五月の杭州

 ☆「連休の人出」

 ここ杭州は中国内の有名な観光地の一つです。そこで五月の連休には、もうあらゆるところから人々が観光に集まりました。特に西湖の周囲の道路は連日観光バスが連なって動かなくなりました。ここからバスで七時間のところにある「黄山」も墨絵で有名なところですが、登山ケーブルに登山者が延々と続いています。待ち時間は5、6時間も掛かるそうです。
 北京では普段は一時間強で着く万里の長城まで五時間掛かったそうです。
 これから人々の生活が豊かになれば、もっと観光客の集中が激しくなるのではないでしょうか。
 そしてここは又日本からの観光客も大勢来ていました。 

 ☆「食堂」

 学校の食堂では、それこそあらゆる国の人が一緒に食べます。黒人もかなりのパーセントです。安いからでしょうか、近くに住んでいる人達もやってきます。それで昼も夜も満員です。朝は数人しか利用しません、多分寝坊のせいでしょう。
 近くの住人は注文の時、列に並ばず割り込んでくる人もいます。受付の少女が引っ込み思案の学生に「この人が先よ」などと助け船を出してくれます。
 又一皿の分量が多く、二人以上で料理を注文すると品数も増えて割安な感じになり、多くの学生がこの方式を利用しています。

 受付では黒板にメニューが中国語で書かれています。百種類くらい有るでしょうか。季節や材料の有無で時々書き換えています。
西洋の人達は全く読めないので受付の椅子には英語のメニュー帳もあります。
 学生達は食事をしながら、隣の席を覗いて美味しそうな料理があるとその名前の発音と綴りを聞いています。青蛙の足は「田肉**」となっています。

 そこではいろんな話が聞けます。

 例えばフランスの男子学生は十ヶ月の徴兵訓練を受けてきています。韓国は二年間です。 ドイツでは地方ごとにビールの種類が山と有ってどれも味が違うそうです。
 イエーメンの十九才の学生が、何故アラブ人の女性が皮膚などを隠すかという理由を言ってくれました。その理由はアラブの女性は特に美しいからだそうです。この「特に」と言うとき、彼は目を丸めて強調しました。

 もしアラブの女性が皮膚を出したら男は気が狂ってしまうとのことです。 

 ちなみに彼は国に婚約者が居ます。彼は二年に一度帰国します。中国で六年間学習します。そこで「彼女はそんなに長く待ってくれるか」と聞くと、「おそらく、、、」と言って俯いて考えています。
 アラブの人達の「国名」を聞くと、「アラブ」と答えます。イラン・イラクなど二十二のアラブ国家があるそうです。豚肉を食べず酒を飲みません。
 一人のアラブ人の男性とドイツの女性が現在熱々です。昼食の時食堂の窓から二人が抱き合って繰り返し軽いキスをしているのが見えます。

 オランダには中国華僑の人達が可成り多く住んでいるそうです。

 オーストラリアも移民がとても多いそうです。でも中国とほぼ同じ面積に千七百万人の人口だそうです。中国の八十分の一ほどです。

 ☆「オーストラリア人とアパートへ」

 途中入学のオーストラリアの青年とアパートへ引っ越しました。
好青年で、いろんな話が出来て(中国語で)とても有意義です。
 彼は野球とホッケーが好きだそうです。お姉さんは日本の空手を十年以上習っています。
 彼の故郷の家は面積が三千ヘーベ以上有るそうで、国内の中流程度だそうです。
 
 お父さんは五五才で、退職してこれからはゴルフなどを楽しみにして生きるそうです。
 六月末に彼の女友達が来て中国旅行に出かけます。一ヶ月間。

 彼の国オーストラリアでは電機メーカーはほとんど日本の企業だそうで、ただ一つ通信機関係の会社が自国の会社だそうです。そして平均年収も日本の半分程度だそうです。
 それにしては障害者を法律で大事にしたり、その生活が日本と比べのんびりした様子はどうして可能なのでしょうか。
 彼はアメリカの政策にかなり批判的な面があります。 
 授業態度は、勿論私は日本人らしく全部出席して彼は時々出てきます。彼は夜も時々ダンスに出かけます。
 彼はこの住まいの決定にも今後のことも学校の寮には相談しません。それは官僚的な態度が嫌いで「全く信用できない」と痛烈に批判しています。これは大体どの学生にも共通していますが。

