誘拐少年達を、現在公安が調査中

07/06/14 南方週末 朱紅軍




  羊愛枝さんと失踪した子供達の写真     




煉瓦工場で少年がこのような大火傷


 この数ヶ月、山西省で煉瓦工場に誘拐され強制労働させられている少年達の噂が広まっているが、河南省にも1000人以上の少年達の家族がいることが解り、大騒ぎになっている。

 100人以上の家族が協力して山西省にある数百の煉瓦工場を探し回っている。
 6月9日から12日に掛けて河南省では公安も行動に加わり、29名の未成年者達の救出を成し遂げた。

 46歳の一人の母親が温家宝総理に次のような直訴の手紙を書いた。
 「今子供達が悪魔にさらわれ縛られて地獄の生活をしています。どうかお助け下さい」

 この手紙には1000人程の家族の願いが添えられている。

 07年6月11日に、羊愛枝さんは上記の手紙を書いた一人だ。
 彼女は子供を取られた家族達数百人と協力して煉瓦工場を調べて廻った。

 最初に幸運なことに6人の子供が発見された。その中の一人の17歳の少年は身体中に火傷の傷跡があり、脚は変形していて担架で救出された。

 07年5月に先ず「河南省テレビ」がこの事件を報道した。それを見てテレビ局に問い合わせに来た家族は1000人を超えた。

 テレビ局の担当記者は少年達の余りにも悲惨な状態に言葉が出ず、「悲惨きわまる」「口で表現出来ない」と言う言葉を何度も使っていた。また「現場の悲惨さは永遠に忘れられないでしょう」とも表現している。

 本紙記者も山西省と河南省に出かけた。

07年3月8日に前述の羊さんの16歳の子供が失踪した。
 街中の若者が集まる所を捜した。数千枚以上の張り紙を街に張った。ほぼ絶望に陥った3月末、彼女の家に電話が来た。
「私の家の2人の子供が有る煉瓦工場で働かせられていましたが上手く逃げてきました」と言う内容だった。
 4月に入って羊さんは各地の煉瓦工場の調査の旅を始めた。そして煉瓦工場では全く信じられない、この世の地獄と言える悲惨な状態を目撃したのだ。

「私は100以上の工場を調べました。そしてどの工場でも子供達が強制労働させられていたのです。子供達は衣服だけは学校に通っているかのように制服でした。でも裸足で、工場内で煉瓦を運搬し、しばしば監督員に鞭で叩かれていました。」
 有る子供は監督員の目を盗んで”私を連れて逃げて下さい”とか”この電話番号の家族に連絡して下さい”とか、そっと告げるのだった。
 羊さんは子供を引き連れて逃げようとしたとき、監督員は棍棒を振るって彼女を追い出した。
 彼女は個人の力では何も出来ないことを悟った。その頃は新聞紙に”我が子”探しの広告が多かったので、直ぐに6家族が協力することになった。
 4月20日、その家族達は各地の公安に協力を申し出た。公安の建物に入り家族達は誰もが泣いて請願した。ついに公安は救出に出ることを約束した。

 そして直ぐに効果が現れ数10人の子供が救出された。

 その中の一人の母親、”桃”さんの場合。
3月6日の朝、15歳の息子が学校への途上誘拐された。知らない男が「紙箱を運ぶ仕事を手伝ってくれ」と言って無理矢理車に押し込んだという。そしてある煉瓦工場に連れて行かれた。1週間働かされて子供は逃げようとして見つかり、違う工場に売り飛ばされた。
 5月初め、その母親は幸運にも息子を発見した。2人は抱き合って泣き合ったという。

 だがこのように上手く子供を捜した家庭は少ない。
各省には無届けの煉瓦工場が数多くある。家族の力では調査が壁に突き当たった。そこで家族達はマスコミに訴えることにした。

 民間人で出来るか

 5月9日「河南都市報」と言うテレビ局の記者、”付”さんが家族と共に各地を捜して廻った。その時の写真やビデオを報道すると、見た人達から怒りの声が怒涛の如く新聞社に寄せられた。
 例えば山西省の六母村の周辺には4つの工場がある。そこではどこも20人近くの子供が働かさせられていて、最年少は8歳。彼等は工場の機械の前で寝起きしている。出身地を探訪者に聞かれると、監督の方を盗み見て恐怖の顔をして何も応えられなかった、という。
 
 マスコミ報道を工場主達が知ったようで、子供の居場所を変えたり、誰かが工場に近づくと大きなラッパを鳴らして警戒するなどの処置を取るようになった。テレビ局の話では確認した子供達の数は200人を超えるという。

そのために民間人の捜索はほとんど不可能になった。

 テレビの報道で我が子の姿を確認した1人は直ぐに自身で工場へ出かけた。しかしその子供は他の場所へ移されたようで確認出来なかった。 警察官が工場主に聞くと「我々の所にはそんな子供は居ないぞ。証拠を持ってこい」と声高に怒鳴りつけた。

