と小平死後10年

07/02/08 南方週末 編集部

 1997年2月19日、と小平同志が死去した。そして、あっという間に10年が過ぎた。
 中国の改革開放の指導者であり、勇気と計画を持って国家を世界も驚く開けた国に進化させた。30年の改革開放は中国の様子を一変させた。中国に平和をもたらし、世界から注目されるまで引き上げた。

 と小平死去後この10年間に開けた国家に向けて進歩させ、世界金融危機を克服し、大洪水と鳥インフルエンザなどにも対処出来、経済は以前として急速な発展を続けている。
 国内も安定し、それは世界から信頼を寄せられている。「改革」は安定の段階に入った。今後如何に複雑な状況に逢ってもそれに対処出来るだろう。そして貧富の縮小や政治体制の改革という難題にも対応して行くだろう。

 この様な時代の発展を受けて私達は、と小平の深い思慮と心の神髄を思い、改革をさらに一歩気概を持って進化させ続けるだろう。そして国民全体が協調出来る社会を建設するだろう。現代化を進め民族の偉大な復興が可能となるだろう。中華民族の”富民強国”が数百年ぶりに再現されるだろう。それが具体的に期待出来る世の中になりつつある。




    2004年8月16日、上海の展覧会で

********************************

  訳者注:
 1992年深セン市で「豊かになれる者から豊かになろう」と言う言葉を発し、それが社会主義の進歩のない構造と国内の内乱状態を終演させて中国が発展の路を掴んだとして同市に巨大な看板で飾られています。
 その2年前天安門広場の民主化要求の学生達に、と小平は戦車を投入して虐殺させたので、世界の経済封鎖を受け、翌年のオリンピック開催国の提案を拒否されました。
 そこで上記の深セン市の発言となりました。

  しかし記事のどの言葉にもその裏があり、深刻さが滲み出ています。
 例えば鳥インフルエンザの対応を遅らせ周辺国特に台湾に巨大な迷惑を掛けたのは、党幹部の保身や社会主義的官僚主義のためです。
「国民協調の世の中」と言う言葉を農民が聞いたら罵倒するでしょう。