十月の大連

☆「十月は国慶節」

 先日、十月一日の国慶節で私のいる学校は三日の予定が突然五日間の連休だと発表されました。
 国全体では次の土・日を前へ持ってきて7連休としました。このような祝日変更を一週間前に突然変更決定するのは、外国人にはちょっと驚きですが、中国では好くあることだそうです。
 従って今日”十月九(土),十日(日)”は一般の学校や企業は営業です。
 日曜日に教会に行く人などは無視のようですね。(大連に教会があります)

 それで一人で孔子の故郷「曲阜」や泰山や青島などに行って来ました。これらは山東省に含まれます。
 いまは高速道路ができていて、そこを無免許のトイレのないマイクロバスが突っ走ります。
 斉南から煙台と言うところは高速バスで六時間なのでトイレのある高級な旅行車に乗りました。
 大連から煙台というところまでは一泊の汽船です。千人近くの人が乗り込む大型船で渤海海峡を渡ります。
 
 前日に互相の学生に着いてきて貰って切符を買いました。下から二番目のクラスで、船底に近い大部屋です。外国人は私一人のようでした。出発の合図や宿泊の注意などが放送されていますが、さっぱり聞き取れません。ちょっと心配ですが、大勢の人が一緒だからと思って寝台に横になりました。中には徹夜でトランプをしている人がいます。
 煙台から先は鉄道にしょうと思って、切符を買ったのですが、ホームに入ってきた列車にいざ乗り込もうとすると、車内は既に満員で通路にもぎっしり人が立っています。急いで横の人に終点までの時間を聞くと八時間という返事でした。
 こんな満員電車に八時間も我慢できる体力がないので、乗車を諦めました。勿論切符の払い戻しも諦めました。
 当然発表された連休で観光地は大満員のようです。 
 高速道路を走る民営のバス(無許可)は満員になるまで、途中でどんどん客を乗せます。
運転手と客が大声で話し合っています。運転手は片手を振り上げて話に夢中です。そのような状態で国道を突っ走るのです。当然事故も多いようです。
 まあ、命がけみたいなところもあったけれど、とにかく無事に帰ってきました。

 中国と言えば、ビールを頼めばビールだけ、
次に催促して栓抜きだけ、また催促してコップということになり、客を無視したような接客の国ですが、斉南と言う大都会で泊まったホテルのボーイが勤務中に車で片道半時間ほどの「黄河」まで案内してくれました。
 そのホテルは東京にも姉妹店がある「斉南飯館」と言います。本当に従業員の方は親切で食堂の少女にビールを頼んだら、このホテルだと五元だけど外で買ってくれば二元ですむと教えてくれました。
 しかも私がビールを飲んでいると時々注ぎに来てくれます。
たぶんこんなサービスをするところは十三億人のすむこの広大な中国大陸で他に有るかどうかの貴重なところと思います。

 大連の「マイカル百貨店」も貴重な一つでしょう。ここは日本人の客が目当てでしょうか、日本式の教育がされています。客に対してとても親切です。

 それで翌日このホテルの彼らと彼女らの写真を何枚も撮りました。
上手く写っているといいのですが。
 このホテルは日本の観光案内書で見つけました。 

 私は初めて黄河を見ました。映画では見たことがありますが。揚子江のように向こう岸が遙か先と言うことはなくて、対岸がはっきり見えます。しかしその水流の多くて早いこと。こんなに大量の水が中国大陸を横切って流れていると思うと、恐ろしいほどの水量と勢いです。岸辺に立つと、足下には実に細かい粒子の黄色い砂がたまっています。指でつまんでも砂という感じのざらざらが有りません。小麦粉のようです。この細かい砂が上空の気流に乗って日本まで飛来して関西の空を黄色くします。

