三月の杭州

 ☆「杭州で学ぶ」

 二月半ばから杭州に来ています。杭州は街の真ん中に西湖があり、歴史名所も多いところ。十三世紀中国の南宋時代、中部を北方民族の金に支配され、続いてモンゴルに支配された頃、漢族は南を維持した時の中心都市です。
  
 ここへ来て有り難く思ったのは、水道の水が黄色でなく透明なことです。
 それと空気ですが、市の中心、西湖のある辺りは空が汚れていますが、学校は中心から小さな山一つを超えたところにあるので、相当きれいなようです。そして静かです。

 ここの留学生は百人ほどです。日本人が三分の一ほどでしょうか。
 学生の構成の特徴はロシア人が居なくて、
アフリカの黒人と中近東の学生が多いことが目に付きます。
 アフリカや中近東の学生達は中国語ではなくて、コンピューターの勉強が目的です。四年から六年ほどかかるそうです。勿論中国語も少し話せます。
 だから彼等と話すときは、英語と中国語と、もうごっちゃ混ぜです。
 
 宿舎の問題ですが、一人部屋が少なくて、二人部屋に入れられましたが、一週間辛抱して遂に私は外へ出ました。
 学校から徒歩で十五分の所のホテルで、一日七十五元です。洗面所と浴室はありません
(共同)。自転車を買って通学します。この街は土地がほぼ水平なのでどの通りも自転車で満員です。

 学校の宿舎は二人部屋で、一人五十元でした。昨年の暮れには構内に新しい宿舎が建つ予定となっていましたが、まだ建設途中です。今年の夏には完成するようです。四月からと言う説もあります。そこは全て個室で六十元です(未定)。私が大連に送ってもらった資料では三月から使えることになっていましたが。

 現在の宿舎とホテルもシャワーは中国式で、トイレの部屋で頭からお湯をかぶる方式です。浴槽は有りません。

 気候に付いては、緯度が九州の南端とおなじですが、二月二十一日からの一週間は教室に暖房が無くて、本当に辛いものでした。地獄の一歩手前という感じでした。
 気温は五度くらいだと思います。新聞の天候欄では毎日二度から八度くらいでした。
 ところが二週間目から少し気温が上がって十度近くなり、もう大丈夫です。
三月からは気温は十度を少し上回るようになってきました。
 たまたまテレビで大連の気温が、(三月六日)マイナス一から五度になっているのを見て、やはり随分違うものだと驚いています。

 宿舎にも暖房がない部屋が多いですが、学生が各自1.5kwほどの電気暖房器を買ってきています。
 洗濯機は半自動式で、途中で使用者が居なくなると、洗濯槽に衣類が残っていてどうしょうもありません。
 有る黒人は全自動の洗濯機を個人で買っています。
 大連と比べると可成りこじんまりした感じの宿舎です。そのためでしょうか、全員が真面目に勉強する人が多いようです。夜になっての大騒動は今までのところ有りません。
 
 さて授業のことですが、私の四人の老師は誰も発音がきれいで、すごい早さで話しますが、なんだか急に良く聞き取れるようになった気がします。
 老師の講議態度ですが、猛烈な熱心さは大連と変わりませんが、すこし生徒に対する態度が柔らかい気がします。
 老師が若いからでしょうか。(三十才と少しくらい。全員女性)
私に「先生」(日本語の”さん”に相当)の尊称をつけて呼んでくれるのですが、「不要」と言うべきでしょうか。
但し中級以上のクラスではテープ聞き取りの設備はありません。

 私のクラスは中級二班で、日本人が二人、韓国五人、ドイツ三人、ベルギー二人、フランス一人、インドネシア一人です。
講義は国語、聴説、新聞閲読、実用写作の四つです。

 全校の留学生百人の中で、年輩者は私を含めて三人だけです。三人とも日本人。
 一人は昨年から来ていて、もう生活になれている感じ。もう一人は今年二月からここへ来て始めて中国語を習います。
 その方は中国語・英語が全くだめだそうで、そうなると寮生活も大変ですね。当分はその方と食事などは一緒にする予定です。

