四月の杭州

 ☆「紹興酒」

 四月の初め紹興酒の産地で有名な紹興市に観光に行ってきました。気温は二十度前後。杭州市から高速道路で二時間弱のところ。バスの乗り場が解らず、「潜りのバス」に乗ってしまいました。客が満員になれば発車します。目的の一つ手前の駅で降ろされてしまい、少しあわてました。そこは小さな街で家具の問屋街として現在開発中のようでした。少し歩いて問屋街を出ると見渡す限り農地が続いています。でも東北の農家と違って、家の造りはやや西洋式で、暖かいせいもあるのでしょうか遙かに近代的な感じでした。後で聞くともっと南には中国一大きな問屋街が在るそうです。これら問屋街は農民が経営しているとか。
 紹興市は小説家「魯迅」の故郷でも有名で、彼の記念館には中学生が団体で大勢参観に来ていました。

 ☆「ホテル住まい」

 ホテル住まいの良いところは毎日テレビが見られることです。今回はこのテレビのお陰で聴力の練習に大変役立ちました。
 子供番組には日本のものが幾つもあります。私の場合「一休さん」が中国語を聞くのに適当な番組でした。
 初めの頃はホテルの作業員が毎日部屋を掃除に来ました。そんな必要はないと断ったのですが、掃除の担当の女性に取っては仕事があった方が良かったのかも知れません。
 
 少し困るのは共用のトイレです。このホテルのトイレのドアは頭を隠す高さの塀があります。しかしドアを閉めないで使用する人が多いようで、その前を通るときはちょっと驚きます。
 でも静かな環境とテレビとインターネットが使える電話線に満足しています。
もしこんな環境に一年以上いられたら勉強も随分進歩するだろうなあと思います。

 四月初め、大連で互相をしていた学生から電話があり、明日日本へ行けることになったと知らせてきました。申請者の半分が不合格となる日本の税関をパスしたようです。おそらく「日本では、あなたを満開の桜が出迎えるでしょう」、と言っておきました。
 しかし日本に着いて、乗り物に乗って直ぐ五百円になって、その物価の高いことに驚くだろうなあ、としみじみ想いました。

 ☆「西湖」
 
 四月に入ってから、気候は十度から二十度の間を上下しています。四月十日を過ぎると二十五度くらいまで上がりだしました。
ここ杭州には市の中心から少し西寄りに「西湖」があります。その周囲を自転車で走ると約一時間少しで回れます。
 西湖の周りには公園が幾つもあってどの公園も花盛りです。また西湖遊覧の各種汽船も数多く客の来るのを待っています。
 
 日曜日には大変な人出で賑わっています。ここは外国にまで有名なのでしょう、散歩している人の中には外国人も数多く見られます。日本人もいます、西洋人もいます。
 杭州は市全体の土地がほぼ水平なので、市民の多くは自転車を利用しています。自動車が道路の右側を走るように、自転車も道路の右側を走ります。広い道路では車道に自転車専用の通路が造られています。
 祝日、休日の交差点には補導員がいて自転車が右側を走るように指導しています。歩道橋がある場合、歩行者が自転車と一緒に交差点を渡ろうとするとその補導員が厳しく笛を吹いて注意します。歩行者は歩道橋を上らねばなりません。歩道橋の上では珍種動物の牙や角や皮などを売っています。でもおそらく、私達外国人が国外に持ち出すことは出来ないそうです。それを売っているのは遙か西方のウイグル族や南方の雲南族ではないかとのことです。

 ☆「官僚主義」
 
 四月初め海岸で漁船の衝突事件があり、五人が行方不明になりました。家族の人達が泣き崩れている姿がテレビに映っています。
 そのときのテレビニュースですが、日本の海上保安庁を見習って、情報と責任を一つにすべきだとの意見が報道されていました。
 これは今回の事件の時、中国では四つの機関が海難事故を担当していて、しかもどこも救援の手を出さなかったからです。これは中国の官僚主義の典型の一つです。

