重慶の強制立退き事件

07/03/29 南方週末 張悦









   この写真のみ「中国新聞週刊」からコピー


 地元政府の立退き要求を拒否している楊武さんは自宅に閉じ籠もってからの7日目、取り囲む群衆を見下ろしながら叫んだ「俺は市長と交渉するぞ」。そして数人の記者に電話をした。「俺は重慶の楊武だ。市の書記長汪洋に会わせてくれ」と。
 現在政府は近隣に対して写真を撮ることを禁じている。まるで古代ローマの闘牛場のように、群衆は歓呼を上げ事件の行く末を見つめている。詰めかけた群衆は時々「頑張れ」と声援を送っている。
 近づく取壊し隊を恐喝する様に拳を振り上げていた姿も、今では次第に疲れて来ているようだ。
 3月末になって、報道陣は中国はもとより全世界からの記者が集り、孤島化した楊武家の行く末を見守っている。
20年前、楊武は地元の拳闘王として名を挙げていた。だが現在は既に51歳。実際、ロシアから来ている拳闘家のモシロフとこの孤島で対決したいと彼は申し込んだ。しかし相手はそんな高年齢の人と戦えないと拒否している。
 楊武の孤島は地上17メートルに聳えている。周囲は既にブルドーザーで工事が進められているのだ。しかし彼は誰も近よらさせない。近づく工事の人に対し「来たら殴り倒す」と宣言している。
 
 3月22日までに自宅を空けることと、地裁は制定を出している。
 楊武の元には妻と彼の弟が窓から下ろされたロープにつるし上げる方法で必要な品物を届けている。
 
 楊武が国旗を振り上げて抵抗する姿は中国のインターネットで何種類も見つけることが出来る。

 楊武の妻、呉平が取り囲む報道陣に毎日午後一番に説明役をしている。
 彼女は「私達は法律を守ります。自分の合法な権利を主張します」と繰り返している。「私には誰も見方は居ません。ただ、法律だけが見方です」と言う。

 この数年、立退きが頻繁に行われるようになって、彼女は猛烈に法律を勉強したらしい。既に請負業者との争いを法廷に持ち込んで勝訴した経験もあるという。しかし彼女は法廷闘争は損だ、という。裁決までに数年掛かり弁償を貰っても合わないとの理由だ。
 彼女は自分の素性について次のように記者に説明している。
 「私は立派な家庭環境で育ち、高校卒業後は法律と商業の勉強をし、文学に趣味を持ち、ピアノも弾ける」。
 
 今回の訴訟をしたとき、高裁の副院長と知り合いだ、と触れ込んでいる。

 記者が彼女の「档案」を調べてみると、彼女の言うところとはかなり異なる。
 即ち、父は重慶市の家畜市場で働き、母は在る飲食業に勤めていた。政治評価は”群衆”となっている。父は中国解放以前は国民党の中尉で、そのため彼の政治評価は相当悪い。
父が幹部学校に入れる可能性はない。
 
 訳注:”档案” 社会主義になって作られた全国民の評価書類。出身階級、政治評価などが記されている。職場や地域の党が管理。

 彼女自身は77年に在る百貨店で働き、結婚後は個人商店を経営している。

 楊武については地域の住民委員会が次のように教えてくれた。
 彼の父は子供の頃から個人商店で働き、卵を売っていた。彼の母は飲食店で働き、家族一緒に暮らしていたが、一昨年両親は共に亡くなっている。亡くなるとき「祖先から受け継いだ家を絶対大切に」と言い残したようだ。
  
 楊武には66歳の兄が居る。以前は地元政府の公務員。現在は退職している。彼は「私は弟の命だけが心配です」と毎日現場へ来ている。
   
 この土地開発を請け負っているのは政府直轄の業者ではないと、市の管理当局は言う。
 だが実際は業者の法定代表人は当区政府の副書記長。政府の処理掛も担当していた。開発業者は、今回の工事は国家的企画の1つとして規則に則り実行する積もり、と言っている。
 
 この事件の歴史は長い。93年に楊武が建家が古くなったと考えて改修した。近隣と比べて目立つ程新しい造りだった。その時、1回目の立退き命令が出た。周辺の家は建家が古く危険でさえあったので、賛成する人が多かった。しかし交渉が始まると計画側の資金不足で話は中断した。
 11年経過して04年再発。政府の補償額は市場価格の7割となっていて同意する家庭はなかったが、価格に積み上げがあって楊武以外の家は立退いた。