 孔子で有名な曲阜と言う町でホテルを探したときは、公安が旅行者を案内していました。きっとここは観光地として有名で遠方からの旅行者が多いからでしょう。多くの旅館の一覧表を見ていると、一泊五十元以下の部屋も有るのに、私が直ぐ日本人と解って、ここが安全だと言って勧めてくれたのは一泊二五〇元でした。で、五泊で約三万円掛かりました。
後で互相の学生達に説明をすると目を丸くして驚いています。彼らだと半分以下で済むそうです。

 泰山の麓では中国人と同じ部屋で、トイレバスなし、ナンにもなしで三百元取られました。
 私は風呂に入りたいと主張したら、共同トイレに連れて行かれました。便器の上にシャワーらしきものがあってそこでお湯をかぶるのです。
 これは現在中国人の家庭一般のバスの方法です。しかもドアなしで道路から丸見えです。
まあいいや、お湯をかぶろうと思ったのですが、如何せん、お湯の温度が低すぎます。受付に文句を言うと、「没問題」とか言ってそれ以上相手にしてくれません。風邪をひくからと言って断りました。

 同宿の中国人達と翌朝二時に登山を開始したのですが、誰もこの三百元に高すぎると言ってひどく文句を言っていました。
 それは連休で約一万人近くがこの山に登り日の出を見るからです。ホテルもどこも満員で客が一杯です。
 山頂の山の上にあるホテルは、普段一泊百八十元ですが、その日は千元だそうです。
 
 朝の六時半頃日の出があり、それを見ようと、もう山頂近くはどこもかしこも人だらけです。特に道路の東側は人が鈴なりです。そして気温十度以下のこのような状態で一時間ほど待ちました。いざ薄明るく成ってくると、「ウワー」と言う歓声が山全体にこだまして全員が立ち上がります。そこで私には肝心の日の出が見えなかったのです。持ってきたカメラを高く差し上げて人々の頭の上から日の出を撮りましたが、少し時間が経ってから初めて薄赤い雲間と太陽を拝みました。

 旅行に行く直前に学校で映画を見ました。「黄河と紅恋」と言う最近出来たもので、日本軍との戦いが背景で残虐シーンが続出します。
 赤ちゃんを日本兵が二人かかりの大きな石臼でひき殺すところがあります。中国人捕虜を袋に詰め込んで外から油をかけて焼き殺すところもあります。
 中国人は当然大陸全体でこの映画を見ている人が多いと思います。だから一人旅の途中、時々「あなたは日本人か」と聞かれると、いやな気がしました。まあ仕方ないことですが。
 でも実際はいやなこと、危険なことはなかったです。

 この話には少し続きがあります。
寮へ帰って食事をしていたら四年前に学んだという日本人が遊びに来ていて、席が同じになりました。七五歳とすこしの人です。大連にはこのような年輩の学生が大勢います。こんな年齢を取っていても勉強をするのは好いことですが、この人と話の弾みで話題が戦争に及びました。
 私が未だに中国が日本の悪行を持ち出すのは政権を維持するためであり、(若い人たちに国内から目を逸らさすため)それを可能にしているのは日本政府が明確に侵略戦争を懺悔しないから何時までも突つかれるのだと言いました。それに対してその人は中国人も一千万人超の大勢が死んだが、日本人も三百万人ほど死んだから、日本だけが悪いのではないと言いだしました。
 もし日本だけが悪いのなら殺した数を明確にすべきだなどと言います。
 この言い争いは授業が始まるので打切りましたが、まあこのような人が現在の日本社会の上層部に未だ大勢いるのでしょうか。

☆「学校から遠足」
 
 十月の第二週は二泊三日で審陽へ学校から遠足に行きました。
 一年以上在学する人に参加の資格があります。ほぼ三十人ほどが参加しました。
 行きの汽車では中国語の老師とインドの十六歳の少女と日本の女学生と四人が同じ席で話をしました。
 インド人は現在両親が大連で仕事をしていて、それで親の家から通っています。勿論肌の色は黒色です。顔の額の真ん中に紅色の小さな点が付けられています。一才の時につけられたそうです。
 中国語はかなりすらすらと話します。でもまだ漢字が難しくて読めないそうです。十六才でこの学校に来ているのは彼女だけです。
習っているのは中国語だけですから年齢にほとんど制限はないようです。
 聞いたり話したりできるけれど漢字が解らないと言うのは欧米一般の人にいえます。(中国語圏以外と言うべきでしょうか)
 彼女はヒンヅー教なので牛の肉を食べません。
 インドには貧窮した人たちが大勢いると話してくれたのが印象に残っています。

