまだあったのではないでしょうか。女王卑弥呼が中国へ使節を送った頃は日の出づる国はまだ獣のような発音しかなかったという論文を見たことがありますから、それから六百年ほどの間にひらがなのように発音記号を兼ねながら同時に文章に書き表すこともできる文字を発見したことは、現代ではノーベル賞に匹敵すると私は思います。ワープロの時代になって見ればローマ字が使えて非常に便利です。

 中文ではワープロ入力の時にどんな風にするかということが気になります。私達の感覚では子音プラス一つの母音ですが、ここでは一つの子音にYや母音が三つも四つも付けないと一つの語が表現できません。しかも(ちん)のように、同じ音で字が違うものが幾つもあります。これは音抑を付加して表しています。結果を先に言いますと、ここでは日本と違った発音記号があります。でも、あいうえおのように実際の文章には現れてきません。台湾ではキーボードの上の発音記号を押すと漢字が出てきます。ついでに言えば大陸とも又入力方法が違うそうです。

 今回は台湾と日本と違ったものを幾つか紹介しましょう。

今日は十一月半ばですが毎日陽気で、すがすがしい風が吹いています。九月末頃からあまり気候は変化せず、気温は大体二十五度前後でしょうか。爽やかな秋がずっと続いているようなものです。九月に一度台風が近づきました。朝のTV予報でその知らせがあると、ほとんどの台湾人は会社を休みました。それが国の決まりです。出社したのは日本人ばかり。でも台風は台湾の西を静かに通って何の被害も無く通り過ぎて行きました。
 こちらの人は交通事情が悪いので朝は三十分ほど遅れるのは常態です。そして着いてからパンや即席ラーメンを食べます。夕方は大体残業はせずに帰るのが普通のようです。一時間も帰宅が遅れると家庭から電話が掛かってきます。勿論職種によっては遅く居残る人も居ますが。
ところが先日の新聞にはこんな相談が出ていました。結婚したての夫が日本の会社で重宝されて毎日仕事が遅くなり、しかも一週の半分ほどもカラオケバーに寄ってから帰宅をする。健康も心配だし私のことをどう考えているのか解らず寂しい、と言う投書でした。台湾人にその記事を見せると「そんなのはその人個人の趣味の問題でしょ」と言う簡単な割り切った返事が返ってきました。
 交通状態が悪いことは大変なもので平均で日曜ならば三十分の所を平日は一時間掛かります。交通信号ごとに合計三十分待っているわけです。日本ではちょっと想像できないでしょうが、どちらがいいのでしょうか。交通状態が良くて一時間掛かるのと。

 十月半ばからは職場や街を歩いていて、一目で日本人か台湾人か解ります。半袖の姿が日本人で長袖の上にセーターを付けているのが台湾人です。スクーターで通う人が多いからでは有りません。自家用車で通う人もかなり居ますが長袖に変わりありません。日本人で一番寒がり屋と自覚している私がまだ半袖です。
二月になって十度を切るとどんな防寒姿になるのか今から興味津々です。
 
台湾の街を歩いていて目に付くのは女性用の床屋の多いことです。一つの通りに三つ並んでいることもあります。職場の女性に聞いてみると、洗髪だけの利用者が多いそうです。髪が長いので自分の家で洗髪をすると風邪を引きやすいと言います。そういわれて気を付けてみると皆さん随分と髪型には工夫しているようです。日本の女性はいかがでしょうか。

 次に日本と違う風習は、昼休みは一時間か一時間半昼寝を取ることです。役所は一時間半でした。どの建物もしーんとしていて、椅子に横になったり、或いは机に頭を伏せて休憩です。勿論ガーガーと鼾をかく人も居ます。

 ここ台湾では挨拶の時に女性も少し頭を下げるだけですが、私は二度日本式に膝に手を当てて挨拶を受ける経験をしました。そのときの気分は何とも言えず良かったので、その話を簡単にしましょう。