 留学生の宿舎でも、同じような問題が起こっています。
 一つは昨年の暮れには完成するという約束の学生寮がまだ完成しません。それが何時完成するか、学校の事務所では「解りません」の答えだけしか教えてくれません。建物はほぼ完成しています。
 寮の使用は他の担当部署が決めるのでしょうか。部屋代もはっきりとは判りません。担当の部署から連絡が来ないのなら、事務室のほうで「確かめましょう」と言う普通の学校なら言ってくれそうな返事は、中国では先ず無いようです。他の国では事務室の任務を果たしていないと言われるのではないでしょうか。この国の官僚主義の厚さはおそらく歴史的遺物ではないかと言う学生もいます。

 学生の中には外部の民間の部屋を借りている人達が居ます。民間の部屋を借りると安いからです。学校の宿舎は月に、二人部屋で一人千元、一人部屋で二千元ほどです。
 民間の部屋を借りると費用はその半分以下になります。
 これは現地の人の平均月収が六百元程度から考えると当然のことです。
 
 三月初めに留学生四人(韓国・インドネシア)が民間の部屋を探してきて、事務所へ転居の許可を取りに行きました。ところが理由がはっきりしませんが、とにかく許可が出ません。部屋代は金額が大きく、しかも一年間の出費問題なのでその学生達はとてもがっかりしています。既に外に住んでいる人達との差異は勿論説明してくれません。
 煙草でも届けたらどうかという人も居ましたが、学生達は膨れた顔をしているだけで賄賂の手は使っていません。
 
 それでも私の感じでは事務室の人達は個々人はとても親切です。でも仕事となると、とても官僚的のようです。

 四月二十日の十一時のことでした。たまたまその日は授業が早く終わって食堂に行ったら、突然その日の午後二時半から年間計画の一泊二日の登山を実行するとの張り紙が出ました。二月の入学時にはその予定表があったので、私も申し込んでおきました。がその後何の連絡もなくて誰も忘れていました。案内図や注意事故などの資料も何もくれません。

 最悪なことに、登山の日は(翌日のこと)中間試験と重なったので、老師も事務室に文句を言いに行きましたが、「没用方法」です。
 老師の部屋は事務室の隣なのに横の連絡は「不要」なのでしょうか。

 私は二つの約束(互相と言って中国の学生との勉強と学内の文化祭)があったので、登山に参加をすることが出来ませんでした。
 他の学生も試験を選ぶべきか登山を選ぶべきかなどと言っていましたが、登山を選んだ人が多いようです。
 それでも、当然参加者が少ないので事務員と警備の叔父さん達が誰でも好いから参加するように触れて回りました。申し込んだときはパスポートやビザを用意しなさいと言っておきながら、当日の参加者は要らなかったようです。
 どこの国の学生も「何でも有りの中国」などと言い合っています。
 
 ☆「寧波(にんぽう)」

 四月十七・十八日とニンポウへ旅行に行きました。そこは街作りがとても新しく綺麗な街です。歴史上有名なお寺も「文革」の破壊行為を逃れて幾つか残っています。日本との取引をしている「公司」も多くあるようです。「鑑真」和尚も何回かここから日本を目指しました。
 帰る日の夕方、郊外を見学してから午後七時にニンポウ駅に着きましたが、もう鉄道駅は業務を終えて真っ暗です。入り口にはシャッターが降りています。市バスの案内所で遠方バスターミナルの所在を聞くと三人の女性職員が「没用方法」と言って両手を広げています。公営のバスも七時で終わりです。
 
 お金もなくなり明日の授業のことも考えて困り果てていたら、駅前にたむろしている人達(彼等は旅行者を掴まえて旅館を斡旋するのが仕事です)が寄ってきて、民営高速バスの乗り場を教えてくれました。市バスの案内所から直ぐの所に民営の遠方用バスターミナルがありました。
 
 後で中国の学生に聞いたら、民営の高速バスの乗り場は誰でも知っている場所だそうです。何故市バスの職員が教えてくれないのかというと「彼等は国家公務員だから」とのことでした。すばらしい「官僚主義」?
 
