中国では何故富の蓄積が不可能なのか

 08/04/10 南方週末  馬宇

 アメリカに数日滞在して思ったことは、彼等は中国人と比べて本当に有形無形の財産を作るのが上手いと言うことです。
 首都ワシントンは北京と比べると、人口も面積も建築物も歴史も文化も全て北京の方が広く古く大きく長い。しかしワシントンはその狭い土地の中に15の博物館があり、国会がありアメリカ建国記念塔がある。
 その博物館には世界でも有名で貴重な展示物が数多く陳列されている。北京の故宮の方が遙かに偉大だと思う中国人が多いが、しかし、故宮の中に何があるというのだ。アメリカは単に100数十年の歴史でありながら、遙かに多数の展示物を蔵している。

 それにもっと身近なことで比較すれば、中国にあるのは「歴史的」な皇帝や神々で、それらは現実にはもう残骸のような姿でしか残っていない。

 特に庶民の生活を見れば何を残してきただろうか。

 ワシントンは北京と比べれば手のひらのような面積でありながら、”木々の茂った森や林”を数多く見ることが出来る。
 ワシントン市の中心でも至る所に木々が天に聳えているのを見ることが出来る。そこではリスが鳴いている。北京でこのような空き地が有ればすぐに家が建ち並ぶだろう。どうして彼等はあのような静かな場所を残せるのだろう。

 私は北京に住んで27年になる。郊外も市内でもどこでも知り尽くしたはずだが、しかし木々の茂った所を見るのは不可能だ。

 アメリカでは建築物も地下鉄も道路も外見は悪くても一旦完成すれば使い続ける。しかし中国では政治家の面子次第で簡単に何度も造り替えられている。

 アメリカの銀行員は簡単な地名さえなかなか記すことが出来ない。それを見て中国人は彼等の素質が悪いと軽蔑する。本当に彼等アメリカ人はそれでいて何故中国人よりも豊かなのだろうか?
 中国には朝廷廃止や戦争などがあった。そこでは莫大な財産喪失があった。しかし平和になってから、中国では富が蓄積されただろうか。

 ある人が見積もったところによると、1950年代から70年代までの中国国民の財産は70%ほどが浪費されたという。私はこの数字はかなり甘いと考えている。
 あの頃は国民そろって富を放棄し破壊した。70年代末まで中国人には暖かい飯など縁遠かった。
 アメリカ人の素質が中国人と比べて低いとしても、でも彼等は1人1人の労働で家族を養ってきた。富を蓄積し正常な消費が行われた。当然アメリカ全体の富も蓄積された。

 中国の国家と国民が投じた労働と時間を見てみれば、毎日毎日苦労してきたが、しかし中国人は貧しい。国家も貧しい。私たちの国家には富の蓄積がどこかに漏れているような欠陥があるのだろうか。どこかに財産破壊機のようなものが存在しているのだろうか。

 中国国民の年収が3万元前後(45万円)の現在、公務員達は”いい加減に”数万元を浪費している。いや数十万元、いや数百万元、いやもっともっと国民が汗水流して働いた富を浪費している。しかもそれが全く問題になっていない。

 国民は富を残すのに懸命だ。国民の方は知恵を絞り倹約し懸命に働いている。国家もこれが可能な制度に改めるべきだ。

 3月末のワシントンには桜が咲く頃だ。その美しさ・華やかさを想像すると私は自分が情けなくなる。

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 訳者注:
 1970年代までと言うのは毛沢東在世時代です。
  ”その30年間の国富の70%が浪費された。”

 この建国直後からの30年間は本当に地獄の時代ですね。
 毛沢東の「政治闘争」によって、毎年、国民の数十%が追放され、傷つけられていました。最初の10年は「敵階級打倒運動」で富を作ることなど考えることさえ許され無かった時代です。そして10年後の前回訳した「大躍進」では4000万人が餓死しました。さらに続いて「文革」が始まり、各人を相互に批判し打倒しただけでなく、交通が止まり、軍隊が破壊され、学校や生産が止まりました。毛沢東が死んでやっと悲劇が収まりました。
 このような悲惨な30年間は人類史上でもほとんど他に例はないでしょう。
 そして平和な時代を求めて法治国家を宣言しましたが、しかしここに述べられている不満は相変わらずの権力者の独裁と庶民抑圧の制度です。
 でもこのようなことを明確に新聞紙上で指摘できる時代が来つつあると言うことですね。