 16歳の1人の少年は48日の強制労働の後救出された。警察が立ち会い、子供に700元を支払って釈放した

4月27日、別の朱という16歳の少年が救出され、警察が立ち会って工場主に600元を支払わせた。そしてその少年を警察が家庭へ送り返す途中のこと。労働局の観察員が途中下車を命じ、他の煉瓦工場で働くことを”紹介”。紹介費として監督員は工場主から300元を貰っている。1ヶ月の強制労働の後、家族が知るところとなり、テレビ局が立ち会って真相を確認。仕方なく労働局監督員は所得したお金を家族に返している。

 この少年の話はまだ続きがある。家庭に到着の寸前、再度少年は姿を消し、その行方は解らない。

 そのことがテレビで報道された5月末、テレビ局には質問の電話が数千回以上も寄せられた。子供が行方不明の家族達がその子の写真を添えてテレビ局に送ってきた。彼等は街に集合場所を決めテレビ局の協力を得て集団で捜査を始めている。だが1000人を超す行方不明の少年の内、現在までに救出されたのは40人程だ。

強制労働現場の実態

 救出された子供達が工場内部のことを話し始めた。ほとんどの工場は後ろが山で3方面を土塀で囲い、工場入り口に犬を飼っている。 入り口に監督達も常駐し、ドアは鎖で閉鎖している。
 工場は人里離れた場所にあり子供達が何処へ逃げたらよいか迷う場所だという。

 17歳の張という少年の場合。
今年の3月に誘拐され、6月8日に救出された。その3ヶ月の間少年は工場で働かされたが、まっ赤に灼熱した煉瓦を3人の少年達が運んで大やけどをしたことがある。しかし工場主は病院には行かせず、軟膏を塗っただけである。さらに黄土を傷口に塗りつける方法を強制した。もしその方法を続けていたら命が無かったであろう、と医者が言っている。
 
 5月末になって警察が工場の人口登記を始めた。その手続き調査で張という少年が救出された。少年の父の話によると「この子の反応が鈍く、言葉も上手く話せないように変わった」という。
 しかし記者が少年と話しを続けて、以下のような地獄のような残酷な実態が解った。

 少年達は朝5時に起床、夜は12時まで労働。3食は冷えた蒸しパンと生のキャベツやにんじんの混ぜたもの。この3ヶ月肉類は食べたことがない。監督達が肉を食べビールを飲んでいるのを見た。水が無く3ヶ月風呂は無し。顔も洗わず、身体にはシラミだらけ。工場の荷物の上で睡眠。飲み、食い、トイレ、全て工場内部で済ます。
 現場を見た家族達は工場内がトイレの強烈な匂いで吐き気がしたという。

 誘拐されたときは、月に800元払うという約束をしたようだが、少年達が救出されたとき全く一文無しだった。
 6匹のどう猛な犬が工場外部に飼われていて少年達の逃げるのを防いでいた。
 一人の少年が逃亡を図って見つかり半死の状態に殴られたという。
 警察が救出した数人の少年の内8人はその被害者で、精神的反応が鈍く障害者となっていた。 
 今年の春節の前、2人の少年が殴打されて埋められたが、それを見ていた少年達の話によるとまだ息があったという。
 劉という少年が6月6日煉瓦工場主にスコップで殴り殺されたことを警察が確認し、犯人を逮捕した。

このような悲惨な工場は何時頃から始まったのか

記者は多くの家庭や少年や警察などを採訪した。そしてこれらの悲惨な、少年達を売買する非合法な労働現場は約10年前から始まっていたことを突き止めた。
 16歳位になると一応の労働能力がある。同時に簡単に威嚇強制出来る。そうしてぼつぼつと誘拐売買の仲介者が増え、闇工場も増えていったようだ。

 誘拐する仲介者は各地の駅頭で人混みに紛れ、「高級の仕事紹介」と言う名目で人に近づく。実際は明確に少年を脅迫して縛り付けて車などに連れ込む方法が多いようだ。早朝に「ちょっと手伝ってくれ」と言って少年を騙して車に連れ込む例も多い。
 
 記者は救出された少年に聞いて、駅頭で「仲介者」が利用する建物を観光者を装って調査した。2階建てでどの部屋も窓は閉まり、省外から来ている人が多く、一目見て治安の悪い場所と見えた。
 そこに一人の少年は24時間拘束され、6人程子供が誘拐されてくると窓の閉まったワゴン車が来て少年達を運んでいくのだ。
 そこから河南省や山西省の各地に運ばれる。仲介者は同郷の少年達をばらして別の工場に売り込んでいる。少年同士に仲間が出来ないように配慮しているようだ。
 工場に売られると工場主は少年の荷物を隠し、逃げられないようにする。呼び名を変えることもやる。公安の検査を恐れてか工場主は常時少年達を仲介者を通して他の工場との間で売り買いしている。