 日本から家族が来るという人が居て、一緒に旅行社へ二週間後の鉄道切符を買いたいと相談に行きました。こちらの質問に対して受付の男性は高圧的な感じで「出来ない」の一言を残して後は知らない振りです。とりつく島もなくて、他の旅行社に行くと、十五日前でないと売り出さないと言うことでした。初めの旅行社はやはり国営だそうです。
こんなことで商売になるのでしょうか。
 
 大きな飛行場では紅い垂れ幕に「人民へのサービス」と言う標語が大きく書かれています。これは従業員が威張っているからです。
 官僚主義は国家が強い限り仕方が無いという人が居ますが、本当に弱いものいじめです。

 やはり四月七日、学内の掲示板で「最近の泥棒」の発表がありました。捕まったのは四人で、学生や内部で働いている人達です。盗ったものは財布やキャッシュカードです。犯人の名前と年齢が書かれています。発表責任者の名は大学内の公安派出所です。逮捕後一週間で発表しています。国家公務員にしては早いですね。

 ☆「南北対話」 

 四月十日、韓国の金大統領が北朝鮮を訪問するニュースがあり、昼休みのとき食堂では韓国の学生達が皆大声で話し合ってざわめいていました。通訳してもらったら、誰もが歓迎しているということでした。ひょっとして十年以内に統一があるかも知れないと顔をほころばせて言う学生も居ました。
 
 一週間前から日本では総理が入院して内閣が替わるニュースが報道されていますが、これについて日本の学生達は誰も興味を示していないと韓国の学生が驚いています。
 勿論日本の生徒も日本の出来事をインターネットで知ることが出来ます。現在は学内や商店街にインターネットバーがあって、どの国の学生も無料のホットメールアドレスを持っています。バーの利用料は一時間五元から十元です。

 ☆「人身売買」 地元新聞から
  
 四月八日、五人組の不審な人を警察が尋問した結果、彼等は一人の女性を五千元で売り買いしていたことが判りました。
 市内の男性が賭事で負け越し、たまたま農村から嫁を買いに来ていた男に、自分の妻を売ったのです。その夫婦は結婚して七年目です。妻には農村へ着くまで内緒で連れていくことにしたそうです。
 この夫婦には一才の子供が居ます。警察での取り調べで、「顔色一つ変えない女性は何を思うか」という写真とタイトルが付いています。

 ☆「娘の誘拐」地元新聞_2 四月十九日

 待ち望んだ故郷へ直ぐに帰ろう
 浙江省で種々の農村から誘拐され、最近解放された女性は七百十二名。農村は遠くは雲南省もある。今日はそのうち六十八名が国へ帰るべく汽車の駅に並んでいる。女性の中には十四才の時身重のまま誘拐され、今では当人は十七才で既に三才の子の母となって国へ帰ることになった。
 また、別の十七才の娘は例外の女性。彼女は誘拐ではなく騙されて都会に来て人買いに会った。彼女を買った男性は人買いに二千元、娘の叔母さんに六千元払っている。叔母さんの金は父が死ぬときに残した借金の分も含んでいた。彼女を買った男との同床の夜「私はまだ若いから許して」と言ったが、やむを得なかった。
 子供が八十一名含まれている。

 汽車に乗り込むと一人が泣き出し、つられて一斉に泣き出す娘達の声が列車の中に充満していた。・・・

 ☆「極悪犯射殺」
 
 九日には市の外れで銃撃戦がありました。三人組の銃を持つ前科者を追跡し、人の少ないところに来たところで銃撃戦になったのです。新聞にはタブロイド全面の大きさで一人の男が地面に両手を広げて倒れ血を出している写真が載っています。地面に広がる血は、取り囲む群衆の足下まで流れています。服装は銃撃のせいでしょうか、ぼろぼろです。うつむいて倒れているので顔かたちははっきりとは解りません。