 二月二九日、近くの寮で火事があり黒人二人が全てをなくす災難に遭いました。明くる日にはその仲間達が集まって募金活動が始まりました。
 学生の代表を決めてハンバーグを一個四元で売る活動が始まりました。でもその協力には日本人が一人も入っていません。
 と言うのは、協力の呼びかけ文が英語で書かれていたので、誰も読んでいなかったようです。
 え、今の大学生って、その程度なのでしょうか。
 でもそのうちに日本人も協力するでしょう。
というのは、パソコンのことで何人かの黒人を知っていますが、彼等の部屋には日本の女性が繁く出入りしています。
 
 授業は二月二十一日から始まり六月末で終わり、九月二十日頃から新学期です。これも随分大連と違います。
(但しこの行事は古い生徒に聞いたものです。
年間の予定表はありません)
 
 ☆「食堂はメニューで」

 食堂のメニューは見本が無くて、全て黒板の中国語です。だから日本人と韓国人は何とか初めての人でも漢字から想像できますが、それ以外の国の人は大変ですね。
 朝食は〇.五元でどんぶり一杯のお粥だけ。
しかし夜は九時まで開いています。昼も夜も外部から来た一般の人がとても大勢利用しています。いつも満員です。此処を利用していればメニューの読み方を覚えますね。

 食堂で学生以外の一般の人は総じて「無礼」です。学生が列を作って切符を買っているときに、前の方に平気で割り込んできます。
 値段は少し大連より安いようです。
 
 現在の校舎には中国人生徒の「日本語科」がないので、明日の火曜日「日本語科」のある別の校舎に行って、「互相」の学生を探しに行こうと考えています。

 午後の補講のことですが、散打という武術、太気拳、書法、書画、貿易語が有り、散打は男性の多くが参加するようです。
 
 インタネットは学内にバーがあります。スピードは百二十五kbou。一時間五元。
 私はパソコンを持ってきたので、電信局のプロバイダーに入りました。三百元先払いで三十五時間使えます。
 ところが使用説明書(封筒の裏側)は実際と違ったり、Eメールアドレスが無いことが後で判りました。
 私の場合日本にアドレスを持っていたので何とか日本とも連絡がつきました。
それと寮内の電話では速度が遅くて、(十四kbou程度)で、どうしようもありません。
(そこで寮を出ました)

 新学期が始まる時、学内で公安による諸注意がありました。公安は制服です。
 主な内容は、外部で部屋を借りるときは安全のために学校の許可を取るようにとか、寮内で喧嘩をしないようにとかでした。これを英語と日本語と韓国語で通訳するので三時間も掛かりました。本来なら紙一枚、十分間で済むことでしょう。 