 ある夜テレビで「伊豆の踊り子」が有って一緒に見ました。(勿論中国語の吹き替え)
 私は日本の昔の習慣が良くわかって彼が興味を持ってくれるかと思ったのですが、オーストラリアには歴史的な変遷が余りないらしく、それに伴った身分差や貧富の変化の感覚が実感として伝わりにくいようで、現在と過去の古い習慣との違いを理解するのが困難のようでした。
 日本では当時踊り子と大学生という、これは身分差の両極端を代表する人間の存在、ここにあの物語のおもしろさと運命的な暗示があると思いますが、それは外国人にはとても理解は無理のようです。 

 私は十時には寝ます。と言うのは連日気温は三五度なので、本当に、身体が持つか心配です。
 昨夜も彼が街で知り合った中国人青年四人を連れてきて、ドイツの青年も加わって七人で宴会になりました。
途中でドイツの青年の女友達も加わったりしました。十一時頃終わって、全部後かたづけをしてくれて、彼等はディスコに出かけました。
 その翌日の今は土曜の昼十二時です。まだ起きてきません。
まあ、仕方ないから一人で食事に出かけましょう。

 毎朝、車通りの舗道に出るテントの下で食事をとって学校へ行きます。
 中国に来ているという感じがします。お粥とか、揚げパン、小肉包、等々です。
 昼は学校の食堂を利用します。夜は又アパートの近くをうろついて食堂を探します。まあ、一食十元前後です。
お金を出せばいくらでも美味しそうなものがあります。
 十人強くらいの映画館(?)で入場料十元が幾つもあります。

 あら、今外に出てみたら、自転車を盗られました。もう返らないでしょう。

 このアパートは学校が管理しているもので、全員ヨーローパ人です。一部屋に二人ですがそれぞれの寝室があり、ダイニングとキッチンがあります。
 一ヶ月千八百元を二人で払います。学校までは自転車で二十分。
 周囲は商店街で朝は朝食の臨時屋台が並び、夜は夜店が並びます。
 このオーストラリアの学生と私は同じクラスで、会話は全て中国語です。私としては、たまには英語の練習もできるかなと考えたのですが、相手も懸命に中国語を使ってきます。まあ、仕方ありません。

 同じアパート内にはヨーロッパの学生が男女とも大勢いるので、彼等とは英語で話しているようです。
 中国語の会話相手が増えましたが、今度はテレビのスピーカの音が悪くほとんど聞き取れません。仕方なくラジオ番組を多く聞くようにしました。
 五月になると突然気温が三十度近くになって、教室で陽が当たるところに居たときは終学時目眩がしました。病気になったかなと思って病院で見て貰いました。そこの病院も外国人専用の部屋があって、日本語は通じませんが、患者が少なく、直ぐ診察してくれました。検査の結果は何ともありません。当然薬も何も無し。
 でも疲れやすいので、互相の学生に連れられて違う病院に行きました。そこでビタミン剤を貰って調子が良くなりました。  
 
 ☆「教科書の中の中国らしい面白い話」

 中国には同名の人が沢山居ます。北京市には「王淑珍」と言う人が一万三千人、張淑珍と言う人が一万千人居ます。
 有る犯罪で、犯人と名が同じ人が町内に四人居て、犯人と間違えられた人は、婚約中の女性が自殺する始末。この女性は病院で生き還りましたが、犯人は逃げてしまいました。

 また、病院で薬を間違えて危うく命をなくす可能性の事件も頻発。銀行でも同名ゆえの事件が多発。国家財産に影響を与えるほど。

 有る家庭で一人の名前をあげて、家族に知っているか尋ねると、それぞれが同名で別の人を例に挙げます。最後に娘に尋ねると、娘が「この人とは長く付き合ったけれど今はきっぱり分かれたわ」と紅くなって答える一幕も。

