著書紹介  「チャーズ」

(中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女)
遠藤誉 著 文春文庫 上・下 各437円

 チャーズとは中国の地名。戦前日本が大陸に満州帝国を作ったときの首都新京。現在名は長春。そこを終戦時中国共産党の八路軍が日本から取り返し、また直ぐ国民党が取り返します。
 そしてまた中国の共産党の八路軍がその街を包囲しました。しかしその包囲は長期に渡り、発電所が止められ、新京市内は食べ物が無くなり、人々の餓死体を各所で見られるようになりました。飼い犬が子どもの死体を食いちぎって持ち帰るようになって、著者の家族はこの街を脱出します。その時著者は7才の女の子。
 国民党が作った鉄条網を抜け出した人々は、八路軍が作った鉄条網に阻まれ市外へ出ることが出来ません。そこで人が人の肉を食べる地獄のような悲惨な状態が生まれます。誉が人目を避けて土の上で小便をしたとき、泥の中から遺体が出てきます。この地名が「チャーズ」です。
「チャ」とは漢字では上と下を重ねて書く一文字。
 ここで死地を彷徨った人々は、日本人も中国人も居ました。
 著者の父は日本にいるとき、社会の役に立つ生き方を求め、精神的には宗教の道に進み、また、阿片に苦しむ人を救う為の薬を開発して、世界の特許を取りました。
 当時最も阿片患者が多く居ると言われた満州で工場を造ります。薬品名「ギフトール」。

 この薬が実際多くの人を苦しみから救い、そして工場が大きくなり、またその数も増えました。
 この工場経営に当たって著者の父は現地人の中国人を最高の待遇とし、次に朝鮮人、最後に日本人とします。  
 
 実はこの本は、私のメールを読んでいる人が紹介してくれました。
 中国人と話をするとき、この本を読んで以降、この様な生き方の日本人が居たことを知って、少しは肩身の狭い気持ちが救われると話してくれました。
 私も読んでみて同感です。事実というのは小説よりも奇なりと言う感じが強くしました。今まで戦争のはなしを数多く聞かされてきましたが、この様な日本人が居たなんて初めて知りました。

 日本が敗戦で大陸から引き上げて以降、共産党も国民党も日本人技術者を必要としていて、父が技術者であることを名乗り、この死地、「チャーズ」を家族達一同が八路軍側に抜け出すことを許されます。
 その当時著者の身体の腕の傷が結核菌で犯され、膿が泊まらず、そこからウジ虫が湧くという最悪の状態でした。このため著者誉さんは目だけが生きていて口は何も語らないという状態が続きます。そして30数年後にこの苦しい事実を発表したのがこの本です。
 
 この物語に登場する多くの人は全て実名です。しかしただ一人Aと言う親戚の人のみ仮名です。それはこのAが新京では工場長として働いていましたが、食料が無くなったとき、工場の物を内緒で売って自分の家族だけを養ったり、また、八路軍管理下の街では父を「ブルジョワ階級」として激しく攻撃することで、自分を守ろうとしたからです。
 この攻撃による逆境から父を守ったのは、父に恩義を感じていた現地の朝鮮族の人でした。
 もう一人、この様な時流に乗って父を攻撃する態度を取った人を、日本に帰国後再会してその人の言葉を紹介しています。「あのころ社会で成功した人を攻撃できることは楽しかった」と。その人は実名で登場しています。勿論本人の許可を取ったのでしょう。
 朝鮮戦争が始まったとき、1950年、やはり父に恩義を感じる中国人から救助の手が伸びて家族は天津に引っ越します。
 誉さんの結核を救うためにストレプトマイシンを買って父は莫大な借金をしますが、それら全ての費用もその中国人が支払ってくれます。
 天津で誉は現地の小学校に入学します。彼女は歌が得意で、学校で中国の革命歌を歌うことで精神的な病気を回復して行ったようです。
 しかしその小学校で味わったのは、加害者の日本人として周囲の子ども達から差別され憎まれる環境でした。いちど自殺を試みています。しかし学年度の最優秀の成績を取り、しかも最優秀の生徒に与えられる赤いネッカチーフを中国人の子どもに譲ります。子ども達の虐めから、「この小さな子供に何の責任もない」と言って、担当の先生は誉を助けてくれます。
 この後、ソビエトから援助の手が中国に入るようになって、日本人技術者の手が必要なくなり、家族は日本へ引き揚げます。
 中国建国後40年して著者は大陸へ行ってみます。そこで見たものはあの革命の息が消え、生活向上の望みを無くした「無表情な人達」でした。

 この家族が中国で出会った善意の人達。長春を最初に監理した八路軍の指揮官、天津へ呼んでくれた人、誉を擁護した学校の先生、この3人とも建国後の中国で消されています。この本には具体的な運動の名前が書いていませんが、これは建国後毛沢東が繰り返し大衆に行動させた「階級敵」を暴く運動の犠牲者でしょう。
 新中国は憲法前文にマルクス・レーニンを導きとすると銘記しました。そのマルクス主義の内、階級闘争を最も強調したのが毛沢東です。「この世に存在する全てのものに階級性がある」と主張し、「敵階級撲滅」運動を繰り返しました。
 この運動が法律に基づかない恣意的なやり方だったことも手伝って、多くの人達が殺されました。国家主席、党代表、大学教授、著名な文学者などなど。毛以外の人全てが敵になり、党主席を降ろされた毛のクーデターも成功し、彼の独裁が約30年間も続きました。その間その運動を熱心に支持した人達は、その運動が中国を理想社会にすると信じていたのです。
 60年代後半から、神社仏閣も敵階級だとして、広大な大陸全体で破壊運動が始まりました。
 私は中国にいるとき何人もの人に、この時のことを聞きましたが、誰も事実は知っていますが、それに対する意見を話してくれません。「あんな馬鹿なこと、口にしたくない」と言う気持ちと、しかし、彼らの両親がその破壊運動に参加したからです。
 ただ、「私達の両親の時代は友達を裏切らないと自分が生きていけなかった」と言う言葉を、昨年暮れ我が家に来た学生の言葉として紹介しましたが、それが建国後の30年間の状況を最も端的に示しているのでしょう。
そう言うと、以前紹介した現在の学校教科書にはこの事実が書いて無かったです。

   
 この誉さんは現在は物理学者として日本に居るそうです。
 この書を紹介してくれた人に感謝します。多謝!
 この文庫本を書店で見つけるのは難しく、インターネットで探すことができました。
 もし探しても無ければお貸しします。