宗教とお墓

                  05/12/1 
 
 先日宗教の発生に関するテレビ番組を見ました。それによると、原始時代の「宗教の発生の根本」は”死”に対する恐怖が原因だそうです。
 原始の人々は必ずやってくる”死”を見て、強烈な恐怖、或いは疑問・不思議、その裏に隠された目に見えない世界、これらを見つめ考えている内に、”死”を如何に解釈するかという宗教と死者を祀る墓が生まれたとのことでした。

 ”死”がもたらしたものは、宗教と墓だけではなく、迷信、おまじない、験を担ぐ、死後の世界、預言、霊感等々、数多くの分野、数多くの言葉が生まれ、生活の中に生きています。

 マルクスなどの社会主義社会では宗教を「支配関係」に目隠しする「阿片の役割」だけを強調し、実際に中国ではお寺や宗教関係の建造物、或いは墓が大量に破壊されました。
 日本でも、最近は宗教やお墓を、「古い」或いは「後ろ向き」の様なマイナスイメージを持つ人も多くなって、これまでの形式にこだわらないものを求める人が多くなっています。死者の骨を海に撒いたり、墓を作らないと言う話も聞くようになってきました。
 墓を作ることは土地の少ない日本の場合特に墓場の形が問題となっているようです。
 しかし現実にはそれぞれの土地の習慣として、外国は言うに及ばずどの民族にも宗教とお墓が厳然と存在するようです。

 先日見たテレビ番組では、フォークソング歌手の「高田渡」が”鉄道線路に咲く草花”の詩を作ったドイツ人の墓参りに行くところがありました。高田はその詩を作ったドイツ人がどのような人でどのような気持ちを詩にしたのかを、墓参りのついでに確かめたかったのだそうです。お墓があることは事前に確かめていたようです。
 そのドイツ人の墓は1メートル角程の大きさで、平たく地面に置かれていました。
 その墓参りが済むと高田は、その詩人の作った”線路に咲く草花”の詩をドイツ人が別の形で作曲し歌っていることを知ります。そしてその歌のグループと出合います。
 高田の作曲は、線路際に咲く草花が人から見られることもない寂しい姿として歌ったそうで、ドイツ人の作曲は、人生に対する皮肉として解釈し作曲していました。
 わざわざそのことを確かめるために高田はドイツへの旅に出たのです。
 「わざわざ」と表現したのは、無駄なこととも受け取れますが、しかしそこまでさせた、或いはそこまでの旅行を可能にしたのは「墓」が有ったからだ、と言うことが言えます。
 そのお墓で、その人の人生や生き様がどんなものであったかを、後生の人が確かめる一つの”墓標”になっています。
 お墓は身近な家族が亡き人を想い、語り合う場を作っています。その”場”は家族だけではなく、高田のようなこともあり、或いはもっと歴史的・社会的な事もあるでしょう。 お墓によって歴史的事件が解明されていった物語は数多くあります。
 私はその番組を見て、墓の役割が1家族の範囲だけで如何に小さくとも、それでもそのお墓が”墓”として形を残している意義があるように思いました。
 墓として形を残し、生き残ったものが墓の傍に集い、墓の中の人の人生を想い語ることは、人類にとってとても貴重なものではないでしょうか。そのような祭礼が人間の社会を大切にする、生きていることを尊重する、長い長い人類が残してきた習慣であると言えないでしょうか。
 しかし実際問題として墓を作ることは大きな出費を伴い、或いは伝統的という名の無意味な習慣を伴ったりします。お墓に関して改善の余地は有るとも思いますが、しかし故人を想い集う”墓標”が必要だということを感じ記しました。