十二月の大連

☆「マイナス十度」

 北の審陽市ではマイナス二十度の記事が新聞に載っています。一度停電事故があって、暖房が動かず病院などで死亡事故が起こったと新聞に載っていました。大連ももうすぐ零下二十度になるとのこと。街中が石炭暖房なのでそこらの煙突から煙がもくもくと黒煙を空に散らせて、空がどんよりと濁っています。
 大連では気温はマイナス十度前後になっています。朝夕の散歩も少し勇気が要ります。 
☆「日本語講師」

 今月から街の日本語学校でアルバイトを始めました。私のいる同じ学校の生徒が誘ってくれました。今のところ週に一度、午後の三時からの二時間だけ。
 私の受け持ちは中級クラスで、学生はほぼ二十才台前半の人達でした。日本語の教科書があってその説明を中心に話します。

 最も日本語の上手な一人の学生は十八才で、お父さんが日本人お母さんが中国人でこの地に住んでいるとのこと。野球が好きで将来はプロの選手になりたいと言います。お父さんが家にいるときだけ日本語を話すそうです。
 他に二人ほど、親戚が日本に居るので、行ったことがあるという生徒がいました。一クラス二十人ほどですが、ほとんどの人が直ぐにでも日本に行く予定があるとのことでした。授業が終わって帰りに廊下に出ると、数人の生徒に取り囲まれます。彼等の聞きたいことは全て同じで、今日本に行くとしたらどの土地が良いかとか、現在の物価のこと、アルバイトが探せるかとか、差し迫った質問でした。彼等が入国後最初に入る学校や企業の名前は聞いたこともありません。なんだか随分と不安な計画のようです。

 有る生徒と日曜日に会って話を聞きました。彼も勿論直ぐにでも日本へ行くつもりです。日本へ行くと言っても初めはどこかの日本語学校に入って、その後はビザが無くなっても日本に滞在してアルバイトをして、そして稼ぎたいというものです。
 私に、ビザが無くても滞在できる方法を知っているかと聞いてきます。私が知るわけはありません。たとえそれが有ったとしても、それは不法行為ですから、その人は今後の長い人生の中で二度と日本へ行けなくなるわけで、大変危険な冒険だと言っておきました。

 今中国人が日本に入る場合、個人の観光目的では入国出来ません。団体の観光は入国出来るようです。あとは学生ビザか、働く企業が決まっているときです。学生ビザも厳しい審査が有って、毎年申請者の半数が振り落とされるとのことですが、ただその半数というところが適当な感じがします。正確な審査では日本の税関が受け付けるはずが無いという事例でも、しかし通過している人もいるとか。

 何故中国の若い人にとって日本がそれほど魅力有るのでしょうか。それは物価の十五対一という差でしょう。
 たとえアルバイトにしろ、日本にいれば四年で百万円を預金できると彼等は計算します。すると帰国後は大金持ちになれるわけです。

 街にはもう一種類の夜間の日本語学校が有ります。そこは現在昼間働いている人達で、仕事が日本と関係があって、企業派遣のような形で学んでいます。年齢はもっと高くなるようです。ただその人達も「互相」の日本人を熱心に求めています。 
 私達日本人の講師は教科書を基本に日本語で話します。中級では教科書を半分、日本の現在事情や習慣を半分ほど話しました。
 
☆「外国人学生の様子」(同僚のこと)
 
 半年経っても初めて出会う学生がまだ大勢居ます。
 どこの国の人か解らない学生も沢山居ます。
 そして一番の特色は高年齢者がかなり居ることではないでしょうか。
 高年齢者は日本人だけです。そして中国のあらゆる言語学校(中国全体で五十校以上有るようです)にいるそうです。

 今回は高齢者と若者(つまり一般の学生)の特徴を紹介しましょう。

 若者は十八才から二十五才くらいがほとんです。二十五才以上と四十五歳以下の中間の人も少し居ます。(企業派遣とか、現地駐在者またはその家族)
 若者はここへ来て二・三ヶ月の間に、友達を捜し、学校に慣れ、授業に慣れて行くわけです。若い人は一部屋に二人という部屋を借りるのが普通です。その場合同室の相棒は他国の学生になるように事務所で配慮しているようです。そうすれば日常中国語で会話をするので進歩が格段に早いようです。たとえ初めて中国語を学ぶ人でも、外国人と同じ部屋になる方が進歩が早いようです。
 
