「勇気」魏京生 
 以下は本書の中の、”「文化大革命」は毛沢東による
クーデターであった”、という部分をコピーしました。

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軍は政治に参画してはならない」というすぐれた伝統を踏
襲すべきなのです。こうすることによって、内政と軍事の
衡突が回避でき、さまざまな政治的意見をもつ軍部指導者
がクーデターをくわだてようとする動きを阻止することが
できるのです。
法律と社会のイデオロギーが「軍は政治に参加すべきで
ない」という法則にのっとっているかどうかは、決して軽
視できる問題ではありません。それこそが、軍が国内政策
に干渉する可能性を秘めているかどうかを見きわめる決定
的な要困の一つになるからです。軍は政治に口をはさまな
いという慣習がなければ、国内の政治的不調和が危険なま
でに高まったとき、国策をめぐる紛争を解決するのに人び
とは当たり前のように軍事力に訴えるようになるでしょう。
木格的なクーデターを起こすつもりはないにしても、政治
問題に決着をつけるために軍事力を用いること自体、善悪
の判断が鈍っていることを意昧し、国家と民衆に弊害をも
たらしているのです。政治には対立と反論がつきものです
から、国家の安定をはかるためには、軍備をもつことは欠
かせないでしょう。しかし、軍事力に訴える方法がかなら
ずしも、最も合理的であるとはかぎりません。ですから、
軍事と内政の分離は、国務の健全性を保つ重要な手段の一
つなのです。また、軍事と内政の分離は、民主主義と法に
よる統治を確立するのにもきわめて重要です。「力がすべ
てを解決する」という考え方は民主主義を根底からおびや
かすのです。
近年、わが国では「軍は政治に参画すべきでない」とい
う古いしきたりが忘れ去られており、最近の政治紛争がク
ーデターに発展することさえありました。一九六六年に、
毛沢東が劉少奇の打倒をくわだて、個人による独裁制を敷
うとしましたが、当時軍部の支配権を握っていた林彪の
協力が得られなかったとしたら、また結果としてすべての
軍事力を掌握できなかったとしたら、あえて行動を起こし
たでしょうか。別の見方をすれば、劉少奇や郡小平ら党執
行部の人びとは、毛沢東が自分たちよりもまさっているこ
とを認めていたのでしょうか。なぜ毛沢東の違法行為が民
衆にあっさりと受け入れられたのでしょう。なぜ毛沢東は
政治的な運動が始まるや、武力を行使して学校やあらゆる
レベルの政治機関を自分の支配下におこうとしたのでしょ
う。現実には、軍事クーデターが起こったのです。しかし、
毛沢東の手腕は、武器をもたない他の第三世界の軍事政権
よりもあざやかでした。彼はクーデターに政治的な運動と
いう隠れ蓑を着せて、事実を知らない大衆を扇動したので
す。毛沢東は、軍事クーデターという言葉をいっさい使わ
ずにことをうまく運んだので、それがクーデターであるこ
とを認織した人はいなかったでしょう。
なぜこのようなことがまかり通ったのか、主な理由が三
つ考えられます。(こ民衆主体の政策がとられていない
こと。結果として、民衆はことが起こる前に自分たちの意
思を政治の動きに反映させることができませんでした。ま
た、ことが起こったあとも、白分たちの権利を侵害するよ
うな処置をくつがえせなかったばかりか、公平性や合法性
を擁護し、真偽を確かめる手段を何ももっていなかったの
です。民衆は無力で、政治家でさえなんの保障もなかった
のです。安全の保障がないために、ごろつきや泥棒がひき
おこす問題よりも厄介な事態となったのです。(二)政治
が閉鎖的で、「民衆の意思を余すことなく代表している」
と称する一握りの者たちによって執行されていたこと。こ
れらの者たちの足並みがそろわなかったため、民衆はより
強大な権力を手にした人物を、それが誰であれ、信用する
しかありませんでした。結果として、権力を握った者たち
が大衆を扇動するために事実を平気でねじまげてしまう環
境を容認してしまったのです。閉鎖的な政治は独裁制の温
床となり、大衆を欺くことに一役買った者たちさえも、遅
かれ早かれしっぺがえしを食うことになるでしょう。
(三)軍が慣習的に政治に参画しているにもかかわらず、
軍幹部も政治家と同様、政治の正道と邪道をわきまえてい