 開発業者と呉平さんとの間で3度交渉が行われたが開発業者側が提案している350万元が低すぎると言うことで妥協成らず。
楊武側は同じような道路に面した家業を続ける場所があれば応じるという態度のようだったが、業者は既に電気・水道だけではなく道路も切断した。それで交渉はその間の楊武家の商売停止に対する補償も含むこととなった。その損失だけで100万元を超すと見られている。
 さらに開発側が建家破損したことと、それによる盗難が起こりさらに被害は大きく膨らみ、交渉は複雑になった。
 
 だが現在の交渉を見て、既に立退いた人達の中には、楊武さんが粘り甲斐があったと見ている人も居るようだ。
 
 一度妥協が成立しかけたが、業者の「公司」の印鑑が信用出来ないとして楊武さん側が署名を拒否。万一補償が出ないことになったとき、この印鑑では訴訟出来ないとして拒否している。 
また開発業者の代表が現地に来て直接に会うことを楊武さんが要求したが、企業側は代表は体が弱いことなどを理由に拒否している。
 楊武さん側は協定提案の言葉を信用するかどうかで相手を見計らっているようだ。
 今中国で法律化されつつある「所有権法」が具体的に如何に実施されるか、国民は固唾を飲んで見守っている。
 
 
以下はインターネットから得た事件の続き

 4月2日法院の立ち会いで協定が成立。
補償額は現土地評価額247万元、3年間の個人商店営業損額300万元、それらに46万9千元追加し、盗難や営業損害補償として90万元を加える。  

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訳注:
 この事件は既に日本のテレビでも報道されたようです。
 社会主義で初めてお目に掛かる「個人の権利の主張」。

 新中国で法律の必要なことが認識され、学校教育や民法や各種刑法等々が整備され始めたのは1980年代になってから。それまでは階級敵が無くなれば社会の全ての矛盾は無くなると考えれていました。そして極めて支配者の恣意的な判断で処分や裁決が行われていました。その無法な被害者の数は数千万人になると言われています。
 90年代後半に世界貿易機構に入るため法治国家になることを宣言します。
 ただし完全に法治国家になれば、全ての人に平等な権利を与える事になり、それはマルクス主義的社会主義の建前からは不可能と言われています。(法律に超越した党が必要。敵階級に人権を認めない)
 
 この事件は今、中国のどの新聞も取り上げています。ある一面、政府に反抗する性格を持ったこのような事件を全国的に報道すること自体これまでに無かったことです。
 「中国新聞週刊」によると、協約が成立せず立退きに反対している家族が居る段階で、開発業者に土地所有権が移っていることは、所有権が重複しており、これは問題ではないかと書いています。
 開発を計画した政府は個人の反対など想定せず、業者に所有権を渡したのでしょう。
 交渉の前に先ず電気・水道を止め、道路も断絶してから立ち退きを強要する方法に、農民ではとても権利の主張など出来なかったでしょう。大都会だからこそ決行出来たのではないでしょうか。
 この面でもまだ個人の人権が重要視されていない実態が現れています。

 とくにこの記事で気になるのは個人の「档案」が公表されていることです。 普通は秘密文書として扱われていますが、これは個人の政治評価で、公表は極めて大きな人権侵害であるだけでなく、場合によっては危険な状態にも成ります。少なくとも毛沢東が居たときなら、出身階級が「国民党の元中尉」なら直ぐに「打倒」対象になります。

 妻の呉平の”両親の出身が立派”という説明は中国人には理解出来ますが、日本人が考えているものとは異なり、党の高級幹部などを指しています。
 この「南方週末」が一見民主主義を目指しているように見えて、新聞紙上で档案を記載する辺り、その実、身体の何処かがまだ社会主義思想に染まっているのでしょう。
 このような事件に何故個人の素性が必要なのでしょうか。
 中国の新聞は全て党機関で、記者は档案を見ることが出来るのかも知れません。しかし、21世紀に生きて行くのなら、それに見合った精神とやり方が必要ではないでしょうか。
 社会主義では「出身」が極めて重要視され、現在何をしているかではなく、過去と立場だけで人間を評価します。その評価に档案が必要になっています。档案を作ること自体、人権侵害です。

 この事件についてはこの記事以外に幾つもの投稿記事が載っています。
 その主要な内容は、中国に今年出来た「所有権法」(物権法)と個人の人権の関係、公的観点からの要求と個人の人権との衝突の調整が公平に行われる必要を記しています。
 このような問題は何処の国でも起こることですが、中国では初めて公衆の眼前に劇的に展開しました。