貴州省の女子死亡事件の裏に

08/08/07 南方週末 


「南方都市報」 より

6月28日、貴州省翁安県で起こった十数万人による公安建物放火などに見られる群衆暴動事件は、1人の少女の死を巡って引き起こされた。
 しかし街全体を暴徒化させた事件の背景に何があるのか、記者は貴州省の党書記、石宗源氏と副書記の王富玉氏に根本原因を聞いた。
 事件全体は6月22日の1人の少女の不審死から始まり、6月26日夜の暴動へと続いた。時間にして6日の短時日であった。
 現地高校2年生の李樹芬さん16歳の遺体が発見され、公安による法医学検査が終わって家族に「溺死による自殺」と連絡された。遺体の近くにいた3名は公安の査問後すぐ釈放されている。翌日少女の父親が死因に疑問を持ち再検査を公安に要求した。その翌日頃から街にはこの事件に関して疑問の噂が急速に広まり始めている。
 少女の叔父さんに当たる人が公安に再調査を要求した直後、路上で身分を名乗らない男数人に囲まれ殴打されており、その犯人は未だに捕まっていない。少女の父はその事件をも考慮して公安に「民衆が憤激している」として大至急事件の解明を要求した。
 事件の7日後、数十人が横断幕を並べて街頭行進を始めた。それが公安の建物に近づいた頃には数万の群衆に増加していた。

 少女の父親は娘の死因について現在は何も語らない。ただ娘には死因に思い当たるものは無いとのことだ。

 省の党書記は、翁安県は最近街全体の不安状態が続き、誰の話も信用できない、と言っている。

 「不安状態」とは何であろうか。

 遺体が発見されたとされる西門河の現場に居たと言われる3名に、少女の父が公安へ会いに行っているが既に釈放された後で、その実名も判っていない。
 街の噂ではその3名は「県の悪徳党書記の姪と公安所長の親戚の男性」となっている。
死因に疑問を持った父親が1日120元を出して氷の箱を借り、遺体を事件が起こった河の傍に防水布を掛けて動かさなかった。周囲は草ぼうぼうで、人気のないところである。
街の噂はここでも新しく作られて行く。夜間に近づくと少女の恨めしい声が聞こえてきたとか、あるいは少女が強姦されるときに使われた血の付いた避妊具が見つかったとか、である。
 遺体の再検査に立ち会った少女の祖母は「お腹に水は無かった、喉に丸薬が見られた」と説明している。

 少女が学校の試験で隣の少女に答えを教えなかったから殺された、と言うのも街に広まっている噂の1つだ。
 遺体には外傷が多数有った、不良青年が強姦し、首を絞めて殺した、などである。

 噂を聞いた人々で、家族に死因を確認するためなら協力しますという人々が後を絶たず、3000元を出した人もいる。ある農民は1日の野菜の売り上げをそのまま置いていった。そしてその義捐金は数万元に達している。

 6月25日、少女の叔父、李秀忠さんが公安に相談したとき、係官と衝突が起こった。官方は衝突など何もなかった、と記しているが、少女の父は告訴状を出し、公安に殴打され脚を折られた、としている。その叔父は直後また暴漢に襲われ血だらけの状態で意識不明になり、午後4時に病院で死亡している。

 このこともすぐに小さな街全体に広まり、人々の関心がいや増しに少女の死因の疑問に集まっていく。
 そして暴徒化が起こる直前の6月28日午前に公安は遺族に対し「死因は川に飛び込み溺死」と言う遺体検分書を送り、「死因が明確になったので遺体を保存する必要が無くなった。すぐに焼却すること。その処置が遅れた場合公安が法に基づき処理する」と言う通知書を送っている。

