拾  い  飯


07/01/11 南方週末 矯友田

 最近のこと、友達と二人で近くの「美食城」で食事をしたときのこと。
 我々は二人とも酒を飲まない。それでテーブルにはいろいろと注文したものを並べて会話を楽しんだ。
 お隣の席にも二人ずれが居たが、彼等は立ち去るときテーブルに立派な料理を半分以上残したまま出て行った。そして直ぐ店員が来て片づけ始めようとした。するとその時一人の灰色の服を着た男が急ぎ足で出てきて店員の片づける手を止めて何か合図した。店員は軽く頷くと片づけるのを止めてそのまま立ち去った。そして灰色の服の男がテーブルに座り、残った料理をゆっくりと美味しそうに食べ始めた。

 私はそのような光景を見るのが初めてで、不思議そうにしていたら、私の友達が「別に不思議なことではないよ。このようなことは毎日のことですよ。この辺りの人は”拾い飯”と呼んでいます」と教えてくれた。
 友が言うには「残飯は普通は棄てることになっていますが、店の方もお客に迷惑が掛からないようにして、まあ、あのような人が入ってくるのを黙認しているのでしょう」と言う。

 私達が食べ終わって帰るとき、12,3歳程度で赤色のシャツを着た子供が店に入って来て、我々に尋ねた。
「叔父さん達、残りを包んで帰りますか」と。
 私は「いや、持ち帰りはしないよ」と答えた。するとその少年はテーブルに座り残り物を正にガツガツと食べ始めた。
 私の友が「お若いの、どうして拾い飯しているの」と尋ねた。
 少年は声を潜めて「家が貧しいんです。」と言う。友が聞く「ご両親は居るの」と。
 少年の声は一層小さくなって「家は本当は田舎です。両親はこちらへ来て屑拾いをしています」と答える。
 そして「でも一月前父が車に跳ねられて脚を折りました。轢いた車は逃げてしまいました。私と母が屑拾いをして父の回復を助けています」と説明を加えた。
 その話を私も友も嘘とは思えなかった。そして私の友が店員を呼んで「すみませんが牛肉麺を持ってきてください..。肉を多いめに入れてね」と注文した。
 そして直ぐにホカホカの牛肉麺が来た。
友がその少年に「さあ、ゆっくりとお食べ」と促した。
 熱い麺を食べる少年の目頭に涙が浮かんでいるように見えたのは私だけだろうか。

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 訳者注:
「美食城」とは、百貨店等の同一フロアーに各種料理店が並んでいて座るところは共通しているところ。そこは誰でも近寄れます。
 
 中国では料理店で食事をして余りが出ると、包んで持ち帰る人が多いですね。これはよい習慣だと私は思っています。日本でも可能な店が少しあるようですが。

 店員はテーブルの上の残飯を、テーブルシーツごと丸めて棄てに行きます。この方式も合理的に思えますが。

 都会と田舎と余りにも生活水準が違うので、(農民が差別されているので)都会では農民を極端に差別する人も居るし、この記事のように理解のある人達もいるということでしょう。
 でも敢えて記事にしたというのはどんな意味があるのでしょうか。

 中国では交通事故に対して強制保険などの救済の法律が無く、ひき逃げ事件が多いようです。
 今、日本の衛生4チャンネルで「歌声天高」という中国製の連続映画を放映しています。
 唖の父親と歌唱の天分に恵まれた娘の物語で、これはなかなか素晴らしい内容です。その物語でも父親は轢き逃げされ治療費は被害者が工面しています。物語は現代で、高度成長を良く現しています。
 その父親は都会人ですがゴミ拾いで生活を立てています。このようなリアルな物語は中国国内では報道されないのでしょうか。