 ☆「作客」

 「作客」とは余所の家に招待されることです。
 三月十八日土曜日、「作文」教科担当の老師の家に私達学生が招待されました。そして後日その感想文を提出する約束です。
 出席したのは韓国の生徒が五人と日本人の私と計六人でしたが、後ほど他のクラスの韓国人が四人参加しました。
 インドネシアの二人は風邪で欠席、ヨーロパの六人ほどは連絡無く欠席でした。
後で聞くと西洋の人達は聞く力はすごいのですが書くことは苦手なので敬遠したようです。漢字を覚えるのは大変な努力が居るそうです。つまり「作客」に参加すると、翌日の授業で作文を書かなくてはいけません。これを避けたようです。
 老師は三十五才の女性で、実にきれいな標準語を話します。
 出迎えてくれた老師の夫は保険会社に勤めている人で、内蒙古出身だそうです。
 二人は同じ大学を卒業したのですが、その頃は知り合えず、その後数年して他人の紹介で知り合ったと言います。
 五階建てのマンションの三階に、夫の両親と住んでいます。
 その内部はとても綺麗な作りでした。私がこれまで見てきたアパートとは格段の違いで、私達が案内された広間は、本当に豊かな作りでした。
 授業中に老師が「作客」と言ったとき、私は大連で、ある教授の家に行ったことがあるので、こんなに多くの生徒が参加して大丈夫ですかと聞いたのですが、そのとき老師は「大丈夫」と自信を持って言った意味が分かりました。
 一般に老師達の家は学校の側の校区内にあって、そこでは学校関係者だけが住んでいます。しかし今日行ったのは、校区外でした。 外見を見ただけでかなり大きな団地、棟でした。
 始めに家の中を全部案内して見せてくれました。普通のアパートの二部屋を借り切って境壁を取ったような作りの広さで、片方に夫の両親が住んでいます。そして今日はその両親の部屋に応援の人も来て餃子作りを手伝っています。
 やはり十人以上の客を迎えると、その準備が大変ですね。
 そして大きなテーブルを囲んで食事が始まりました。初めは「冷菜」。十種類ほどが並んでいます。食べ初めてしばらくすると、途中から暖かい料理が出てきます。これらは裏方の人達が懸命に作って居るのですが。

 お酒も葡萄酒やフランスの酒などずらっと並んでいました。
 教科書の説明では、招待側は客が食べきれないほどの料理を準備することになっています。そして客は全部食べないで、少し残すのが礼儀です。実際若い人達が賢明に食べてもまだ残ったようです。

 食後皆で雑談しました。初めは中国人の考え方を韓国の青年が質問する形で始まりました。
 現在の人達は「自分の生活のため」に生きていこうとしているのか、「国家のために」生きていこうとしているのか、と言う内容でした。
 というのは一人の韓国の生徒が中国の生徒に中国語を習っていますが、その中国の生徒がはっきりと「自分の生活」が主だと言ったそうです。しかもその生徒は共産党員だそうです。
 老師の答えもそれを肯定するような内容でした。
 かってはマルクス主義に従って社会主義国家を建設しようとしたが、それでは経済が発達しないことが判った。韓国や台湾に大きく出遅れた。そこで現在は先ず生活水準を上げることが大切だと言うのが一般の理解だそうです。
 私が昨年見聞してきた中国人学生の実体と今日の老師の話は相当開きがあります。随分思い切ったところまで話題に入れます。
 というのは幾つかの大学で日本語を教えている教師(日本人)に聞いた話では次のようでした。
  卒業に当たって生徒の就職指導をするために各人の将来の人生観を聞いたところ誰もが外国に行って進んだ技術を学んで帰り国家に尽くしたい、と答え自分自身の考えが有りません。先ず国家有りという感じがするそうです。だから生徒の個性を掴むのが難しいという話を聞いています。
 個人自身の要求と言う概念は未だ表面的には現れていませんでした。
 でもこの程度の矛盾は存在して当たり前でしょうか。
 
 生徒の中に中国の農村を見たいという人が居ました。が揚子江南方で浙江省付近の農村は既に近代化されていて西洋と変わらなくなっていて、もっと都会から離れた地方の農村を見ないと意義がないでしょうとのことでした。
 私は上海から汽車に乗って浙江省へ来る途中実際その農家の姿を見ました。その美しい家屋に目を見張りました。これは東北のハルピン近郷の農村の、古い煉瓦作りで外装・内装無しの姿と随分開きがありますね。

 学生の生活についても話題になりました。韓国では大学構内の中は各種クラブの掲示で一杯だそうですが、中国ではその姿は全くありません。老師の答えは、一部の学校には運動部があるとのことでした。
 韓国では八十年代の終わりにWTOに加盟してから経済が急速に伸びて、学生活動も下火になったそうです。
 