 ここで重要な役割をしているのが仲介者で、工場検査などがあるらしいという連絡が来るとすぐに仲介者が呼ばれ、少年達を連れ出し、他の工場へ転売するのだ。趙海洋という少年の場合、最初に売られたのが河南省王村と言うところ、しかし彼が逃亡を図って見つかった後売り飛ばされたのが山西省の魯村というところで、その間の移送に数日要している。それは彼ら仲介者の間で、家族の調査の目が光り出したことを警戒していることを表しているようだ。同時に仲介者の連絡網が形成されていることをも示している。

誘拐業者の暴利

 記者が調べたところ、仲介業者は一人の少年の誘拐で400から500元の紹介料を得ている。そのことを少年の一人が目撃したという。
 5月に鄭州駅頭で逮捕された仲介者の携帯電話で工場主に電話すると、相手はすぐに値引きの交渉を始めた。
 
 山西省は粘土層の多いところ。炭鉱経営と比べレンガ工場は投資原価が極めて少しで済む。だが人手が多く必要だ。公的届けを逃れるために仲介者を使って「請負生産形式」を取ったりする。 
 山西省のある工場主の父が現地党書記だ。従って公的届けは完全に省略されている。
 名目上の経営者を造り、その人から市場価格の約10分の1で買い取る形を作っていた。
 もちろん、仲介者より工場主の方が利益は10倍以上多い。そのため仲介者はより大きな利益を上げるため、未成年者や障害者等を探し売りつけているのだ。 

 だが、家族達が全体像を知るようになってくると、これらレンガ工場経営の全体を保護している権力のようなものを感じ始めている。
 
 いくつかの省に跨る捜査が完了

 6月9日から12日にかけて河南省は全省に対して「誘拐強制労働撲滅統一行動」を展開した。
 この行動で未成年者29名、障害者10名、が救出された。工場主や仲介者など「犯罪嫌疑者」58名を逮捕。その他嫌疑者62名を登録した。
 その翌日記者が公安庁で聞いたところによると、「自分の家庭の子供のことと考えて、人々の心配を充分に考慮して行動し、公安機関の信用を高めることが出来た」と統一行動を評価していた。
この行動に当たって公安当局では捜査の担当部は「偵察係」か「治安係」かの内部の責任逃れの争いがあったと漏れ聞いている。

山西省でもそのごく一部の地域で公安の捜査が行われ、上記河南省と両公安部は中国中央政府に対して大成果があったと報告を上げている。
 だがある幹部は記者に、今後再びこのような大量の誘拐事件が再び起こらないようにするには、もっと徹底した中国全体での公安庁の行動が必要ではないか、と漏らしてくれた。
 
 前記、羊愛枝さんの子供は現在まだ見つかっていない。その他多くの家族達がこれから「いつか我が子を見つけるために」、中国という大海を探し続ける決心だと言っている。

 文中少年の数人の名前は仮名

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  訳注注:

 10年前から始まったこの奴隷より酷い誘拐強制労働。今年の3月、1人の母親が自分で調査を始め、6人の家族が協力し、テレビ局が報道し、1000人以上の家族が居ることが解り、6月になって中国中央の胡錦涛が捜査を命じ、家族が公安に泣き込み初めて公安が動き出し、河南省公安庁が「大成果」を上部に報告して終わり。

 1990年代中頃、(今から10年前)公道で水道管が破裂しても地方政府は住民から直接の連絡が来ても修繕の手を打たなかった。そこでテレビ時代を迎えて、「何でも報道する」番組が人気を呼び、住民は公的機関に届けずテレビ局に電話し、公衆の目に事件が触れて初めて担当部署が動き始めました。それが社会主義です。見事な位強固な恐ろしいほどの官僚体制です。

 現在も公的機関が自らは動かないことは全く変わっていないようです。

 子供が誘拐されている事実を掴んでも、テレビで報道しない限り公安は動かない。動いても有る適度の成果を上部に報告出来れば「大成果」として、捜査は終わります。

 社会主義の官僚機構は解りますが、地方政府の監督官が300元で子供を転売していることをどう理解したら良いのでしょうか。(政府の公務員は全て党員です)
 さらに、無届けの奴隷労働経営を最高権力者の党書記が許可していること。

 現実に奴隷の様に子供達が誘拐されていても、捜査を何部署がするか争う警察体制。 
 まさに21世紀の歴史に残る残虐な破廉恥体制です。
 
 この記事にも臭わせている「誘拐事件の全体を保護している権力機構」を親たちが気づき始めている、と言うところは具体的には何を物語っているのでしょうか。
 
 「大地の子」で山崎豊子が女性の奴隷状態を見、主人公の妹として描きました。それは1980年代の半ばでした。
 建国から50年以上経っても人権や民主主義が発達しない恐ろしさを感じます。
 もし社会主義にインターネットやテレビがなかったら全くの暗黒社会です。








もし子供が誘拐されて
いなかったら今頃は大学生