 一つは市バスの乗り換えの時でした。どこで何番に乗ればいいのかさっぱり解らず、男の学生風の人に行き先の住所を見せて訪ねました。すると彼の女友達二人が同じ方向だということでその女性に付いていくことになりました。私が迷い子のような状態だと解ると周りの視線も集まって来ました。バスが来るまでフィリッピン人に英語で話しかけられたりして、その内容から台湾に大勢の外国人が出稼ぎに来ていることが想像されました。
 やがてバスが来て二十歳位の太った人と細型の人と二人が下宿まで案内してくれました。その途中、太った人は私の横で「今日は」とか日本語を二つ三つ小声で話してみて恥ずかしそうにきゃっきゃ笑っていました。私の帰り道が解って別れ際に私がお礼を「謝、謝」と言ったときに、細型の人が膝に両手を当てて軽く頭を下げました。そのとき私は台湾で初めて出会った挨拶であることに気がつきました。
二回目は会社は違うけれど同じ職場の人です。彼女はパソコンのオペレータなので時々日本のゲームをあげたりしていました(DOSVのゲームは動く)。
 彼女は背がやや低くて、歩くときはいつも背筋を伸ばして両方の肩を少し前後に振って急ぎ足に歩いていました。笑うときは小さな目をまん丸にして白い歯を見せていました。もっとも言葉は全く通じない二人でしたが。三月ほどして彼女は他の事業所に移ることになりました。そのことを私に教えるために彼女は次のような芝居を私にして見せたのです。そのときは通訳が居ました。
「シェンション、この現場の仕事は変更が多くて大変でした。CADの入力に疲れました。私はもう我慢が出来ないので、ここで切腹します。もう会えません」
そういって彼女は右手を握って右の脇腹に手を当て左の方に引き掻く真似をして見せました。それはいかにもテレビで覚えたてと言った風で日本の小さな子供でももう少し上手な真似が出来るはずだと思うくらいでしたが、それだけに彼女が何か一生懸命に芝居をしていることが解って、私は大笑いしました。そして部屋を出ていくときに彼女は膝に手を当てて頭を下げたのです。私がしたことと言えば「再見」と言って手を振るだけでしたが。これら二つとも彼女達がテレビで日本のものを見ていて真似をしたようです。
 
 十二月二日に台湾立法院の選挙が有ります。街を歩くと八階建てのビルの壁いっぱいに候補者のポスターが張って有ったり、延々と昇り旗が道路際に並んでいたり、宣伝カーの行列が街を走っています。この宣伝が新聞にも非常に派手に載るため、不動産関係の広告が目立たないので少なくなります。そうして他の産業までが活動が少なくなって不景気になります。外国からの投資も減り続けています。十二月終わりには車の売り上げががたんと減ります。これは選挙と関係なく例年のことだそうですが。(すこし買うのを待つて新年度車にしたいため)
そして来年三月の総統選挙と続くので景気には最悪のパターンだと言われています。

 今回の選挙の注目点は国民党が八十三議席の過半数を確保できるかどうかです。
 予想では八十五議席を得るのではないかと報道されています。独裁の状態から、三回の選挙でここまで変わってきました。民主化を命を懸けて切り開いてきた民進党は約五十議席、国民党から分かれて大陸奪還を目指す「新党」は約十五議席です。もしここで民進党が伸びて国民党が過半数を割ったら台湾が新しい区切りを越えることになるのは明らかなので、双方とも必死の攻防が行われています。選挙のデモ同士の武力衝突もあります。機動隊に旗竿でつき掛かるところもTVに出ています。今度の大阪でのAPECに李総統が出席できなかったのは国民党にとって大きなマイナスだったでしょう。何しろ新聞には簡単な紹介しか掲載されていません。もし総統が出席していたら毎日の新聞・TVに彼の写真が載ったことでしょう。

 今日の夕方職場で面白いことが有りました。
 私の横に居た台湾人二人が始めはくすくす笑っていたのがやがて大声で腹を抱えて笑い出しました。周囲にはたまたま誰もいなかった時でした。
 二人は小さな紙に何かを書いています。私が覗き込んで見るとそれは選挙のビラの一種で、候補所の顔の次のページにはボランティアで応援してくれる人を募集している紙切れでした。郵便ポストに入っていたものでしょう。
 その紙切れに二人の男性がいたずらをしています。一人は応援したい人の名前の所に職場の隣の男性の名前を書いています。職業には「林森大学教授」とあり、特技の欄には「あらゆるH行為」と書いています。「林森」とは、日本人がよく行く飲屋街です。
 もう一人はやはり相手の名前を書いて、職業の欄には「三七仔」と書いています。特技の項には用心棒と書いています。「三七仔」とは、台湾には政府公認の買春街が有ってそこの門番のことのようです。そこの女性は南方の山岳民族から買われてくることが多く、その一帯を「三七仔」が見張っているわけです。