 こんなことをリラックスして話し合えるのも私にとっては随分の驚きです。

 昨年は、私達外国語課の生徒に対し毎日一杯の宿題を与え、授業時間は一言一句でも老師の言うことに注意をさせるという進め方でした。これは中国の生徒に聞いた限りどこの学校でも同じだとの答えでした。
 実際中国の学生達は朝の六時から夜の十時まで、土曜日曜もびっしり本を読んでいます。
そして夜十時半消灯です。
 でもこの省では土・日はダンスに行く生徒が大勢居るとのことでした。

 新聞にも「小学生の生徒の負担を減らそう」と言う意見が載っていました。
 
 二月末に小学生が毎日の宿題と塾の重荷に耐えかねて母親を殺害する事件がありました。
その子も家庭もごく普通だそうです。
 今子供達の勉強への圧力は、一人っ子が一般になって以来、大変なものです。宿題が膨大に出て、それが終われば一人平均三個の塾に行きます。二十一世紀の初めには九五パーセントが学校に行くとの報道もありました。
 そこで当時開会中の人民大会で子供の負担を軽減する決議が通ったそうです。
 
 話題は台湾のことにも及びました。今日、台湾で選挙があるからです。しかも一昨日朱容基総理が、もし台湾民衆が独立の意思表示をする候補を選べば、即武力攻撃を開始すると、外国の記者を集めて発表しています。
 これは明らかに台湾の人々に対する脅迫です。その結果、独立を綱領に掲げる野党「明進党」の支持が減るのをねらっています。 その翌日、「武力攻撃」は二四時間直後にもあり得るとの政府談話が補強発表されています。脅迫の後押しです。
 
 この結果国民党の候補が有利になるかどうかまだ判りません。私は二年間の台湾での仕事で知り合った人達の顔が次々と浮かんできました。彼等は脅迫にどんな対応をするのだろうかと。
 五年前、台湾の総統選挙があったとき、大陸の中国政府は弾頭弾を三発台湾に打ち込みました。そのときお金のある人達は大勢、カナダとオーストラリアに逃げました。カナダでは急激に台湾人の人口が増えて、ある街では住民の反対運動も起こりました。今回も又逃げるのでしょうか。

 一週間前に台湾の著名な学者が明進党を応援する態度を表明しました。その理由は国民党の二人(一人は既に国民党を離脱)が暴力団と深く結び着いていることが判ったからです。その表明で、かなり出遅れていた陳水平候補(明進党)が浮上接近したと朝日新聞では分析しています。
 
 老師とその夫の意見は、台湾は大陸に復帰すべきで、現在台湾の復帰をアメリカと日本が望んでいない、邪魔をしている、というものでした。台湾民衆自身も、そのため本当に大事な意見を持てないで居るとのことでした。
 韓国の生徒は、このような談論を夫婦を交えて出来る家庭を将来作りたいという感想を私に教えてくれました。

 最後に私がアコーディオン演奏をしました。私が弾けるのは四十年前に流行ったものばかりなので、(じっさいその頃の教科書で練習しています)老師の両親を呼んでもらって聞かせたいと言いました。
 両親も昔は老師だったそうです。喜んで来てくれました。
 曲は最初に中国の歌曲二曲です。これは大連で覚えました。これも昔の歌です。でも隣の生徒が哀愁を覚える良い曲と感想を言いました。次はアムールのさざ波とタンゴとスペイン民謡でした。演奏の途中でご両親が顔をほころばして、これらは中国では五十年代に流行したと言います。六十年には中国は大変なことがあって音楽どころではなくなった、と言います。
 そして又何時でも遊びに来てくださいと言ってくれました。
 
 しかし、こうして同じ家の中で、顔を近づけて中国の高齢の人と話していると親しみを感じてきますが、それが問題ですね。
 その両親というのは七十才前です。すると、話せば話すほどその人の人生が少しずつ見えてきます。若い頃のことが。相手も私を見ていれば戦前のことが頭をかすめるのではないでしょうか。私も子供の頃に、戦争に行った人達が中国で何をしてきたか充分聞いています。ひょっとしてこの街でもあの残虐なことが、等と考えてしまいました。
 これから中国語を学べば学ぶほど、直接に中国語で老人達と話し合う機会が増えるでしょう。近づきたくもあり、避けたくも有りが本心です。
 昼を挟んで五時間ほどお邪魔をして引き上げてきました。
 麻煩了、謝謝老師。

