映画「レ イ チ ャ ー ル ズ 」の感想

05/02/25

 まず概略紹介
 7歳で盲目となった黒人のレイ・チャールズ。子供の時近所の人にピアノに触らせて貰い、おそらく盲目となって以降はその学校に行きますからそこでも習ったのでしょうか。17歳の時に遠くの街へピアノで稼ぎに行きます。最初に働いたところの女ボス(黒人)は彼を泊まらせて「身体」で払わせます。やがて「リズムアンドブルース」が主流の黒人音楽に「ソウル」と言うリズムを創り、次第に頭格を上げていきます。
初めの頃は「ナットキングコール」等を真似たようですが次第に彼自身の情熱的、官能的な音楽を創作していきます。あまりにも官能的で”政府が許すだろうか”等という場面が有り、”夏休みの中に発表してしまえば通るだろう”、等と言うところもあります。
 
  その後は順調に成功の道を歩むようですが、いつも彼の前途には金銭的のごまかしと、男女間の誘惑が待ちかまえています。レイも何人かの愛人を作ります。ある時はコーラスの女性が彼の目が見えないことを利用して自分の部屋に誘い込む場面があります。その時既に他のコーラスの女性と愛人関係になっていて、その場を見られ、自家用車のフロントガラスを割られています。男性の信頼出来る親友も増えていきますが、音楽会のトップに出るために別れたりします。
 その彼にもう一つの大きな影響を与えたのは「麻薬」です。彼は早くからその薬漬けの生活をし、その力を借りて「ハイ」の状態で作曲をしていきます。
 州警察に逮捕されたりしますが、それは賄賂で逃げ、最後は国家警察に捕まり、それは逃げられず、彼自身が隔離病院に入り薬から逃れる道を選びます。

彼にもう一つの大きな環境・影響を与えたのは彼自身が「黒人」で有ると言うことでしょう。街へ出るときの乗用車は黒人の席が仕切られていて、休憩場所も黒人は別、トイレも別です。黒人の身分故の圧巻の場面は「ジョージア州」での演奏会です。その会場も黒人は別席で仕切られていて、彼が会場へ入るときその反対運動の黒人達と出くわします。
 最初彼は「黒人差別は自分ではどうしようもない」と言って会場に入ろうとします。その入り口寸前で彼は立ち止まり、今日の演奏は中止だと行って引き返します。そして契約違反と言うことで罰金を取られます。そこでジョージア州では彼を「立ち入り禁止」にします。(1961年)その時彼が歌う予定にしていたのが「我が心のジョージア」です。
1973年、公民権運動の高まりによってジョージア州はレイに市民権を与え、「我が心のジョージア」を州歌に議会で決定します。
 2004年6月、73歳で没。

 私の感想:

 彼の生き方、登場人物、何処をとっても日本人との極めて大きな違いを感じます。日本人の社会は漬け物的というか、静かな道徳家で、向こうは黒人或いはアメリカ全体がそうかも知れませんが、肉欲的・野性的・エネルギッシュです。ダンスをするときに大きな胸と腰を思い切り振りながら踊っています。
 誰もが人を騙し、自己中心に生きていこうとしているようで、しかし一応全体を法律が制御している社会という気がしました。
 黒人で盲目のピアニストが他にも居ますね。私の好きな「セントルイス・ブルース」(ハンディ)もそうでしょう。レイも「月光の曲」を一部弾く場面がありますが、どうして4つのパートの楽譜を引けるのか不思議です。耳だけでは不可能と思うからです。
 彼はピアノを弾くときはいつも上を向いて身体を左右に動かしています。こんな真似は目の見える人では出来ないでしょう。
 でもそのような不利を背負いながら必死になって生きていく姿が私達に人間の尊さと素晴らしさを感じさせてくれます。
 日本の伝記では、登場人物は正義の士で道徳家として描かれるのが多いですが、ここに登場したのは「普通の人間」という気持ちを強く感じさせます。それでいてやはり天才だなと思い、そして凄い人生と音楽の記録だ、と言う感想です。