月光の曲 とピアノ

 この曲を弾けるようになったのはピアノを習って3年ほどしたとき、
私は35歳から習い始めましたから、38歳くらいの頃です。
 あまり大きな変化が無い曲で、少しずつ音符が動いてその度に使う指を変えて、最後まで弾き終わるのにずいぶん苦労しました。何度も練習して何とか全体がどのようになっているのか解ったとき、自分が新しい世界というか普通には経験の出来ない世界を見たような気分になって感激した記憶があります。
一番最後の数小節をピアノの先生が弾いたときも、同じテンポで弾かず少し感情を入れて強調したりして弾くと、深い美しい世界に引きずり込まれることが解り感動しました。
 ベートベンという人は、よくもこのような壮大で一幕の世界をピアノ曲で作り出せる、すごい人だなという気持ちもありました。
 プロが弾けばどんな曲想になるのだろうかと、レコードを買って聞いて見ました。
 そして池に映った月光の下で、初めは強く2度目は弱く響く音を表現しているところも知りました。
 
 それから数年経って、かなり年配の女性が、その人は自分の戦前の思いを小説にしている人でしたが、自宅で弾いて欲しいと言われ練馬まで行ったことがあります。
 その人の小説の世界は、戦前に補助教員として働いていた頃のことで、教師になるため当時は多分オルガンだと思いますが、それを一生懸命に練習されたのでしょう。
 小説の中で記憶に強く残ったのは、当時の賃金の安さで、物価に比べあまりにも安く、たとえばオルガンを買うためには一生かかっても不可能のような水準で、しかも毎年昇級しても、その一部を貯蓄しても、ただ働いていては生きている意味が有るのかと思えるほど少なく、寂しい感じでした。
 
 日本の戦後、高度成長時代までもまあ似たようなものだったでしょうか。
 
 ある時母と「戦争と人間」の映画を見に行きました。
 浅岡ルリ子が東北の財閥の娘を演じていて、庶民が悲惨で苦しい生活をしているとき、豪邸でピアノを弾く場面がありました。私はその場面を見ただけで涙が出そうになったことを覚えています。
 同じ人間の社会でこれほどの開きが有るということに悲しくなったのです。
多分このような感じは高齢の方には共通しているのではないでしょうか。
 
  私が逆の立場を演じたことがあります。
私がピアノを弾けるようになって、多分1985年頃と思います、高齢の方が大勢集まっているところで弾きました。そしたら「なんだ、おまえはブルジョワか」と驚いたような顔で言われたことがあります。
 その方もやはりピアノにはそのような特殊な裕福な階級の持つ専有物のようなイメージを持っていたのでしょう。
 
  ところが時代は既に大きく発展していたのです。本当にすっかりと言ってよいほど変わっていたのです。
  テレビを見ると、別に財閥の子供でなくても、ごく普通の子供がピアノやキーボードを、それこそ天才のように軽く弾いている場面がいくらでもお目にかかる時代になっていたのです。
 だから私がピアノに抱いていた、特殊な階層の専有物みたいな考え方はもう時代遅れになっていました。
 
 私がピアノを弾くようになった直接の動機は、子供が小学校に上がったとき、子供がピアノを習いに行き、その同じ先生に私も習い始めたのです。
 二人の娘が共に習いましたが、確か高校に入る頃には止めたでしょう。でも親の私だけが習い続け、計10年通いました。
 当時は子供にピアノを習わせるのが流行していて、何処の街に行っても、ピアノ教室がありました。でもその流行もやがて下降し、ピアノの調律師が仕事が減って困っているという話も聞きました。
 
 私は18歳の時男声合唱団に入りました。その時のピアノ伴奏は同年の男性が弾いていました。多分当時ではその方は裕福な方だったのでしょう、と想像します。家に行ったことがないので解りません。
 ただ戦前のような身分の格差は無かったので差別感は有りません。でもとても羨ましく思ったのも事実で、まさか後年になって自分がピアノを弾くなんて想像もしませんでした。
 ピアノを習って良かったことは、作曲の世界というものが少し見えてきたと言うことでしょうか。
 一つの曲が有る「世界」を或いはある「部分」を創造表現しているということで、これはあまりにも当たり前のことでしょうか。

 わたしがそもそも音楽の世界に強烈に惹かれたのは、中学1年の時でした。
 近所の家で遊んでいたとき、そこへアコーディオンを持った大人が来て、ほんの少し弾きました。その人は酒場で”流し”をしていたのだと思います。私にとってその数分の出来事が強烈で胸が痛くなるほど感激しました。
でもその時は強い印象に残ったけれど、だからその後どうしようと言う気持ちはなかった。ただ心の底に残っていただけです。
 あれは、私がちょうど青春の入り口で、感情が敏感になっていたときの一つの出来事と言うことかも知れません。でも普通には存在しない「美」が広い世界には有る、と言う気持ちでした。
 
何事もそうだとは思いますが、人が訓練を受けて、練習を積んで技を磨くと、すごい高みに行くとが出来る、と言うことでしょうか。