「岳飛伝」 田中芳樹著 
       中央公論社全4巻

2001/11 記す
 岳飛と言う若き将軍(27才で将軍職)が活躍したのは、千百年代の初めです。
その頃は今の首都北京を北方民族(女真族)に占領されていて、南方に逃げた漢民族政府「宋」はその勢力挽回に岳飛の実力を買って抜擢し、女真族政府「金」と戦います。
 
 この「金」の戦争のやり方は、占領地を全て焼き尽くし、殺し尽くす野蛮で残忍きわまるものでした。
それが為、「宋」政府が南の杭州市へ逃げるとき、一人の文官「耶律楚材」が、「金」政府に残り、その支配で、少しでも民の被害を少なくする為に一生を捧げます。
(陳舜臣「耶律楚材」集英文庫上下各¥514。)

 岳飛と諸葛亮孔明との違いは、戦略戦術、そして現場の戦闘を一人で考案し実行したことです。
 しかし、国家と国家との闘い、民族と民族との闘いに双方数10万の兵を繰り広げ、岳飛の闘いが勝利を続け、次第に漢族の国家が再び中央を取り戻そうとしたとき、漢民族政府「宋」の高官によって岳飛の成功が疎まれ、逮捕獄死となります。
つまり、「宋」の政府機構が国家の安全より個人の利益優先という腐敗の極みにあったのですね。
 この政府機構の腐敗の強烈さが「こんなにも徹底しているんだ」と言うのが、私の一番の感想でした。
 
 多分悲劇の英雄ということでしょうか、岳飛の墓は杭州市の西湖の北側にあり、私が半年滞在した時、日曜日となると大勢の参拝客で賑わっていました。
 現在でも中国で一番愛される英雄だそうです。

 やがて「金」も腐敗を始め、「蒙古」民族に占領されます。蒙古の支配のやり方も「金」と似ていました。
 戦勝後の相手に対する扱いは残忍きわまるもので、国中を、民も財産も焼き尽くすというものでした。
 蒙古が「金」を支配したとき、「金」の財政担当官が、蒙古の支配者に、現在の北京・首都を焼き尽くし殺し尽くすのを1年待って欲しいと頼みます。
 そうすれば、中国大陸の全ての地から、納税の米俵が街を埋め尽くすでしょうと教えます。
 それを聞いてから、蒙古の焼き尽くし殺し尽くす政策は変更されていきます。

 蒙古民族興隆の頃はまだ文字が無く、現在のヨーロッパまで攻めに行きますが、闘いの指示は記憶しやすい「詩」を作り、それを諳(そらん)じて騎馬で数ヶ月もかかる地点へ攻めて行きました。
 やがて歴史上唯一無二と言われる大帝国を地球上に実現しました。
  岩波文庫「蒙古帝国」

 そして、蒙古はやがて鎌倉幕府時代の日本にも攻めてきます。1274,1281年
 現在NHKの日曜日の連続放送では、マルコポーロが登場しています。
マルコポーロがイタリヤのベニスから中国の地へ無事に到着できたのは、なんと蒙古帝国がアジアに存在したからなのです。
 当時ヨーロッパの人達の一番の金儲けは商業取引でした。見知らぬ土地から持ち帰った珍品を高く売ることが、大きな財産をもたらしていました。
 なぜ見知らぬ商品が存在するかといえば、隣の国へ行くことが、現在では想像さえ出来ない命がけの困難を伴ったからです。
しかし、蒙古帝国が出来てから、なんと、その広大な領域の往来は自由を保障されたのです。
 こうして、多くの商業人が異国目指して旅立ちました。
 マルコポーロもこの時勢に乗って旅を始めますが、しかし親子・親戚・兄弟8人で出かけた旅も、地中海からトルコを経て、現在のアフガニスタンへ着くまでに、つまり蒙古帝国に入るまでに、彼以外は全て殺されてしまいました。

 ちなみにマルコポーロ自身は日本には来ていませんが、彼が書いた「東方見聞録」のなかに、日本の建物は黄金で出来ていると書いているそうですが、これは現在の奥羽の「金堂」だろうとのことです。
 「GEOGRAPHY」今年の7月号(?)
 
 この後、一時「明」という漢族政府が出来ますが、それも又腐敗して、北方民族によって倒され弁髪と纏足で有名な「清」政府が出来ます。
この清国の晩年の腐敗も有名ですね。
 1860年代、上海の公園の入口には「犬と清人は入るべからず」と欧米列強支配国によって書かれていて、晩年の腐敗の象徴と言われています。

 角川書店から「宋姉妹」(伊藤順・伊藤真)¥476.が出ています。
1940年代の終わり頃、共産軍と闘う「蒋介石」政府を助けるために、蒋介石の妻「宋美麗」がアメリカへ渡り、政府の援助を約束して帰ってきますが、そのアメリカ政府の国家としての財政・軍備の援助を、「蒋」家族の一個人が自分の懐に収めるところがあります。

 本当に政府の腐敗の徹底ぶりは「大陸的」といえるのではないでしょうか。

 宋美麗は100歳を超えて、まだニューヨークに生きているのでしょう。

 一週間前(11/2?)の「朝日新聞」によりますと、中国の以前の華国鋒主席が、「現在の党」と、かっての腐敗した「蒋介石政府」と何処に差があるのか、といってその腐敗を怒って党を出たと書かれていました。
 一体これは何を意味しているのでしょうか。