 その翌日この事件のテレビの録画が放映されました。アパートの上に逃げ込んだ男を警官が機関銃を持ってガンガンと撃ちながら階段を一階ごとに追いかけ、その直ぐ後をカメラが追いかけます。ライフルの先から吹き出す紅い炎が何回も見えています。警官一人が倒れていました。
 
 ☆「文革」って何ですか

 授業時間に、文化革命の記事があり、ある学生が「文革」とは何ですかと尋ねました。老師は「十年に亘る毛沢東の思想統一で、反抗するものには圧制が加えられた」と言う説明がありました。その説明を聞いて私は、杭州という所は随分開けているという感じを持ちました。こんなに素直に事実を話されると聞く方がびっくりします。
 
 開けていると言えば、ここでは土曜・日曜も銀行が開いています。
 近くの市では緊急の時を含めて、党の車も交通法規を守ることになったと言う記事がありました。
 
 外国商品を扱う高級百貨店に行ったとき、喫茶店を見つけました。メニューを見るとコーヒーが五十元でその高さにびっくりして飲むのを止めました。今までの経験では高級ホテルでも二十元から三十元ではないでしょうか。しかも中国人の客が大勢居ました。(十三倍すると日本円になります)
 
 ☆「内外の差」
 
 よく間違い電話が来ます。向こう側が自分は名乗らず、あなたは誰かと聞いてきます。間違いと判ると何も言わずがちゃんと切ります。これは男性も女性も同じです。
 これが習慣ですから「失礼」などと怒っていては生きていけません。
 あるとき間違い電話が来て、東南アジアの学生が、相手がどうも女子大学生らしいことを知り、すかさず自己紹介して、電話の相手とデートしました。これでないと生きていけません。
 
 近くの商店で買い物をしますが、夕方になると店主が店の中のゴミくずを両手で拾って道路の方に捨てます。時々通行人に当たります。当たると丁寧に謝っています。

 タクシーを拾うときや食堂で、列が出来ていても無視して割り込んでくる人が大勢居ます。
 これを教科書では中国人の「内外の差」つまり知っている人と知らない人との態度の差と説明しています。顔見知りになるととても親切です。顔見知りでないととたんに無礼になります。だから先ず顔見知りになることが毎日の生活上の上手なやり方です。
 
 北京駅で長い切符を買う列があるとき、一人の男が前の方の男に煙草を勧めてその人と仲良くなり、その結果割り込むことが出来る例が「煙草の効用」として教科書に紹介されています。 
 教科書では自分を表に出さず、相手の顔を立てる古代の道徳心が今でもあると紹介されています。
 
 有る飛行場内の食堂で、服務員がメニューを一メートルほど離れたところから客に対してぽーんと放るのに出会いました。その女性は二十才少しでしたが、話し方も随分威張っていました。これも国営だからということと、見知らない客だからでしょう。

 でもとても親切な人に幾度も出会っています。
初めて杭州に来たとき、バスの中で若い女性に道を聞いたら、バスを降りて案内してくれました。
 
 又他の学生が、外国帰りの人とのことですが、やはり親切に案内して貰ったとのことです。
 勿論教科書どうり、知り合いになればどの人も親切です。

 ☆「曝光と熱線」
 
 教科書で「曝光と熱線」を習っています。
曝光は大衆の目に曝す意味です。熱線は英語のホットライン(直通電話)に相当する訳でしょう。
 九二年頃から電話が各家庭に現れてきて、またテレビやラジオも発達して視聴者の意見を直接受け入れる様になってきました。そこで大衆の意見が登場するようになったのです。

 例えば道路の下水が壊れて水が溢れてきたとき、先ず新聞やテレビにその様が報道され大衆の目に曝されます。
 そうすると公務員とか、頑固な役所の関係機関が動き出すわけです。