 ところで台湾の部分だけ追加があります。
その翌々日、別の老師が私の机の上の新聞を見て尋ねてきました。「台湾の選挙結果はどうなったの」と。勿論毎日老師は新聞を読んでいます。では何故判らないかというと、此処が問題です。
 中国の新聞は選挙結果を書かないで政府要人の「重要講話発表」として意見を乗せます。勿論大きな文字は台湾はあくまで中国領土の一部であると言うことだけを表明しています。しかし肝心の選挙の結果は分からないのです。実は私は新聞の下の方に各候補者の得票数が書かれていたのを知っています。でもそこの記事は三候補を良く知っている人でないと判りません。
 
 そして選挙の翌日の日曜の朝の記事は台湾民衆が国民党代表の辞職を求めて車を焼いているところを写真付きで大きく乗せました。
 そして又火曜日にはテレビで討論会が行われ、台湾の民衆は四割弱が独立を求め、多数である六割が統一を求めているとの解説を流しました。また月曜日に中国政府が確認したところ、米・日初め多くの国が台湾は中国の一部であることを支持しているとの結果を発表しました。
 
 中国政府は、台湾で何が起こったかを知らせない、知らせる必要がない、そのような態度に思えます。
 
 私はたった二年だけ台湾に滞在しましたが、それでも国民党が下野するというのは、台湾の人々にとって驚天動地の出来事というのが解ります。三八年の戒厳令を敷いて独裁を続けてきた国民党が政権から追われたのです。

 そして民主化を求めて命を捧げてきた政党が政権を執ったのです。このことを大衆に知らせない、評価できない政権が地球上にあるというのが、随分の驚きです。 
 
 台湾人の現実と歴史を隠して、その将来を云々することが出来るのでしょうか。
 統一や独立は誰のためのものでしょうか。
 
 でも事実は明進党が島を代表したわけで、これからは本当の台湾の将来が探られることになるでしょう、と私は思います。現在の国民党の李登輝は既に選挙で選ばれ台湾を代表しているという意見もあるでしょう。彼自身も台湾人です。でも国民党である限り黒い組織(暴力団)との関わりを絶てなかったのです。
 明進党の陳さんの奥さんは国民党のテロで片足が不自由となり、車椅子の生活を送っていますね。だから陳さんの行くところ彼女が着いて行くわけで、それは国民党のやってきたことを引きずっていて、何時もテレビに映って、国民党の正体を大衆に証明しているようなものですね。
  
 ☆「実名登記」

 四月一日から銀行口座は実名を使うことになりました。これは党の幹部の腐敗が目立ってきたことと、資産家の財産の隠匿を防ぐ為です。彼等は偽名を使って預金をします。実名を確かめるためには身分証を調べます。これは中国では全ての人が十六歳以上になると国民番号を登録するので簡単に実行できます。 身分証は携帯を義務付けられています。韓国でも国民番号があるそうです。
 
 この国民番号で旅館に泊まったりすると、それは政府に記録されて行き、全生涯の記録が瞬時に印刷されます。
 預金を引き出すのは銀行カードで、屋外の自動支払機で出来ますが、現金を預けることは出来ません。税金逃れ、財産隠しに利用されるからです。
 
 この方式が実施されて、混乱が起こっていることが新聞に報道されて、その内用を授業で習いました。
 身分証のない十六歳以下の子供は預金できないこと。
 預金が個人名義のみとなるので「家族のもの」という財産の観念が、個々人の財産に限定されていくことに不安を覚えるという意見があります。家族が死亡するとその時点で財産が法的に処分されます。家族が家族的に処分することが出来ません。
 四月以前に預金されているものには検査が及ばないのは不公平だ、等です。