 同席の中国人の女性の老師は北方の内蒙古民族です。その民族は羊肉を食べません。
 私が大連の話をしたとき、百貨店で店員に怒鳴られた話をしました。そしたら彼女はすごく真面目な顔になって「そうよ、私も百貨店は怖いからマイカル(ここは日本式の経営で店員は親切です)に行きます」と答えました。
私は逆にびっくりしました。中国人なら誰でも当然中国式の(計画経済方式の)百貨店に慣れていると思っていたのです。この老師は未だ若いから計画経済の時代のことを余り知らないのでしょうか。

 一週間前に泰山に行ったとき、汽車の切符の買い物でも随分苦労しました。職員の横柄で無礼なこと。こちらが困っていようと関係無しに命令口調です。日本もそんな時代があったのでしょうか。(当然ありました。ついこの間まで。国営企業で。でも中国の方が強烈ですね。ただ中国は社会主義なので九十七パーセントが国家公務員だったのです。現在は企業の七十パーセントが半国営でその資本金の六割が国家資本)

 この中国人の先生は二十才台の半ばで、私達学生と一緒になって食事をする時に自分の席の皿に芋が山と積まれたら真っ赤になるほど純情な人です。中国ではこんな純情な女性も又珍しいのではないでしょうか。
 
審陽の街は遼寧省の首都で、清朝政権(満州族)発祥の地です。満州族が造った故宮が有ります。この満州族が弁髪と纏足の習慣を中国に持ち込みました。日本の徳川時代とほぼ時を同じくして、約三百年中国を支配しました。
 今でも大連市で纏足のお婆さんを見られます。
 審陽では市の中心にある朝市に行きました。甲子園よりも大きな場所で、その中に小さな屋台が無数に並んでいます。屋台の店先には許可書が張ってあります。ざっと見渡しても商品の豊富さに驚かされます。日常の生活品は何でも揃っています。
 人の出入りも多くて、まさに何千人もが出てきているのではないでしょうか。
 このように豊富な商品が出回ったのは一九八〇年頃からだそうです。改革解放(一九七八年)と言います。日本でもその頃以降出現した農村の「万元口」はテレビで報道されたと思います。

 私は国全体に商品が無く人々が食べる物を求めて、しかしやりようのない無気力な姿を目撃したことがあります。
 一九九三年の十二月にキューバに行きました。そして八百屋の前に長々と続く、買い物袋をぶら下げた人たちの列を見ました。

 八百屋の店にはどの箱も空っぽで、ただ一つの芋の箱だけが有って、その芋を買うために人々が長い行列を作って配給券を持って黙々と並んでいました。
 その頃キューバはソ連の崩壊を受けて経済的に困難な状態でした。石油が無くて発電がままならない状態でした。ヨーロッパの支援グループが石油を送るために汽船を借り切って送る報道がありました。

 そしてその翌年直ぐキューバは土地の七割の自由化を実行しました。
そしたら半年もしないうちに八百屋には野菜が店先一杯に並んだ姿が日本のテレビで報道されました。
 国家が大衆の為に上から強制的に、計画的に行った政策が、大衆の物質面の貧困を招き、大衆の自主性を許可したとたん直ちに商品が店に殺到したのです。
 
 中国が工業生産の面で株式を公開したのは一九九二年です。そして中国全体が高度成長が始まりました。十パーセントを超す成長が五年ほど続いたそうです。

 一九九三年に大連に転勤を命じられた日本人が一度下見に来て、当時の大連市内を見て、とても日本人には住めない街だと思ったそうです。しかしそれから二年後に実際に転勤で来たときには買物が出きる街に変わっていて、何とか生きていけると思えたそうです。