 これは中国にとって大きな変化だそうです。これまでは公務員は(かっては九八パーセントが公務員の時代がありました)国家から命令されて仕事をしてきました。その仕事の態度には国民というか利用者というのでしょうか、客に相当するときもありますが、それら外部の人に対して猛烈に威張っています。客に対してつり銭を遠くから放って向こうへ行ってしまうと言うのもその一部で、これは現在も多くの商店で残っています。
 工場で作る製品も売れるかどうかには関係なく国家の命令(国民計画委員会)で造ります。販売会社は売りたい商品と関係なく、国家から商品が送られてきます。
 そこで工場外部、官僚なら役所の外部の人と自分とは直接の関係は何も無いと言うのが普通の意識になっていたそうです。
 
 それが「曝光と熱線」が出来て以来、大衆の目を考えて仕事をしなければならなくなったのです。
 今でも国営の百貨店などで、店員が客に怒鳴っているのが見られます。これは私企業の百貨店が現れて以来暫減だそうです。
 
 この曝光でもっとも庶民に愛されているのが国営の中央テレビ局の「水」と言う名のアナウンサーだそうです。彼の体験記が多く売れています。
 現在ではどの新聞社やTV局も「熱線」の電話線を公表していて、その報道が注目を浴びています。上記中央テレビもこの「熱線」番組を持っています。

 例えば三月に杭州市で十人の女性が縫製の仕事を連日、十四時間働かされている報道がありました。
 風邪を引いても休めず寝るところは横を向かなければ寝られないと言った様でした。トイレに行くにも子供が見張っているという状態でした。経営者が女性達の身分証を取り上げているので逃げることが出来ないと言うことです。(この身分証については別途説明します)
 そこで一人の女性が「熱線」を利用しました。新聞記者が採り上げ、ついに警察も動きだしました。
 経営者は農村の職業紹介所から娘達を連れてきたので、その費用と交通費を出さなければ娘を返せないと言っています。

 この事件を知って、韓国の学生がこのようなことは韓国でも七十年代まであったと言います。

 次はもう一つの例です。(四月二九日)

 今年の初め近くの農村から出てきた二四才の娘が、今、杭州市から農村へ帰ろうとしています。
 彼女は六百元を持って都会へ仕事を探しに来ました。杭州は西湖が有って美しい街と聞いてここに決めました。
 ここへ到着して二ヶ月してやっと探した仕事は外資系の電気器具メーカー。最初の十五日は使用期間と言うことで、一日五元。
 朝八時から夜は七時まで。これならもっと出来そうだと言うことで、三日目から夜は十一時まで。しかしやがて仕事中に目眩がしてきて倒れること四回。ここで田舎の母に泣く泣く電話をして、こんな辛い仕事ならもう田舎に帰ろうと言うことに決めました。

 会社も同意して帰ることになったのは二十三日目。ここで賃金の精算をして貰うと、残業百時間を含めて八十五.九元。しかし支払いは一ヶ月後と言うことになりました。

 ここで途方に暮れた娘は新聞社に連絡し、記者同行で会社と話し合いをしました。支払いが少なすぎると言うことで、新聞記者が会社と話し合った結果、百八.五元になりました。しかし中国では最低賃金が月三百八十元となっていてそのことも含めて再度話し合った結果百六十元会社が払うことになり、娘は満足して大喜びになり、記者にも感謝のお礼を何度もしました。
 帰りのバスを待つ娘は、すっかりやつれて顔色は蒼白。持ってきたお金は全て使い果たしてしまい、しかも夢にまで見た西湖はまだ一度も見ず田舎へ帰るところです、、、。

 このほか模範的な裁判官が五十才を越えた時、突然ぬれぎぬで二年間投獄される事件があります。これも出獄してから新聞社が取り上げています。これは可成り上の方の力と関係しているようで解決困難のようです。

 そのほか沢山の事件がまず最初に「熱線」に取り上げられています。

 ☆「流動人口」 
 (新聞の読み方と言う授業から)
 一九九十年九月一五日(経済日報)