 ☆「単位」について

これも教科書の中の一項目。中国人の性格の説明で、「忍」が強いことが特徴で、この性格によって、個々人が多少の犠牲を堪え忍んでも、社会が安定しているという部分があります。
 先ずオーストラリアとドイツの学生がこの「忍」が何故必要か理解できないと言いました。西欧の国ではもし意見が違ったり、自分が不利な扱いを受けていると感じたときは直ぐにそれを表現するべきだと言いました。そのことによって人間関係が上手く行くと思うとの発言です。
 韓国の生徒は自分の国と中国はほぼ同じだと言いました。
 私の感じは日本もほぼ同じだけれど、教科書でこれを取り上げるなら、「忍」の否定的な面、人々が耐えなければならない苦しさを理解した説明が必要だと思いました。

 この教科書の意図は余りにもこの「忍」の役割を綺麗に描いている印象を持ったので、文革の時人々が付和雷同して個人を攻撃したことがこれでは説明できないのではないかと質問しました。
 そうすると老師は待っていましたとばかりに「そうですとも、もしあのとき皆と同じ態度を表明せず、個人をかばって、しかもそれが毛沢東の意思に反したりしたら、直ぐ遠方へ流されてしまうのですよ」と一気に話しました。
 教科書の中には「忍」が何故長く中国に残っているのかの批判的な説明がありません。
 そのことを質問すると、老師は建国以降の中国を理解するには「単位」を理解しなければなりません、と言って次のような話をしてくれました。

 中国では建国以降、職場の「単位」を中心に住宅も食料券(これがないと何も買えない)も全ての生活条件がそこで支給されました。結婚式も葬式も学校もその「単位」で支給されたのです。
 これで生活の心配は全て無くなったと初めは考えられました。泥棒や賭事の基本は貧困にあって、その基礎的な問題が解決されたと考えられました。人類の理想が地球上に実現したと主張されました。ソ連ではこれを「ソビエト」と呼んだそうです。
 しかし直ぐにこれが大変なことであることが判りました。生活の心配がないけれど、しかし人と違う意見を表明できなくなったのです。「単位」内の生活全てが全く同じようにその中で行われないと「領導」の批判が来ます。一人だけ反対と言うことは不可能なのです。婦人達が些細なことで喧嘩をしても、それは一生どころか何世代も記録され影響していくのです。「単位」を離れて住むことは不可能なのです。
 個人の意志で転職なんてとんでもない不可能なことです。子供が大学を出た場合のみ、そこでは国家が他の職場を与えてくれます。個人は何の心配をする必要がないという面が強調されました。
 大学を出て、もし違う「単位」に就職が決まるとその子の生活はその「単位」で始まります。何世代に渡って個人の意見や、個性の発揮は考えようもなくなったのです。このような環境で「文革」が有り得たと言うことです。

 一人っ子政策が採用されてからは、結婚後の妊娠許可も「単位」で発行されます。総合的に人口計画されて、妊娠許可が出ます。結婚後数年しても出産できないこともあるそうです。 
 大学生の恋愛は禁止されてきました。大学生が恋愛をすると学校の「単位」で記録されて就職の時二人は遠くへ離されます。
 この広大な中国大陸で遠く離された二人が何時までも愛し合う美談が数多くあるそうです。
 何故学生の恋愛が学校当局に記録されるかというと、学生の中にも党員がいます。全寮制度であることも関係しています。定例の党会議で禁止されている恋愛者の名前が記録されます。
 この国家政策の「恋愛は悪」と言う部分だけは五年前の九五年に廃止されたそうです。
 この中国における恋愛観は欧米の人には全く理解できない発想ですね。老師も説明の仕様がありません。 
 
 また、老人を大切にしない人がいると「領導」の指導を受けます。
 ここで「ウワー」と言う学生の声が挙がりましたが、老師は今は以前と比べると大きく解放されましたと説明しました。
 
 最近(九五年頃から)自我という言葉も盛んに使われるようになったそうです。でも「単位」は有ります。 
 
 中国では新聞に結婚相手の募集が載ります。小さな数行の広告です。男性も女性も有ります。趣味や年齢や職業などが書き込んで有ります。そして最後に相手に望む(戸籍)が都市か農村でも好いのかが書かれています。「単位」を見れば、戸籍が解ります。

 古籍や単位には評価の上下があります。現在北京を筆頭に上海と以下人口の少ない順番に下がります。評価の低い都市への移動は出来ます。逆は出来ません。
 教科書には北京の戸籍を手に入れる方法が幾つか説明されています。賄賂や結婚や大学卒業後の就職などです。