 これを見て家族と周辺の人達が激怒し、少女の同窓生達が先頭に立って街頭デモを始めた。ただしその列に家族は参加していない。

 このデモが大声を発して街頭を回り出した地域の一つに”7星村”と言うのがあった。そこは強制立ち退きを命じられた人達の仮住まいのあるところで移民村ともいう。

 この7星村については今回の事件を大きくした特別の関係があるので省の党書記に説明してもらった。
 そこに住んでいるのは、遠くの発電所建設のため追い出された4000人で、そのうち農民が3000人居る。強制疎開は2004年に始まっている。
しかし各人への補償額が1万9千元で、少なすぎるとして、省政府移民局と交渉が続いている。
 彼等住民が所有していた果樹園の1株当たり補償額が100元だが、近隣の補償はその10倍出ている。
 04年12月、その交渉に地元政府代表が現地に来て交渉が始まったが、簡単には話がまとまらず、物別れを畏れた引っ越し住民達は役人の引き上げを許さず、道路を封鎖して閉じこめてしまった。噂を聞いた他の強制引っ越し村の人達三千人ほども集まり、緊張した空気が漂った。政府役人は3日3晩交渉したが決着が付かない。4日目に武装した公安警察が大量にやってきて住民達との衝突が始まり大量の怪我人が出た。住民達は怪我人を病院へ運んだが、公安からの指令として病院は受け付けなかった。仕方なく住民達は自ら薬品を購入して治療をやり合っている。

 半年後政府は移転交渉と離して、34名の治療費として5000元支払っている。
 07年3月、政府は「引っ越し命令最後通告」というのを発し、以前の住居や引っ越し手続きの問題は今後責任を持たないと記している。

 4月には元の住居や農園をトラクターで整地し、残材を焼却している。すぐにダムの水位が上がり農園は水没を開始した。当時は果樹や作物が出来つつある季節で、みすみす農民達は涙をのんで黙るしかなかった。

 08年6月、現地には補償を受けつけない農民達が54家族残っている。彼等は電気水道を止められ、家屋を破壊された後も臨時の小屋を建て水位上昇を逃れて生活している。
 補償を受け入れた数千人の移民達も金額が低すぎるとして、まだ納得していない。

 そのような政府に不満を持った住民が集中している7星村を、少女の死に抗議するデモ行進が付近を通過した直後からデモ隊列は急速に増加している。

以前から街の安全に
   問題ある地帯を通過

 デモは少女が通っていた学校近辺に来た。学校の周辺地帯には以前から安全上の問題があることを記者は知った。

 ある省の学友と名乗る人と、ある先生の話。

 学校が退ける5時頃には毎日校門付近で殴り合いの喧嘩が起こっています。ナイフや棍棒を持ったガキどもがたむろしています。周辺には幾つもの暴力団組織があります。生徒が先生を殴ることも珍しくありません。
 暴力団に入らないと身の安全が守れないと考えるのは男だけではなく、女性も同じです。暴力団は学生から始まり、今では一般社会人の底辺を加え、その組織のトップが党役人と結託し、周辺の鉱山経営と絡んで金銭収入を拡大しています。暴力団自身が鉱山開発に乗り出しています。
 玉華郷と言うところでは水道水が白濁している。それは02年に鉱山からの汚染水が混ざるようになったためで、人間だけではなく牧畜にもその水は使えませんと、住民は言う。住民達が政府に交渉の要求をしても取り上げられないと言う。
 その鉱山から土砂が流出し近隣住民を苦しめているが鉱山は補償しないと言う。
 鉱山近辺ではさらに、水位が下がり井戸からも水が出なくなってきた。鉱山側の返答は水位の下降は自然現象だと言い張っている。また政府側も全く取り上げないと言う。
 住民達は鉱山への送電線を切断したりして抵抗したが、いまだ交渉も始まっていない。

 07年2月には新しい鉱山開発が始まり近隣住民達が交渉したが埒が明かず、住民達は鉱山の井戸を埋めたりしている。その後、地元政府が調停に来たときも住民達は役人のどっちつかずの態度に3日間引き上げさせなかった。
 4月になり解決に向けて話し合いをするという政府通達が住民達に来た。14の村々から代表が集まったところで公安が現れて11名の代表を逮捕している。住民達が公安局に押し寄せるとさらに22人が逮捕され、「政府機関攻撃罪」と言うことになった。

 現在問題にしている少女の叔父さん”謝青発”さんもこの時の集会に参加した1人だ。
最終的に前記の住民達の行為は「社会秩序混乱罪」として最長6年、最短2年の刑が確定している。