 八十年代の後期から九十年代にかけて流動人口の問題は全社会的な関心を呼んでいる。八五年には五千万、八七年には七千万を超える人口が都市に流れ込んでいる。
 八八年、北京の一日の流動人口は百三十一万人、上海では二百九万人となっている。
この膨大な人口流動が、都市の種々の計画を困難にし、犯罪が多発し、社会的広範な治安の問題を引き起こしている。
 アメリカの「タイムズ」はこれを評して、有史以来最大の人口流動の一つで、似たような現象は十九世紀欧州の産業革命の頃起こった、と報道している。

 四九年の建国から七九年の三十年間に耕地面積は十五億haから十四億haに減少し、人口は五.七億人から十一億人に増加した。これが人口流動の基本要因。
 それが七八年の改革解放以降経済が発達し、これが人口流動の引き金になっている。都市への人口流動が又経済を発展させている。都市の建設・土木関係の仕事はこれら農村からの臨時工によって支えられてきた。そして都市の富を増やし、これが税収の大きな増大になっている。

 都市に流れ出た農民が都市の文化を知り、それを農村に持ち帰ることで農村の文化を高めた。
 同時に都市において不穏な要素が急速に拡大している。
 、、、、以下略。」

 この新聞の報道記事の主要なねらいは、社会全体の治安と安全に置いているように見えます。しかしその実、中国ではかっての文化大革命を上回る社会的変動・構造改革が起こってきているようです。文革は社会を荒廃させ文化の発展を留めましたが、この流動人口は農民達が、都市には電気や水道があることを知り、衛生的な知識を向上させ、この経験を農村に大量に持ち帰ることで、中国を大きく近代化・民主化させる道を邁進させているとのことです。

 年に一度、春節の帰省の時には大都会の駅に押し掛けた帰省客で何人かが押しつぶされて死亡する事故が毎年連続して起こっているそうです。今年も一人北京駅で亡くなったとのことです。
 
 老師の説明によると、太平洋に面した南方では、改革以降農民の財政も豊かになり、例えば杭州市の南方には中国では最大の卸市場があり、ここでは世界中の商品が購入でき、この経営がほとんど農民によって経営されている。この大規模卸市場の存在が又農村を豊かにしている。ここの農民は豪奢な住宅と別荘、自家用車などを持っている、とのことです。
 
 同時に貰った別の資料(南方週末/九八年)では、上記の都市への人口流動で農村実働人口が急速に減っていて、専業農家は現在では二.五億人ではないかとの見方もあることが載っています。(農民は戸籍の移動は禁じられているが、農民でありながら都会へ出て働く、実質人口の少ない農村の実体が説明されている)
 
 只この現象の時に注意しなければならないのは、八十年代はまだ社会主義制度が健在で、中国の「戸口」と呼ばれる戸籍制度とそれに元ずく「配給制度」が有ることです。都市の住民は食料から衣料まで配給制度です。全て切符を持って引き替えに行くシステムになっています。都市へ農民が移動してきても「戸口」が無いので切符はもらえません。

 そこで農民は、十元の食料券を二十元で買います。住宅は公安に内緒でやはり高く借ります。こういうシステムの下、農民にとって極めて不利な条件にもかかわらず、過去十五年間膨大な人口移動が行われてきています。
 九十五年頃から次第に自由に買い物が出来るようになったそうです。しかし「戸籍」は現存しています。

 この「戸口」についても他の科目で現在勉強しています。農民が都市へ戸籍を換えることは出来ません。医療・教育の権利もありません。
 現在でも新聞やテレビで結婚相手の募集が載っていますが、相手の「都市の戸籍」が重要な条件です。就職も同じです。
 この大量の農民を吸収している、東南の諸都市では都市の平均年齢が随分と若いそうです。というのは農民は三十才を越えると農村へ帰りたくなるからだそうです。その代表が上海市や広州の深セン市などです。
 
 戸籍を得るには息子を大学に行かせるのが一番普通のやり方で、最後の手段はお金です。現在杭州の「戸籍」の実売価格は五万元だそうです。(現在平均月収は八百元程度でしょう) 
 