 ただ現在は高度成長も止まり、街には失業者が大勢います。失業率が二十パーセントを超す街が多いという人もいます。経済的にはデフレ現象で、客を呼ぶために値下げの札があちこちで見られます。今後どうなるかは、アジアは勿論世界の人々に影響が出ると誰もが不安げに見ているのではないでしょうか。

 私たちが審陽に行った日は寒波が来ている日で朝は零度以下でした。市場の中も冷えていました。(日本の北海道と同じ緯度ではないでしょうか)でもホテルの近くの大きな池では寒中水泳の人たちが泳いでいました。池は凍っていません。水が汚れているからでしょう。

 審陽は遼寧省の首都ですが、人口は大連よりも少なく、物価もかなり安いそうです。
 大連は中国で一番物価が高いという人もいました。それは外国人が大勢いるためとか。

☆「集安(輯安)について」

 前回の国慶節の時、何人かの日本人のグループが集安に行きました。
そのことを少し紹介したいと思います。

 北朝鮮と中国の国境に鴨緑江が流れています。その北側に集安が有ります。
東西で言えば国境の真ん中あたりです。
 ここに、奈良の高松塚古墳と同じ洞窟や壁画があるそうです。
古墳のあることはかなり以前(戦争前)から解っていて、パソコンに入っている小学館の辞書にも集安という文字があります。「輯安」(しゅうあん)となっていますが。
 奈良の高松塚が発見されたのは十年少しほど前でしょうか。高松塚へ見学に言った人の話では、日本の天皇家の祖先が大陸から来たことが、これで明確になった、と言っていました。
 何しろその壁画は完全に大陸のものです。
(日本の壁画はインターネットで見ることができます)
 そしてその高松塚と同じものが輯安に有るというのです。
 ここには日本から時々専門家が調査に来るそうです。ただ日本からだと交通が大変不便なところです。
 そこで今のうちに、と言うことでその人達が見学に行きました。
 もし彼らの行くことが解っていれば私も同行したのに、九月末までその人達と付き合いがなかったので、知らなかったのです。
 現地では完全に同じ壁画を見ることはできなかったそうです。
 それらしい洞窟は鉄の扉が降りていたそうです。
 でも洞窟がいくつか有って現地で売っている写真を見せてもらいました。
 確かに奈良のものと似た描き方と思います。その洞窟は高句麗時代のものです。(高句麗は紀元前後から7世紀まで栄えました)

 そこへ見学に行った内の一人は現在六十五歳で戦前その近くに住んでいました。
 見学に行った人の話によると、その周辺は都会に比べ貧しさも目立ち、また特に日本人に対して険悪な感情を露骨に示したそうです。夜になると国境の河を越えて朝鮮側に遊びに行こうという誘いがホテルから有ったそうです。

☆「国営企業倒産」十月二五日 (地元新聞より)
 
 湖南省の 国家企業が二年九ヶ月で三.六一億元の損失。
 党書記兼総経理(社長)の陳海燕が中国の五百大企業に数えられる電線公社から経理をごまかして与えた損害額。
 彼が別途二十人を集めて作った私企業では、この間千四百十七.三十六万元の利益を上げている。そして国家企業の方は経営がままならず、退職を強制される人が続出。八千人を越す人が北京へ直訴に行く予定。
 この企業は最新設備を投資した中国の有力企業の一つ。
 
今年六月にはやや規模の大きい事件が発覚し事件中心の党幹部五人が射殺されています。
 昨年九月には北京市の党委の書記が収賄で同様の事件を起こしたが、この書記は最高幹部なので死刑は無しとのこと。

☆ 「大連の失業」十月二九日
 
 大連市での失業について。九十五年から今年の九月までに失業した人は三十三.三万人、その中で再就職できた人三十.七万人。
 今年年末には国営企業から五万人が失業になる予定。