 さて話を問題のデモ行進に戻す。

 デモ隊列はこの鉱山開発と暴力団組織でもめている村々をも通過した。
 するとこのデモに参加する群衆は急激に拡大した。それを見た道路際で開業している各店は営業を止めシャッターを下ろした。数十人から始まったデモが政府機関に近づく頃には5千人を超えていたと思われる。 

 政府機関に近づく所に文峰路と言う商店街がある。そこは高利貸しが多くその背景に政府の保護を受けた暴力団が関係しているのは有名だそうだ。

 不思議なことは毎年この「翁安」街は中央政府から「革命先進地」、「全国緑化造林成績表彰地」「全省模範地区」「全省社会治安優秀地」として表彰されていることが地元政府のパンフレットに書かれている。
 だが地元のタクシー運転手は「夜の11時には暴力団の登場する頃なのでそれまでに帰宅しないと危険です」と言っている。
 また住民の1人憑中明さんは「9歳の息子が毒殺されました。しかし政府は取り上げてくれません」と泣いて訴えている。
 デモ行進の2日前のこと。6月26日、夜の10時頃文峰路の水道工事店に銃を持った強盗が堂々と表から入り「財産を出せ」と要求し、家族を3日縛り拘束したという。 賊が引き上げた直後家族が公安に電話すると40分してやっと公安が現れたという。その遅さは明らかに意図的ではないだろうか、と店主は言っている。
 昨年には中学生が校門を出たところで殺されている。今年の5月には女学生が1人誘拐されて、やがてトウモロコシ畑で遺体が発見されたが、この2件とも未だに犯人は捕まっていない。
 中学生までは子供の登校が心配で親が付きそう家庭も多いようだ。
 当地の流行言葉に「子供を1人にしたら最後だよ」と言うのがあるそうだ。

 公安の資料にも昨年4件の爆発事故が記されている。いずれも未解決だ。
 道路上の殴り合い事件が年間600回から800回起きている。

 デモ行進が拡大し政府建物に達したときその数は数万に達していた。デモの中には学生、移民関係の住民、店主、農民、政府役人、按摩さん達、公安家族、等々が含まれていた。年齢は年寄りから若者まで全て含まれ、また街全体の全ての階層を含んでいたことになる。
 デモ隊が政府建物の1階から5階まで見て回ったが交渉すべき高官は土曜日のため誰も居なかった。もし1人でも交渉相手がいれば放火などの行為には至らなかっただろうと言われている。

 デモは公安の建物に向かった。公安は隊を組んで阻止し、デモの横断幕を取り上げた。幕を巡って取り合いが始まり、激烈な殴り合いとなった。学生達が打ち倒されていくのを見た群衆が助けに行こうと前進しそれを防ぐ公安の武装隊が警棒で群衆に殴りかかった。群衆の方は手に持てるような品物、コーラ瓶などを公安に投げていた。
 群衆の誰もが「もうどうなっても良い」と言う意識になった、とデモ参加者の1人は言う。つまりその時点で制止が効かなくなっていた。そして爆発的行動、公安局内に入り至る所に破壊や放火をする行為が起こった。
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事故後、省の党書記は記者に対し、地元の治安が放置され、有ろう事か地元の党組織が暴力団と結託し、政府機関が全く市民の信用を失ってきた責任が今回の基本に有ると指摘している。

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訳者注:
 訳していて恐ろしくなりました。こんな社会が地球上に存在するなんて。しかも日本のすぐ傍で。
 やはり10万人のデモが公安を襲撃するというのは簡単なことではなく、そこに達するには相当深刻な社会問題が蓄積されていますね。

 中国の法律体系では公安や裁判所は党機関に従属しています。報道機関も。議会も。
それが社会主義思想の根本で、そのことによって理想社会に早く到達できるとされています。しかしここに登場する幾つもの事件のように、党が腐敗すれば住民にとっては争う手段が全くないことになります。
 法的に対抗するには北京に行って中央機関に訴える方法が残されていて、北京東駅に「直訴村」と言うテント村があります。しかしその採用確率は1%以下だそうです。個人では金銭的に不可能でしょう。
 日本でも江戸末期は安全が極めて乱れていたそうです。徳川幕府では社会の安全を維持できなくなっていました。それと同じ状態でしょうか。

 しかし、事件から1ヶ月以上経つのにまだ真相解明がされていません。少女が溺死ではないことだけが記されています。