闇レンガ工場を解決したのは女性


07/07/12 南方週末 朱紅軍(河南省)

 07年6月5日、辛艶華と言う一人の女性が「400人の親たちが毎日泣き暮れて子どもを捜しています。誰か助けてください」とウエブサイトに”中原老皮”と言う署名で掲載した。
 それが今回の奴隷工場事件解決の発端を作った。
幸いなことに彼女は文字の読み書きが達者で、夫はインターネット関係の仕事をしていた。
 この呼びかけが無ければ事件は解決しなかったかも知れない。
 そのサイトを多くの人が見に来たが具体的な連絡はなかった。2週間して再度彼女は「再度400名の親たちの連名でこども達の救出をお願いします」と掲載した。
 
後日、南方記者が山西省長に聞いたところでは、この時点でウエブサイトの掲載者の調査を始めたと言っている。
 7月6日、彼女は本紙に本名を明かした。河南省鄭州に在住。現在32歳で青少年教育の仕事をしていた。彼女の16歳になる甥が誘拐され、その救出活動で「山西省レンガ工場」を知り、幸い甥は救出された。そのことで多くの失踪した子供達を探す親たちが居ることを知り掲載を始めたのだ。

 07年4月始め、甥は親と喧嘩して家を飛び出した。鄭州の駅頭辺りで行方不明となった。後で分かったことは、この時騙されて誘拐され山西省永済県のレンガ工場に売り飛ばされていた。
 丁度そのころ、河南省のテレビ局の記者が子供を捜す親たちと一緒に山西省の山間を調査していた。
 5月26日、数人の誘拐され奴隷状態で働かされている2名の子供達を救出した。その中に甥は居た。そして辛さんは甥に面会したが、甥の顔は痣と傷だらけで、頭は髪が伸び放題、目はうつろで、まったく見分けられなかったという。そしてレンガ工場での恐ろしい状態を聞き知った。辛さんは捜索に出た親たちに謝礼金を渡そうとしたが「お礼をしてもらうために動いたのではありません」と言って誰も受け取らなかった。何度も頭を下げる辛さんに親たちも甥もただ泣き崩れるばかりだった。
それ以来辛さんは何とかして困っている親たちの力になろうと決心したのだ。

 メディアに頼る

 多くの家族達がこども達の救出に必死になったが、しかし大海の中を探すようなものでまったく見当が着かなかった。そこで最初に河南省の担当部署に相談した。当局は「恐らく他の省のことでしょう」と言うだけだった。
 辛さんの夫はかって記者だったことがあり「報道機関に相談しては」と提案した。
 河南省のある新聞社が翌日簡単な記事を掲載してくれた。しかし反応は全くなかった。それ以降も手当たり次第に他の報道機関に相談を持ちかけた。だが何の進展も得られなかった。

 ウエブサイトだけが

 最後の残った方法がインターネットだった。河南省のテレビが報道して以来400名の家族が子供探しに集まっていた。
 ウエブサイトに掲載するために、辛さんはペンネームを使い、他人のパソコンを借りるなど注意を払いながら掲載をした。
最初は「新華社」のページに伝言の形で投稿した。だがそこは「内容が敏感」として掲載を断られた。
 6月6日、最後に「大河論壇」と言うところが掲載を許可してくれた。返信場所は夫のものを借りた。 
 掲載翌日の6月7日、都市テレビがそれを報道した。6月18日にはそのサイトを見た人の数は30万回を超えた。それを転載した「天涯社」のサイトでは58万回に達した。 こうして中国全体に関心が広がると同時に報道機関が動き始めた。南方週末記者も採訪を開始した。
 国家の最高指導部も反応を示し、山西・河南両省の地方政府に対策を命じた。こうしてこの事件に公的機関が動き始めた。  

こうして救出運動が盛り上がった直後掲載者の辛さんは身を引いた。メディアとの接触を断った。その理由は「私はただ困っている人たちを助けたかっただけです。自分自身はこれ以降何も出来ません」ということだった。ただ子供を捜す家族とは連絡し合っていた。そして山西省の大捜索が始まって1人の子供が救出された。

 6月末、メディアの報道も下火となり、子供達の救出は進まなかった。
 辛さんは捜索の家族達から、「誘拐されたこども達はメディアの動きを知って他の地方に仲買人によって売り飛ばされているようだ」という情報を聞いている。

そこで辛さんはもう一度ウエブサイトに”400名の親が探しています”と掲載した。返信には二人の報道記者を指定した。
タイトルには「山西省の失踪子供達の救出運動に不満」と記した。
 そこで省長は公安に対しウエブサイトの掲載者を探し、更に徹底した調査を指示した。

 掻き乱された生活

 辛さんの生活は平静を保てなくなった。彼女は家を出て友達の家を転々とし、携帯電話の番号を何度も変えた。公安はサイトに掲載した公司を探して発信人を見つけようとしたが、結局探せなかった。
 その間実行された山西省公安当局の捜索で359人を救出した。その内児童は12名居る。
 ウエブサイトには辛さんの行動を「他の目的で名前を宣伝している売名行為だ」、とか「大袈裟すぎるぞ」と言う非難の文もあったが、救出された子供の数は400名の数にほぼ匹敵している。
 辛さんは南方の記者に「私のお願いしたことに嘘はありません」と言うことを強調した。
 7月7日、辛さんは南方の記者に400名の家族の名前を提示した。その内3分の2が河南省人で、成人した人もいる、童子もいる、未成年者もいる。
 こうして今辛さんは「これからは身を隠すことなく安心して街を歩けます」と記者に手紙をくれた。

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 訳者注:
 
 6月始め中国の中央政府が捜査を指示したとき、それを日本でも報道しました。しかしその時の捜査の結果は家族達にとってはこの記事のように「不満」なものでした。それは前々回にも訳しました。
 また、地方政府が児童の転売に直接協力していた記事が南方週末に翌週掲載されました。

 そもそも400人もの被害者が居ながら何故最初から公的機関に相談しないのでしょうか。そのことは私たち日本人には理解できないものがあり、中国政府というものの信用度が根本問題でしょう。

 国営の最大の報道出版機関である新華社が「敏感な問題」として掲載を断るのも不思議な国家です。
 国家機関は国民の税金で運営されています。そこが国民の緊喫な問題解決に役立たないなら、税金の無駄使いというものです。

 8月13日夜、NHKが再度報道したのによると、救出者は1000名を超えたそうです。そして工場主が党書記であったり、公安とグルになっていたことが分かったと報道されました。
 1000名を超えると言うことは、これだけ大きく報道され全社会的問題になっていても名乗りでない親が大勢居るということでしょうか。