 現在杭州市民の戸籍を買うには「十四万元」要るそうです。それを買うことが出来る農民が出てきたと言うことでしょうか。市の戸籍を買う場合、「お金」は公安に届けます。

 しかし最近状況は変わってきました。二年前から国家による住宅の支給が不可能になりました。
 金銭が有れば離れたところに家を買うことが出来ます。食料券も支給されなくなりました。食べたいものも家族の好みで買うものを決めることが出来ます。  
  
こういう環境の下で「忍」と言う訓練がなされてきたそうです。今「単位」と言う制度が変わりつつあるので「忍」と言う考え方も変わって行くでしょうか。
 では建国以前の中国に戻っていくのでしょうか。そうでもなさそうです。というのは建国以前の中国では、やはり百年前当時の日本でも見られた古いしきたりや道徳が支配していました。
 例えば家長が一家全員の結婚相手を本人の意見を聞かず決めるとか。
 従って当然のこと、中国は新しい現代的な道徳や個人を尊重した制度が作られて行くでしょう。

 ああ、と言うため息が出そうな話です。がしかし、教科書の書き方と老師の説明には雲泥の差があるように思います。教科書は現在も過去もバラ色に書かれています。
 例えば学生の恋愛について、国家が罪悪視することには触れず、国家によって引き離された二人の悲話の部分だけが、美しい物語かのように強調されて書かれています。
 それとも現実と教科書に雲泥の差が有っても、真理を教科書の中からくみ取るのがアジア流のやり方でしょうか。

 なお九十年代中頃に中国経済は年率二十パーセントを超えて大きく発展しましたが、それは国営企業の多くが配置されている内陸部と東北地方ではなく、東南の太平洋沿岸を舞台にした私企業を中心に発達したそうです。
 何故内陸部に国営企業を多く配置したかというと、再び日本が攻めてくることを考えたからだそうです。

 ☆「労働争議増加 労働側勝訴多い」
 五/五の地元新聞から翻訳
  
 上海の労働争議仲裁委員会が受け付けた統計では、最近の件数が上昇しており労働側勝利の例が多いのがその特徴となっている。これまでの「声を出さず堪え忍び、只自己の利益だけを考える」という伝統的な考え方が既に変わってきていることを示している。
 
 中身は報酬値上げ、雇用契約の継続、福祉手当の増額の3件が類型となっている。三月の受理件数は二一八二件で昨年より四十.六パーセント増加。又争議の中では外資関係企業がその首位を占めている。今年始め受理した争議件数二一六〇件の内四八.九パーセントが労働側の勝利となっている。

 ☆「中国のメーデー」
 
 五/一の労働節では外国のような行進は行われず、北京で「模範労働者」の表彰式が行われました。
 
 ☆「台湾について」

 テレビやラジオで毎日「台湾は中国のもの」という報道がされています。政治の面で対立していますが、暴力団の方は手をつないでいるようです。海峡を越えた人身の売買などの事件が時々新聞に出ます。

 二六日の朝日新聞によると、台湾の人気歌手が大陸では登場禁止になったと報道されていますが、中国の学生はそのニュースを知らないと言っています。
 
 二十二才の中国男子学生四人と食事をしたとき、たまたま台湾が話題になりました。すると一人が「李登輝」の父が日本の統治時代に警察をしていたことと、その関係で日本の政府高官と深い繋がりがあると説明しました。
 その話によって、台湾が何か暗いイメージで支配されているような感じを聞く人に与えました。李登輝の父の話はテレビで放送されているそうです。学生達はとても感じの良い青年達でした。台湾について無知な彼等にそのような印象を与える報道の意図は何でしょうか。
 蒋経国が李登輝を採用したのは彼の実務能力が秀でていたことです。これはいろいろ書物で語られています。突然蒋介石の子「経国」が病没したあと、国民党大会で総統を選ぶことになり、アメリカから帰国した蒋介石の妻宋美麗婦人の反対意見にもかかわらず李登輝が選ばれたのも、そのときの実務能力の面で最善だったと言うことではないでしょうか。
 でも国際政治というのはこういうレベルの中傷が多いものでしょうか。