最高法院に生殺与奪の大権
     ・・・ 小殺の時代へ


07/01/04 南方週末 趙蕾

(概略) 人の命は最高法院が決める。
 06年12月31日、湖南省四川省高級法院長は最後の死刑命令に署名した。今後は死刑決定は最高法院で行われる。
 
 これまでは現地高級法院が死刑執行の決定をした。2審で死刑が判決されると即時執行された。
 4年前、陜西省の弁護士が免罪の嫌疑者を救おうとして法院に駆け込んだとき、嫌疑者は既に執行されていた。その弁護士、朱占平氏がその後「死刑再審」の運動に献身してきた。それ以来、中国で「死刑再審」の動きが始まったのだ。
 人を殺すことを「慎重に、最小に」を合い言葉に各種運動が展開されてきた。
 
 中国の歴史上も死刑は皇帝が決定した。皇帝が最高権力者であった。しかし新中国誕生後は地方法院で決定され執行された。
 1979年に現在の訴訟法が出来たがそれ以降改善はされていない。当時は社会がまだ不安定であったので、死刑決定権も現地に下方され、即執行が許可された。死刑が可能な罪名は時代と共に追加され最初の頃の3倍に増えている。
 「死刑かそれとも・・」と言うような疑いがある刑罰は死刑が選ばれた。
 その中で死刑執行に慎重を期していた法官が黒竜江省に居て、その人は現在弁護士に転じている。 
 資本主義的思想者の撲滅が盛んであったので、裁判も多忙となり、免罪も多くなった。そこで「誤審死刑」の判例も公開されるようになってきた。1980年代に河南省で誤審で死刑とされた事件があるがそれは公開されていない。

 1990年代の後半、最高法院の副院長沈徳詠氏が「有る地方は死刑執行が多すぎる」と指摘。そこは免罪が目立つと言われた所だ。 
 学会でも討論が始まり、死刑のあり方が議論されたが、それは公開されなかった。
 法院の権限を制限するかどうかは大きな政治問題とされた。つまり死刑再審の道は不問となった。地方法院も死刑決定権を固執した。
最高法院の人力・設備等の物質不足もそれに対応して改善を伸ばした。  
 
最初に述べた弁護士は、「人間の命は最も尊いものだ。現在の中国の物質的要素で人名が軽んじられて良いはづがない」と言う。「物的条件がない」と言う考え方は結局思想の問題だ、と言っている。
 1997年9月、治安面で刑事事件が急速に増加したことを受けて、最高法院はこれまで通りに地方院に死刑執行権を与えると通知。

 学者達が期待した「再審」の夢がこれで壊れた。「物質的な準備も必要だが、思想面の改善も必要だなあ」というのが偽らざる学会の感想のようだ。
 06年中央法院も2つの法廷から5つに拡大された。法員も70人から250人に増やされた。
 
04年フランスの法律家、パタンダール氏と中国の最高法院院長とが対談し、フランス側が死刑廃止論を述べたが、その時の中国側の考えは「哲学上はそういう考えがあり得るが、中国には早すぎる」と述べている。
 しかし「死刑」の重みをトップも考えだしたようだ。
 05年に温家宝総理も「判決の公正を期すために死刑確定権を最高法院に移す必要がある」と述べている。
 05年、「公民権国際批准」に向けて党中央は条件が熟せばそれを批准する、と述べている。05年11月4名の法院関係の専門家がその準備に向けて採用された。
 
死刑決定が最高法院に移されたら、最大の変化はその死刑の数に現れると言われている。現在の死刑数の半分になると言う。
 
 昨年末起こった、邱興華事件のように大量殺人事件の場合、民衆の意見は「即死計」を望んでいるようだ。そのことと死刑の重みとを如何に考えるか、量刑の指導書を最高法院が作る予定だ。
 
 新中国建国後30年経った1979年に法院制度が出来た。人権に対する人々の考えもまだ未熟の状態だ。各地の弁護士達の活躍の場が広がるだろう。有る弁護士の予想では、今後徐々に人命尊重の気運が高まり、2049年頃中国に死刑廃止の制度が出来るのではないか、と述べている。

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 訳者注:
 中国は後進国だから、民主主義が発達していないから、人命が尊重されないのも仕方がない、という気持ちでこの記事を理解すべきではないと思います。
 人権無視がその国家の基本思想と密接に関係していることを正視すべきです。
 毛沢東が農村の支配を広げていくとき、農民達に地主を処刑させました。毛沢東自身の言葉では「積年の怨念が貯まっており仕方がない」と記しています。
 しかし最近の書物では「中国には大地主などの所有形態が明確でない土地制度があり、殺す側の農民達も1つ間違えば自分が処刑される恐怖を持ってその殴殺に加わった」と記されています。

 ”階級闘争”は社会を発展させるという思想で、建国直後もさらに反人間的政策を拡大し、毎年”百家争鳴”などで「反革命分子追放」「階級敵撲滅」を高唱して処刑や追放をしてきました。
 現在の中国の教科書では処刑された人達は民主主義を望んでいたと書いています。
 つまり党の方がその「階級闘争」思想故に民主主義を理解出来なかったのです。 
 建国直後から行われた毎年各村の人口の3%を選出し「階級敵」として糾弾闘争をしましたが、そこにも当然反論の機会がありません
 (この時は住民に階級敵を密告させています)
 建国後、裁判制度が出来るまでの30年間は街の中で大衆の眼前で銃殺が行われていました。(もちろん裁判無しで)
 その方式や社会主義思想を日本の学者達は当時は無視したり、正しいとさえ言ってきました。
  中国の裁判制度が旧態依然というか、人権無視で構成されているのはその機構にあります。
 星の数程の「免罪者」が中国にはある、と言う記事もありました。それは被疑者から反論の権限を奪っており、法院が独立した機構ではないからです。

 この記事のように人命尊重は単なる時間の問題で、やがて解決されるという見方は大きな間違いです。
 この「南方週末」も党の機関誌という位置づけゆえにこのような考えしか書けないのでしょう。
  
 裁判官が「酒場の舞女」や「運転手」という記事もありました。国家の思想が間違っているからこそ、このような体制が出来うるのでしょう。
 
 ところが、今年の1月7日の毎日新聞に「日中関係改善目指して日本が中国の法整備支援へ」と言う記事が報道されています。
 中国は法整備が遅れているから日本の改正ノウハウを伝授する、と書かれています。
 国民平等でない国家に”平等”の日本の法律が適用出来るのでしょうか。
 つまり反論の機会が平等なら、最初に糾弾されるのは、「天安門事件」で学生を殺した党のトップが裁かれるでしょう。
 (1998年に、WHO に加盟するため”反革命罪”は取り消されたそうです。学生達の罪名は反革命でした。いまだに遺族の反論は許可されていません)