病院が遺体引渡しを拒否
08/01/31 南方終末  楊支柱

 「京華時報」1月23日によると、昨年7月27日、河南省農民工の郭玉良さんの妻が出産後出血多量で「北医三院」院内で死亡。家族はその治療費53万元を支払えなくて、病院側が遺体を解剖などに使うことを要求。郭さんはそれを拒否したため遺体は未だに病院内に安置されている。郭さんは親子3代、106年掛かけて支払うことを提案。病院側はそのための保証人を立てることを要求。未だにもつれたままだ。

 中国の法律では患者の家族が代理人となることを認めている。この事件について、これが先ず病院側の過失でないとして、治療費の責任者は患者自身(張桂梅)である。彼女の夫 、郭さんではない。彼女の遺産はほとんど無い。まして彼女にはまだ労働に付けない幼子がいて、扶養の責任があった。例え遺産があったとしてもその継承者はまず扶養義務の子供と規定されている。病院側に渡る金銭はない。

 人が亡くなり、或いは企業が倒産して債務が残った場合、それは誰も如何ともし難いものだ。妻の責務を夫が継承する義務はないと法律で規定されている。親の債務を子供が継承する義務もない。それは反動徳でもない。
 では一般論として誰が責務を負うべきか。それは公的な部門で「基金」を設置し医療支出を補填すべきではないか。そうすれば病院が急を要する患者を救うことが出来る。
 
 ここには別の問題もある。例え夫の郭さんが支払い義務があるとしてもその遺体を家族に引き渡さないことが許されるだろうか。それは家族の精神的苦痛を拡大し病院側さえその保存に多額の費用が掛かる。まして社会の公序良俗を害しないだろうか。百害有って一利無しだ。法的に遺体は特殊の扱いだ。遺体を丁重に扱わないこと、その身体臓器を売買することを禁じている。
 法に反する様な形で遺体を金銭取引の「抵当」として扱うことは「遺体の尊厳保守」の法律に違反しているのではないか。

 病院側が治療費完済の交換条件として遺体解剖を要求することは、病院が遺体を商品として或いは財産として扱っていることを証明している。これが一般の取引の場合は、金銭の変わりに他の商品が適当な価値と双方が認めれば、その取引は正当だ。双方とも納得できる。

 国務院「人体器官移植条例」第3条の規定。
 如何なる組織或いは個人も、人体器官の売買、或いはそれに準じた行為をしてはいけない。
  寄稿は「中国青年政治学院法律科副教授」

 ************************訳者注:
 先ず治療費の金額53万元の高額に驚きます。月平均収入を1000元として何年かかるのでしょうか。簡単には計算できません。530年でしょうか、正に天文学的数字です。その返却に親子3代の106年掛けるというのも異常な数字です。多分、農民の郭さんにとっては真面目に考えた結論でしょう。
 (病院治療費が高額なことは中国の新聞にしばしば登場しています。)

 病院の正常運転を続けるための「基金」や保険が中国には存在しないのも驚きです。
 そして「遺体」を引き渡さない病院側の態度も文明国家として異常ではないでしょうか。本当に驚きの連続です。社会主義であった国が世界と交流するとき、このような人間社会とかけ離れた問題は必然的に現れてくるものでしょうか。

 私は遺体の引き取りで「問題」に出会ったことが一度あります。35年程前の韓国の馬山でのこと。仕事に行った工場で作業員が仕事中亡くなりました。その弁償の仕方が会社と遺族の間で揉めて、遺族は遺体引き取りを拒否して(遺体は工場に安置したまま)交渉を続けました。
 当時の韓国はまだ戦争の傷跡が街のあちこちに残っていました。だから私はこのような取引が起こった場合、公正な話し合いが行われないのでは、と言う疑問が内心にありました。
 多分補償金額で適当な折り合いが付けにくい時代であったのでしょう。しかし遺体の尊守とその実行権利だけは完全に遺族が握っていました。それが韓国では当然だったのです。そのような文明水準にあることを知って私は強く安心しました。

 中国ではまだそのような人間の「尊厳」が社会のものになっていないことをこの事故例が示していると思います。