愛国心と恥

08/05/29 南方週末 「天益社区」(http://bbs.tecn.cn)から転載

 今から10年前の1998年の5月、インドネシアで「中国人排斥運動」が起こった。

 同じ1998年5月8日、アメリカによるユーゴスロバキア共和国への誤爆として現地の中国大使館が攻撃され中国の新聞社の人たちが亡くなった。中国政府はそれを大きく報道し外交面でも強烈に抗議した。同時に青年達に呼びかけ愛国心に訴え、公営と民間の両方の名前で参加できるところを組織し、アメリカと北米条約国を非難し、「西洋人は中国を軽視するな」と声高に宣言した。それは政府主導の強烈な愛国運動であった。

 5月8日午後、北京高校の学生達は党中央からの呼びかけに従って、アメリカ大使館めがけてデモ行進を行った。そして広州や審陽や上海、西都などでもアメリカ領事館めがけてデモ行進が行われた。

 翌日の9日には全国で、政府の命令で工場や企業、各種団体などが「愛国抗議行動」を決行した。当時私は国営銀行にいたが、アメリカ主導の行動を強烈に非難するデモと集会を行った。それらはテレビで全国に報道され、大きな成功と誰もが感じた。
 これらの活動を通して私や友達らは「愛国運動」は”簡単だ”と思った。

 ところがその1週間後にインドネシアで起った世界を震撼させた「中国人排斥運動」は報道も禁止され、もちろん愛国のデモや集会も禁止された。
それで私は「愛国運動」とは何であるか、大いに疑問に思ったのである。

 5月13日、スハルト大統領統治下のインドネシアで1500名以上の華僑が襲われ石で頭を割られたり強姦されたり住宅に火をつけられたりして、20万人の華僑が逃げ場を失うという凄惨な事件が起こったのである。

 この事件が最初にニューヨークタイムズで報道されるとすぐに台湾政府はインドネシアの華僑救済の飛行機を飛ばした。シンガポールは避難民受け入れの飛行場を24時間営業した。アメリカはこの事件を「民族差別」として非難し、領事館内に華僑を受け入れ保護した。世界がインドネシア政府を非難した。

 ところがである、華僑の祖国である中国政府は国際上は如何なる手段を取らず、中国内ではその報道を禁止したのである。

 ユーゴで3名の中国人記者が誤爆で殺されたときは中国国内で大規模の抗議行動の愛国運動を呼びかけながら、他方インドネシアで少なくとも1500人が殺された事件に対しては何の抗議もしない中国政府をいったいどう形容したら良いのであろうか。

 この2つの外国での事件を私たちは永久に忘れないであろう。
 1週間前にはアメリカへの強烈な抗議行動を通して「愛国」の大切さを知らされ、その1週間後にはインドネシアでの凄惨な虐殺行動を黙認する行為は、「愛国」というものを大げさに考えることの馬鹿馬鹿しさを教えられた気がするのは私だけだろうか。
 
 現在行われているオリンピックの聖火リレーや、これまでも数多く行われてきた愛国運動は政府主導のものであり、洗脳の一種であり、その本質は「反外国」を目標にした「愛国運動」である。
 最も有名な1919の「五四愛国運動」もその一種であった。
 その「愛国」という言葉に「恥」を感じるのが普通ではないだろうか。

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 訳者注:
  新中国誕生後、一つは中国自体が諸外国と比べて相当文化的に遅れていたので、外国に対して被害感を持って、「反外国」で愛国運動を繰り広げました。
 同時に社会主義思想から、外国は「ブルジョワ」だといって「反外国」運動を展開しました。
 そのような愛国運動で自覚が高まることもあります。自国を見直し文化を高める意識を育てることもあります。
 特にアメリカはブルジョワの頭目だと見なして強烈な「反アメリカ」の運動を展開してきました。
 インドネシアとアメリカとを区別する必要が社会主義思想には必要だったのです。自国民の殺害を無視しても。

 「文化大革命」も毛沢東による「愛国運動」で、階級敵を倒すことが至上命令で、そこには人権や人間の命の尊さは全く無視されました。
 そのような国家による「愛国運動」が基本的な「個人」と「人権」と関係なしに展開されて、本当に大切なものは何かを考える力を育てなかったのです。 
 今大地震という体験を通して、「愛国」や「反外国」という思想が何を大切にしていたかを、中国人全体に突きつけています。
 
 それにしてもこのような記事を公表できるというのは信じられない感じがします。
 社会主義中国の国家体制を明らかに否定していませんか。