 選挙の日は土曜日ですが台湾は休日になります。何故選挙の日が休日かと二人に訪ねると「日曜日に選挙をすれば、誰も遊びに行って投票なんかしないから」と言う答えでした。「誰も」と言うところは、かなり大げさに両手を振って強調していました。
 日本人のいろんな人の観測によると、台湾人は、東南アジア一帯もそうですが、政治というか他人にほとんど期待をしていません。この四千年と言うもの支配者が変わればそれに連れて政治が大きく支配者の都合で変わってきたからです。国のルールに期待するよりも賄賂を上手に使って自分で道を切り開いていく方が確実だという考えではないかという推測です。
 たとえば交通ルールについて言えば、通行人が少なければ、市営バスでさえも赤信号無視で走り出します。混んでいればいつもと違う道を選んで走ります。交差点の右折左折は信号にお構いなしが普通です。そのやり方は自分の判断を自分が責任を持って決行するという考え方とも受け取れます。
 ここで言及しなければならないのは賄賂のことでしょう。
 あらゆる建築検査や申請は、最終的には「賄賂だ」と言う人が居ます。勿論日本にもまだまだ賄賂が残っているようですが、ここ台湾では「公然」と残っています。しかしそれはほんの謝礼程度と言う人もいます。
 台湾は、大陸ほどに露骨かつ徹底した賄賂を使わないと何事も進まないと言うことはないと、大陸で最近まで働いていた人の意見も聞いていますので、これは程度問題なのでしょう。でも「公然」というところは驚きです

 一つには法規で決定しようにも技術改革や急激な規模増大にまだ対処出来ないと言う事情もあるようです。
 十月に私が立ち会った建築検査では昼休みも抜きに市役所の人達が働きました。普通は午前中で終わって食事を提供するので、大勢の台湾人が驚いていました。これは民進党の市長の存在が関係しているそうです。建築の消防法期の整備は北海道庁の協力を得て進めていました。
 ただし、毎日の職場や家庭の内部ではこの賄賂の姿はほとんど見当たりません。日本のように上司に贈り物をするという習慣は有りません。台湾の場合、生涯一つの企業で働くと言う習慣が無いことが関係しているそうです。それは安定した企業がこれまで無かったことが理由なのかそれともアメリカ式の一つの人生の間に多くの経験をしておきたいという考えが根底にあるのかは解りません。私の見るところ、自我が強いというか、日本人に比べると個性とかプライドが非常に強いことは常々感じます。
 ある台湾の老人が言っていましたが、日本が支配している頃は他人との間に衝突があると必ず双方が先ず謝ってそれから問題を解決しょうとしたのに、現代の若者は何時の頃からか絶対「すみません」と言う言葉を使わなくなったと嘆いていました。 
 ついでに中国大陸に対する四十代の台湾人の考え方を紹介しておきましょう。もし大陸との合体を望むかと問えば、九十九パーセント以上は反対すると言います。しかし江沢民が武力で恐喝すればその反対は六十パーセントに下がるだろうといいます。ここが面白いところで、大陸が嫌いでも台湾の独立した政治を考える前に個人で出来る道を選んで大きく揺れるところを暗示していると私は推測しました。
 
 選挙の時に家族ではどんな話し合いをするのか聞いてみました。三十代なかばのある人は民進党支持です。そしてその父親も同じです。母親は選挙に行く朝にお父さんに誰に入れるのと聞いてその名前を書くらしいとのことです。そして彼の妻については、いつも彼には教えないそうです。学生だった頃は学校の国民党の組織が強いのでそれにひょっとして入っていたかも知れないと言います。今は職場の組合との関係もあります。(台湾ではほとんどの女性が働いています)そんなわけでこの夫婦の場合投票については秘密です。

 今回の選挙の途中、民進党は新聞広告で一つの選挙区に四人が立っているので、票を偏らせない方法を募集しました。そして決まったのが誕生日による方法です。一年を四つに分けて候補者に振り分けました。選挙をする人は自分の誕生日で相手を決めるわけです。これがうまく行くでしょうか。お爺さんの推挙で決める人も居ますから。
             再見