 逆に数ヶ月で学業から離れていく人もかなり居ます。同じ国の友達と馴れ合って、深夜まで付き合って、結局授業に付いていけず、ますます友達との付き合いにのめり込んでいくようです。けじめ無く、のめり込むというのは日本人の特徴(?)だそうです。
 逆に猛烈に勉強してぐいぐいと中国語を身につけていく学生も大勢います。
 その二つの分かれ目が入学後三ヶ月頃でしょうか。

 寮の生活で問題になるのが、深夜に騒ぐ人達です。これは圧倒的に日本人が多いです。次が韓国でしょうか。欧米やロシアの人はあまり騒いだ話を聞きません。男女の区別はなく、一気飲みや、宴会を深夜までやる人が居ます。そうゆう人は昼間でもラジオやステレオをガンガンならします。夜の十二時過ぎにキャッキャと大声を出す娘さん達が居ます。此処の寮の部屋は入り口の薄い木の板を通して廊下の音が直に入ってきます。他人に迷惑をかけないという常識は日本では、次第に消えていくのではないかと恐ろしく感じるこのごろです。

 ただし日本人の中で礼儀正しくて、高齢者が階段で止まっていると助けましょうかと声をかけて来る若者(女性が多い)もいます。そんなとき、ああ美しいものだなあと感心します。これはほとんど日本の女性です。
 寮がうるさくて、寮を出て街に部屋を借りる人も大勢います。寮費は街の方が遙かに安いのですが、友達ができにくいとか不便とか言われています。学校側も安全に問題があると言って寮から出ないようにしています。

 次は高齢者の話です。
 
 一般に定年後来た人がほとんです。定年と言っても六十才から七十才くらいまで、実にいろいろです。これまでの最高は八十才だそうです。
 しかし七十才を越えて授業に付いていけるのでしょうか。これはもう好みの問題でしょう。別に付いていく必要はないと答える人も居ますから。「又来年同じクラスで出直すんだ」と答える人も居ます。一階の食堂から四階の部屋まで各階でたばこを吸って休み休み上る人もいます。
 今年来た人の中の五・六人は特別真面目な人達で、すごく勉強しますね。勿論今までもこんな人が大勢居たとは思いますが。
此処に数年居る人の中で「若者に負けるもんか」とばかり勉強した人が居ます。とても私には真似ができません。
 でも高齢者の実力の進歩を私なりに冷静に批判させてもらうと、やはり語学は一才でも若い方が楽ではないでしょうか。何しろ辞書を引くのに虫眼鏡が欠かせなくなると、寂しいものです。

 高齢者の中にも半数ほど女性が居ます。日本で夫が待っている人も居ますし、もう地球に唯一人という人も居ます。高齢者で夜騒ぐ人は居ません。
 この中の七十才位のある男性は、若いときには戦争ばかりで勉強が出来なかったので、現在の生活が夢のようだと言っています。数ヶ月で帰る人も居ますが、大体皆さん満足して帰られるようです。毎日毎日勉強だけというのは、本当に贅沢な生活と語っています。
  
 中国人の外国語学校が同じ敷地内に併設されているので、お互いに外国人を相手に放課後勉強することが出来ます。これを互相互学と言っています。若い人は一人で五人くらい相手にしている人もいます。高齢者だって三人や四人を相手に勉強している人も居ます。一回の時間は二時間くらいで、お互いの国の言葉を半分ずつ使って練習します。
 
 中国側の学生は女性が多いです。私達外国人の男女の割合は半分づつくらい。午後、学校の教室を借りて勉強をします。お金の余裕のある高齢者の方は学外へ食事に行ったり、喫茶店に行ったりする人も居ます。中国側が三年生や四年生になると、若い学生では教科書の質問さえ出来ないと言って、高齢者を求める人も居ます。四年生では日本の古文を勉強する学生も居ます。この時は高齢者が役立っているのです。

 教室で若い女性と高齢者が席を並べて、教科書を見つめる姿は、楽しそうにも見えるし、ご苦労なこととも見えます。
 高齢者はやはり中国語会話がまだ上手くない人が多いので、それだけ中国語を話さないで日本語を話すので、中国人にとってとても有り難いのではないでしょうか。 
 
 又あるとき余所の省から見学に来た日本人の話だと、「互相」は時間の無駄だと言っていました。日本語を話す時間を少しでも減らしたいとの考えです。具体的に言うと、中国の学生にアルバイト料を払って中国語を教えて貰うのです。一時間二十元前後。学校に頼むと五十元ほど。

 さて高齢者の存在は街でも評判です。「日本人はすごいですね」と。私も街で食事をしているときに何回も言われたことがあります。「国を出るとき子供達は反対しなかったのか」と。
 この理由は二つあって、一つは普通定年後はトランプをしたり公園を散歩したりして老後を過ごす人が一般と考えられています。
 もう一つの理由は経済面です。歳取ってから外国へ行くことはやはり贅沢という考えでしょう。

