中国政府は金儲けをしてはだめだ
 
07/05/10 南方週末 笑蜀

 中国中央政府は税以外の収入を禁止する通達を全国各部門に出した。
 これは逆に言うと、これまで正規の課税以外にあまたの賄賂が必要だったことを証明している。非正規な税が氾濫し、全く無秩序だったことを証明している。
 そのことは誰もが切実に体験し証拠も多数散在する。
 例えば結婚するときの届け、子供が入学するとき、これらは公共の仕事なのに何故「お金」が必要なのか。
 誰が考えても道理として不思議である。私達は正規の税を納めている。その税で公共の仕事が遂行出来るはずだ。それなのにこれまでは公共の手続きに「お金」が必要だった。
 
 この状態は政府が営利企業であることを示している。
 国家がこれらの道義に反した収入を行うことが出来るのは、背後に国家の「暴力」と言う後ろ盾があるからだ。当然民営企業よりも優位に金儲けが出来る。暴力を持って利益を追求することは市場経済の原則に反し、国家転覆罪に相当する。
 これらの反道徳を避けるために、他の発達した国家は法律や道徳などで厳重に政府活動を束縛している。

 発達した国家といえど、部分的には課税以外の収入がある。しかしその場合の収入は公共作業の予算としては組み込まれていないが最終的には公共事業に振り当てられる。その収入を公務員が分けあう事はしない。もしそれを破る行為があれば醜聞として世間を騒がすだろう。このレベルに達するにはかなりの文化が必要となる。また発達した国家はその規則を守るために厳重な監督制度を持っている。このような状態に完全に到達出来たとき、例え小銭でも政府の名で庶民から金を取ることは原則的に不可能だろう。

 政府は金儲けを目的にせず国民の納めた税金だけで公共奉仕を完遂すべきだ。勿論政府にも無駄金が必要かも知れない。しかしその金銭も公共の服務に必要なものとして考えられる範囲だろう。公務員が自身の社会的体面を保つ生活は保障される必要がある。
 だがこれまでのように公的立場を悪用して「家」を豊かにすること、そのような考えは発達した国家にはあり得ないことだ。

 だが現実の無秩序で常時見られる「公用以外の支出」は政府支出を急速に鰻登りに膨れさせている。
 公費での車使用、公費での飲食、公費での旅行等々だ。これらの不正な浪費は年間で数千億元に登る。これらの出費を支えているのは全て正規の税収入ではない。
 官僚機構の中で「個人」或いは「ある部門」の利益を追求する構造がある限り、党中央が幾ら「腐敗撲滅」を叫んでもこのような不正が無くならないのではないか。  
 利益を追求する構造を支えているのは正規以外の収入が可能で、それは無秩序に増え氾濫している、と誰もが考えている。その利益を堪能している部門や個人は、当然のこと中央政府の命令よりも自己の利益を上に置いている。そのことは中国の政治の構造と指示系統が腸閉塞を起こしていることと同じだ。

 その最大の被害者は当然一般民衆だ。民衆とは国家権力の前では弱者で、何時も言いなりだ。例えば道路の真中に建てられた「通行費徴収所」。これに似たものが民衆の生活上に幾つも創られている。

 非正規収入を狙った公的な「通行門」が無秩序に氾濫していることは、社会の調和を考えるとき脅威である。ここに来て中央政府が「非正規課税」の禁止令を出すことは必然のことだ。
 中央は、より強度に非正規な課税を禁止する措置を徹底し、制度化していくべきだ。非正規な課税、或いは収入を目指すことは公民の財産権の侵害である。政府の行為は本質的に権利の乱用だ。これまで長期に渡って公民は抵抗出来なかった。そのことを公民は憂慮すべきだ。

 個人や一部門だけの利益を追求する地方政府の構造と精神、それを制限するには中央の圧力も必要だ、公共の監督機関の設立も必要だ、民衆の大きな反撃も必要だ。公民の財産が侵される度合がこのままでは膨らむばかりだ。 国民の財産が不正に収奪されない、そのような明るい「明日」を創ろうではないか。
 
 (責任編集 陳敏)

********************

訳者注:
 遂に出てきましたね、社会主義中国の根本的な問題が。
 党書記が任命されると、その官舎の門に向かった通路は「煙草」や「酒」等の贈答品の商店がずらっと並ぶ、と言う記事がありました。新しく選ばれた役人はその子供までが「贈り物付けされる」記事もありました。道路の真ん中に建てられた意味が不明な「通行門」も出て来きました。
 昇進するために「妻」を提供する記事もありました。
 公安という組織には自分自身の活動予算がないという記事もありました。

 これらの記事を読まれた方は、多分日本だって戦前は似たようなものだったと思われるかも知れません。
 しかし根本的な違いも知っておく必要があります。
 それは中国は建国以降、国民には法律上財産の所有権がなかったことです。そして人権さえなかったことです。今年になって初めて明文化されるようです。
 社会主義は近代国家としての機能を備えていません。余りにも非科学的です。