 ☆「都市快報」 四月十七日
 (ああ驚き、幹部が飯を食い農民が穴埋め)

 河北の有る県でこの三年間の会計が示すところでは、二八七三万元が偽の領収書となっている。平均一つの村で十二万元が幹部の署名だけである。これらの支出は幹部の電話・食事・旅行・煙草、果ては娯楽費まで支払われている。有る村では一回の招待費で七千元が支払われている。有る幹部は冠婚葬祭や家を買ったり引っ越しの費用、子供の誕生祝いまでも支出させている。勿論これらの支出は農民が穴埋めする。有る幹部の説明では、この現象を解消するには財政の近代化が必要では無いかと述べている。 

 ☆「市長熱線」

 五月の連休から三回続きの「市長熱線」が映画化されて報道されました。背景はこの十年間で人口が三十倍になったという「深セン」市のようです。(一九七八年の頃は漁村で人口は二百人だったそうです。現在は中国一の経済が発達した都市で、人口は千万人を超えているそうです。ただし人口の半分は農民の戸籍のまま、つまりまだ市民権はない)

 女性の市長が熱意を込めて熱線の意義を強調します。 
 十人のメンバーが「熱線」を担当します。日本で言う「やる課」でしょうか。
 市民の声を直接採り上げます。交通渋滞から家庭内に入ってきた蛇を退治したり、不正な商品の内部告発を採り上げたりします。
 最大の事件はその街の有力者が不正に大きな工場を建てたのを壊すところから始まります。
 市のクレーン車が出動すると最初は暴力団が市の熱線担当者を脅かします。
 これが引き下がると次は機関銃を持った警官隊(公安)が抵抗します。しかしこれは調べると偽の公安だと判ります。
 これもバレテ、有力者は次に金で買収します。
 市の熱線担当者の家庭に訪れた有力者はトランク一杯の現金を見せます。
 これを拒否したため、担当者の家庭は妻が離婚を決意することになります。

 こうして次々に問題が起こっていきます。
 まるでアメリカの暴力映画の感じです。それで老師にこのような事件が中国で起こり得るのか聞きました。老師の答えは「広東省」なら有りうるとのことでした。

 でも落ち着いてこの映画を振り返って、この暴力の内用に驚くのではなく、公的機関が市民の生活に密着しようとしていることを描くことに番組作者の意図があったのでしょう。これからはそう言う時代になると言う流行の先読みでしょう。
   
 ☆「建国後の流行」

 一九四九年の建国以降、中国での流行を羅列したものを学校で習いました。

*一九六七から七八 「文化砂漠」
これは勿論「文化大革命」で国民全てが文化的な面で枯渇していたことを表しています。

*七八 「学生が図書館に群がる」
 文革時代が終わり読書の自由ができました。

*七九 「ダンスとラッパズボン」 
 新しい生活を味わう人の様。外国からニュースと文化が入ってきました。

*八四 「TOFEL」
 英語を勉強して海外に出かける人達。青年の夢を表しています。

*八五 「海鮮料理」
 高級な広東料理を食べられる人の様。そのような階層の人が新聞に載るようになりました。
 
*八七 「下海」
 国営企業を去り民営企業に行く人の増加。海外との交流・取引が増えて、次第に社会主義計画経済の国営企業ではやっていけなくなって来ました。

*九一 「カラオケ」これは全世界共通とか。
*九二 「株券」  市場経済の出発。
*九四 「銀行のキャッシュカード」
*九五 「結婚撮影」これは台湾から輸入された風習。記念写真一式で月収の五倍以上をかけて豪華な写真帳を作ります。「え、これが私」と言うくらい顔の周りを修正をします。
*九六 「否という」流行した本の名前。「否と言う日本」を比喩的に取り入れた文書。
*九八 「旅行、インターネット、足の按摩」

 七八年以降は人間の社会という感じがします。