 中国では老人の世話は若い人がします。当然親が外国へ行けばお金がいります。現在の生活水準では将来にわたって面倒を見きれない訳です。そこでまあ、普通の中国の若者は親が外国へ行くと言ったら反対するでしょう、とのことでした。
 その点現在の日本の高齢者で子供に将来の世話をしてもらおうと考えている人は居ないでしょう。 

 中国の先生(老師)が授業時間に生徒に質問しますが、高齢者には少し遠慮しているそうです。(日本人の感じ方)老師としても少しは遠慮せざるをえないのでしょうか。
 でもここの学校では年齢に関係なく生徒の名前は呼び捨てです。

 ちょっと話が横にそれますが、生徒は国籍に関係なく名前を漢字で登録します。すると日本人の場合中国には無い漢字もあります。その場合発音が似ているのを探します。
 日本人が同じ教室にいても隣の生徒が中国語で呼ばれているとどこの国の人かさっぱり解りません。ヨーロッパの人も漢字で登録します。でもこの場合発音から似ているのを探すので、日本人よりはわかりやすいです。 

 高齢者が日本人だけと言う理由は何でしょうか。日本人は一生働き蜂なのでしょうか。私はヨーロッパへ行ったことがないので解りません。

 最近この高齢者が話題にしたことを紹介しておきましょう。

 なんと言っても関心の高いのは中国のWTO加盟が将来にどんな影響を与えるかでした。
 その要旨は、まず中国の現状が、きわめて不安定、アンバランス、経済的に遅れている面が非常に大きい。このような中で世界と共通の土俵で商取引が出きるだろうかという心配です。
 この考えは多分中国人も同じでしょう。中国の老師もそう言っています。

 例えば市販の薬品の四分の一が偽物です。隣の街へ送った小切手が一ヶ月経っても届かないので調べたら、銀行には届いて居ても、担当者の隣の机に置かれっぱなしだった、とか。これは計画経済の名残りだそうです。職場の中で隣と相談しないと言うのは徹底しています。

 最近はテレビや冷蔵庫などで中国製が出てきたと言っても、その部品の多くは外国製ではないか。
 文房具や事務機器では使用に耐えるものがほとんど出ていない。
 大学生はその大半が外国へ行きたいと言っている。あるいはそれ以外に言語学校が数多くあるが、誰もが外国へ行こうと考えている。その有様は難民と言っても過言ではないか。 中にはビザが切れても隠れる方法を知っているという学生もいる。(よその国の文化にあこがれる面もあるが、主目的は稼ぎの人が多い)
 
 農業について言えば、人口の八割を占める農民の人口。しかもその生活水準、及び機械化の遅れ(皆無に近い)。これはアメリカの農業ととても太刀打ちできるものではない。
 ただし現在すでに日本には、例えば青島から大量の野菜類が九州へ陸揚げされている。日本の市場で野菜の値段を引き下げる大きな力になっている事実もある。これは日本の業者が材料から販売まで全て管理している。

 十月の国慶節で発表された連日のテレビ。このやり方は好い面だけを誇張した、中華思想そのままで、民主主義が根付くと思えない。

 公害について言えば、現在大きな街では空気の汚染度が百を越える都会がいくつもある。中国の奥地でも二百に近いところがある。

 (ウルムチ三百五十、ラン州三一三、シニン二一九、審陽二百、フフホト一九五その他百を越えるの都市が十二ある)
(百を越えると街を歩くと息苦しくなります)

 経済を国家がリードして加速度的に発展させると、その裾野にカバーできない公害や生活面での有害面が必ず現れてくる。基礎的な面がほとんど発展していないこの国で、中華思想で指導されるとその悪影響の一部が日本にも勿論、地球規模で汚染が広がるのではないか。

 南方の昆明湖では公害で湖の色が変わってきて、その対策を日本に要請してきているが。(これは日本政府が対策に資金援助するらしい。インターネットから)
 二十一世紀は中国の奥地の砂漠の拡大で十三億の人口を養えず、穀物市場が大混乱すると言う説もあるが、中国は現在それに取り組めるだろうか。(現在日本のいくつかの大学がボランティアで取り組んでいる)
 
 このような社会の現状で、国際取引の仲間に入れるだろうかと言う疑問でした。

 これらの意見が正確な分析に基づいて居ない面もあるかも知れませんが、問題点を突いているのは事実でしょう。