官僚化した中国サッカー

0808/21 南方週末 肖良志

8月10日オリンピックのサッカー競技で、中国はベルギーに試合開始後1分で2点を取られ、また対ブラジルの時は攻めこむ場面さえなかった。ある人は皮肉に「中国には非正常なことが幾つもあるが、中国サッカーだけは実情を正しく反映している」と言っている。

 中国サッカーの問題は一人や二人の問題ではない。その組織全体の問題だ。特に管理する機構だけが巨大にふくれ、幹部の腐敗を防ぐための4年交替性の規約で、誰も長期目標を持たず、そこには責任を取る人さえいない。その無性任な国家管理局は膨大にふくれているが、現場の指導者には決定権は何もない。
 基本問題としてサッカーを支える国民的広がり、特に青少年の中に愛好者が出ていない。 
 これらの根本問題を改善するには発達した国家を見習って官僚機構と切り離し、サッカー協会を市場化し、民間団体として独立させ、そこに管理させることが不可欠ではないだろうか。
 たとえば近隣国の日本や韓国のように民間のサッカー協会を作り、そこは官僚機構と切り離し、職業団体として育成するのが適当ではないか。
 中国の場合、国家サッカー管理局の目標は世界大会とオリンピックだけである。そこに好成績を収めることだけが目標とされている。その成績のために上級への報告が偽装されることも普通だ。

 日本のサッカー団体は結成されて10年になる。その発展は目覚ましい。アジアでは最高の水準に達している。青少年愛好者の人口は現在150万人と言われる。それが2025年には300万人に増加し、2050年には500万人に達すると見られている。 2025年には世界のトップテンに入ると見られている。これらの成長過程、目標作成に政府は関与していない。ここが全てを国家が指導する中国との違いだ。

 中国の国家サッカー団に所属する30名の選手は、一般の「スーパーリーグ」の競技に参加さえしていない。それは管理する国家機構の役員(足球運動管理中心)がサッカーとは何かを熟知していない専門外の指導者から構成されていることに大いに関係している。
 非専門家がプロを指導する、その結果オリンピックに勝てることだけに「賭」をすることになる。
 この弊害は中国全体のサッカー愛好者、特に青少年の愛好者増加に大きな障害を作っていることだ。
 これらの問題を解決することはそんなに難しいことではない。専門家に指導を任せることだ。世界大会だけを目標にする「賭」を止めることだ。

 中国の青少年愛好者は1995年には65万人居たと見られる。それが2000年には61万人に減少し、05年には18万人、現在は3万人くらいか。この激減は何か。
欧米諸国ではその数が1000万人は普通だ。日本は250万人を目指している。人口13億人の中国でこのような極端に少数の愛好者しか居ないことは他国の人には理解を超えている。
 その根本原因は国家サッカー管理局がオリンピックしか目指してこなかった所にあるだろう。

 今年の6月、中国は「サッカー青少年育成法」を作成した。それは有る程度青少年の愛好者を育てるかも知れない。しかし、その目標がオリンピックだけなら、その成果はやはりごく少数のものにしか成らないだろう。

 日本では小・中学の体育教科にサッカーが有り、それが愛好者拡大に大きな役割を発揮している。そのことを中国も大いに参考にすべきだろう。
 
 金メダルの数は何を意味するか

南方週末編集部
 まさにオリンピックが終わろうとしている今、中国の金メダル獲得数が世界一を得ようとしている。その数を持って国力を推し量る人もいる。かってソ連は1980年に全体のメダルの3分の1を獲得し、直後崩壊した。

 メダルの数は国力を反映し、中国以外の多数の国家は発達した国家で、その国の経済をも反映している。中国の「新浪報道」は、それから見ても、金メダルは「国富・国強」の結果だと主張している。
 その反対に「いや体育競技はあくまで体育の分野であり国富には比例していない」とする見方も出ている。
 また、昔と違って現在では体育も政治そのもので、その民族の力であり、世界に中国を見直させる大きな意義がある、とする見方もある。 

 確かに金メダルにこだわるのは何も中国だけではない。これまで多くの国がオリンピックのメダル獲得に力を注いできている。どこの国も体育競技を通じて国家実力養成に努めてきているのではないか。西洋国家群が中国のメダル数を見て中国を見直すのも事実であろう。
 しかし本来オリンピックは体育競技を通じて各国国民の健康と幸福を増進させることにあることを忘れるべきではない。

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訳注
 南方週末の先週号には中国のプロ野球団体が2002年に結成されたが、愛好者が急減し、各団体の支援が消えつつあると書いています。
  
 私の翻訳でもオリンピック目指した卓球の合宿中に恋愛がばれて、「国威発揚の邪魔」として追放された記事がありました。
 
 国家級の優秀な体育少年を育てるために中央から来た役人が地方を視察して、学校長の約束を得ますが親の許可も取らず、「親にとっても名誉なことだ」として子供を北京に連れて行くのもありました。
 身長の高い選手を育てるために子供を作らせる話も有ると聞いています。

 そして中国は今回のオリンピックでは相当の成席を納めました。世界から高い評価を受けていることでしょう。アメリカなどでも、もっと国家から援助資金を出すべきとの記事を見ました。
 しかし中国の内部にはこの記事のサッカーのように、上手く行かない面も有るようです。その矛盾を一言で言えば「国家第1」という所にあるようです。

 10年前までは子供達が自分でサッカーボールを買うことは大変困難だったでしょう。それ以上に子供達が集団行動すること自体、党の許可を得るのに大変だったと言う統治の問題もあります。
 
 国家級の選手になるためには10歳までに選定される必要があり、それ以降の年齢は単なる「お遊び」以上には成れない、と言う制度にも大きな制約があります。
 スポーツに共通の問題でもありますが、「国家級」しか陽が当たらない、とういう思想上の問題です。
 国家で強力な選手を育てるか、それとも民衆レベルの広範な体育・健康を向上させるかという問題が中国などの社会主義機構の根本問題です。

 体育分野の問題が、見事に政治体制の欠陥を表現しているのでは?